12
「た、ただいま~…」
祭りが終わって数日後の事だった。
いつも通りにニーナとエイルが家を訪れ、掃除や洗濯などが一段落しそろそろ夕飯の支度でも、と動き出した時にそんな声が聞こえてきた。
「あれ、今誰か来た?」
「え?あの声…ディルト!?」
そう言うとレーテはアルを抱っこしたまま急ぎ足で玄関に向かう。流石に子供を胸に抱きながら走ったりはしないようだ。
そしてそこには予想通りディルトの姿が有り、ドアを開けたままの姿勢でどこか所在なさげに立っていた。
「ディルトおかえり!どうしたの?帰って来るの早い―――ってまさか、お仕事クビになったの!?」
「あうぅ…」
(兵役に行ってたんだからクビは無いと思うよ…)
「や、違うよ?何て言うか…うーん、新しい仕事を仰せつかった、のかな…」
両手をブンブンと振って否定するディルトだが、どこか歯切れが悪い。
「?」
首を傾げて不思議そうな顔のレーテが再び口を開く前に、パタパタと足音を響かせニーナが追いついて来たようだ。
「…ディルトラント様?どうしたんです?町で問題でも起こしてクビになったんですか?」
「違うよ!二人とも酷いな!僕ってそんな風に思われてたの!?」
がっくりと肩を落として落ち込むディルトだが、レーテとニーナは全く気にしていないようだ。
「何にしろ今日はお祝いね!ニーナさん御馳走よろしく!」
「自分で作ろうって気は無いのね…。まぁどっちにしても今日は何の準備もしてないから無理だけど。さて、何が作れるか見てみましょうか」
「お肉!お肉がいいわ!」
「当分お肉は無しです。最近あなた食べ過ぎよ。ほら、お腹が摘めそうに―――」
ニーナはそう言うとレーテの横っ腹に手を伸ばし、お腹の肉を摘む仕草をする。
「ギャー!ニーナさんやめて!せめてディルトのいない所でやってー!」
楽しそうにじゃれ合う二人を尻目にディルトは溜息を零し、その顔はどこか沈んでいる。
(お父さん、元気が無い?いつもなら一緒に騒ぎそうなものだけど…)
アルはそんな普段と違う父の様子を気にしつつも、レーテの胸に抱かれ続けていた。
そしてその日の夜、皆が食卓に着きささやかながらディルトの帰還の祝いが行われてた。
急な事だったので流石に前ほど豪華では無かったが、いつもより品数が多いようだ。
またニーナの夫であるカイルが自宅から酒を持って参加していた。
夕食は終始和やかに進み、そして珍しくディルトが深酒をして眠そうにゆらゆら揺れ出した頃に突然変な事を言い出した。
「えーと、なんか知らないうちにヘイルムーンの領主になった。あと僕、実は南方の貴族の家系だったんだって」
アルを抱っこしながらスープを口に運ぼうとしていたレーテの手は空中で止まり、口をだらしなくぽかーんと開け呆けている。
エイルは無表情でスープに浸した黒パンを噛みちぎり、夕飯にお呼ばれされたカイルはキョロキョロと皆の顔を見ては反応に困っていた。
「…ディルトラント様、熱でも有るんですか?このところ村でも風邪が流行ってるんです。今日はもうお休みになられますか?」
と、何か可哀想なものを見る目付きのニーナがディルトの体の心配をする―――主に心配なのは頭だが。
「いや、違うって。あー違わないのか?どうなんだろう…アル、どっち?」
「あううぁー!?」
(お父さん何言ってんの!?)
