20
「アルは誕生日に何か欲しい物はある?」
そうディルトが聞いて来たのは2年前、アル3才の誕生日の事だった。
ヘイルムーンでの生活にも慣れ始め、領主として何とかやっていけそうだと少し心に余裕が出来たディルト。
アルも物心ついた頃なので、何か記念になる物を送りたいと考えていた。
ディルトは最近領内を飛び回る事が多く、アル達と一緒にいられない時間が増えてしまった。
その罪滅ぼしというか、穴埋めがしたかったディルトがアルの誕生日という絶好の機会を逃すわけがなかった。
「…なんでもいいの?」
首をちょこんと傾げ、年相応の子供らしい無邪気な顔で聞き返すアル。
「うん、いいよ!アルの為に僕ががんばって用意するよ!」
3才の子供の欲しい物なんて高が知れている。きっと新しいオモチャが欲しい!だとか、美味しいものをお腹いっぱい食べたい!とかだろうとディルトは予想していた。
それは間違いでは無い。あくまで普通の3才児であったならば。
「…ほんとに『なんでも』いいんだよね?」
アルは念を押すように再び聞く。特に『なんでも』に力が籠っている。
「え…?も、勿論!」
何か嫌な予感をひしひしと感じたディルトだったが、男に二言は無い!とばかりに力強く言い切る。
しかしその予感が正しかったと思い知るのはすぐ後のこと。
ディルトの言葉を聞いたアルの目が怪しく光った。
それは『誕生日プレゼントが貰える!』と喜ぶ子供らしいキラキラとした物ではなく、まるで『言質を取ったぞ!』と言わんばかりのギラギラとした光だ。
「あ、あれ?何か取り返しのつかない約束をしてしまった気がする…」
今更ながら気付いたディルトだったが「アルちゃんよかったねー!」と無邪気に喜ぶレーテや「あーあ、知りませんよ」とため息をつくニーナ、そして「………」と無言でやり取りを見つめているエイル達の手前、一度言ってしまった事を覆せる訳がない。何よりそんな事をすればアルをがっかりさせてしまう。
「えと、それじゃあね―――」
ディルトが固唾を飲んで見守る中、目を輝かせたアルが欲しい物を口にする。
「自由に使える農地が欲しいな。もちろんそれを管理する大人の人も。そして『去年生育に成功した白麦の種』を出来るだけ多く。というか全部」
「………え?」
その言葉を理解するのに、しばらくの時を必要とするディルトだった。
そして今、アルとレイの目の前に小さな麦畑が広がっていた。
麦は青々と育っており、アルの膝より上―――腿辺りまで伸びていて、ここに来るまでに見てきた麦畑よりも明らかに成長が早い。そして良く手入れがされているのか雑草が一本も生えていない。
「ここがじいちゃんに管理してもらってる麦畑だよ!」
「じいちゃんって…村外れに住んでる、あのおっかねぇじいちゃん?」
きっと何度も怒られた事が有るのだろう、辺りをきょろきょろと見渡し誰もいない事を確認したレイ。それでも不安なのかちょっと小声だ。
「んん?別におっかなくは無いけど、多分そのじいちゃん…かな?村外れに住んでるって言うか、畑の管理の為にお願いしてここに移ってもらったんだ」
「へーそうだったんだ。あのじいちゃんって麦育てるの上手いのか?なんかここの麦、背高いんだけど」
その言葉を待っていた!とばかりに瞳を輝かせ、不敵に笑うアル。
「ふっふっふ、これは秋蒔きだからねー」
「ふーん…?」
秋蒔き、と聞いてもピンと来ないレイ。その事を予想していたアルが説明を続ける。
「普通は春に種を蒔いて夏に収穫するけど、これは秋に蒔いて雪の下で発芽させるんだ。そのまま冬を越すと春に蒔くより成長が進んで収穫も早くなる。もちろん寒さに強い麦じゃないと育たないから、それに適応した品種を見つけるのが大変なんだけどね」
ここヘイルムーンは北方の地。雪が降るのが早く、そして溶けるのが遅い。
なので雪のない僅かな時期に麦を育てていたのだが、育ちきる前に雪が降ってしまい仕方なく未成熟のまま収穫する…なんて事もわりと有る事だったらしい。
「へーそうなんだー。ところで何で四角く区切ってあるんだ?」
さわりだけ聞いて自分には『理解出来ないと理解した』レイ、話を変えようと今まで見たことのない四角い畑の事を聞いた。
普通の畑は道に沿って曲がりくねり、歪な形をしていて特に区切られていないのだが、ここの畑はまるで測った様に四角く整えられ区切ってあった。それが横に二つ並んでいる。
