90 野菜のオイル蒸しとお刺身定食
「私より性格が良いですよね」
厨房で茉里奈サラダ用の野菜に塩とオリーブオイルを振りかけながら茉里奈は言った。
「へぁ?」
びっくりして間抜けな声を出してしまった。
刻んだきゅうりと大葉と茗荷を塩もみする手が止まる。
夕食の準備中。
「同じ境遇の人が居たら安心するし寂しくない、というお話ですよね? 暗い部屋に一人で居るより二人でいた方が安心するというのは普通という気がします」
帰宅した茉里奈は私より全然平気そうで、まさかの私の裁判の話を先に聞いてもらう事態に陥ったわけだけれど、もう年下のお姉さまと呼びたい。
例え話は確かに普通の話に聞こえるけれど、もう一声、という気持ち。
説明が難しい。
「私はその状態で、出来れば、相手が泣いていたりしていると良かったみたいでした。自分より下を見て安心したいって事かと」
分かる気はすれど、それを自覚して生きるのはなんだか絶望的だし楽しくなさそう。
「無意識に思いそうだし性格の良し悪しでもないんじゃない?」
塩もみを再開しながら、私の方が性格は悪いと思うのでそんな風に返事をする。
「もう少し上の、神様仏様枠に近い人たちって、そもそも暗い事が怖く無かったり、暗い原因に目が行くみたいで、もう一人居ても、原因を探るのに便利という感じで、嘘は入らないんだとか」
茉里奈はフライパンによく混ざった野菜を入れ火にかけ、混ぜながら説明してくれた。
こちらは塩もみを終えてちょっと寝かせておきたいので、手を止めて聞く体制。
嘘はどんどん嫌なところまで深堀していくので、同じ感情の人が居て安心で思考が止まったのならその先に行った茉里奈よりは性格がいいんですよ、というけれど、納得がいかない顔をしていたら、優しいから庇おうとしてそんな顔をするんですよ、と、苦笑いを浮かべられた。
私は性格が悪いので、うるさいなぁ、と思ってしまうのだと言う。
まだ裁判の影響も残っているらしい。
「事前に聞いていたので、目を背けたいような感情、思いついて自己嫌悪する様なものや、理解はできる……共感レベルでは無くて、そういう思考もあるだろうな、というレベルのもの、色々確認しておいたので、ダメージは少なかったですね」
入退院を繰り返していると、人の死にほっとしてしまう事もあったと、茉里奈は真顔で言う。
「私じゃなくて良かったとか、仲が良い人に思ってしまって自己嫌悪に陥るじゃないですか? そこに、優しい子だから落ち込んでいるとか言われて、放っておいてと叫びたいのを我慢して、そんなことないよ? と言うような子供だったんです。両親を安心させようという気持ちはもちろんありますけれど、自分をよく見せたいって気持ちも入っているし、嘘、と言う意味ではどうしても多くなりますよね」
野菜は過熱されて少ししんなりと水を出し始めたので、火を弱めて蓋をしてもらう。今日はオイル蒸し。
「丹羽先生曰く、トドメ裁判」
ぱっと笑顔を作って言う。
「トドメ裁判?」
死んでから趣味に没頭してもうちょっとダラダラ遊んでいたいと考えている人向けに、早く生まれ変わりたいと思わせるところまで心を折るだとか、早くすべてを忘れてやり直したい、と思わせるだとか、神様的に回転率を維持するための最終防衛ラインと言ったところか。第五裁判の判決に異議を唱える者も減るだとかで、システムとは時に残酷である。
私は完全に前者っぽいのに生まれ変わり条件達成してないからホントにただの地獄じゃない?