時は少し遡る。
第8代アルテリーゼ国王バルタザールは居城の自室にて埋もれるほどの書類と手紙相手に格闘していた。
だがそんな大量の書類を抱えながらもその顔は喜色満面であった。なぜなら―――
「見ろこの手紙を!あの傲慢ちきなレオニドからのご機嫌うかがいだと?フハハッ!馬鹿め!こんなものっ、こうして、こうして…こうだ!」
立派な装丁のされた手紙をビリビリと破り捨てる。その子供じみた行いを見ていた狐目の秘書官は、ため息混じりに山と詰まれた手紙を見やる。
「それ、全てなさるおつもりですか?」
「まさか!破り捨てるのはレオニドとネクサス、モーリンに…後はテングス、ヨーウィ、クナシェ!貴様らもだ!」
と、手紙の山から目的の物を抜き取り、同じように全てを破り捨てた。
その手紙の主は先の戦で援軍を断ったり、様々な理由を付けては援軍を先延ばしにしていた他国の王や自治領の貴族達だった。
中にはわざわざ援軍として送った兵の歩みを国境付近で止め『軍事演習』を行っていた国まであった。
アルテリーゼが負ければ即座に宣戦布告し、進軍するつもりだったのであろう。
そうなれば我先にと隣接国がなだれ込み、アルテリーゼは広大な領地を失っていたはずだ。
実は、この国は亡ぶ一歩手前まで行っていたのだ。
それを覆したのは『浮遊剣』のディルトラントと、彼を見出したバルタザールである。少なくとも世間ではそう認識されている。
舞い散る紙吹雪の中フハハハッと高笑いをし、秘書官の冷たい視線を敢えて無視していると部屋のドアが控えめにノックされる。
「入れ!」
「ハッ、失礼致します。只今ディルトラント様がお見えになりました」
バルタザールのやや強い口調に緊張したのか、硬い表情の若い騎士が入室し来客を告げる。
待ち人が来たと聞いたバルタザールは口髭を歪め、凄味の有る笑みを浮かべた。
「ようやく来たか。よし、通せ。通した後は人払いをせよ」
その言葉に若い騎士と、狐目の秘書官も共に部屋を後にする。
程なくしてお連れ致しました、と声が掛かり、
「し、失礼いたします!」
有り得ないほど緊張した顔のディルトが入室した。
登城の為であろう真新しい軍装に身を包んだその姿はしかし、そのおどおどとした態度のせいで全く似合っていない。
「よく来たな。遠慮はいらん、そこに座れ」
「ハッ!」
ギクシャクした動きでバルタザールの対面のソファーに座るとディルトは委縮したようにすっかり縮こまっていた。
そんな姿を見たバルタザールはククッと小さく笑う。
「久しぶりだな、息災であったか?」
「はい!故郷でゆっくりと養生し、生まれた息子に会ってきました!」
「故郷、か。それは西方辺境領のことか?それとも―――」
ディルトの反応を窺うかのようにその目がギラリと輝き、
「エレオノール伯爵領の事か?」
そう狡猾な笑みを浮かべた。
「…何の事か分かりかねます。私は生まれも育ちも西方辺境領の者です。エレオノール伯爵領など行ったことも御座いません」
それを聞いたバルタザールはフンっと鼻を鳴らす。
「あくまでシラを切るか、まあよいわ。それももうどうでもよい事であるからな」
緊張している演技が剥がれ、恐らく感情を読まれない為にだろう無表情で答えるディルト。そんな姿を見てまだまだ未熟者よな、とバルタザールは内心で笑う。
そしてその無表情を崩すべく更なる一手を打つ。
「ディルトラント、先日お主をヘイルムーンの領主に任命し、子爵の位を授けた。それと実はお主は大陸南方の新興貴族『海運諸王』トールキンの血筋という事が判明した。というか血筋にしたからな」
「………は?」
バルタザールは面白くて仕方がないといった顔でさらに言葉を続ける。
「トールキンは知っているか?歴史は浅いが南方諸島を中心に海運で荒稼ぎしている者でな。元は小さな島国の王だったのだが近隣の王を纏め上げ『諸王』を名乗り出したいけ好かんヤツだ。最近では航路を広げる為に―――」
「ちょ、ちょっと待って下さい!え?ヘイルムーン領主…?トールキン…?何を言っているのか分かりません!」
「フハハハッ!素が出ておるぞディルトラント!まぁ聞け、此度の戦でお主は英雄となった。まぁ仕立て上げたのは儂だが。お主は今や国の内外から狙われておる。あれほどの武勇を示したのだ、誰もが召し抱えたいと思うのは仕方の無いことだろう」
「…私は名前を出さない事を条件に手を貸した筈です」
苦虫を噛み潰したような顔で言葉を絞り出す。恐らくこの王はそんな約束など気にもしていなかったのだろう。
「許せ、隠し通せるものではないわ。話を続けるぞ、お主は他国から見れば邪魔者以外の何者でもない。中には手段を選ばぬ輩も出てこよう。お主自身は害されなくとも、家族までは分かるまい。そんな者達から家族を護れる物は何だか分かるか?」
