07. 神頼み、好感度が足りない
万象盤を握ったまま、私は領主館の代わりの古い建物に入った。
ボロボロの椅子に腰かけて室内を見回す。
今日からここが私の住居兼仕事場となる。
「澄音、万象盤見てみて。今、点滅してる」
しらたまが私の手元を覗き込んだ。
「見えていますわ」
表示を確かめる。
【隠しイベント:謎の病の流行(予兆)】
【発生条件:霊気停滞/治安低下/資源不足】
【期限:2日13時間】
――コイテンにこんなイベントはなかった。
でも、放置するとろくなことにならないのは想像がついた。
点滅する表示を睨んでいると、追い打ちのように選択肢が浮かんだ。
△▼△▼△▼△▼△
▷照国に助けを求める(成功率1%)
▷津々巳に助けを求める(成功率5%)
▷伊主那に助けを求める(成功率3%)
△▼△▼△▼△▼△
「……低っ! ……ごほん、低すぎません?」
お嬢様言葉自動変換を突き破りかけて、かろうじて踏みとどまる。
私はとりあえず、一番マシそうな津々巳を選んだ。
――ピロン。
【実行のための好感度が足りません。好感度を確認しますか?】
▶「はい」
【好感度】
照国:-20
津々巳:-10
伊主那:-10
「……マイナス」
思わず声が漏れた。
コイテンでは、好感度にマイナスの概念はなかったはずだ。
「……私が知っているゲームでは、好感度はゼロから始まりましたわ。用意された選択肢で正解を選べば上がって、外せば下がる。でもマイナスにはなりませんでしたわ」
しらたまが、ふむ、と小さく唸る。
「ゲームが何かはわかんないけど、ここは違うよ。相手とのやり取り全部が影響するんだ。好意だけじゃなくて、警戒とか反発とか、敬意とか。そういうのが全部混ざったのが好感度」
――つまり、選択肢だけじゃない。
私の言葉も態度も、全部そのまま返ってくるということか。
さらに表示が下へスクロールする。
【参照:南領地/桃園彩葉】
照国:15 津々巳:8 伊主那:5
……あちらはずいぶん順調らしい。
同じ恋巫女候補なのに、開幕からこの差はなかなか胃に悪い。
「助けを求めるのにも、好感度が必要なんですのね……」
「そりゃそうだよ。神様だって感情はあるんだ。もちろん好き嫌いもね。澄音だって嫌いな相手よりは好きな相手を助けたいでしょ?」
「それは……そうですわね。では、このまま好感度が下がり続けると、ゲームオーバーになったりはしませんの?」
「ゲームオーバー? よくわかんないけど、好感度がマイナス50になったら加護が完全停止するよ」
「加護が停止するとどうなりますの?」
「ぼくもわかんないよ。今までそんなこと起きたことないからね! だから、あんまり神様を怒らせないほうがいいよ」
神殿でのやり取りが全部反映されているのだとしたら、状況は思っていた以上に深刻だ。
この好感度では、神様に助けを求めることすらできない。
……もしかして、詰んでる?
しらたまは、私の手の中の万象盤を見上げたまま、小さく首を傾げた。
「うーん。神様に頼るのは難しいかもね」
「難しいどころか、門前払いですわ」
「でも、それで終わりじゃないでしょ?」
「……どういう意味ですの?」
しらたまが、私の膝にぴょんと飛び乗る。
「澄音、神殿でも決められた通りには動かなかったじゃない。用意された答えじゃなくて、自分で選んだでしょ? あれ、分岐逸脱っていう特殊スキルだよ」
「……分岐逸脱」
転移前のやり取りで、その名前だけは聞いた覚えがある。けれど、詳しい説明まではなかった。
「しらたま、分岐逸脱って何ですの?」
「誰かに用意された道じゃなくて、自分で道をつくる力だよ」
その瞬間、神殿での光景が脳裏によみがえった。
恋愛か退場か、どちらも選びたくなくて、そのとき現れた「それ以外」の文字を、私は迷わず選んだ。
――あれが、分岐逸脱だったのか。
「澄音って、もともと決められた道を素直に歩くタイプじゃないでしょ」
「それ、褒めていますの?」
しらたまは、私の膝の上でくるりと向きを変えると、ふわふわの額を私の腹にこつんと押しつけた。
「もちろん褒めてるんだよ!」
しらたまの額のぬくもりが、お腹越しにじんわりと伝わってくる。
その言葉とぬくもりに背中を押されて、胸の奥が少しだけ軽くなった。
私はもう一度、万象盤へ視線を落とした。
【発生条件:霊気停滞/治安低下/資源不足】
治安低下と資源不足は、まだわかる。
北領地は加護が薄く、土地は痩せ、交易だって不安定だ。人の気持ちが荒めば治安も悪くなる。
でも――霊気停滞ってどういう状況?
ゲームでは霊気の数値が表示されていて、一定以上を保てばよかった。
下がったら「お祈り」して、上がったら一安心。それだけだ。
「……で、結局、何から手をつければいいんですの」
そのとき、しらたまが耳をぴくりと動かした。
「また食糧が減ってるだろ!」
「俺じゃない! 俺は鍵を預かってるだけだ!」
「鍵を持ってるやつが一番怪しいんだよ!」
建物の外から怒鳴り声が響いた。
揉めている。しかも、かなりわかりやすく。
「……治安低下と資源不足は、向こうで元気に実演中のようですわね」
「たぶん、村の中心の倉庫だね」
「わかりやすすぎて、逆に不安ですわ」
建物を出ると、冷たい空気が頬を打った。
声のする方へ急ぐ。
村の中央にある倉庫の前では、男たちが何人も集まり、互いに詰め寄っていた。
「昨日まで確かにあったんだ!」
「だから知らないって言ってるだろ!」
万象盤の表示が、ちら、と点滅する。
【治安:低下傾向】
【資源:不足傾向】
うん、そこは見ればわかる。
だが、問題はもうひとつだ。
霊気停滞。
私は倉庫の前で足を止め、意識を集中させた。
見えないなら、まずは見ようとするしかない。
その瞬間、視界の端に何かがちらついた。
「……っ」
線。
円。
点の群れ。
半透明の図形めいたものが、視界の上に浮かんだ。
けれど、全体に砂嵐みたいなノイズが走っていた。
形はあるのに意味を結ばない。
データが欠損したダッシュボードを無理やり覗き込んでいるみたいで、ものすごく気持ちが悪い。
「……う、わ……」
こめかみの奥がずきりと痛んだ。
胃の底がひっくり返りそうになる。
見える。
でも、読めない。
男たちの怒鳴り声に混ざって、変なざらつきが耳の奥にまとわりつく。
そのざらつきの中心が、倉庫の奥でじっと息を潜めている気がした。




