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祝炎の英雄  作者:
第七章 祝炎の英雄 後編
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唐紅を背負う一族 五

 一人の赤髪を携えた男が落下の勢いに任せて黒龍の鱗に剣を突き立てた。

 その勢いは凄まじく、それまで黒龍が九芺へと向かっていた殺意は消え悲鳴にも似た声を上げる。じたばたと暴れて身体をくねらせる度、宮へと尾や銅が当たって、ぼろぼろと脆くなった部分から崩れていく。

 その黒龍の背の上で、今度は赤龍が鬼気迫る形相で黒龍を上から押しつぶす形で押さえ付けていた。


「浪壽!出来る限り、殺すなよ!!」


 荒げた声を発したのは、飛唱だった。丁度頭の付け根辺りに突き立てたことで、彩華の悲鳴がより近い。苦しみが嫌でも伝わり、手に籠る力が抜けてしまいそうだった。


「出来れば俺も避けたいがっ、」


 浪壽は苦しげな声を混ぜつつ、飛唱へと声を張り上げる。押さえつける為には、爪を食い込ませる必要があった。生温かい血が手を伝い不快感を促す。胴がうねり、暴れるたびに背の上から放り出されないようにと必死で押さえ込んだ。


「手早く済ませなければ、皇軍が此処へと来るぞ!」


 浪壽は元は皇軍将の従卒だった。暴れ龍の措置など、知り尽くしている。被害が広まると判断された瞬間、粛清はあっという間に執行される。それだけ、本能を晒した龍は危険視されていると言う事でもある。が、それを今、口走る事は出来なかった。


「彩華!」


 朱家当主後継である飛唱の表情が、何よりも仲間を憂いて助けようと必死だった。そして、もう一つ。浪壽にとって現在の主人である男が、鎮痛な表情で浪壽と黎へと頼み込んだのもある。


『……俺は、行けないから』


 弱音にも等しい口ぶりで、寂しげに姉にも等しい人だから、と語った。ならば、浪壽がするべき事は一つだった。


 方法は一つ。

 正気を取り戻せるまで痛みを与えるか、待つか。それだけだ。

 そう、時間さえあれば。二人は彩華の精神力であれば自我を取り戻せると踏んでいた。

 だが、その算段は脆くも崩れる。


「そこで何をしている」


 突如、降り注いだもう一つの声。二人を同時に焦心へと追いやるには、十分だった。


 飛唱は態と存在に気づかないふりでもしているのか、先に振り向いたのは浪壽だった。見知った顔どころの問題ではない。本来であれば、直様頭を下げねばならない相手だ。

 

 禁軍の将の一人である、姜趙雲。


 ――最悪だ……


 此処は外宮。業魔の気配に、龍の咆哮。更には暴れていれば、とんでもない騒音が外宮敷地内で鳴り響いていた事だろう。特に、将軍職である皇孫の二名の内どちらかが姿を現すのは時間の問題だった。