と言えば、前にも聞かれましたけれど、最初から地獄じゃないですか、と、茉里奈はくすくすと笑った。
塩もみしてたやつがしんなりして来たので、水でさっと洗って水気は軽く切ってボウルに移動。
お酢と砂糖と醤油、鰹節粉少々を混ぜてからボウルに入れて和えれば酢の物完成っと。
本当は出汁で味を調整するところだけれど、これだと野菜の水気を軽く切るだけで済む。
手抜きともいう。
茉里奈の方もフライパンの中をもう一度かき混ぜて火を止めて、完成かな。
茉里奈サラダオイル蒸しバージョンの具材は、ロマネスコ、アレッタにコールラビとカリフローレ。飾りにチコリにミニトマトを乗せてアイスプラントを散らそうかな、と乙女チックな事を言う。
可愛いけど美味しそうというよりは、味が分からないんだよなぁ。
コールラビはカブ食感のキャベツ味らしいし、カリフローレも茎の部分はアスパラ、花っぽい部分はカリフラワーよりもポロポロ食感でクセもないという。
脳が混乱しそう。
仕込んでおいたクワイの含め煮を温めて、お刺身の盛り合わせは一人前ずつ皿に盛って残りは懐石に向けて貯蔵。お味噌汁は小松菜と舞茸かな。
量的に主役が完全にサラダだけど、まぁ、そういう夕食も女子っぽくていいかね。
と、仕上げにかかろうという段になって思い出す。
「そういえば、多分彼氏だった人からメモがあったんだよ」
きょとん、とこっちを向いてから合点がいったのか、ああ、と茉里奈は言う。
「記憶が抜かれていそうな人、ですよね?」
「多分そうだと思う。配達の山田さんとは別の人みたいだし、興味も湧かなかったからいいかな、って思ってたんだけど、”腹減った。空”ってメモが部屋にあった」
「お腹、減りはしないですよね? 食いしん坊キャラだったんでしょうか……。
そういうケースがあるのか聞いてみたんですが、なにか問題があって、生まれ変わったり消滅させられたりはあるそうなんです。死者の方で関わりがある場合、記憶は完全消去で思い出す事は無理というお話ではあったんですけれど、関わりが深かったのかもしれませんね。私も無意識にサラダ多めで作ってました」
「私もなんか腑に落ちたかも」
なんだか作り過ぎていたのだ。食いしん坊キャラならあり得る。彼氏かって言われたらピンとこないけど。
「今朝もカウンターにお供えしておいたら食べたみたいだから、じゃあ、ラップかけて置いておこうかな……」
「……サラダ三人分で仕上げますね」
若干引きながらも茉里奈はお皿を追加してくれた。
三人前用意して、お供え用の一人前はちょっと悩んだけれど、味噌汁もご飯も用意してお盆にひとまとめにしてラップをかける。
お刺身置きっぱなしってなんか怖いけれど、大丈夫だろうし、ご飯はともかく味噌汁の鍋は洗いたかったんですごめんなさい、と心の中で言い訳をしつつ。
「「いただきます」」
やっぱり茉里奈サラダはちょっと混乱した。
一つづつ確認しながら食べると、そうじゃないか、って味がするのに、気にせず食べるとブロッコリーとかカリフラワー、カブになってしまう。食感もまたしかり。
茉里奈は分かるようで、オイル蒸しだとお野菜の味が濃くていいですよね、と嬉しそうに食べていた。
逆にクワイの味が良く分からなかったようで、ホクホクにシャリっとが混ざった食感に苦い栗みたいな味でしたよね? と聞かれて何それ不味そうとか思う。
でも考えてみると味を分からない人に説明するには他の表現が思い浮かばなかったので、天才か! って言っておいた。
お刺身盛合せはお願いする時に懐石の物を想像していたせいか、マグロにサーモン、かんぱち、シマアジ、有頭の甘エビ。
もっと大皿で想像してウニとかホタテとか青柳とか入手すればよかった。後悔先に立たず。
茉里奈はシマアジを生姜醤油で食べるのが好きらしく、口に入れて、んんー、と花でも飛んでいるような揺れ具合。
私は断然まぐろ。わさび多めで食べるのが好き。
多分生きていた頃に一番美味しい味で再現されている様な気がする。
二人で美味しいね、と言いあって食べた。
嫌な事があっても美味しいものを食べると回復気がする。
解決はしないけどね。
ほんの少しの先送り。
今夜は皆、後悔したり、絶望したりするのだろうか。
なんか私は落ち着いちゃったんだけど。
***
食後のお茶を飲みながら、お品書きを書いて、茉里奈と二人で味と食感の注釈を入れて、最後にご飯はおかわりが炊飯器にあります。日付が変わっていたら二合くらい残しておいてください。と書き添えて、取り置いていたお盆に乗せる。
美味しく食べられるといいですね、と茉里奈は言い、一人になると考え込んでしまいそうなので、と教育部に出かけるというので、私の事は一人にするのね、などと冗談を言ったら、一緒に来ますか? と聞いてくれたんだけれど、電話もしたかったし、そういえばこういう時は一人になる事が多かった事を思い出したので、人恋しくなったら連絡してからお邪魔するからご心配なく、と言って送り出した。
