41──日常に「ただいま」
留置所から出るにあたって、元の持ち物を返してもらったり、体が汚れているので、水浴びをしたり、もろもろの支度をして、久しぶりのシャバに出た。
「遅いよ」
門扉のところでオペラが待っていた。さっきまでの冒険者っぽい格好から着替えている。
「それで、どこに行くんだ?」
「その前に、何か言い忘れてることない?」
なんだろう。昔コランにそんな感じのことで怒られた記憶があるようなないような。分からん。
「もう。まぁいいよ。ほら、エスコートして」
「はいはい。お姫様」
差し出される手を握って歩き始める。まさか僕の人生でこんなイベントが発生するなんて思っても見なかったな。その恋人といっしょに祭りを見て回るなんて。
「まずは、キャニーが元働いていた場所に行くよ」
「えっ」
それは何かの罰ゲームだろうか。今から? 三年越しに? 何の断りもなく仕事投げ出して消えたのに、デートで顔出すの? ムリムリムリムリ。
「ダメなの?」
「あーいや。博物館なんて行っても何も面白くないぞ」
そうそう、何のエンタメ性もない場所だあんなの。お勉強しに行くような場所だし。ウィザード関連の展示が中心だから、生き物の剥製とかそういうインパクトのあるやつもないし。
「えー、そんなことないよ。キャニーがどんな生活してたか気になるし。お祭りだからイベントもやってるんでしょ? あとは、エメリーもいるらしいし」
「ほんとにつまんないからな」
「そんなこと言わないの」
僕はオペラに逆らえないので、同僚たちと出くわさないことを祈りながら、博物館の方へ向かう。途中大通りを横切ると、ぼちぼち屋台が並んでいて、だんだんと活気が増していくその途中だった。
「屋台は博物館終わってからだよ」
「そうですか」
どうやら、オペラの中ではすでに今日のデートプランは完璧に用意されているみたいで、僕はそれに従うだけらしい。まぁ、いきなりこっちに投げられても何も用意できないのでいいんだけど。なんなら、お金も足りるか怪しい。ほとんど自給自足で旅を続けていたから、宵越しの銭がないのだ。僕のヒモデビューは秒読みである。本当に情けない。
それほど遠くはない距離を歩いて、博物館に到着する。
流石に年季の入った建物なので、三年経過したところで大した変化はない。隣にオペラがいなければ、旅に出る前の生活に戻ったのかと思うくらいだった。
開館すぐの時間で客のいない博物館に入る。
展示内容はところどころ変わっていたみたいだけど、記念祭の期間にゴト・リッチー展をやるところは変わっていないみたいだ。まぁ、他の国から来る人向けに、偉人の宣伝をする目的もあるから、題材は変えられないんだろう。
僕にとっては何の面白みもない見慣れた館内を、オペラはあちこち興味深く見ていく。
「人がいないからって、あまりはしゃぎすぎないように」
展示品について色々感想や質問を投げられるけれど、正直備え付けのキャプション以上のことは僕も分からない。こういうのって、子どもほどというか、素人ほど鋭くて答えにくい質問してくるときあるよね。
通常展のコースを抜けると、次は特別展、ゴト・リッチー氏の展示だ。こればっかりは僕も色々と考えざるをえない。ハックと出会った場所であり、実際に会った人の展示なのだ。
特別展の入口のイメージ画を見て、本物と全然違うなと思う。一般に知られているリッチー氏は髭面のおじいさんである。まさか、本物が女性の、しかも少女の見た目をしているなんて夢にも思うまい。そういえば、あの向こうで出会ったリッチー氏はハックと同じ見た目だったが、晩年も同じ見た目をしていたんだろうか。
「キャニー、先に進まないの?」
「ああ、どうにも思い入れがあってね」
「このおじいさんに?」
「ふふふ。リッチー氏が本当は女の子だったとしたら?」
オペラは何か複雑な顔をしたあと、何かを思いだしたように言う。
「プロフェッサーがそんなこと言ってたかも」
プロフェッサー? 学者がそんな頓珍漢な説を唱えているのか。
「ええと、キャニーの先生だった人。ソフィヤっていう」
あっ。ああ、あの人か、あの人は確かに色々知っていそうな感じだったな。
