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「えっ!?ど、どういう事?」
「塩は駄目」
「せっかく海があるのに!?作っちゃダメなの!?」
「海水から塩を作れるの知ってたんだ…この村から遠出した事ないからまだ海を見た事も無いし、海の水がしょっぱいって何で知ってるの…?まぁアルだからもう何でも有りか…」
内陸の国であるアルテリーゼにはもちろん海が無い。塩湖や岩塩も見つかっていないので、塩は自国で生産ができなかった。
海水から塩が作れる、という事だけはディルトもフィンも知識として知ってはいたが、その具体的な方法までは分からなかった。
そもそもこの領に来るまで2人とも、と言うよりアルテリーゼ国民のほぼ全てが海を見たことが無いのだからそれも当然だろう。
海水を沸かせば塩が取れるだろうと単純に考え、一度人を集めて試した事もあるがその結果は散々だった。
海水を汲みそのまま大鍋で沸かしてみたのだが、水が蒸発するのに思いのほか時間がかかり膨大な量の薪が必要になった。冬の長いこの領では薪を無駄に使う余裕は無い。
そんな大量の薪を使ってまで作った塩も、かろうじて『塩…?』と呼べる程度の品質だった。普段使っている低い品質の塩より味も見た目も悪い。
使った労力と時間、費用に対して全く成果が見合っていないとして、その一回限りで中止になってしまった。
試行錯誤を繰り返し、何度も塩作りを試せば改善するのかもしれないが、そんな事を繰り返せる体力はこの領には無い。
「えーっと、フィン。お願い」
自分では説明が難しいと思ったのか、ディルトはフィンに丸投げした。このような事には慣れているのか特に不満な様子は無い。
「かしこまりました。塩を作る事は許可されていますが、販売や税として納めることは禁止されています」
「作るのはいいのに!?」
「はい。作ってその領内で消費する事は許されています。なのでヘイルムーンの海水で製塩を試しましたが…」
「試しましたが?」
「とても採算の取れるものでは有りませんでした。ですので今のところは中止という事に」
「………それって海水をただ沸かしただけ?」
「? ええまぁ、そうですね」
「へー、ほーん、ふーん」
それならうまく行くかもしれない、とアルはほくそ笑んだ。
「それにしてもなんで塩にそんな制限が?しかも海の無いこの国で作るってどうやって………あー岩塩とか塩湖があるのか」
「…もう驚きません。えぇ驚きませんとも。ちなみにアルテリーゼではそのどちらも見つかっていません」
「うーん、見つかってもないのにそんな決まりが有るって事は、いつか『岩塩や塩湖が見つかった時の為』もしくはヘイルムーンみたいな『海沿いの領地を手に入れた時の為』か。でも何でそんな決まりがあるの?」
せっかくの塩を売れないなんてどう考えて不利益しかない決まりだ。普通ならば白麦と同等、いやそれ以上に力を入れるべき産業になる筈なのだが。
「理由はもうご存知のはずですよ」
「…は?えっ!?全然ご存知じゃないです!」
「それは『王家の権威を守るため』です」
アルは呆けた表情で目をぱちくりと瞬かせた。まだ色々と理解が追いついていないようだ。
「不思議に思いませんでしたか?国中から集められた白麦を、王家は『どこ』と貿易し『何と』交換して膨大な利益を上げているのかを」
「………?あっ!?まさか!」
少し俯き考え込んだアルだが、思い当たる事が有ったのか弾かれたように顔を上げる。
「気付かれたようですね。多くの国と貿易していますが、その中でも輸出、輸入共に最も多いのがソラリス王国、別名『塩の国』です」
その後に続いたフィンの説明によると、ソラリス王国とはアルテリーゼの北東にある、海に面した国らしい。
アルテリーゼとほぼ同時期に建国した国で、この大陸では比較的新しい歴史の浅い国だ。
国を挙げて製塩業を行なっており、その塩の輸出で膨大な利益を得ているとされる。だが土地柄なのか白麦がほとんど育たず、それは輸入に頼るしかない状況なのだそうだ。
