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好感度マイナスの恋巫女候補に転移しましたが、領地だけは建て直します  作者: 御堂あゆこ
第3章

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14. 状態異常は解除しましたが、食糧が足りません

 次に目を開けたとき、木の梁が視界に入った。

 乾いた木の匂いがする。壁際には古い文机と帳簿の束があり、隅の火鉢には消えかけの炭がかすかに赤く残っていた。


 領主館の代わりに使っている古い建物の一室だ。どうやら、私はここまで運び込まれたらしい。

 身体には、急いで用意されたらしい掛け布がかけられている。上等なものではないけれど、冷えた身体には十分ありがたかった。


「澄音!」


 白い毛玉が、勢いよく視界に飛び込んできた。


「起きた! 起きたよね!? 澄音、目、開いてるよね!?」


「……しらたま、声量を少し落としていただけます?」


「あ、ごめん……」


 起き上がろうとして、すぐに諦めた。


 身体が重い。腕も脚も、自分のものとは思えないくらい感覚が鈍い。昨日、守り石から黒い核を切り離した反動だろう。今すぐ立って動ける状態ではない。

 まさか、自分の身体で処理落ちを体験する日が来るとは。正直、かなり不本意だ。


「澄音、まだ寝てた方がいいよ。さっきまで顔、紙みたいに白かったんだから」


「紙……」


「うん。息も浅かったし、呼んでも返事しないし……」


 しらたまは、しゅんと耳を伏せた。


「ぼく、こわかったんだよ」


「……心配をかけましたわね」


 しらたまは何も言わず、私の手の甲に額をこつんと押しつけた。


 戸口の方で、控えめな足音がした。

 顔だけそちらへ向けると、なっちゃんの父親が立っていた。大きな手に、湯気の立つ湯呑みを持っている。


「……白湯だ」


「私に?」


「ほかに誰がいる」


 言い方はぶっきらぼうだったけれど、昨日ほどの刺々しさは感じない。

 男は視線を合わせないまま、枕元に湯呑みをそっと置いた。


「あんた、顔色がひどい」


「ご心配いただき、ありがとうございます」


「心配、というか……」


 男は湯呑みを置いた手を、所在なさそうに握り込んだ。


「倒れられたら、困る」


 心配と言うにはぶっきらぼうで、文句と言うには声がやわらかい。

 けれど、悪意がないことだけはわかった。


「……気をつけますわ」


「そうしてくれ」


 男はそれだけ言って、少し気まずそうに視線を逸らした。


 湯呑みに手を伸ばす。指先に、じんわりと温かさが伝わった。

 昨日、黒い異物に触れた手が、今はこの人から差し出された白湯を受け取っている。


 胸のあたりが、落ち着かない。

 ざわざわするような、ふわふわするような、うまく名前をつけられない感覚だった。


「……ありがとうございます。いただきますわ」


 白湯を口に含むと、喉を通った温度が、空っぽだった身体の底にゆっくり沁み込んでいった。

 さっきまで頼りなかった指先に、少しだけ感覚が戻ってくる。


 しらたまが、ほっとしたように息を吐き、布団の端で丸くなった。


 部屋の外では、人の行き来する足音が途切れず続いていたが、昨日のような怒鳴り声は聞こえない。


「……奥さまと、お子さんたちは?」


「寝てる。熱はまだあるが、息は落ち着いてる」


「なっちゃんも?」


「ああ。少し目を覚まして、水を飲んだ」


 しらたまの耳が、ぴくりと動いた。


「よかった……」


 私も、湯呑みを握ったまま、短く息を吐いた。


「……そういえば、あなたのお名前をまだ伺っておりませんでしたわ」


 男は一度だけ目を上げた。


辰蔵(たつぞう)だ」


「辰蔵さん。あなたも、少しでも休んでくださいませ」


「……俺は平気だ」


「その言葉は、あまり信用できませんわ」


「澄音がそれ言う?」


 しらたまが、丸くなったままじっとこちらを見上げてきた。


 ……反論できない。


 答えに詰まっていると、戸口の向こうから別の足音が近づいてきた。


「澄音様。お目覚めになったと聞きまして」


 姿を見せたのは清十郎さんだった。


「まだお休みいただきたいところですが……状況だけ、ご報告してもよろしいでしょうか」


「お願いしますわ」


 起き上がろうとすると、しらたまがすぐに顔を上げた。


「だめ。寝たまま聞いて」


「……わかりました」


 反論する体力も惜しい。私は掛け布の中で、少しだけ姿勢を整えた。


「昨夜のうちに、湿った袋と様子のおかしい袋はすべて分けました。すでに口にしていた家には、澄音様から教わった通りに伝えております」


「症状が重い方は?」


「熱のある者が六名。吐き気を訴えていた者が三名。今のところ、昨夜より悪くなった者はいないようです」


 昨夜より悪くなった者はいない。

 その一言で、肩に入っていた力が少し抜けた。


「ただ……皆、弱っております」


「でしょうね」


 汚染は消えた。黒い異物による悪化は、ひとまず止まった。

 でも、病は汚染を取り除けば終わるものではない。

 もともとの栄養不足。寒さ。疲労。看病する側の消耗。そこへ、今回のことが重なった。

 異物だけを取り除いても、削られた体力までは戻らない。

 ゲームなら状態異常を解除すればアイコンが消えて終わるが、現実はそんなに都合よくいかない。


「食べるものは、足りていますか」


 一拍の間をおいて、清十郎さんが答える。


「足りている、とは申し上げにくいです」


 辰蔵さんも、視線を落としたまま言った。


「普段から、ぎりぎりだ。そのうえ病人が出たとなると……」


「重湯や粥に回せる米は?」


「使える袋は分けた。だが、多くはない。湿っていた分は……もう食わせられないんだろ」


「はい。たとえ汚染が消えていても、弱っている病人に食べさせるべきではないですわね」


 辰蔵さんの口元が、きつく結ばれる。


「倉庫の問題は、今回の汚染だけではありません。湿気で米が傷めば、それだけで食べられる分は減ります。それに、出し入れの記録がなければ、異常にも気づけませんわ」


 清十郎さんが、小さく頷いた。


「病人が回復するには、清潔な水と休息だけでは足りません。身体に入れられるものが必要です。今ある米を守るだけでは、足りないかもしれませんわ」


 言葉にした瞬間、問題の輪郭がはっきりした。


 食糧不足。


 それは、北領地そのものが抱えている問題だった。


 私は、まだ温かさの残る湯呑みを握り直した。


 病を止めるだけでは、足りない。

 この村が次の冬を越すための方法を、考えなければならない。

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