「オペラ、その人と関わるのはやめなさい。教育に悪い」
「大丈夫だよ。子ども扱いしないで」
いってもオペラは十五歳じゃないか。一応は子どもじゃないかと、そんなこと言うと機嫌を損ねそうなので言わない。
そのまま、特別展も見て回る。
当然だけど、ハックの魔導書は綺麗さっぱりなくなっていた。代わりに、最近遺跡から見つかった手稿や、アップデートされた遺跡の復元図など、全体的な展示物の量は増えているようだった。
こう、色々知った後でみると、博物館の展示はウィザードの功績の中身については全然踏み込んでいないのだなと思った。当たり前だが、ウィザードが成した功績、高度な魔術そのものは、おいそれと見つかるものじゃないし、公開されるものでもないのだろう。もしかすると、今世界で一番、僕がリッチー氏に詳しい可能性もある。というか、そうだと思う。
「キャニーはここの警備員さんだったんでしょ?」
「そうだね」
「どんな感じだったの?」
さっきあそこに人が立ってたでしょ、と、昔の自分の仕事をかいつまんで説明する。
「そうじゃなくて、仲良かった人とか、そういうエピソードが聞きたいの」
「いなかったよ」
「え?」
「友達なんていなかった」
「うそ、エメリーは?」
「エメリーは……話し相手?」
「友達でしょ。エメリー悲しむよ」
と、そんな話をしながら、博物館を後にする。
バックヤードに挨拶なんてしない。ほんとに気まずいから。
表通りに出ると、屋台が隙間なくびっしり並んでいて、あちこちから食べ物の匂いや、客引きの声が聞こえてくる。
ちょうどお昼時だったか。
僕とオペラは同時にお腹を鳴らして、お互い笑って、食べ物の屋台を探す。
「キャニーのオススメある?」
「えー」
「なんかないの?」
だから、今までお祭りを表通りで楽しむなんてことしてないんだよな。分からない。だが何かしら考えないと、流石に自分の故郷でこの体たらくは……。もしやあれは。
結構遠くの方に、見覚えのある名前が出ている。ここも気まずいポイントだけど、まぁ元職場よりはマシだ。色々お世話になったから、挨拶くらいした方がいいし。挨拶というと、親父には何も言えてないけど、まぁそっちはもうしばらく寝かせておこう。
「おおっ! お前キャニーか! どこ行ってたんだよ」
「お久しぶりです。表に屋台出せたんですね」
僕が住んでいた物件は一階が串焼き中心の小料理屋になっていて、三年前のお祭りのときも、そこで串焼きを売っていた。大通りから少し入った場所にあるから、日中の人通りは少ないんだけど、今年は人のたくさんいる大通りに出店したみたいだ。
「いやー、ほんとに心配したんだからな」
「キャニーこの人だれ?」
「僕の前に住んでたとこの大家さんだよ。大家さん、こちらは」
「あら。キャニーがまさか、こんな可憐な嬢ちゃんを連れて帰ってくるなんてな。もしかして駆け落ちだったのか?」
「違います。あと駆け落ちなら戻ってこないでしょ」
「分からねぇじゃねぇか。それで、お嬢ちゃんお名前は?」
「オペラです!」
「俺はシオン・ナインティーンだ。ほれ、キャニーが世話になってるお礼にサービスだ」
大家さんの名前そんなだったんだ……、じゃなくて。
「ちゃんとお金出しますよ。あと、なんで僕がお世話になってる想定なんです」
「キャニー、お前は誰かを世話するたちじゃねぇだろ」
はぁ。頭が痛くなる。そんなことないって、一蹴できればよかったんだろうが、現状オペラに連れ出された形だし、否定もできない。
結局大家さんに奢られてしまった。そんなつもりで寄ったわけじゃないんだけどな。
「まぁ、それくらいもらっとけ、お前にはこれから滞納してる家賃を払ってもらわなきゃならんからな」
「いきなり飛び出してすいませんでした。私物は処分されちゃってますかね?」
こればっかりはしょうがない。何の断りもなく逃げ出した僕のせいだ。払えて無かった家賃の分も、三年越しではあるがちゃんと払おう。
「心配するな部屋はそのままにしてある」
「え? なんて?」
「だから、滞納してる家賃は三年分だ。しっかり働いて返すように」
なんじゃそりゃ!