塩と白麦。
アルテリーゼとソラリスは、共に求めるものが合致した国と言える。
ただあまりにも合致しすぎてしまっている為、それが固定化してしまうという弊害も生まれているようだが。
「つまり塩は王家の重要な資金源であり、この国の生命線であり、そして同時に弱点でもあります。必要不可欠な塩を他国からの輸入に頼っていますからね」
フィンの説明を聞き、次第に冷静さを取り戻していったアルは顎に手を当て考え込む。
「それなら尚のこと塩の生産は悲願なんじゃないの?自給自足が出来れば塩の供給を他国に頼らなくてもいいんだから」
「そうですね。その通りだと思います。ですが…」
「…ですが?」
「そのように単純な話では有りません。アルテリーゼ、と言うよりソラリスは『塩と白麦』以上に重要な物のために貿易を続けていると言っても過言では無いのです」
「えっ」
「考えてみて下さい。塩と白麦、この2つの価値は同じですか?」
「………遥かに塩の方が高いと思う。塩は『必需品』だけど、白麦は『嗜好品』でしかない。無くても黒麦で我慢すればいいだけだよね」
「その通りです。では何故ソラリスはそんな貿易をしているのか、ソラリスの『本当に欲しいもの』がお分かりになりますか?」
「本当に欲しいもの…?」
ソラリスはそこまで白麦を欲していないのは明らかだろう。
アルテリーゼにとってソラリスは『塩』を輸出してくれる唯一無二の国だが、ソラリスは他の国からでも白麦は手に入れられる筈だ。
では一体何が欲しいのか。
「………『同盟関係』かな。それも決して揺らぐ事の無い『強固な同盟』だと思う」
「何故そのように?」
「塩はどんな国でも必需品。だからソラリスは塩を周辺国に売り捌いていると思う。周辺国にとってはアルテリーゼのようにソラリスが必要不可欠な国になっているはず。だけど―――」
アルは空想する。
自分は貧しい国の王、今にも滅んでしまいそうな国の王だ。
そして隣には塩の貿易で栄える豊かな国が有る。
どうしようも無い所まで自国が追い詰められたら。
自暴自棄か、もしくは本人としては起死回生の一手のつもりで戦を仕掛けるかもしれない。
普通に考えれば勝ち目が一切ない無謀な戦だ。だが無謀だからこそ『そんなバカな事をする筈が無い』と高を括って相手が全く想定していなかったら。
「それはもし戦で奪い取れたら塩の生産と販路をまるごと抱え込める『美味しい国』になる。もちろん失敗すれば塩の供給が断たれるリスクは有るけど、それでもやろうとする国は有るかも…」
その答えは合格だったのかフィンは満足そうに肯く。
「一国では難しいでしょうが、その機に乗じて何カ国かが手を組めば、あるいは」
「うん、そうだよね。ソラリスの側から考えれば『そんな事は有り得ない』なんて楽観的に考えて、攻め込まれる事に対して何も対策をしないなんて『それこそ有り得ない』よね」
「当然です。物事をいくつも想定し、それぞれに対応策を考えておくのは危機管理の基本ですね」
絶対に裏切らない同盟国が有れば周辺国に対する抑止力になる。攻め込まれた際の援軍になるのは当然だが、それ以前に攻め込まれる可能性は確実に下がるだろう。
「さっきアルテリーゼとソラリスはほぼ同時期に建国したって言ってたよね?恐らく建国前から取引が有ったんじゃないかな。始めから同盟を結ぶつもりで、と言うよりお互いにこの同盟を前提に建国、もっと言えばこの同盟が結べたから建国出来たんだと思う」
「………」
フィンは無言だ。
付け加える事も、間違いを指摘する必要もなかったからである。
「白麦で塩が買えるならアルテリーゼにとっては願ったり叶ったりだよね。塩が全部王家に集まるって事は、国内の塩の流通も王家が牛耳れるって事だからね。白麦の輸出と塩の流通、これが王家の力の源なんだね」
白麦の輸出だけで無く、国内の塩の流通まで王家が管理する。
塩は貴賎関係無くどんな人にも必需品だ。
王家の匙加減ひとつで反抗的な貴族への塩の供給が断たれたら。その領は干上がり、領主は王家へ許しを乞うしかなくなるだろう。
