第117話 ドームに咲いた花束
ルミソラの最後の夜が終わったあと。
今度は、キャットスターのステージです。
ルミソラの解散コンサートから、少しだけ日が経った。
今夜は、キャットスターのドームツアー最終日だった。
舞台袖で、ノアールはゆっくり息を吸った。
幕の向こうから届いてくるざわめきは、数日前に聞いたものとどこか違っていた。
ルミソラの最後のコンサートが、胸の奥へ深く沈んでくる熱だったなら。
今夜のキャットスターは、もっと明るく、もっと遠くまで広がっていく熱だった。
頭上の高い天井。
果てしなく続く客席。
アリーナからスタンドの上まで埋め尽くす光。
ひとつの会場というより、大きな夜空そのものみたいだった。
隣では、ショコラが衣装の袖を整えていた。
ブランシュは鏡越しにノアールを見て、やわらかく笑う。
「緊張してる?」
「少しだけ」
そう答えると、ショコラが言った。
「大丈夫よ。今日はちゃんと楽しみなさい」
ノアールはうなずいた。
「うん」
スタッフの声が飛ぶ。
「お願いします」
三人は顔を上げ、そのまま舞台へ出た。
照明がついた瞬間、会場が大きく揺れた。
キャットスターの名前を呼ぶ声が、ドームの天井へ広がっていく。
アリーナだけじゃない。遠いスタンド席の上まで、びっしりとペンライトが揺れていた。
一曲目のイントロが始まる。
ショコラが笑い、ブランシュが手を振り、ノアールもその二人に続く。
可愛くて、華やかで、軽やかな音が会場いっぱいにひらいていく。
ルミソラの夜とは違う。
でも、これはこれで自分たちの光だった。
数曲を終えたところで、最初のMCになった。
ショコラがマイクを持つ。
「みなさん、今日は来てくださってありがとうございます」
拍手が返る。
ショコラは広い客席を見渡した。
「私たちキャットスターは、まだ小さかった頃に三姉妹でデビューしました」
会場の空気が少しやわらぐ。
「ここまで続けてこられたのは、見ていてくださったみなさんのおかげです」
ブランシュが続けた。
「小さい頃は、本当に無我夢中でした。でも、こうしてまた三人でこの大きなステージに立てていることを、嬉しく思っています」
ノアールは客席を見た。
昔から応援してくれていた人も、きっとこの中にいる。
三姉妹で走ってきた時間を知っている人も、いるのかもしれない。
関係者席の方にも、見覚えのある顔がいくつもあった。
レン。
海斗。
凛。
少し離れた場所には社長とアンナ。
その近くには、ブランシュの婚約者と、その父の姿もあった。
今日はただのコンサートじゃない。
そういう夜だった。
次の曲が始まる。
明るいリズムに乗って、三人の声が重なる。
ショコラの安定した歌。
ブランシュのやわらかい声。
その間を、ノアールの声がまっすぐ抜けていく。
ドームいっぱいの光へ向かって歌っているのに、不思議と遠さはなかった。
遠い席でも、ちゃんと手が振られている。
モニターに映る笑顔も、客席の波みたいな手拍子も、全部が三人を押していた。
そうしてコンサートは後半へ入った。
最後のMCで、ブランシュがマイクを持った。
さっきまでの明るい空気の中に、少しだけ静けさが混ざる。
「今日は、もうひとつお伝えしたいことがあります」
会場が自然と静かになった。
「私事になりますが、私はもうすぐ結婚します」
客席がざわめき、それからあたたかい拍手が広がった。
ブランシュはやわらかく頭を下げた。
続いて、ショコラが口を開く。
「私はこれから、大学の勉強にしっかり向き合っていこうと思っています」
ノアールは、二人の横顔を見た。
ショコラはまっすぐ前を見ていた。
「芸能界を完全に離れるわけではありません。でも、こうして三人そろってアイドルとしてみなさんの前に立つのは、今日が最後になります」
今度は、拍手の音に寂しさが混ざった。