嘘でしょ。音信不通になって年単位音沙汰ないやつの部屋をそのままにしてたんかい。信じられない。その分家賃を、ちゃっかり回収しようってのもすごい話だな。
はぁ。ため息も増える。さっそく色々と借金を抱えることになりそうだ。ニートだのヒモだの言ってる場合じゃないなこれは、働かないと。幸い、あそこの家賃は格安だし、今の僕なら冒険者ギルドで荒稼ぎしたり魔術知識を売ったり、いくらか金策はできるはず。昔だったら途方にくれてたな。
「よかったねキャニー。今日はそこに帰ろう」
「そうだね」
帰る場所ができてよかった。そうじゃなかったら宿を取ったり、その分の出費が……。
「じゃなーい。あんなクソ散らかった部屋にオペラを入れるんですか? しかも三年熟成!」
「別に気にしないよ。キャニーの部屋気になるもん」
「いやいやいや、問題大ありです」
「いまさらじゃねぇかよ」
「大家さんは何も知らないでしょ。黙って」
急いで掃除して、散らかったものを端に寄せたとしても、人を止める布団がない。僕が使ってた布団を使わせるわけにもいけないし。そもそもオペラを僕の部屋に泊めるのも問題ある気がしてきた。
「オペラ、オペラは宿あるんだろう? 僕の部屋は明日でいいじゃないか。時間はたっぷりあるんだし」
「ダメです。キャニー少しでも目を話したら逃げちゃいそうだもん」
「いやぁ、そんなことないよ」
「おいおいキャニー、駆け落ち相手なんだから泊めてやれよ。そんなの今さらだろ」
「だから、駆け落ち相手じゃない!」
はぁ。三回目。
いいか。今さら部屋を見られたくらいじゃ、何も変わらないか。諦めよう。そして、その時まで考えないようにしよう。
あとは、この場から離脱しよう。
あっちょうどあそこにキャラクター焼きが、いくぞオペラ。これは基本屋台でしか食べられないんだ!
デザート代わりに、甘い生地をキャラクターの金型で焼いたものを買って食べる。うーんお祭りっぽい。正直お菓子屋に直接言って、キャラクターものじゃないやつを買った方が美味しいと思ってたんだけど。
「あっ、これキャニーが好きなやつじゃない?」
マトンの冒険のマトンの形をしたやつが入っている。今も同じ形のお菓子が売られていることに懐かしを感じる。こういうのも良いね。
腹ごしらえが終わったら、次は食べ物以外の屋台を目指して歩く。
くじ引き、射的、アクセサリー屋、魔道具の実演、魔術書の販売、などなど。バラエティ豊かなラインナップだ。
「キャニーあれ欲しい」
オペラが人間サイズの巨大なぬいぐるみを指さして言う。あれは、持ち運ぶの大変だぞ。
「あれか?」
「ぬいぐるみじゃなくて、横の方」
ああなんだそっち……そっちはそっちで、デカい宝石のついたネックレスだった。明らかにくじ引きの商品にはありえない豪華さだが、こんなに気前よかったかな。
「あんなの当たらないよ。だいたいこういうところのクジは~ムグっ」
「言わないで」
こんなところのクジは、ちゃんとアタリが入ってるか分からないんだよな。万が一にも、あれが本物でクジで出るとしたら赤字だ。ここはあのクジの箱の中身を調べて……って、やっちゃダメか。そういうことじゃないよな。