実際に王家がそんな事をやるかどうかは問題では無い。出来る力が有るだけで、貴族達は従わざるを得ない。
「多分2国間で取り決めする時、将来アルテリーゼで塩が生産できるようになっても市場に流通させない。そして税としても徴収しないって決めたんだろうね。もしアルテリーゼで塩が作れるようになってソラリスの重要度が下がったら同盟が揺らいじゃうからね」
1を伝えたら10を知るようなアルの理解力にフィンは舌を巻く。だがそんな事は一切表情に出さない。
「…その通りです。ですので『もし将来、塩が生産出来るようになってもその領で使用する分だけ生産を認める』なんて不可思議な条約が結ばれたのです」
「なるほどねー」
うんうんと頷きながらもしかし、とアルは考え込む。
もしアルテリーゼのどこかの領で塩が見つかり、自領で使う分だけでも生産出来るようになったら。
王家からの塩の供給に頼らなくて良くなる、つまり王家の権力の影響が少ない領が出来てしまうのだが。
そんな事を王家が許すだろうか。
王家はソラリスとの関係を重視し、もしくは自らの既得権益を守る為に塩の生産自体を止めさせるかもしれない。
条約を守り続けるより利益が有ると判断した場合は黙認、もしくは秘密裏に支援したり、いっそのこと徴発して王家主導で塩の生産を行う事も考えられる。
そうなった場合ソラリスはどう動くか。
「―――あ」
アルは一つ重要な事を忘れていた。
ソラリスは海に面した製塩が盛んな国。そう『海に面した』国だ。それならば当然『港』が有るだろう。
「港…そうか港があった」
「…港の事まで考えが至りましたか」
ヘイルムーンに港を作ろうとしている事はアルも知っていた。
それはアルテリーゼとヘイルムーン、そして『海運諸王』トールキンが北方航路開拓の為に主導しているものだ。
だがトールキンからの親書を持った使者はどうやってアルテリーゼにやって来たのか。まだ港が無いアルテリーゼに直接船が入れるわけがない。
「………そんなもの『ソラリスの港に船を着け、陸路で国境を越えてやって来る』以外に道は無い」
「………」
「ア、アル?」
アルが何を考えているのか予想していたのか、無表情ながらもピクリと眉を上げるフィン。一方ディルトはアルの発想の飛躍について行けず困惑顔だった。
当のアルはそんな2人の様子など全く目に入っていないようで虚空を見つめながら思案を続ける。
ソラリスはアルテリーゼとトールキン、両国の文字通り橋渡し役だ。
つまりトールキンの北方航路開拓にはソラリスの協力が必要不可欠なのだ。
もしソラリスが協力を拒めば、トールキンはソラリスの港に入港出来なくなり、アルテリーゼと接触する事すら難しくなるだろう。
そしてアルテリーゼ初の港の建設にもソラリスは関わって来る。
現状アルテリーゼには港についての知識は全く無いと言っていい。どのような場所がいいのか、どのくらいの広さが必要なのか、必要な設備や施設は―――など。
港の建設についてのノウハウは港を持っている者にしか分からないだろう。つまりアルテリーゼはそれらをトールキンかソラリスから教えて貰わなければならないのだ。
北方航路開拓の鍵はアルテリーゼやトールキンでは無い。ソラリスこそが両国の中心に有り、まさに主導権を握っていると言っていい。
ヘイルムーンでの製塩、そして流通はそんな大事な同盟国に喧嘩を売る行為に他ならない。
だがアルの思考はもう一つ先へ進む。
「もしかして―――」
ソラリスは塩の貿易をやめたがっているのではないか、と。
ソラリスが塩の貿易をやめたがっている。
正確には『アルテリーゼと』塩の貿易をやめようとしているのではないか、とアルが考えたのには理由が有る。
これまでまさに二人三脚で歩んで来た両国だが、今は状況が変わり『北方航路の寄港』としてアルテリーゼとソラリス、そしてトールキンの3国の関係に変わりつつある。
もしこの北方航路が実現すれば、両国は今まで以上に深い関係で結ばれる事になる。
そうなった時、ソラリスはアルテリーゼに塩を売りたいだろうか?