「同じ広さで区切ってあると管理がしやすいのと、畑一つあたりの収穫量が分かるようにする為だよ。後は麦の品種…というか特性ごとに分けたいからだね!」
「へー…あーそうなんだー…」
あ、これも聞いちゃダメなヤツだ…と直感したレイだが、その判断はいささか遅かった。
「えーとね、こっちのは去年の収穫期に背が高かった麦で、そっちのは逆に低かった麦。今年の収穫の時にはその中で穂の長いもの短いものに分けるつもりだよ」
つまり背が高くて穂の長いものと短いもの、背が低くて穂の長いものと短いもの。その4っつに分けるつもりのようだ。
「…それって何の意味があるんだ?」
「ふっふっふ!そりゃあヘイルムーンで安定して『白麦』を作る為だよ!」
「………んん?」
「特定の虫や病気に強かったり、冷害とか水害に強い品種もあるかもしれない。でもまだまだそこまでは分からないから取り敢えず見た目で分けようと思って。それにいろんな品種があれば病気とかで領内の『白麦』が全滅する、何て事も避けられるかもしれないし」
「すまんほとんど意味わからん。…あーちょっと待て、今『白麦』って言ってなかったか?」
「うん。言ったね」
「…これ『白麦』なのか?『黒麦』じゃなくて?」
「うん、白麦」
恐る恐る目の前で揺れている葉を触ったり、裏返したりして確認したがレイにはその違いが分からなかった。そもそも白麦を見た事が無いので判断がつかない。
「アルの事を疑ってる訳じゃないんだが、白麦ってあれだろ?アルのとーちゃん…領主サマが種を持って来て植えたけど、最初の年にほぼ全滅しちゃって、ヘイルムーンじゃ白麦は育たないって大問題になったんだろ?」
「うん、まぁそうだね。でも作れないと大変だから頑張って作った!」
「………どうやって?」
「それを今言ったじゃないか〜。しょうがないからもっかい説明を―――」
「いやいい。それよりこの畑で白麦足りるのか?税って結構多いんだろ?」
もう一回話されては堪らない、とばかりにバッサリと断る。だがアルは説明したりないのか「えー」と不満気だ。
「うん、レイの言う通りこれだけじゃ全然足りない。ここはまだ試験農場だからまずは白麦を増やす事を目指してるんだ。税を納めたら来年植える麦が無くなっちゃった!じゃ意味無いからね」
「そりゃなぁ、来年の分残さないとなー」
「だから今は黒麦で税を納める為に毎年少しづつ貯めているんだけど、そんな事してもすぐに立ち行かなくなるよ」
「あん?何でだ?」
「白麦と黒麦の価値の差だよ」
「アルテリーゼでは税を白麦で納めるのが基本。不作になった時例外的に黒麦でも納められるんだけど、その場合は白麦の『5倍の量』を納めなければいけないんだ」
右手の人差し指1本と、左手の指5本を立てて白麦と黒麦の量の差を表す。それだけで『あーなんかいっぱい黒麦が必要なんだな…』という事だけはレイも理解できた。
「例えば今、ヘイルムーンで黒麦が1000袋収穫出来たとして、900袋でみんなが一年間暮らしているとする。残った100袋はいざという時の為に取っておく。数は分かりやすく大雑把にしてるけど、大体こんな感じで合ってるはず。これが今現在のヘイルムーンの状況なんだ」
「へー…」
アルは木の枝を拾い地面に次々と文字や数字を書き、それを指し示しながらレイに説明していった。だがレイはどこか気まずそうな表情で相槌を打つだけだ。
実はこの時レイは『オレ、文字も数字も読めないんだけどな…』と思っていたのだが、一生懸命に説明するアルに気を使い黙っていた。
そもそもここヘイルムーンでは大人でも字が読める人の方が少なく、ほとんどが自分の名前の綴りと簡単な数字くらいしか分からないのだが…。
アルがその事に気付くのはもう少し後になってからだった。
「今年はまだ大丈夫だけど、来年からは今まで免除されていた税を納めないといけない。そうなると途端に立ち行かなくなる」
ディルトの領主就任から5年間続いた税の免除は今年で終わりだ。
本来ならこの間に納税の目処を立て、領地経営を盤石な物にしなければならなかったのだが、白麦が作れないという事が発覚しその全てが瓦解してしまっていた。
「白麦なら税として100袋納めればいいんだけど、黒麦で納めるなら5倍の500袋も必要なんだ。今まで900袋の黒麦で暮らしていたのに、突然税を抜いた後の500袋で生きて行けって言われても無理だよね」
がりがりと数字を書き足し、重要な箇所は丸で囲ったりしてなるべく分かりやすくしていく。
