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『浮遊剣』のディルトラント。
その名が世に知れ渡ったのは天光暦270年、『大陸の麦畑』アルテリーゼと『北の妄執』クロトミュスコフとの戦であった。
双方合わせて2万にも及ぶ軍勢はハルギア平原にて遭遇、展開した。
しかし、会敵してからも戦闘が行われる事はなかった。
思いのほか兵数が切迫していた事。他国からの援軍が遅れ、或いは参加しなかった事。
そして何より広い平原とそれを囲む丘という見通しの良すぎる場所は、伏兵の存在や部隊の展開に軍勢の陣形など、両軍共に筒抜けであった事が原因であった。
このまま両軍が正面から激突すれば双方とも被害は甚大であり、それではたとえ勝利したとしても、国力の低下は看過出来るものではない。
クロト軍は奪い取った領地の防衛と運営に。アルテ軍は国中から集めた兵の領地への分配に。
兵が失われれば失われるほど国中の兵が薄くなり、この機に良からぬ事を企む者が国の内外に現れるだろう。
また、両軍とも兵の多くは農民なのだ。失われる数が多ければ多いほど翌年の収穫に大きな影を落とすこととなる。
そのような両国の思惑もあり、膠着状態のまま1ヶ月間睨み合いが続いていた。
決め手に欠け、先に動いた方が不利になると両指揮官は理解していたが、軍を引くことなど出来るはずが無かった。
戦をすることなく軍を引いてしまえば負けを認めた事となり、領土を奪われるからである。
だがこのまま引かずにいても際限なく金と兵糧を失ってしまうだろう。
頼みの綱だった和睦の交渉も失敗に終わり、出口の見えないこの情勢はまさに千日手の様相を呈していた。
そんな中、アルテ軍の中からただ一人進み出た者がいた。
その男はまるで熊のようにヒゲを生やしていて、鎧すら付けていないみすぼらしい姿だった。
ただ長剣を2本持っていることだけが異彩を放っている。
そんな男がアルテ軍の代表として一騎討ちを申し出たのだ。
クロト軍の指揮官である第24代クロトミュスコフ国王オルテネア・ド・クロトミュスコフは兵の士気を上げる良い機会だ、とこれを受けた。
どこの馬の骨とも知れぬ雑兵に、屈強な我が騎士達が遅れを取るはずが無い、と。
それが己が運命を分かつ決断とも知らずに。
アルテ軍の騎士達は一騎討ちに反対していた。
なぜ我等歴戦の騎士ではなく、あのような得体の知れない一兵卒にさせるのか、あっさりと負けて両軍の笑い者になる。兵の士気に関わる―――と。
古来より、一騎討ちは戦場の花である。また騎士たちの武威を示す恰好の場でもある。
一騎討ちで勝利することは最高の栄誉とされ、ここより生まれた英雄、豪傑は枚挙に暇がない。また論功の意味でもここで活躍することは大いに意味があった。
膠着したこの戦で、戦功を立てられる機会をみすみす逃す訳にはいかなかったのである。
騎士達はただの平民の一兵士に一騎討ちを行うことを指示した、指揮官の第8代アルテリーゼ国王、バルタザール・フォン・アルテリーゼに詰め寄った。
だが国王バルタザールは自分の意を曲げる事は無く、最後には騎士達も国王に逆らうことは無かった。
無様に負ける平民を嘲笑い、それ見たことか!次こそは我らに一騎討ちを!と進言するつもりであったのだろう。
かくして両軍の見守る中で一騎討ちが行われ―――
10人の騎士が、たった1人の男によって打ち倒された。
その中には『丸太抜き』のヘイムダムが、『鎧砕き』のエイリークが、そしてクロトミュスコフ筆頭騎士、軍務の中核を担う『比類無き』アトミカがいた。
9人の精鋭騎士と1人の指揮官を捕虜に取られたクロト軍には、最早士気の低下を食い止める術が無かった。
特に8割を占めていた民兵達の反意に合い、程なくして軍は瓦解。撤退を余儀なくされた。
アルテ軍もこれを追撃することは無かった。
逃げ帰る敵軍をつついて泥沼の戦闘になることを避けたかったこともあるが、英雄の誕生を目の当たりにした兵達の興奮に、国王バルタザールは水を差したくなかったのである。
そうしてこの戦は天光暦が始まって以来、初めて1人の死者も出さずに終わった戦として歴史書に載ることとなる。
それをもたらした1人の英雄の名と共に。
その英雄の名はディルトラント。『浮遊剣』のディルトラント。
騎士ですらなく、その時はまだアルテリーゼ王国、西方辺境領の一兵士でしかなかった。
記録によれば、ディルトラントは10人目の騎士―――アトミカを倒した際にこう叫んだという。
「これで家に帰れるッ!」
剣が跳ね上がる。まるで己が主を護るかのように。
剣が突き進む。まるで己が主の敵を刺し貫くように。
ディルトという暴風が吹き荒れる只中で、空中を飛翔する剣は『まるで誰かの腕で振るわれているかのように』追随する。
雷鳴の如き速さの両手剣が振り下ろされ、大地を穿つ。
そして間髪入れずに空中の剣が翻る。
両手剣を引き戻し、体勢を整えるまでのほんの数秒。
そのわずかな時間に2回―――いや3回か、空中の剣がディルトの隙を庇うかのように振るわれる。
かと思えば相手を嘲るかのように飛び回り、翻弄する。
その隙を唸りを上げて両手剣が襲い掛かり、粉砕する。
通常ではありえないその連携、その光景。
それは腕が3本なければ出来ない剣技。
アルは凝視する。
父の振るう勇猛な剣を。父に付き従い飛翔する剣を。
一挙手一投足を決して見逃すまいと。
その異端で、異常で、そして美しい剣技を。
「ハァ、ハァ…ハァー、うぐっ、ど、どうだいアル?僕の技は?これが僕の切り札『見えざる第三の腕』だよ―――ぅおぇぇ」
息を切らせ、今にも倒れそうな程フラフラになったディルトが口元を押さえる。そうとう無理をしたのか顔色も悪い。
さっきまでの雄姿はどこへやら、何ともしまらない光景であったが興奮しきったアルには気にならなかった。
「あうあうぁぁぁ!」
(すごいよ!父さんすっごいよ!)