昔の僕ならこんなくじ引きハズレだけだって言って、絶対引かなかったんだけどな。
オペラと一緒にお金を払ってクジを引く。
僕は残念賞で小さい風船を貰う。
オペラはE賞でハリセンをもらっていた。
やっぱり渋いな。
「当たらないね」
バシバシとハリセンを鳴らしながら言う。
「えいっ!」
「痛いっ」
「なかなかいいね」
たいして痛いわけじゃないが、精神的ダメージが大きいので、一応抗議しておく。やっぱりコランの影響で、暴力娘に育ってしまっている。くっ僕がオペラのことを放置してしまったばっかりに。ぼかぁは悲しい。
「あっちに、占いの魔道具だって」
どうやら、人と人との関係を占える魔術具らしい。
魔導解放記念祭だから、こうやって新作の魔術具だったり、自分の魔術の研究成果だったりを披露する出店も多い。中にはただのジョークグッズというか、しょうもないのもあるわけだが。
「これは恋占いの魔術具です。お兄さんたちはベルラの人だね? じゃあこのお札の両端を持って、この呪文を唱えてくれ」
このお札を持ってる人に対する感情を読み取って、違いが大きいとお札が破れるそうだ。
「「■■■」」
ビリッ。
「あー、残念。お嬢さん浮気を疑った方がいいよ。今ならこの嘘を検出できるお札を十枚セットでお安くしとくよ」
「な、オペラやめとこう。こうやって魔術具を買わせるやり口なんだよ」
「お嬢さん、この焦りようは絶対隠しごとしてますよ。ささぜひ購入を」
おいおいオペラそんな目で見ないでくれ。浮気もなにも、今日ちゃんと告白を受け取ったばっかりだろ。勘弁してくれ。
「じょーだんだよっ。そのお札はいらないです。この人嘘つけないので。いこっ」
カラコロと笑う。
何がそんなに楽しいのか。
ったく。
僕もつられて笑う。
屋台はまだまだ続いている。今日で全部回るような勢いで、歩いていく。
「あっ、あれアクセサリー屋さんだ」
周りよりもちょっとお高いアクセサリー屋を見つける。そういえば、くじ引き屋でネックレスを見ていたっけ。値段付けがガチで、手持ちで払えるか怪しいな。宿の心配もなくなったしいけるか。
オペラは綺麗に陳列されたアクセサリーを端から端まで、目を輝かせながら見る。
「どれが欲しいんだ?」
「うーん。キャニーが選んで。わたしに一番合うやつ」
そうきたか。どこかで見たような定番のシチュエーションに、軽い感動も覚えつつ、頭を悩ませる。こういうのって、聞いてる側は実は正解を持ってて、それを分かってもらえるか試してる節がある……。オペラの視線から読み取れればよかったが、もう僕の方に視線を固定してしまっている。
「これとか?」
赤い小粒の宝石のついたネックレスを選ぶ。オペラにはゴテゴテしたものは似合わないだろう。
「ありがとキャニー!」
「こ、こら」
オペラが抱きついてくる。どうやら合格をもらえたらしい。
「でも、ほんとは指輪が良かったなぁ」
ねぇ耳元で囁くのやめて!