アルは前世でよくやっていた戦国シミュレーションゲームを思い出す。
「言ってみれば好感度…友好度か?それが最大値まで上がりきっている状態で、しかも『三国同盟』まで結んでいる…」
「三国同盟…?あぁアルテリーゼ、ソラリス。そしてトールキンの事ですか」
「うん、そうそう」
フィンはアルの独り言に敢えて相づちを打ち、アルも無意識にそれに応える。適度な相づちは思考の刺激になると知っていたからだ。
「2国の同盟なら裏切られる可能性もあるけど、3国なら難しいはず。もし裏切れば1対2になるからね。裏切られる心配が無いなら今まで通りの貿易を維持する必要が無い。だけど塩はどうするか…ヘイルムーンの塩造りはまだ未知数だし王家は当てにしていないはず…」
白麦と塩、どちらも作れる量は決まっているだろう。
生産量が決まっている以上、限られたリソースで最大限の効果を生み出そうとするのは当然だ。つまり使う必要の無い国には出来るだけ使いたくないと思う筈だ。
「それなら塩は『北方航路』を使って他の国から買えばいい…ソラリスとの塩の貿易だっていきなりゼロにするわけじゃ無いだろうし、行けるか…?」
現状アルテリーゼとソラリスは同盟を結び、それを維持する為に白麦と塩の貿易を行なっている。白麦と塩は等価ではないが、ソラリスはアルテリーゼの軍事力とそれによる抑止力が主目的だ。
「ソラリスはアルテリーゼに加えて新たにトールキンとも同盟を結べるから軍事力も、そして当然抑止力も上がる…。そしてアルテリーゼもソラリスも、今まで貿易していた白麦と塩が浮く事になる…」
そうなれば今までアルテリーゼに売っていた塩は別の国に売れる。利益だけの話ではない、塩の貿易は強力な外交手段になる。
その貿易を利用すれば同盟とまでは行かなくても、周辺国と今まで以上に友好的な関係を築けるだろう。
アルテリーゼにしてもそうだ。
今までソラリスに売っていた白麦を北方航路で他の国に、それも塩と貿易が出来ればその国との関係を強化することが出来る。
北方航路で繋がっている国なら当然港が有る海沿いの国だ、それならば塩も有るだろう。
これまで以上に強固な同盟国になりつつあるアルテリーゼとソラリスは、白麦と塩の貿易を必要としていない。
両国がこのような道筋を考えているとすれば『塩が生産できても領内で使用する分だけ。流通も許さず、税としても徴収しない』なんて条約は破棄されても問題無い。
この仮定が正しければ、だが。
もちろんこれには『港の開港』という厳しい前提条件が有る。それが出来て初めて成り立つものだ。
それは果たしていつになる事か。港の建設はおろか、場所の選定すら終わっていない現状では夢物語だ。塩に至ってはアルの頭の中に有る構想だけで始まってすらいない。
そもそもこの仮説自体がアルの想像の域を出ない。
当事者であるアルテリーゼとソラリス両方の現状を直接見たわけでも聞いたわけでもない。遠く離れたヘイルムーンから推論しているだけだ。
「…確認しないといけない。王家とソラリスがどこまで考えているのか。その為には―――」
無断で塩を作ってしまおうか。
その言葉はかろうじてアルの口からは出なかった。ちらりとフィンの顔色を伺うと、いつもと同じ無表情でこちらを見ていた。
フィンの事は信用しているが、彼は基本的に王家側の人間だ。
白麦の収穫の件は良いように処理してくれるようだが、塩となると国際問題となってくる。フィンの一存で決められる事ではない。
だがヘイルムーンで塩が作れたと報告されれば両国は何らかのアクションを起こすだろう。その動きを見て思惑を探ることが出来る。
「塩が作れたらフィンは報告するよね?」
「アルテリーゼで初めての製塩となるので勿論詳しく報告はします。ですがそういった意味の『報告』ではないのでしょう?」
こちらの意図を汲み取ってくれたフィンにニヤリと笑みを浮かべる。
「フィンって季節ごとに王家に報告書を出してるよね?次に出すのはいつ?」
「来週ですね。交易の馬車がこちらに到着する予定ですので、その荷の確認と積み下ろしが終われば翌日にでも出発します。部下を1人乗せますので冬の分の報告書はその者に託します」
「ふんふん、あんまり時間が無いなー」
アルが何かするつもりだと察したフィン。わざとらしく「あーそうでした」と声を上げる。
「報告書は昨日出来たばかりですが、白麦の件がありますので少し書き直す必要があります。そのせいで数日遅れるかもしれません」
「あっそうなんだ。じゃあ間に合う…かな?いや、準備はいいとして説得が…」
「………ん?説得って、誰を?」
今まで積極的に話には加わらず遠い目をしていたディルトだったが、何やら不穏な空気を感じてしまいつい声を上げる。
「こうしちゃいられない!今から根回し…じゃなくて準備しないと!」
「えっ!?ア、アル!今度は何する気なのー!?」
「…あー、ドアは閉めて―――」
慌ただしく出て行くアルとディルトをフィンは椅子に座りながら微動だにせず見送った。顔はいつも通りの無表情を保っている。だが―――
だが目だけは、まるで誰かを射殺すかのように強く細められ、アルの出て行ったドアをいつまでも睨み付けていた。
その日、アルはとても運が良かった。
朝食は大好物の羊の乳が少し入った麦粥だったし、村の子供と遊んでいる時に見つけた綺麗な石は宝物になった。
帰ってきたディルトからお土産に手作りの木剣を貰った、なんて事もあった。
そして最も運が良かった事と言えば。
(父上、私は………)
フィンドルト・マクファーソンという男が、自分を超える才を持つ者を妬み、その芽を摘み取るような者では無く。
(仕える主を、見つけたかもしれません…っ!)
それを見出し、育む事に喜びを感じる男だった事だろう。