と大興奮だ。アルを抱いているレーテもパパかっこいーっ!と声援を送っていた。
それを聞いたディルトの顔色は青いままだったが、鼻の穴がぷっくりと膨らみ自慢げだ。
「僕の血を受け継いでいるんだ、アルも練習すればきっと使えるようになるよ!だからこれから毎日一緒に練習しようね!」
「あうあうー!?あう!」
(俺も出来るようになるの!?やる!)
「パパ直伝だね!アルちゃんよかったねー!」
明らかに生後一ヶ月の赤ん坊にする会話ではないが、この家族にそんな常識は通用しない。
「ディルトラント様、流石に早すぎます。止めてください。それとそこ邪魔です、洗濯物が干せません」
実はだいぶ前から洗濯カゴを抱えたニーナが『早く終れ』とオーラを放っていたのだが誰も気づく事が出来なかったようである。
エイルはその横で身動きせず、目をまん丸に見開いてディルトの背中を凝視していた。
「ア、ハイ。スミマセン…」
すごすごと場所を譲るディルトに先ほどまでの雄姿など欠片もない。
「ディルトラント様」
「はいっ!?」
そんな哀愁漂うディルトにニーナはにっこりと微笑みかけ
「お庭、後で直して下さいね?」
と、抉れた地面を指差した。
「ハイ…」
ディルトが一人、庭の地面を直しているちょうどその時。
アルテリーゼの首都、ザルクヘインでは今回の戦争の論功行賞が行われようとしていた。
双頭の城、ノルバレン城に集まったのは戦に参加した騎士、派兵した貴族など100名ほど。国王が現れるまでの間噂話に興じていた。
「聞きましたか!今回の身代金の額をッ」
「ライムント伯爵、あくまで捕虜の身柄引き渡し金ですぞ。…何でも金貨50万枚はくだらないとか」
「アトミカだけで20万枚―――」
「領地はどこを奪う―――」
「クロトからの賠償金はいくらに―――」
「我等の取り分は―――」
噂の主役は金、金、金、そして
「一騎討ちで10人抜き―――」
「なんでも西方辺境領の兵だとか―――」
「剣を浮かせたと聞きましたが―――」
「なんと!『異能持ち』か!陛下はどこでそんな―――」
戦勝の立役者、ディルトラントの事だ。
ざわざわとまるで終わる気配の無い噂話の渦はしかし、不意に途切れることとなる。
「バルタザール陛下、御入場!」
騒がしかったホール内はしんと静まり返り、この城の主を迎える。
現れたのは偉丈夫。しっかりとした足取りで備え付けられた壇上へ上がるその姿は、威圧感の塊だ。
筋肉質のがっしりとした体型はその上背も相まって見るものに強烈な印象を抱かせる。
細く釣り上がった瞼に鋭い鷲鼻、表情を隠す口髭。そして権謀術数に長けることを表すかのように刻まれた深い皺。
齢50を過ぎていまだ衰える事を知らぬ第8代アルテリーゼ国王、バルタザール・フォン・アルテリーゼその人である。
「みな此度の戦、大義である。卑しくも我が国内に攻め込んだクロトミュスコフ軍は汝らの活躍によって撃退することが出来た。国民に代わって礼を言う」
そうして胸に手を当て、目礼する。目下のものに対する最大限の礼だった。
集まった騎士、貴族達は国王の思わぬ行動に意表を付かれるが、すぐさま跪き礼に応える。
その様を見届けたバルタザールは鷹揚に頷き、言葉を続ける。
「さて、みなも知っておろうが我等は一人の死者も出さずに戦に勝つことが出来た。この奇跡の戦勝の立役者は一騎討ちにて10人もの騎士を、あの『比類なき』アトミカをも破った西方辺境領の兵、ディルトラントに拠るものが大きい。余はこの者に最大限の恩賞を与える事を約束し―――」
「彼の国より奪いし新たな領土、ヘイルムーンを与える」




