第43話 異変 3 千景ちゃんは不安になると甘えたくなるの
ブナシメジにマイタケ、えのきにシイタケ……キノコを多めに投入し、他の野菜は定番の白菜とネギと、それと薄く切った人参。
野菜類の他は、あらかじめ表面を焼いた鶏ももに、木綿豆腐……それらを土鍋に入れ味噌ベースの汁で煮込む。とりあえずはキッチンのコンロで煮て、火が通ったらリビングに鍋を運んでテーブルの上のカセットコンロに乗せ、温かさを保持したままいただくのだ。
「千景ー食べるぞー」
土鍋をカセットコンロにセット、そして点火。晩御飯の準備を整えて、陽は家族の名を呼ぶ。
今日の夕食当番は陽だ。千景は、ソファーに寝転がりのんびりと……いや、真剣な顔でスマホをいじっている。
「千景ー」
「…………」
返事がない。おかしい。いつもの千景なら、食事になれば高級缶を開ける音を聞いた猫のように飛んでくるのだが。
「おーい、ナベ食うぞ」
「…………」
「なんだよ、なにしてるんだ?」
陽は呆れの声をかけるが、返る千景の声は重大会議でも始まりそうな重いものだった。
「ヨウ……見てよコレ」
寝転がったまま、千景はスマホの画面を陽へ向けた。陽は仕方なくソファーの上の彼女へ近付きそのスマホを確認する。そこにはSNSアプリが表示されていて、誰かが投稿した動画が再生されていた。
「これはっ……!」
陽は、千景が鍋に飛びつかなかった理由をすぐに理解した。
動画は、この地の中心街で撮影されたものだ。日中だろう。大きな通りで、ひとつの存在が人々の視線を集めていた。
鏡獣だ。複数の鏡の板を雑に張り合わせて作った人形のような、平均的な成人男性ほどの体躯を持つ人型の化物。
魔鏡空間に大量に生息する、雑魚鏡獣に違いない。人を喰らう、排除すべき化物だ。
「投稿者によると、十五分くらいはそこをウロウロしていたみたいだよ」
「十五分だと……?」
「とくに人間を襲うことはなかったみたい。最後には突然走り出して消えたらしいけど、被害はないんだって」
「マジで……?」
鏡獣が十分を超えて通常の世界にいる事などありえないはずだ。彼らはこの世界では肉体を維持し続けることが出来ない、住む世界が違うのだ。
そして、被害者がいないだと? 人間を捕食する化け物が市街地に現れたというのに?
「千景。本当に被害者はいないのか? いや、いないほうがいいんだが」
「それらしき情報はまったくないね。危害を加える様子はまったくなかったって」
「そうか……千景。魔鏡はそこに出ているのか?」
千景は、脳内に刻まれた簡易占術の術式により、情報を得た事件に魔鏡が関わっているかどうか知ることが出来る。鏡獣がいるのだから魔鏡があるのは当たり前だが。
「……わかんない」
しかし、千景は寝転がったまま首を横に振る。彼女の艷やかな銀発がソファーの上でかき乱される。
「わかんないって……」
「ん、わかんないの。なにも感じないの。そうとも言えないし、違うとも言い切れないの」
正確に紐解くことが出来ない情報に、千景は惑いを覚えているようだった。
千景にそのように言われては、陽は判断に困る。千景にわからないものは陽にもわからない。
「そうか、わかんないか。参ったな……」
「うん。こんなことはじめてだし……どうしようか……」
揺らぐ瞳、力の無い声。千景にしては珍しく、随分と弱気であった。鏡獣が喋ったかもしれない、という話のときにはあまり気にしていなかったのに。
「ねえ、ヨウ……」
「あ〜……そうだ。小雪さんたちに話してみるか」
「……あの人たちに?」
「ああ。とりあえず話してみよう」
「ふ〜ん……」
小雪。陽たちと同じ、鏡獣狩りを生業とする者だ。彼女の場合は道を踏み外した同業者も狩っていたらしいのだが……まあそれは今はいい。
「情報共有しないとな」
カセットコンロの火を一度切り、陽は自分のスマホで電話をかける。数秒のあいだコールが鳴り、応答したのは少年の声だった。
『はい、晴継です。どうしましたか?』
彼は、小雪の相棒である少年。千景と同種の存在であり、実年齢は陽よりも遥かに上だろう。
「えっと……晴継さん。いま、大丈夫ですか?」
『はい。とくに問題はありません』
「では、ちょっと動画のリンクを送りますので、それを見てください」
陽はメールで動画のURLを送信する。そして、電話の向こう側の彼からの言葉を待つ。
三分くらいそのまま大人しく待機し、返ってきた声は陽ほど深刻の色を帯びてはいなかった。
『これは確かに異常で、調査の必要があるでしょう。そして、私と小雪はちょうどこの現場近くにいるのです』
「あ、そうなのですか」
『はい、私用ですが。調査してなにかわかりましたら、すぐにご連絡します。お任せください』
晴継のその言葉は、自分たちだけで調査を行うという意思を示していた。
陽は差し込む言葉を探したが、思考はなにも掴まない。その沈黙の意味を察したか、晴継は柔和な声を通話回線に乗せる。
『ご心配なさらず。以前の私たちの失態を思えば不安でしょうが……とりあえず今日は、現地にいる私たちに任せてください。もしものときは、情報を残す手段もあります』
そう言われては、陽は踏み込むことが出来ない。