さて。
佐藤さん、佐藤さん。
『もしもしー?』
「こんばんは」
『はいー、こんばんはー。思ったよりお元気そうですねー』
「今のところ」
『ナウって言うんですよねー! 思ったよりお元気ナウ! とかー』
「どこで覚えてくるのそういうの」
『今回担当の女性が教えてくれたんですー。御年八十七歳。お孫さんにスマートホンの使い方を教わってツブヤイターというアップリケを付けていたそうですー』
「ツッコミどころが満載過ぎてどうしていいのかわからないんだけれど分かってて言ってるのよね?」
『恐らく分かっていると思うんですけれどー。念の為戻ったら教えてくださいー』
「おばあちゃーん」
『彼女の高祖母と同い年でびっくりしましたー』
「高祖母……」
『ひいひいおばあちゃんですねー』
「言葉の意味が分からなかったわけじゃなくて。佐藤さん色々な意味で若いよね」
『テレビが普及してからは勉強も容易になりましたからねー。若い人には驚かれますねー。ご年配の方はそうだと思ったーって方が多いですよー?』
おっとりしているからかな。
落ち着いては居るんだよね。
驚いたりする時の仕草は素なんだろうけれど。
相手に合わせて語彙を変えたり工夫はしているけれど、最新のものを取り入れ過ぎても通じない事もあるし大変なんですよ、と、いくつか面白い体験談なども話してくれた。
『それはそうと随分と落ち着いていますねー。第四裁判、嫌ではなかったですかー?』
「嫌というか、落ち込んだかな」
『そうですよねー。持続しないんですかねー?』
「うーん。思い悩みはしない分短いスパンで繰り返し嫌な気持ちにはなりそうかも」
『内容ってー、説明出来ますかー?』
「内容……説明は難しいかも」
『やり取りをそのままとかはー?』
「それは出来ると思う。ええっと……」
結局裁判と同じくらい時間をかけて、言われた事、答えた事、思った事なんかを、時折佐藤さんの茶々が入りつつ、話した。
『育児放棄というのはー、何歳位に気が付いたんですかー?』
「そうかも? と思ったのは二十超えてからだと思う。普通の家とは少し違うな、とは思っていたんだけれど、家族の形態なんて多種多様でしょう? 海外の法律なんかで子供を一人にすると逮捕されるっていうのもあるし、そうなのかも、とは思ったんだけれど、一般に言われる放置子とはまた違う感じだったから、自分の中では未確定にしてた」
『放置子、ですか?』
「悪い意味で使われることが多いんだけれど、放置されて常識を親から学べなかった、という感じの子供の事? 分からないから人に迷惑をかけちゃうって話なんだけれど、私は朝起きて夜寝て三食ご飯を食べて、行動範囲としてはいけない事は言われてたから、ちょっと違うなって。飢餓で他所のお家の冷蔵庫漁るとか、そういう切羽詰まった感じはなかった」
『やっぱり今は隣近所の人に怒られたりとかしないんですかー?』
「一軒家ばっかりの住宅街なら多少は叱られたりすると思うけど、マンションとかアパート構成の住宅街だと皆無じゃないかしら? 赤信号を渡っても危なくなければ誰も声はかけないんじゃないかな。こっちが悪くなることもあるし」
うっかり捕まえたら誘拐犯とか言われるからね。
『虐待も種類が多いですよねー』
ぽつり、と佐藤さんは言って、暫く黙った。
これまでに虐待された子供も何人も見ているのだろう。
そういう子供って生まれ変わりたいと思うのかな。
『次の生は優遇されて幸せ度の高い誕生先になりますからー、高坂さんも候補は良い環境が多いと思いますよー』
「あれ? そういう話だったの?」
『条件達成のヒントになればと思ったんですけれどー、なにかこう、こじらせているかもしれませんねー』
「それは思った」
こればっかりは苦笑いするしかない。
「条件達成するまでは見届けたい?」
『本音はー。でもー、私が居たらいたで踏み切り難いというのも分かっていますからねー』
「それは良かった」
『良くはないですよー? 手のかかる子ほど可愛いと言いますけれどー、憎らしくもありますねー』
「えー? 見捨てないで欲しいー」
『そう言えば……』
結局、後悔にも、絶望にも飲み込まれず、その夜は普通に寝られた。
これでいいのかな。
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死亡 二十七日目(七日目)
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入手品:刺身盛合/銀むつ/バナナ/カリフローレ
朝食:エビカツバーガー
間食:マシュマロクッキー
夕食:野菜のオイル蒸しとお刺身定食




