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第120話 帰る場所

ブランシュの結婚式の日。

そして、ルミエールが帰る日でもありました。

早朝、ルミエールは祖父の家を訪ねていた。


朝の光はまだやわらかく、庭の草木も静かだった。

祝いの日の朝なのに、家の中には不思議なくらい落ち着いた空気が流れている。


祖父はもう起きていて、居間で待っていた。


「もう行くのか」


「はい」


ルミエールは小さくうなずいた。


祖父は少しだけ間を置いてから言う。


「今日、ブランシュの結婚式だけど、見て帰らなくていいのか?」


その声は責めるものではなかった。

ただ、本当にそれでいいのかを確かめるような問いだった。


ルミエールは少し視線を落としてから、静かに答えた。


「結婚式に出てしまったら、帰りたくなくなるかもしれません」


祖父は何も言わずに続きを待った。


「帰ることを、忘れてしまうかもしれないんです」


ブランシュの晴れ姿を見たら、ショコラやノアールの声を聞いたら、ソレイユの顔を見たら。

きっと自分は、もっとここにいたくなる。


祖父はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。


「そうか」


ルミエールは持っていた封筒を差し出した。


「これはブランシュに」


それから、もう二通をそっと重ねる。


「こっちはノアールとソレイユに、お願いします。結婚式が終わってから渡してほしいんです」


祖父はそれを受け取った。


「わかった。渡しておくよ」


「お願いします」


短い沈黙が落ちる。


ルミエールは祖父を見た。


「おじいちゃん」


「ん?」


「陰で支えてくれて、ありがとう」


祖父の表情は大きく変わらなかった。

でも、その目だけが少しやわらいだ。


ルミエールは続ける。


「おじいちゃんのおかげで、やりたいことをやりとげられたような気がするの」


祖父は受け取った手紙を机の上に置き、ゆっくりと言った。


「それは、お前が自分でやりきったんだよ」


ルミエールは小さく首を振る。


「それでもです」


祖父はその言葉を否定しなかった。


代わりに、いつもより少しだけやさしい声で言う。


「行っておいで」


ルミエールは静かに頭を下げた。


「行ってきます」


それが、結婚式の朝の別れだった。


結婚式が始まる少し前、式場の控室にはショコラとノアール、それにソレイユとレンが集まっていた。


華やかな花の香りと、慌ただしい準備の気配。

明るい空気のはずなのに、どこか一か所だけ、まだ埋まらない場所がある気がした。


ノアールが時計を見る。


「ねえ、ルミエール遅くない?」


ショコラも視線を上げる。


「そうね。ルミエールが遅れるって、あんまりないもの」


ソレイユも少し不安そうに言った。


「どうしたんだろう……」


レンは何も言わず、扉の方へ目を向けていた。


その時、控室の扉が静かに開いた。


入ってきたのは、ルミエールの祖父だった。


四人はそろってそちらを見る。


祖父は静かに言った。


「ルミエールは出発した」


その一言で、空気が止まる。


ノアールがすぐに聞き返した。


「え……もう?」


祖父は小さくうなずいた。


「本当は結婚式に出席する予定だった。だが、みんなに会うと帰れなくなるから、と」


ノアールの目が、じわりとうるんだ。


「えー……最後、会いたかった……」


ソレイユも唇を閉じ、うつむいた。


祖父はそんな二人を見て、やわらかい声で言う。


「またいつか、ルミエールには会えるから」


それでも、ノアールもソレイユもすぐには顔を上げられなかった。


祖父は封筒を二通、取り出した。


「手紙を預かっている」


ノアールとソレイユに、それぞれ一通ずつ差し出す。


「結婚式が終わってから読んでくれ」


二人はそれを受け取った。


「……はい」


その空気を切るように、ショコラが言った。


「今日はブランシュの結婚式なんだから、泣かずに笑顔で過ごすのよ」


ノアールが少しだけ顔をしかめる。


「ショコラお姉ちゃん、厳しい」


「厳しくないわよ。あとでちゃんと泣けばいいの」


ソレイユが、その言葉に少しだけ笑った。


レンも小さく口元をゆるめる。


それで、少しだけ空気が戻った。


その頃、ルミエールは自宅の地下室にあるタイムマシンに乗っていた。


低い機械音が静かに響く。

見慣れた計器の光が、今日だけは少し違って見えた。


目を閉じると、まだ見てもいない今日の光景が浮かぶ気がした。


白いドレスのブランシュ。

笑っているショコラ。

少し泣きそうなノアール。

やさしく見守るソレイユ。


ルミエールは目を閉じたまま、心の中で小さく言った。


――お母さん、結婚おめでとう。


少しだけ間を置いて、また続ける。


――ノアール、ソレイユ。ありがとう。楽しかった。


それだけで、胸の奥がじんわりと熱くなった。


機械の音が少し変わる。


地下室の空気も、光の色も、すべてが静かに揺らぎ始める。


ルミエールは、シートに身を預けたまま目を閉じ続けた。


その頃、ブランシュの結婚式は始まっていた。


支度を終えたブランシュの姿を見た時、ノアールはしばらく何も言えなかった。

ショコラも、最初の一言が少し遅れた。