「だからこの5年間、みんなで協力して毎年少しづつ『税』として黒麦を貯めているんだ。それがさっき言ったいざという時のための100袋。それでもこのままだと2、3年が限界なんだ。何とかしないとこの領は破綻してしまうかもしれない」
恐らく、税が払えなくても領主解任などの重い罰は無いだろう。「やはり平民に領地経営は無理だったか」とディルトが嘲笑されるのと、陛下からの多少の『お叱り』を受ける位だろうか。
むしろヘイルムーン家に近づきたい貴族達が喜び勇んで支援を申し出るに違いない。
そしてそれは王家も同じだ。
王家がヘイルムーン家、ひいてはディルトに明確な『借し』を作ることが出来る。その見返りはどんな無理難題だろうか…考えるだけでも恐ろしい。
予想出来る所ではディルトの『側室』やアルの『婚約者』を王家に任せる事だろう。
だがアルはそこまで考えが至っているわけでは無い。
『麦の安定した収穫がみんなの幸せに繋がるんだから、俺がやらないでどうするよ!?せっかく知識が有るんだし!むしろ望むところだー!』という単純な思いからだ。
「お父さんが領主に就任した年、アルテリーゼから持って来た白麦が全滅したって言ったけど、全体の1割程度はちゃんと収穫出来たんだ」
「あ、そうなんだー」
すでにレイの頭にはほとんど入っておらず上の空だったが、そもそもこんな話を5才の子供に理解しろ、と言うのが無茶な話なのだからそれも仕方がない。
「たったの1割しか収穫出来なかった、9割の白麦がダメだったから大失敗だ!ってみんな考えたみたいだけど、俺は逆。1割も収穫出来た!って思ったんだ」
「へー…」
「だって収穫出来たその『1割の白麦』はヘイルムーンでも育つ『寒冷地に適正のある白麦』なんだから!」
「はー…」
だからこそアルは誕生日に『アルテリーゼから新たに買い付けた白麦の種』ではなく『去年生育に成功した白麦の種』を望んだのだ。
作付けのたった1割しかない僅かな量の種だが、その価値は計り知れない。
「その『寒冷地に適性のある白麦』だけを植えれば発芽率も収穫率も上がるのは当然だし、後は植え方と育て方だね!今みたいに広ーい農地を少人数で管理してたらそりゃあ収穫率も下がるよ!」
現状この世界の農業は中世レベルだ。
広い農地に種をばら撒き、その後は基本的に放置。水は雨任せで肥料も無し、広過ぎてきりがないので雑草だってほとんど抜かない。
「だから白麦の畑はわざと狭くしてるんだ。きちんと管理出来る広さに抑えれば手間暇かけて丁寧に育てられるからね!何度か試して工夫していけばもっともっと獲れるようになると思うよ!それからそれから―――!」
「あーちょっといいか?白麦が出来なくて問題になったのって5年前だよな?その時ってアルも俺も赤ちゃんなんだけど…そもそも何でそんなに麦に詳しいんだ?」
勢いに乗ってきたのか、終わりそうにないアルに流石に辟易したレイが口を挟む。
「ぅえっ!?あ、えーと…フィンに!フィンに聞いて知ってたんだよ!」
とっさにフィンの名前を出して追求から逃れたようとしたアル。レイとフィンには接点が全く無いので直接聞かれる事も無いだろう、という考えだ。
「………ふーん、フィンドルトさんにね」
「と、ともかく!今出来る事は3つ!」
何か言いたげな視線に耐えきれなくなり、今度はアルの方から話題を変え、びしっと右手の指を突き出し宣言する。
「1つ目、税の分だけでも何とか白麦を作る。今俺がやろうとしている事で、これが出来れば一番いいね!」
「うん、まぁ白麦が作れれば解決だなー」
「2つ目、農地を増やして黒麦を大量に作る。そして白麦の5倍の黒麦を税として納めても生きていける量を確保する。これはお父さんがやってる事で、今以上に広い農地と大勢の人が必要だからまだまだ時間がかかるね」
「ふーん、そうなのかー」
「3つ目、白麦、黒麦以外の物で税を納める。これもちょっと考えがあるけど、まだ形にはなってないから難しいね」
「はぁー…」
(もう一個有るけど、まだあんまり言わない方がいいよね…お父さんのやってる事と『逆』だし)
…実はアルの頭には4つ目の、そして本命の策もあった。
それは『農地を減らす』事だ。
農地が広過ぎ、管理が行き届かず収穫率が下がるなら、いっその事きちんと管理できる広さに抑えてしまえばいい。
中世ヨーロッパでは麦の収穫倍率は3倍程だったらしい。つまり一粒の麦を植えても3粒にしかならなかった。
