第9話 帰還
「その石も、その塔も、この山の鉱物は全部――ヴェスタ商会のものだ」
バルツァーは権利書を掲げ、背後には四十人余りの人足。夜通し働いた五人に、逃げ場も体力も残っていない。
だが、うちには書類の女神がいる。
「はい、拝見済み」ミラはあくびを噛み殺しながら前に出た。「その権利書は『閉山解除後の優先採掘権』。で、聞くけど――この山、誰が開けたんだっけ?」
「開いたものは開いたのさ。経緯は問わん」
「経緯が全部だよ。山が開いたのは、竜が『この五人に』採掘を許したから。許しの範囲は、あの露頭だけ。あんたたちが勝手に掘れば、それは許しの外。……どうなるかは、知らないけど」
「はっ。竜の許しだの範囲だの、証文でもあるのか」
その時だった。
影が、野営地ごと商会隊を覆った。
頭上を、竜がゆっくりと一周した。ただ一周しただけだ。それだけで人足の半分が尻餅をつき、四分の一が逃げ出し、バルツァーの顔から血の気が引いた。
「……口頭契約ってことで、いいかな?」
ミラは、いい笑顔だった。
◇
「――で、だ。バルツァーさん。ここからは商売の話をしませんか」
腰を抜かした男に、テオは水筒を差し出しながら言った。
「あ? ……何のつもりだ」
「あの冷却塔は、巣の熱を地下に流し続けてます。あれが止まれば山はまた閉じる。塔には整備が要る。部品も、定期の人手も」
「……それを、うちにやれと?」
「ええ。代わりに、竜の許す範囲の採掘分――その流通を、商会が扱えばいい。仲介はヨルガ婆さんと山の民。掘る量は関守が竜血鉱の育ちを見て決める。商会は独占はできない。でも、三年ぶりに市場に出る竜血鉱の、唯一の窓口になれる」
バルツァーの目が、恐怖から算盤に切り替わるのが、はっきり見えた。
「……独占は、できない、か」
「できません。山を怒らせない範囲で、細く長く。それが一番儲かるはずですよ。なにせ供給元は、あと何百年も生きる竜ですから」
長い沈黙のあと、バルツァーは、ふん、と鼻を鳴らした。
「野良の助教ってのは、商売もできるのか」
「工房育ちなので」
◇
帰り道は、行きの倍うるさかった。
アシェン村では英雄扱いで、収穫祭の上座に据えられかけて逃げた。関守は割符をヨルガ婆に返しておくと請け合い、「山の冷却塔の話、婆様は腹を抱えて笑うだろうよ」と言った。
荷台には、竜血鉱。竜の許した露頭から採った拳大が四つ。そして竜が転がして寄越した、一回り大きい塊がひとつ。クヴィンは荷台から離れない。もはや番犬である。
馬車が王都まであと二日、という夜だった。
宿の廊下で、テオはヴェルナと二人になった。狙ったわけではない。ただ、聞くなら今しかない気がした。
「先生。『話はあとだ』と言いましたよね」
ヴェルナは足を止めた。廊下の灯りが、長い耳の影を壁に落としていた。
「……昔」
やがて、それだけの長さの沈黙のあとで、教授は言った。
「莫迦な若造が二人、塔を積んだ。届くと思ったのだ、どこまでも。……それだけの話だ」
「その塔は――」
「王都に着いたら、査定の書類を書く」ヴェルナはもう歩き出していた。「ミラに言っておけ。今年は、私が書く」
それは答えになっていなかったし、たぶん、答えだった。
六百年のうちの、たった一晩ぶんだけ、教授は扉を開けた。テオはそれ以上、何も聞かなかった。
◇
王立魔導大学、アルスハイト研究室。
三週間ぶりの我が家は、埃っぽくて、狭くて、最高だった。
「試験機、回すよ! 冷却層、新型! 芯は竜血鉱!」
ロロの掛け声で、新生ミツバチが起動した。
拳大の竜血鉱を削り出した芯を、ヴェルナの――あの夜の図面を元に組み直した冷却層が抱いている。
一時間。熱抑なし。
三時間。熱抑なし。
半日回して、中間層の温度は、そよとも動かなかった。
「十二時間、連続稼働!! 計器、振り切れなし!!」
雄叫びを上げるロロ。窓を閉めるミラ。石を磨くクヴィン。祝いの鍋の匂い。
テオは黒板の数字を書き換えた。
『九十秒』を消して――『十二時間・継続中』。
三日三晩まで、あと六倍。百灯の実負荷、層の量産、本番機の整合。課題はまだ山積みだ。でも、壁のこちら側と向こう側では、景色がまるで違う。
「公開試験まで、あと三週間」ミラが日めくりを破った。「間に合うかな」
「間に合わせます。……そういえば、向こうはどうしてるんです?」
「ああ、それなんだけどね」
ミラの声が、少しだけ低くなった。
「第一講座、本気だよ。アルノルト助教、試験用に『六刻度』の新陣を刻むって噂」
「六刻度!?」
現行の最先端が八刻度。六刻度といえば、誰も踏み込んだことのない微細さだ。魔力は漏れ、熱は暴れ、まともに動く陣が取れるかどうかの、単陣式の絶壁である。
「……向こうも向こうで、壁に挑むんだ」
呟いて、テオはふと、ヴェルナの言葉を思い出した。
――おまえの陣は、綺麗になったか。
あの問いの意味を、テオはまだ知らない。
(第10話へつづく)