そこで一旦言葉を区切り、一枚の手紙を見せる。
「これは…」
見せられたのは細部にまで金と螺鈿で装飾された手紙。
黄金の船と、それを取り巻く財貨が描かれてた。
「『海運諸王』トールキンからの書状だ。お主がトールキンの血脈に入り、これから旗揚げするヘイルムーン家が分家となることを認めるなら、トールキンの名を使うことを許す。と書いてある」
それを聞いてさらにディルトの顔は訝しがる。
「先ほどの答えを教えよう。力だよ。権力、権威と言ってもいい。ヘイルムーン家の後ろにはアルテリーゼとトールキンがいる。それを知ってもなお手を出すのならこの二王家が黙っておらぬぞ、というな」
「つまり、守ってくれると?なぜトールキン王家がそこまで私に力を貸してくれるのですか?」
バルタザールは机に山と積まれた書類の下から一枚の大きな羊皮紙を引っ張り出し、ディルトにも見えるように広げる。
バサバサと手紙や書類が床に落ちるがまるで気にもしない。
「………ッ!」
広げられたのは地図。だが只の地図ではない。
この時代明確な測量法は存在せず、地図と言ってもどこか曖昧な代物だ。
しかしそれはただ単に町の位置や地形を書き記し、物流や人の流れに役立つような物では無い。
特にこの地図は細かな村や道に川、橋の有無。そして砦や見張り台、果ては軍事物資の集積地などの位置も事細かに書かれ、軍事的な価値は計り知れない代物だ。
地図と言うのはそもそもが国の情報の塊である。
故に今現在市場に出回っている物や、正確だとして貴族たちが持っている自らの領地の地図等は意図的に間違っていたり、嘘の情報を書き記している。
もし万が一他国に漏れたとしても致命的にならぬ為の予防策としてである。
「この地図の価値を理解しているか?右上に描かれた紋章の意味を」
それは麦を食む獅子、紛れもない王家の紋章。
それが描かれた地図というのはつまり、王のみが持つ事を許された地図。
この国唯一の『正確な地図』だった。
その秘匿性の高さにディルトは思わず息を飲む。
「知っての通りこの国は四方を他国に囲まれた、内陸の国だ。故に今まで『海運諸王』とは全く縁が無かったが、この度それが劇的に変わった」
そうしてもう一枚の地図を取り出す。しかしそれは地図と言うにはおこがましい程の適当な物で、大まかな地形しか書かれていない。しかしその大まかな地形こそが重要だった。
「ヘイルムーンの東側には何が有るか知っているか?―――海だよ。ここに我が国初の港を作り南方諸島と交易を行う。トールキンは念願だった北方への販路を拓くことが出来、我が国も南方諸島や、その中継地との交易が可能となる。それが有ればこそアルテリーゼとトールキンはへイルムーンを必ず守る。いや守らねばならんのだ」
『ヘイルムーン』と書かれたその地図には北と西にクロトミュスコフ、南にアルテリーゼ。そして東には遥か南方諸島まで繋がる広い海が描かれていた。
「一から港を作るなんて一体どれほどの年月がかかるか…それにもし北方航路が開通したとして、それではクロトミュスコフに―――敵に塩を送ることになりませんか?」
「ふん!誰がクロトミュスコフなんぞと交易するものか。するのはその東の隣国カルディア帝国よ」
地図の上を指が滑る。そしてそれはヘイルムーンの北東、クロトミュスコフの東の空白で止まる。
「カルディア帝国は長く極東の蛮族と争っておる。その戦はずいぶんと激しく、10年20年では終わらぬらしい。それが決着せぬ限りは他の国に攻め入る余力など有りはしないだろう。だからこそ今、交易を行い国同士の繋がりを強化するのだ。そしていずれ同盟を結ぶ事が出来れば―――」
「…クロトミュスコフを、孤立させることが出来る」
正解に至ったディルトを褒めるかのように笑い、心底楽しそうにその口を歪めた。
「その通り。物理的にも物流的にもクロトミュスコフは二国に挟まれ、陸の孤島と化す」
ディルトはこの王の恐ろしさを肌で実感しながらも心配を口にする。
「そんなにうまく行くでしょうか…」
「ま、行かんだろうな」
さっきまでの腹黒そうな笑みはどこへやら、あっけらかんとした表情で事も無げに言うバルタザールにディルトは肩透かしを食らう。
「え!?いいんですかそれで?」
「今言ったのはあくまで理想と願望、机上の空論とも言えるな。実際はそこまでうまく行くとは思っておらんよ。将来に向けて無数に打っておく手の一つだな。国を動かす者は同時にいくつもの悪だくみをしているのだよ」
「はぁ、そういうものですか…」
すっかり毒気を抜かれたディルトは放心したように相槌を打つことしか出来なかった。