「それは、まだ早いんじゃないかなぁ」
「早いとか遅いとか気にしてるとダメだよ。はい、じゃあわたしは、これあげる」
同じタイプのネックレスの石の色が違うやつを、渡してくる。これはペアなんとかというやつか。こんなベタベタなカップルみたいなことやるのか、恥ずかしい、恥ずかしいなこれ。どう反応していいか分からずに、しどろもどろになったりする。
やっぱり格好良くはいかない。これで合ってるのかな。
「ほら、行くよ! ライブ始まっちゃう!」
頭の中で考え事が広がりそうになるたび、次から次へとオペラが手を引いて、次の場所へ連れて行ってくれる。オペラが楽しそうで、つられて僕も楽しくなっている。それでいいじゃないか。
「ライブって?」
「キャニー知らないの、みんなで盛り上がるんだよ」
分からん。分からんが、『みんなで』が頭に付くってことは僕が苦手なやつだ。
「最前列のチケットもらってるんだから」
うーん。最前列かぁ。こっそり後ろから見るんじゃダメ? ダメだよね。というか、オペラはなんでそんな良いところのチケットを持ってるんだ。
「グードホースっていうバンドなんだけどね。友達なの」
??? オペラって僕を追いかけて冒険者をやってたんだよな? いつ芸能人と知り合いになる機会が?
「とにかく、もうすぐで、その人たちの出番になるから、急がないと。キャニーを連れてくるって約束したんだから」
夕日に照らされる野外ステージ。全席立ち見の観客席は八割くらい埋まっていて、今もなお入場者の列が絶えない。やっぱり場違いな感じがする。
ステージ近くの屋台でジュースを買って、一番前に移動する。
しばらく待っていると、男二人、女一人の三人組がステージにあがる。マイクを持って、話し始める直前、オペラの方にアイコンタクトするのが見える。ほんとに友達なんだ。
聞き馴染みのない楽器の音が鳴る。マイクテストが終われば、期待のにじむ喧騒が静かになる。
「盛り上がってるかあぁ!」
耳に響くようなデカい音がする。それに負けじと、大勢の観客が声をあげる。
まるで声自体が質量を持ったように、この場を揺らしている。
「グードホースよろくおねがいしまあぁす!」
三人が順番に楽器を鳴らす。
今のが合図だったのか、いつの間にか曲がはじまる。
ギンギンに壊れそうな、痺れるような音が高速で押し寄せる。
初めてぶつけられる熱量に呆然としていたら一曲目が終わる。
「俺たちさぁ。音楽で成り上がって、今こんな舞台立てたんだけどさ。
昔こんなこと言われたよ。音楽なんて無駄だって。嘘だって。もっと役に立つ意味のあるしろって。
うるせぇって思ったね。だったらさ。
学者さんは偉いのか、そんなん数式なんて存在してんのかって。
政治家も偉いのか、口ばっか回って、どんな仕事してるか分からねぇって。
金持ちは偉いのか、お金なんて金属と紙だぞ。誰だ。これ価値つけてんのって。
音楽を嘘だっつったよな。言ったよな。でも、お前らも嘘ばっかじゃねぇかって。
そう思ったんだ。
でもさ、実際音楽売るのに、嘘付くみたいなこともやったよ。
でもな、それでもな、俺たちの音楽は嘘じゃねぇって。
嘘だけど嘘じゃねぇって。
お前らもそうだ。
嘘じゃねぇ嘘じゃねぇぞ。
これが、俺たちのリアルだ。
リアルだリアルだ。
『リアルは俺が決めてやる』
こころぉ叫べ!」
さらに熱量が上がっていく。自然と体がリズムにのって、目の前の音楽に目を奪われる。曲と曲の間だって休憩じゃないんだ。ずっと、この人たちは全力で歌っている。
「すごいねこれ」
透明な汗をかく。曲が終わっても心拍数が上がりっぱなしで、思わずオペラに話しかける。意味もなくハイタッチをしたりもする。
でも、驚くのはまだ早い。
ボーカルのナグがオペラの方を見て、手招きしたかと思えば、オペラが観客席のフェンスを飛び越えてステージに向かってしまった。
おいおい、君はいつからアイドルになったんだ。