ブランシュが客席へ向かって微笑む。
「だから今日は、この景色をちゃんと覚えて帰りたいです」
その言葉のあと、ノアールにマイクが渡された。
ノアールは姉たちを見た。
ショコラ。
ブランシュ。
小さい頃から、ずっと前を歩いていた二人。
「……私も、言いたいことがあります」
会場がまた静かになる。
「ブランシュお姉ちゃんも、ショコラお姉ちゃんも、ずっと私を支えてくれてありがとう」
それだけ言うつもりだったのに、胸の奥が少し熱くなった。
「苦しい時も、戻ってこられる場所を残してくれてたから、私はまたここに立てました」
ノアールは二人へ向き直る。
「本当に、ありがとう」
ブランシュが笑って、ショコラもやさしくうなずいた。
あたたかい拍手が、会場いっぱいに広がっていく。
三人は並んで、最後の挨拶のために一歩前へ出た。
その時だった。
照明が少し変わる。
ざわめきが広がる中、司会の声が会場に響いた。
「ここで、キャットスターのみなさんにサプライズがあります」
三人が顔を上げる。
ショコラもブランシュも、ノアールも、思わず舞台袖の方を見た。
司会が続ける。
「本日は特別ゲストとして、先日解散コンサートを終えられたルミソラのルミエールさん、ソレイユさんが、花束を持って駆けつけてくださいました」
次の瞬間、会場が大きく揺れた。
舞台袖から現れた二人の手には、大きな花束があった。
ソレイユはやわらかく笑いながら歩いてくる。
ルミエールはその隣で、静かに花束を抱えていた。
客席から、歓迎の拍手と歓声が上がる。
ショコラが驚いたように二人を見た。
「……来てくださったの?」
ソレイユが笑った。
「本当は前座でご一緒する予定だったんですけど、それが難しくなってしまって」
花束を抱えたまま、客席を見渡す。
「今日は、事務所の方がこんな素敵な形を用意してくださいました」
ルミエールも小さくうなずいた。
「最後にこうしてお渡しできて、よかったです」
二人は三姉妹の前に立ち、それぞれ花束を差し出した。
ソレイユが言う。
「キャットスターのみなさん。長い間、本当にお疲れさまでした」
ルミエールも続ける。
「三人で積み重ねてきた時間に、心から拍手を送りたいです」
花束を受け取ったブランシュが、静かに頭を下げた。
「ありがとうございます」
ショコラも花束を抱えながら言う。
「こうして来ていただけただけでも嬉しいのに、そんなふうに言っていただけて、本当にありがたいです」
ブランシュがマイクを持ち直した。
「私からも、お礼を言わせてください」
会場がまた静かになる。
「ノアールが元気をなくしていた頃、私とショコラだけでは支えきれない時がありました」
ノアールは、その言葉を黙って聞いていた。
「ルミエールさん、ソレイユさん。二人がいてくださって、本当に助かりました。ありがとうございました」
ブランシュが頭を下げる。
長くはない言葉だった。
でも、それで十分だった。
次に、ソレイユがショコラを見た。
「私も、ショコラさんにお礼を言いたいです」
ショコラが顔を上げる。
「妊娠してしまって、どうしたらいいのか分からなかった時、ショコラさんが相談に乗ってくださいました。あの時、本当に救われました」
ショコラはすぐには言葉を返さなかった。
その代わり、やさしく笑った。
続いて、ルミエールがブランシュを見る。
「私からも、ひとつだけ」
その声はいつも通り落ち着いていた。
「ルミソラの三人が喧嘩みたいになってしまった時、ブランシュさんが励ましてくださいました。あの時、本当に救われました」
ブランシュが静かにルミエールを見る。
ルミエールは小さく頭を下げた。
「ありがとうございます」
関係者席の方へ目を向けると、海斗と凛が拍手をしていた。
レンも、まっすぐステージを見ている。
社長は静かに見守っていて、その隣でアンナが小さくつぶやいた。