「ここまで聞いたからには是が非でも協力してもらうぞ。なに、いきなりお主をヘイルムーンに送り出して後の事は知らんと言うつもりは無い。当面必要な人材と資金は用意してやる。それと5年は税も免除してやるからその間にヘイルムーンの統治を完璧な物にしろ。…何か希望や質問は?」
その言葉でもう自分が領主になる事が決まって話が進んでいることを理解したディルトは、はぁ…っとため息を吐きながらも心を決める。
「辞退するわけには…行かないのでしょうね。ならば希望を一つと質問を三つほどよろしいですか」
バルタザールの無言を肯定と受け止め、希望を口にする。
「家族の身の安全を保障して下さい。四六時中私が傍に付いている訳にはいかないでしょうから、専門の護衛騎士を付けて頂けますか。そして万が一の時には家族をヘイルムーンから保護する約束を」
「いいだろう、奥方と子息の為に何人か腕利きの女騎士をやる。人格も家柄もしっかりと精査しよう。…手を出しても良いぞ」
その程度は容易い、とばかりに事も無げに頷くバルタザール。もしかすると始めからそのつもりであったのかもしれない。
そしてさり気無くディルトに側室を薦める辺り抜け目ない。
「ありがとうございます。ですが余計な配慮は結構です。それでは一つ目の質問ですが先の戦の折、陣中で私に声を掛けられた時。あの時私の事を覚えておられたのですか?」
「堅物め…。いいや全く覚えていなかった。実を言うと先ほどは鎌をかけたのだ。面白いように引っかかってくれたな。お主はもう少し腹芸を身につけよ」
くくっと笑いながら、お主は顔に出やすいからな。と付け足す。
「…心しておきます。次に二つ目ですが、どうして私が『異能持ち』だと分かったのですか?正直に申しますと異能に目覚めたのは最近の事なのです。知っている者は、妻とその友人の二人だけの筈だったのですが」
「自分だけが『異能持ち』だと思うなよ。『他人の異能を見る異能』も有る。という事しか言えぬがな」
「………成程、納得致しました。では最後の質問です」
一呼吸置いてから意を決したように、もしくは自分に言い聞かせるように言葉を選ぶ。
「何故、私なのですか。私よりもよっぽどうまく統治出来る方がいるはずです。北方航路の起点となり、いずれ必ず起こるであろう戦では最前線となる地です。私には商才も、軍才も有りません。正直、荷が重すぎます」
バルタザールは考える素振りも見せず即答する。
「商才の有る者、軍才の有る者などいくらでもいる。だが、運命に愛された者は希少だ。お主はこれまでの半生、数奇な運命を辿っている自覚があるだろう?儂はその運命の力に賭けてみたくなったのだ」
「…私は戦勝神様を信仰しているので運命神様の加護は期待しないで下さい」
「儂が勝手に思った事だ、気にするでない。それよりも質問はこれで終わりか?受けてくれるな?」
ディルトは一つ大きな溜息を吐いた後、まっすぐにバルタザールの目を見据える。
「はい、事ここに及んではそれ以外には無いでしょう。ヘイルムーンの領主、謹んで拝命致します」
「よし!それでこそ儂が見込んだ男よ!ヘイルムーンは寒い。冬になれば雪で道が閉ざされるぞ、すぐに村に戻り支度せい。選りすぐりの家臣団を村まで遣わす、それが到着次第ヘイルムーンへ出立せよ」
「承知致しました。それではこれにて」
ソファーから立ち上がり颯爽とドアへと歩む。
部屋に入った時とは違い、背筋を伸ばし堂々した態度はまるで別人のようだ。
事実、これがディルトラントという名前になる前の姿であったのだろう。
「ディルトラントよ」
声を掛けるつもりは無かった。
掛けるべきでは無いと知りつつも、バルタザールは伝えずにはいられなかった。
「父君は亡くなられたぞ。息子二人を相次いで失ったのだ。その心労は計り知れないものだったろう」
「…」
ドアの前で動きを止めたその背中は何も語ろうとはしない。
「領地は天領として預かっておる。お主が望むのならば―――」
「私には関係の無い話です」
振り返ることなく部屋を出るディルトラント。その姿を見届け、足音が聞こえなくなってからバルタザールはゆっくりと天場を仰ぐ。
「…許せ、ディートリント・エレオノール。6年前、儂は知るのが遅すぎた。その時には全てが終わっていたのだ。そして今、苦難の道を歩ませるこの儂を。せめてその道に神のご加護を、『運命の導きのあらんことを』―――」
その呟きは誰に聞かれること無く、静かに空気に溶けていった。
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すいません、書いていたら長くなってしまい幼年期はあと一話続きます。
5月中には投稿したい…。




