第七十二話 巡回授業の道
白楡学び舎の最初の難題は、遠い村へどうやって授業を届けるかだった。
白楡館へ来られる者はいい。けれど山裾の家や石切場の近くに住む子どもたちは、片道だけで半日かかる。冬になれば道は凍り、春には泥で車輪が埋まる。
学び舎を開いたと喜んだ翌週、私は地図の前で腕を組んでいた。
「来られない人を、来ない人として数えないこと」
そう書いたのは、フローラだった。
報告書の端に小さく添えられたその一文が、私の胸に残っている。
「では、こちらから行くしかありません」
サラは当然のように言った。
「道が悪いです」
ガスパルが渋い顔をする。
「雨の後など、荷馬車でも危ない。子どもを連れて行くには向きません」
「だから大人が行くんです」
サラは負けない。
「私も行けます」
「あなたはまだ子どもです」
「半分先生です」
その返事に、広間で笑いが起きた。
◇
巡回授業は、三人一組に決まった。
読み書きを教える者、記録を取る者、道と安全を見る者。最初の組は、私、サラ、トマになった。メイは大反対したが、私は最初の道を自分の目で見たかった。
セドリックは地図に赤い線を引いた。
「ここは雨の後に崩れやすい。ここは獣道と混じる。ここで休めます」
「まるで戦の準備ですね」
「道を甘く見ると負けます」
彼は真面目だった。
出発の日、マルタが鍋ではなく、携帯用の焼き菓子を持たせてくれた。
「学ぶにも歩くにも腹がいる」
この言葉は、白楡学び舎の標語にしてもよいかもしれない。
◇
山裾の集会小屋には、十人ほどが集まっていた。
子どもだけではない。羊飼いの老女、石切場で働く青年、赤子を抱いた母親。皆、少し警戒している。
私は王宮風の挨拶をやめた。
「今日は、自分の名前と、数を一緒に書きます。途中で帰っても構いません。わからない時は、わからないと言ってください」
老女が笑った。
「領主様に、わからないと言っていいのかい」
「言ってもらわないと、こちらもわかりません」
その返事で、場が少し緩んだ。
サラは石板を配り、トマは薪を足した。最初の字は曲がり、数字は逆になり、赤子は途中で泣いた。授業は何度も止まった。
けれど、一人の青年が自分の名を書けた時、集会小屋の空気が変わった。
「これで、採石場の賃金表に署名できます」
彼はそう言った。
名前を書くことは、ただの練習ではない。
その人が、自分の働きに自分で印をつけるための手段だ。
◇
帰り道、泥で靴が重くなった。
サラは疲れた顔をしていたが、口だけは元気だった。
「奥様、巡回授業は大変です」
「ええ」
「でも、行かないとわからないことがありました」
「何がわかりましたか」
「白楡館に来られる人は、もう半分来られる人です」
私は足を止めた。
子どもの言葉は、また核心を突いた。
来られない人を、来ない人として数えない。
その意味が、泥の重さと一緒に足に残った。
巡回授業は、予定表よりずっと大変だ。
けれど、白楡学び舎が本当に入口になるには、扉の前まで来られない人のところへ、こちらから道を伸ばす必要があった。