白いドレスは思っていたよりもずっとよく似合っていて、ブランシュはいつもより少しだけやわらかく見えた。


「……きれい」


先に言ったのはノアールだった。


ブランシュが照れたように笑う。


「ありがとう」


ショコラもようやく口を開く。


「本当に似合ってるわ」


「そこ、素直に言えるのね」


「今日くらいはね」


昨日と似たようなやり取りなのに、今日はそれだけで胸が熱くなった。


先代の社長もやってきて、父の代わりにブランシュと並ぶ。


その姿は、もう何も不自然ではなかった。


育ててもらった時間も、守ってもらった時間も、ちゃんとそこにあると分かる並びだった。


音楽が流れ、会場が静まる。


列席者の視線がひとつの場所へ集まる中、ブランシュは先代の社長と並んで歩き出した。


ゆっくりと、まっすぐに。


誓いの言葉が交わされる。

指輪が光る。

拍手が広がる。


ノアールは笑いながら泣いていた。


ショコラが横で小さく言う。


「泣くの早いのよ」


「ショコラお姉ちゃんだって」


「私は泣いてないわ」


そう言いながら、声は少し揺れていた。


ソレイユも静かに涙をぬぐっていた。

レンは何も言わなかったけれど、その横顔はやわらかかった。


披露宴にも、たくさんの人が集まった。


仕事関係の人。

昔からの知り合い。

音楽の関係者。

キャットスターに関わった人たち。


賑やかなのに、どこかあたたかい空気だった。


ブランシュは何度も「おめでとう」と言われ、そのたびに笑って頭を下げていた。

その顔を見ながら、ノアールは少しだけ安心した。


ブランシュは、本当に幸せそうな顔をしていた。


披露宴の途中、いよいよブーケトスの時間になった。


ノアールはさっと立ち上がる。


「私、あれ欲しい」


ショコラが呆れたように言う。


「本気なのね」


「本気だよ」


ノアールはドレスの裾を気にしながら、少し前へ出た。


ブランシュが後ろを向いて、花束を高く掲げる。


「いくわよ」


その声のあと、白いブーケがふわりと宙に舞った。


ノアールは思わず手を伸ばした。


けれど、ブーケはその少し先を越えていく。


「あっ」


飛んでいった先にいたのは、少し離れた場所で見ていたソレイユだった。


思いがけず腕の中に落ちてきた花束を、ソレイユは慌てたように抱きとめる。


会場がわっと沸いた。


ノアールはその場で立ち尽くす。


「えー……」


ショコラが吹き出した。


「残念だったわね」


「本気だったのに……」


ソレイユは困ったように、それでも少し嬉しそうにブーケを見つめていた。


「私、取るつもりじゃなかったのに……」


ブランシュが笑う。


「でも、ちゃんと受け取ったでしょう」


その光景を見ながら、ノアールも最後には笑ってしまった。


がっかりしているのに、不思議と嫌じゃなかった。


今日という日にふさわしい場所へ、ちゃんと花が飛んでいった気がした。


その頃、ルミエールは未来の地球に着いていた。


扉が開く。


月とは違う空気。

光の色。

窓の向こうの気配。


「あれ?」


ルミエールは周囲を見回した。


「ここ、月じゃなくて地球なのね」


その声に、すぐ近くから笑い混じりの返事が返ってくる。


「何言ってるの、ルミエール」


その声に振り向いた瞬間、ルミエールの表情がほどけた。


そこにいたのは、母だった。


年を重ねたブランシュ。

けれど、笑った時のやわらかさは少しも変わっていない。


「おかえり、ルミエール」


ルミエールは少しだけ息を止めてから、ようやく言う。


「ママ……ただいま」


そのすぐあとで、もう一人の声がした。


「ルミエール、無事に帰ってきて良かった」


父だった。


ルミエールはそちらを見る。


「ただいま、パパ」


父の後ろから、ばたばたと足音がした。


廊下の向こうから顔をのぞかせたのは、弟と妹だった。


少し背が伸びた弟は、思春期らしい気まずそうな顔をしている。

妹はそんな兄の横から身を乗り出すようにして、ぱっと声をあげた。


「ほんとにお姉ちゃんだ!」


ルミエールは少しだけ目を見開いて、それから笑った。


「ただいま」


妹は嬉しそうに駆け寄ってくる。


「ずっと待ってたんだよ」


その後ろで、弟がそっぽを向いたまま言う。


「……別に。うるさいお姉ちゃんがいなくて、せいせいしてたし」


「そんなこと言ってなかったもん!」


妹がすぐに言い返す。


「お兄ちゃん、ルミ姉まだかなって言ってたもん」


「言ってない」


「言ってた!」


二人のやり取りに、母が小さく笑う。

父も、どこかほっとしたような顔でそれを見ていた。


ルミエールはその光景を見つめたまま、少しだけ息をついた。


自分がいなかった時間も、この家にはちゃんと続いていた。

でも、その中に、自分の帰る場所も残っていた。


「おかえりなさい」


今度は母が、さっきよりもやわらかく言う。


ルミエールは家族を見渡して、静かに答えた。


「……ただいま」


その声を聞きながら、ルミエールは静かに笑った。


長い時間の旅は、ようやく終わった。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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