第七十話 白楡館の未来図
春祭りの片づけが終わると、白楡館には静けさではなく、紙の山が残った。
春市の収支、蜂蜜試食の反省、橋の通行記録、読み書き寄り合いの参加表、作業場の賃金台帳。祭りの熱が去った後に残るのは、いつも現実的な数字だ。
私は広間の机にそれらを並べ、セドリック、フローラ、ミリア、メイ、マルタ、ガスパルを呼んだ。
「白楡館の今後について、相談があります」
サラが扉の隙間から顔を出す。
「私は?」
「あなたにも関係があります。入りなさい」
サラは胸を張って椅子に座った。
机の上には、私が夜のうちに書いた表がある。
白楡学び舎。
その文字を見て、マルタが目を細めた。
「とうとう立派な名前になりましたね」
「寄り合いは続けます。ただ、人数が増えました。遠い村からも来ています。今のままでは、誰かの善意に頼りすぎています」
私は表を指した。
「教師役への手当、教材費、巡回日、冬場の灯油、子どもを連れて来る人のための休み場所。これらを正式に予算へ入れたいのです」
◇
議論はすぐに熱を帯びた。
サラは机を増やしたいと言い、マルタは鍋の費用を忘れるなと言い、ミリアは会計区分を分けるべきだと主張した。フローラは他領へ広げる時の記録形式を考え、ガスパルは冬の巡回は道が危ないと渋い顔をした。
セドリックは、黙って全員の意見を書いていた。
「セドリック」
「はい」
「何か言わないのですか」
「今は、意見が出る時間です」
彼らしい答えだった。
以前の私なら、早く結論を出そうとしただろう。けれど今は、ばらばらの声が机に並ぶまで待てる。
声が出尽くしたころ、セドリックが紙を置いた。
「三段階に分けましょう。第一に、現在の寄り合いを正式予算化。第二に、巡回を月二回試行。第三に、来年以降、白楡学び舎として常設化するか判断する」
「学び舎は、まだ先ですか」
サラが残念そうに言う。
「名前は先に使ってもいい」
セドリックが答えると、サラはぱっと笑った。
◇
次の議題は、白楡館の空き部屋だった。
母が使っていた北側の部屋を、相談室にしたいと私は考えていた。読み書き、契約、賃金、家の中の困りごと。広間では話しにくいことを、静かに聞ける場所が必要だ。
その案を出すと、メイが少しだけ表情を変えた。
「あの部屋を、お使いになるのですね」
「閉じたままにするより、誰かの役に立つ場所にしたいのです」
メイは深く礼をした。
「奥様も、喜ばれると思います」
母のことだ。
私は胸の奥で、静かにうなずいた。
「相談室には、二つ目の鍵を置きます」
「二つ目?」
「私だけが開けられる部屋にはしません。メイと、村代表の女性にも鍵を持ってもらいます」
アニエスの顔が浮かんだ。サラの母の顔も。
話を聞く場所が、領主の温情だけで開くのでは意味がない。
開ける手は、複数あった方がいい。
◇
会議の終わり、私は紙の一番上に署名した。
白楡学び舎および相談室設置準備案。
まだ案だ。予算も、人手も、課題もある。失敗するかもしれない。
けれど、未来図は描かなければ始まらない。
サラが横から覗き込んだ。
「奥様、未来図って、地図ですか」
「似ています。まだない場所へ行くための地図です」
「間違えたら?」
「書き直します」
サラは満足そうにうなずいた。
私はペンを置き、広間を見回した。
白楡館は、私が逃げ込んだ場所だった。
今は、誰かが次へ進むための入口になろうとしている。
その変化が、何より誇らしかった。