彼らは仲間ではあるが、互いの行動を強制出来るほどの関係ではない。彼らにも誇りはあり、そして陽たちよりも経験は豊富だ。一度失敗したからといって以降単独行動をするべきではないとは、流石にこちらからは言えない。
そもそも、失敗というのならその件では陽たちも失敗している。
「……わかりました。しかし、気をつけてください。関連性は不明ですが、今日俺が倒した鏡獣が、一言ですが言葉のようなものを口にしました。ツバキ、と」
『……知能を得たと?』
「わかりません。ですが、頭には入れておくべきかと」
『ふむ。しかし、知っていれば対策も出来るでしょう。知能を持った敵……はじめてではありません。情報、ありがとうございます』
陽としては不安を残しながらも、それ以上話すことはなく通話は終了。仕方なしにカセットコンロに火をつけ、テーブルの前に腰を落とす。
「……まあ、いいんじゃない?」
千景はややドライな声でそう言うとソファーから起き上がり、テーブルの向かい側にちょこんと座った。不安をにじませる陽の顔に、どこか薄い冷気を帯びた視線を注ぐ。
「べつに、どうでもいいってわけじゃないよ? チカゲが捕まったときあの人たちが協力してくれたのは知ってるし、それを忘れる恩知らずじゃないよ。でも、庇護対象じゃないんだから。調査くらい任せていいでしょ」
通話内容は、千景にもすべて聞こえていたようだ。
「そりゃ、まあさ……」
「食べよ? 鍋」
気のせいだろうか。千景の声に、少しトゲトゲしさがあるように感じた。
「……千景、なんか怒ってないか?」
「え? なんで?」
いまの千景の表情に色彩はなく、無色の下に感情の色を隠そうとしているように見える。
「いや、なんか……」
「気のせいじゃない? 今のどこに怒るとこあったのさ。食べよ?」
「ああ、うん。い、いただきます」
「いただきます」
食事の挨拶をして、千景は自分で自分の分を取皿に盛る……無表情で。
やはりおかしい。千景はいつも楽しそうに食事をはじめるのだ。異常な鏡獣について話していたのだから幸福感に包まれた食卓というのも不自然ではあるが、彼女は無表情の仮面から不機嫌の瘴気を薄く漏らしていると……長く共に生きた家族としてはそう思える。だが、共に生きていながらその不機嫌の理由に思い至らない陽であった。
取皿の豆腐を箸でつつきながら、千景はボソリとつぶやく。
「……チカゲはさー、ヨウに言ってほしかったなー。任せてくれって」
─────────────────
都会の華やかさや喧騒からは距離を置き、日々の生活を穏やかに営むための住宅街。すべての家屋、住民が、濃紺の帳に優しく包まれている。
太陽は完全にその身を隠し、彼がもたらした熱までも光と共にすべて地上から失われた……そう思わせる冷たい風が、わたしの顔をやわらかに撫でて通り過ぎていく。
柔らかいが……寒い。北国だから仕方がないのだけれど、この地の夜風はわたしの頼りない身を容赦無く冷却していく。
「……なにしてるんです。風邪を引きますよ、椿さん」
呆れ声に振り返れば、そこには目つきの悪い五十代のオジサン……叔父さんが渋い顔をして立っていた。
「寒いよね、ほんと」
「じゃあテラスなんかに出ないで中に入りましょう」
「はいはい」
寒くはあるが、湿度も低く清涼感があって気持ちが良かったのだ。それでも彼の言うようにこれ以上は風邪の危険があるので、わたしは外気へ剥き出しのテラスからエアコンで快適調整された閉鎖空間へと避難する。
「……叔父さんってさあ、ずっとここにひとりで住んでたんだよね?」
色々と物が転がってはいるが、最低限の整頓と掃除はされているという印象のリビング。この一戸建ての住宅で、彼はどのように生きていたのか……ノリで聞きはしたが興味はまったくなかった。
「ああ、まあ、はい」
叔父さんも語る気はなかった。わたしは質のいいソファーに身を沈め、そのまま少し休もうとしたのだが叔父さんが話しかけてくる。
「椿さん。あの実験は、やめましょう。あんなものを操作するなんて出来はしないんだ」
返すわたしの声は、精力や誠実さやといったものは微塵も含有されない無気力なもの。
「でもさ、それだとわたし自由に動けないじゃない。勝手に出てくるんだから。あー、アレが完全制御出来ればさあ……」
「…………」
叔父さんは、返答に困るとすぐに口を閉ざす。あまり頭の回転もよろしくないようで、わたしの心を湧き立てることも慰めることもない。
「まあいいや。なんか疲れた、今日はもう寝るね」
勢いをつけてソファーから跳ね起きて、わたしは洗面所へ向かう。歯はすでに磨いたが、顔はまだ洗っていなかった。
オジサンの一人暮らしだけに使われていたにしては立派な洗面所。鏡には、少し疲れた顔をした女の子が映る。
ボブカットの、やや目つきの鋭い十七歳。それなりに可愛いとは思うけど、もう少しタレ目のほうがいいかなあなとわたしは欲張っている。
「可愛い顔でさ、みんなの前でさ……」
みんなの前……そちらの方は、今のわたしではどうしようもない。
今の、わたしの体では。
「あーあ。わたしの青春ぶっ壊れたわ」
投げやりに嘆いて、わたしは冷たい水道水で顔を洗った。