スタッフの人も止めるべきか分からなくてうろうろしているが、舞台袖からこれまでの演者とか、他のミュージシャンが片っ端から集まって、即興で音を大きく重ねていく。こうなるともう収集がつかなくて、だれもかれも盛り上がることしか考えなくなった。
まぁいいのか。
今日くらい楽しむことだけ考えて。
喉がかすっかすになるまで、オペラのことを応援して楽しんだ。
みんな日が沈んだことすら気づかずに、その日のプログラムを大幅に時間オーバーしてアンコールまで走りきった。
完全に夜になって、ぼちぼち屋台も店じまいを始める時間。
僕たちは昔の僕の家に向かって歩いている。
表通りから一つ二つ人通りの少ない方に道をそれ、帰り道を歩く。
静かで暗いのに、さっきまでの興奮が焼き付いて、まだまだ喧騒を感じる。それ以外は、熱くて汗ばんだオペラの手の感触だけ。
余韻を引き連れながら心地良い沈黙の中を歩く。
僕が少し先を歩いて、暗がりでつまずく彼女を支えたりしながら、家に帰る。
暗くて分からないけど、以前とほとんど変わらない我が家だ。
オペラが魔術を詠唱して灯りを出す。
人一人しか通れない狭い階段を上がって、ぼろっちい木目剥き出しの玄関扉を開ける。
そのまま残してるって、本当に昔のままじゃないか。
畳まれていない布団、倒れたままの目覚まし、部屋の隅に山と積まれた衣類その他もろもろ。
「うげ」
「今からでも宿に行くか?」
あっ。
オペラが靴を脱いで部屋に上がる。
そのままの姿で布団に頭から突入して、もごもごと寝転がって体に布団を巻き付ける。
「うーん……キャニーのにおいがする」
「そりゃあね」
「明日はお洗濯とお掃除だね」
やっぱりくさかったかな。部屋も散らかり過ぎてるし。近い内に二人で暮らせるように、移動するにしても、色々整えないと。
満足したのかオペラが布団から出て、床に正座する。
「キャニーおいで」
なんだ?
「膝枕だよ。やってみたかったの」
ぽんぽんと膝の上を叩いて催促してくる。
床に横になって、オペラの膝に頭を乗せる。こういう感じなのか。温かいな。
「よしよし」
なんだか不思議と安心する。子ども扱いされてるようなこそばゆさもあるけど。しっくりくる気がする。
「明日は、色々今後のことを話し合おう」
何も決まってない僕たちだけど、きっとそれなりに長い付き合いになると思う。だから、ゆっくり話し合おう。
僕の口からそんな言葉が出たのが嬉しかったのか、頭を撫でる手に力がこもる。
「そうね。結婚式はいつにする?」
「それはまだ早いんじゃないかなぁ」
うつらうつらと意識が遠のいていく。
段々と現実と夢の境目が溶けて、目が閉じる。
「キャニー、ずっといっしょにいてね」
優しい朝日のような声。
「キャニーはわたしのもの……」
頭を撫でる手も止まり、寝息が聞こえてくる。
オペラを横にするために、半ば寝ながら自分の頭をどけて、両腕で包めるように引き寄せる。
呼吸が二つ聞こえる以外、意識は夢の中に溶けていく。
僕がこの街を出る前は、この部屋に一人だった。
でも、今はオペラがいて、部屋はもっと狭くなったし、一つの布団を無理やり二人で使っている。
色んなことがあって、想像もできないような人生になったけど、またこうしてここに戻ってきた。オペラには負い目はあるし、取り返しのつかないことも一杯したけれど、これからはそれを少しずつでも返せるような。そんな穏やかな日々にしていきたい。
結局何も割り切れないし、また世界の真実を思い出して虚無感に苛まれるかもしれない。それはどうしようもできないかもだけど、これだけ思ってくれるオペラに向き合うのに、世界が正しいとか間違ってるとかは関係ない。どっちでも良いのだ。どっちでも、僕の人生はまだ続くんだろうから。
それで、いつか割り切れたら、世界の外の孤独な魔法使いにそんな話をするのもいい。色んな失敗があったけど、ちょっとは報われたってだけの、たいそうな教訓も華やかな成功もない、幸せな日常を語るのだ。
──ただいま。