ただこれは統計の話なので、成長した麦の穂の中に3粒しか出来なかったという事ではない。
例えば1000粒の種を撒いたとする。
そもそも発芽しなかったり、穂が出来るまで成長出来なかった麦も有るだろう。冷害や水害に日照り、そして戦争など…様々な要因があって結果3000粒しか収穫出来なかった、という事だ。
麦自体の収穫倍率は15〜25倍と言われている。中世の頃の3倍とは雲泥の差だ。つまりそれ程の『伸びしろ』がある。
もちろん品種改良のされていない、こちらの世界の麦ならもう少し下がるかもしれない。
それでももし、きちんと管理し期待値通りの収穫が出来たなら。
同じ3000粒の麦を作るのに、遥かに少ない数の種で作ることが出来る。
蒔く種が少なくて済むという事は、農地が少なくて済むという事だ。農地が少なくて済むなら、それだけ農作業が楽になるという事に繋がる。
農作業は非常に重労働だ。今の様に広い農地を少人数で管理するとなれば尚更で、現状では農作業以外の事がほとんど出来ない状態だ。
これを何とかしないといけない、とアルは常々考えていた。
ただ今のままでは子供の戯言に過ぎない。
何の実績も無い5才の子供が訳の分からない持論を振りかざし、しかも『領主の息子』という権力で無理矢理領民を動かしたところで上手くいく訳が無い。
そんな事をすればアルだけではなく、それを許した領主であるディルトにも非難の矛先が向くのは想像に難しくない。
だからこそ、アルはこの小さな畑で『実績』を作ろうとしているのだ。
この面積の畑で今まででは考えられない量の麦を、それも『白麦』を作る事が出来れば、今の農業の常識を覆す事になる。
その実績で父を説得し、この村で―――いやこの領内で大量の白麦を、それも少ない面積で作る事が出来たなら。
税など納めても、お釣りが来るほど利益が出るだろう。
(そして何より重要なのは『作付け面積』と『労働力』が大量に空くってこと!畑をローテーションして羊を放牧するのは勿論、牧草を作って羊の越冬出来る数を増やすのもいいね!だけど本命はやっぱり『アレ』かなぁ?海に近い良い土地を探さなきゃ―――)
「…おーい、聞いてるかアル」
「―――えっ!?あ、ごめん聞いてなかった!」
どうやら何度か呼ばれていたらしい、肩を小突かれてようやく気付いたようだ。
「んー、いやさっきの3つ目だけどさ。麦以外で税を納めるってヤツ。そもそもそんな事出来るのか?」
「あーそれね、前にフィンに聞いてみたんだ。アルテリーゼでも白麦が育たない場所は他にもあるの?って。何箇所かあるらしいんだけど、そこは鉄とか銅とかの鉱物資源が出るから例外的にそれを納めてるんだって」
「ほー、『それは』フィンドルトさんにね。…ここってなんか取れたっけ?」
詳しい麦の育て方と、麦以外で税を納める方法。どちらもフィンに聞いたのなら『それも』と言うのが正しいのだが、レイはあえて『それは』と言った。…アルは気付いていないようだが。
「むっふっふ。まぁまだ取れないからヒミツだけど、近いうちにね」
「えー何だよー、教えろよ〜」
「うぇっへっへ。どうしよっかなぁ〜!とっておきのヒミツだからタダって訳にはねぇ〜!でもレイがどうしてもって言うなら―――」
「じゃいいや」
「―――教えてあげてもってえぇぇ!?いいのかよ!もっと熱くなれよ!興味持てよー!」
「別になぁ…どうせ聞いてもよく分かんないしなー」
「そんな事無いって!聞いたらびっくりするから!すげぇーーーってなるから!」
「そうかなぁ、そんなに驚かないと思うけどなぁ〜」
「驚く驚く!もうひっくり返るぐらい驚くから!」
「じゃあアルがそこまで言うなら『聞いてあげても』いいぜ」
「うん!聞いて聞いてーーーって、あれ?なんかおかしい気が…」
「どうした?早く言ってくれないとオレ興味無くしちゃうな〜」
「あぁ待って!今言うから!」
一度ゴホンと咳払いし、すぅーはぁーと深呼吸するアル。良いように言いくるめられた事に全く気付いていない。
「それはね…ズバリ!『塩』だよ!」
腰に手を当て仁王立ちし、自分史上最高のドヤ顔でヒミツを披露したアル。
予定では『えぇぇ!?なんだってー!』と驚くレイの声が続くはずだったが…。
「………」
「………えーと、レイさん?」
「………」
「ズ、ズバリ…塩、です………」
「………ふーん」
返って来たのは、レイのうっすーい反応だけだった。