「こないだはルミソラが解散して、今度はキャットスターまで一区切りなんてね。……なんだか張り合いがなくなるわ」
それが皮肉なのか、本音なのかは分からなかった。
でも、いつもより少しだけやわらかい声だった。
拍手が落ち着いたところで、ショコラが客席へ向き直る。
「そして最後に、今日ここに来てくださったみなさん、本当にありがとうございます」
会場がまた静かになる。
「小さい頃から見ていてくださった方も、今日初めて来てくださった方も、こうしてここにいてくださることが、本当に嬉しいです」
ショコラの声は、しっかりとしていた。
「見ていてくださったこと。応援してくださったこと。私たちは忘れません」
隣でブランシュがうなずく。
ノアールも、花束を抱いたまま客席を見た。
「本当に、ありがとうございました」
五人で頭を下げる。
会場いっぱいに、大きな拍手が広がった。
そのまま照明が落ちる。
ステージを去ろうとした、その時だった。
客席のあちこちから、声が上がる。
アンコール。
アンコール。
アンコール。
最初はばらばらだった声が、次第にひとつになっていく。
舞台袖で、五人は顔を見合わせた。
ショコラが少し笑う。
「……せっかくですし、最後は五人でやりましょうか」
ソレイユが嬉しそうにうなずいた。
「うん」
ルミエールも静かに言った。
「いい夜になりそうですね」
もう一度、照明がつく。
会場の熱が一気に上がった。
明るい前奏が流れ、自然に手拍子がそろっていく。
ショコラが歌い出し、ブランシュが続く。
ノアールが真ん中で声を重ね、ルミエールが音を支え、ソレイユも笑顔のままその輪に加わった。
五人の声が重なった瞬間、会場の空気がぱっとひらく。
重たいものばかりじゃない。
終わるだけでもない。
ここまで一緒にいた時間がある。
それだけで、ちゃんとあたたかい。
ノアールは歌いながら思った。
姉たちの声。
ルミエールの音。
ソレイユの笑顔。
客席の光。
この夜も、きっと忘れない。
曲が終わる。
歓声と拍手が、何度も何度も押し寄せた。
今度こそ、本当に終わりだった。
終演後、楽屋へ戻ると、社長が待っていた。
三人を見渡し、それからルミエールとソレイユにも目を向ける。
「今日で一区切りですね。長い間、ご苦労さまでした」
それだけだった。
けれど、その一言で十分だった。
ショコラが小さく頭を下げ、ブランシュも続く。
ノアールも、胸の奥が少し熱くなるのを感じながら頭を下げた。
楽屋の空気は静かだった。
けれど、重くはなかった。
少しだけ疲れていて、少しだけ寂しくて、でもどこかやわらかい。
そんな終わり方だった。
廊下へ出た時、ノアールは足を止めた。
少し先に、見覚えのある人影が立っていた。
レンだった。
その手には、花束があった。
淡い色の花が、やわらかく揺れている。
「お疲れさま」
いつもより少しだけ静かな声だった。
ノアールは目を瞬かせた。
「……来てたんだ」
「来るに決まってるだろ」
そう言って、レンは花束を差し出した。
「今日のノアール、ちゃんと見てた」
ノアールは花束を受け取る。
腕の中に、またひとつ重みが増えた。
でも、それは苦しい重さじゃなかった。
「ありがとう」
そう言うと、レンは少しだけ笑った。
「よく頑張ったな」
ノアールは返事の代わりに、花束を抱きしめた。
今日という夜が終わっていく。
でも、なくなるわけじゃない。
拍手の音も。
歌った時間も。
もらった花束の重さも。
胸の中に、ちゃんと残っていた。
読んでいただき、ありがとうございます。
ルミソラの最後の夜のあとに描きたかったのは、キャットスターの大きなステージと、そのあとに残る花束のぬくもりでした。
終わるものはあっても、消えてしまうものばかりではない。
そんな回になっていたら嬉しいです。




