14. 状態異常は解除しましたが、食糧が足りません
次に目を開けたとき、木の梁が視界に入った。
乾いた木の匂いがする。壁際には古い文机と帳簿の束があり、隅の火鉢には消えかけの炭がかすかに赤く残っていた。
領主館の代わりに使っている古い建物の一室だ。どうやら、私はここまで運び込まれたらしい。
身体には、急いで用意されたらしい掛け布がかけられている。上等なものではないけれど、冷えた身体には十分ありがたかった。
「澄音!」
白い毛玉が、勢いよく視界に飛び込んできた。
「起きた! 起きたよね!? 澄音、目、開いてるよね!?」
「……しらたま、声量を少し落としていただけます?」
「あ、ごめん……」
起き上がろうとして、すぐに諦めた。
身体が重い。腕も脚も、自分のものとは思えないくらい感覚が鈍い。昨日、守り石から黒い核を切り離した反動だろう。今すぐ立って動ける状態ではない。
まさか、自分の身体で処理落ちを体験する日が来るとは。正直、かなり不本意だ。
「澄音、まだ寝てた方がいいよ。さっきまで顔、紙みたいに白かったんだから」
「紙……」
「うん。息も浅かったし、呼んでも返事しないし……」
しらたまは、しゅんと耳を伏せた。
「ぼく、こわかったんだよ」
「……心配をかけましたわね」
しらたまは何も言わず、私の手の甲に額をこつんと押しつけた。
戸口の方で、控えめな足音がした。
顔だけそちらへ向けると、なっちゃんの父親が立っていた。大きな手に、湯気の立つ湯呑みを持っている。
「……白湯だ」
「私に?」
「ほかに誰がいる」
言い方はぶっきらぼうだったけれど、昨日ほどの刺々しさは感じない。
男は視線を合わせないまま、枕元に湯呑みをそっと置いた。
「あんた、顔色がひどい」
「ご心配いただき、ありがとうございます」
「心配、というか……」
男は湯呑みを置いた手を、所在なさそうに握り込んだ。
「倒れられたら、困る」
心配と言うにはぶっきらぼうで、文句と言うには声がやわらかい。
けれど、悪意がないことだけはわかった。
「……気をつけますわ」
「そうしてくれ」
男はそれだけ言って、少し気まずそうに視線を逸らした。
湯呑みに手を伸ばす。指先に、じんわりと温かさが伝わった。
昨日、黒い異物に触れた手が、今はこの人から差し出された白湯を受け取っている。
胸のあたりが、落ち着かない。
ざわざわするような、ふわふわするような、うまく名前をつけられない感覚だった。
「……ありがとうございます。いただきますわ」
白湯を口に含むと、喉を通った温度が、空っぽだった身体の底にゆっくり沁み込んでいった。
さっきまで頼りなかった指先に、少しだけ感覚が戻ってくる。
しらたまが、ほっとしたように息を吐き、布団の端で丸くなった。
部屋の外では、人の行き来する足音が途切れず続いていたが、昨日のような怒鳴り声は聞こえない。
「……奥さまと、お子さんたちは?」
「寝てる。熱はまだあるが、息は落ち着いてる」
「なっちゃんも?」
「ああ。少し目を覚まして、水を飲んだ」
しらたまの耳が、ぴくりと動いた。
「よかった……」
私も、湯呑みを握ったまま、短く息を吐いた。
「……そういえば、あなたのお名前をまだ伺っておりませんでしたわ」
男は一度だけ目を上げた。
「辰蔵だ」
「辰蔵さん。あなたも、少しでも休んでくださいませ」
「……俺は平気だ」
「その言葉は、あまり信用できませんわ」
「澄音がそれ言う?」
しらたまが、丸くなったままじっとこちらを見上げてきた。
……反論できない。
答えに詰まっていると、戸口の向こうから別の足音が近づいてきた。
「澄音様。お目覚めになったと聞きまして」
姿を見せたのは清十郎さんだった。
「まだお休みいただきたいところですが……状況だけ、ご報告してもよろしいでしょうか」
「お願いしますわ」
起き上がろうとすると、しらたまがすぐに顔を上げた。
「だめ。寝たまま聞いて」
「……わかりました」
反論する体力も惜しい。私は掛け布の中で、少しだけ姿勢を整えた。
「昨夜のうちに、湿った袋と様子のおかしい袋はすべて分けました。すでに口にしていた家には、澄音様から教わった通りに伝えております」
「症状が重い方は?」
「熱のある者が六名。吐き気を訴えていた者が三名。今のところ、昨夜より悪くなった者はいないようです」
昨夜より悪くなった者はいない。
その一言で、肩に入っていた力が少し抜けた。
「ただ……皆、弱っております」
「でしょうね」
汚染は消えた。黒い異物による悪化は、ひとまず止まった。
でも、病は汚染を取り除けば終わるものではない。
もともとの栄養不足。寒さ。疲労。看病する側の消耗。そこへ、今回のことが重なった。
異物だけを取り除いても、削られた体力までは戻らない。
ゲームなら状態異常を解除すればアイコンが消えて終わるが、現実はそんなに都合よくいかない。
「食べるものは、足りていますか」
一拍の間をおいて、清十郎さんが答える。
「足りている、とは申し上げにくいです」
辰蔵さんも、視線を落としたまま言った。
「普段から、ぎりぎりだ。そのうえ病人が出たとなると……」
「重湯や粥に回せる米は?」
「使える袋は分けた。だが、多くはない。湿っていた分は……もう食わせられないんだろ」
「はい。たとえ汚染が消えていても、弱っている病人に食べさせるべきではないですわね」
辰蔵さんの口元が、きつく結ばれる。
「倉庫の問題は、今回の汚染だけではありません。湿気で米が傷めば、それだけで食べられる分は減ります。それに、出し入れの記録がなければ、異常にも気づけませんわ」
清十郎さんが、小さく頷いた。
「病人が回復するには、清潔な水と休息だけでは足りません。身体に入れられるものが必要です。今ある米を守るだけでは、足りないかもしれませんわ」
言葉にした瞬間、問題の輪郭がはっきりした。
食糧不足。
それは、北領地そのものが抱えている問題だった。
私は、まだ温かさの残る湯呑みを握り直した。
病を止めるだけでは、足りない。
この村が次の冬を越すための方法を、考えなければならない。