「……朱家の者か?」


 訝しんだ顔は提灯で仄かに辺りを照らして様子を伺っている。壊れた第八皇孫の宮に、業魔の死骸、そして暴れる龍と牽制する龍人族。

 これだけ要素があれば、何を聞かずとも凡その出来事は推察出来るだろう。

 残るは龍の対処だけ、という事も。

 しかし、もう一つ気がかりもあった……というよりも、趙雲の目線は龍ではなく、最早原型留めぬ業魔の残骸に向けられていた。


「……これは」


 業魔の亡骸から個人を特定する事は不可能に近い。それこそ、運良く遺品でも紛れ込んでいない限りは。しかし、趙雲は業魔を見て何かを確信した様に声を漏らした。


「……小岳(しょうがく)……良楽(りょうがく)……」


 気迫が揺らぎそうなほどに消沈した声音を響かせて趙雲は膝を突く。


「趙雲殿下!そこは危のう御座います、どうか退去を!!」


 暴れ龍の上で浪壽は振り落とされぬ様になりながら、失意の底にいる趙雲へと呼びかけた。しかし、其の目線は声の方へと向くことはなく、さらへ上へと上がっていく。

 そう、頭上で漂う金龍へと。


()()の仕業か?」


 さも当然と言わんばかりで趙雲はぞわりとする程の恨みを乗せた声音で言葉を頭上へと吐き捨てた。


「何を仰るのですか、祝融殿下は未だ昏睡のままです!」


 浪壽がどれだけ声を荒げたところで、趙雲の耳には届いていなかった。

 もう、腹を決めている。其の決意の表れに、あっさりと立ち上がると趙雲は手にしていた提灯を投げ捨て剣を抜いていた。

 其の視線の先は、黒龍だ。


()()も痛みを知るべきだと思わんか」


 同意を求める声は、浪壽か、飛唱か、それとも――


「殿下!!」


 浪壽の静止の声など聞こえていない。足並みをゆっくりと剣をかざして黒龍へと近づく。次第に趙雲の其の気配が虚になり始めた。


「朱飛唱、朱浪壽、そこを退け」


 ずぶずぶと趙雲が黒く染まり、更には足下にあった業魔の死骸が趙雲へと飲み込まれていく。

 ジタバタと暴れる黒龍の瞳孔が再び鋭くなった。

 黒龍の闘争心か、はたまた祝融への忠誠心か。痛みなど忘れ、鎮まりかけていた精神が再び烈火の如く煮えたぎる。


「彩華!!」


 もう次に暴れ出せば、飛唱も自らの命を賭けねばならなかった。趙雲を止めるが為、彩華を人へ戻さんが為、飛唱は剣を突き立てたまま、龍の姿へと転じようとした。


 ――だが、二人の目には思いもよらない光景が映った。

 黒く染まり切った趙雲の首が一閃の剣撃により吹き飛んだ。

 落ちた頭はゴロゴロと転がり、肉体と共に沈黙する。ゆっくりと倒れゆく趙雲の巨躯――その背後から姿を現したのは、姜道托だった。


 剣から血を振り払い鞘に収めながらも、目線は今し方斬首した首にあった。何かを悟った様に淡々と従兄弟である男が死んだ事を見据え、ボソリと「根源は我が一族か……」と一人言ちる。


 あまりにも突然で、二人は彩華を抑えながらも呆然としていた。祝融を誰よりも嫌悪していたであろう男が、現状で祝融の側である者達に手を貸すという状況を飲み込めず、二人は何と声をかけて良いかを迷っていた。

 すると、きりりと将軍の顔へと戻った道托が今度は彩華に目を見やった。


 何とかして浪壽や飛唱から逃げ出そうと未だに暴れる龍。飛唱は道托の考えが読めず思わず身構えていた……が。


「……楊彩華を()()()()()()()()()()()()()()は俺が処分する。今、邸の周りは兵士で囲まれている。これ以上事が大きくなる前に鎮めてもらう。良いな。それと、何が起こったかは槐皇妃より聴取するつもりだが、お前達にも状況を話してもらう事になるだろう」


 と、つらつらと建前を述べると道托は背を向けた。


「俺が此処にいると楊彩華は暴れ続ける……かもしれんな。終わったら教えろ、俺は門の外にいる」


 ちらりと天を見やると、疲れたとでも述べそうな程に薄弱とした背中が立ち去った。


 残された二人は時間が出来た事に嬉々として喜ぶ余裕は無かった。趙雲によって再び荒だった黒龍をどう捻じ伏せれば良いのか。

 飛唱は馴染みながらに必死になを呼んだ。しかし、気性は治らず、ただただ暴れる。


「彩華、落ち着け!!」


 このまま、人に戻れぬのだろうか。飛唱にひっそりと諦めにも近い感情が湧き出ていた。


 ――また、仲間が死ぬ。しかも今度は、自らの手で殺さなければならないかもしれない

 

 飛唱は肌が粟立つ感覚と共に、再び目に気概が籠る。

 道托に殺されるならば、自分が――そんな考えすら一瞬浮かんだ。まだだ、と奮い立たせ飛唱は剣で更に深く肉を抉る。


「彩華!!」


 此処に、雲景が居れば。あいつの声なら――と、飛唱に今は亡き男の顔が浮かんでいた。



 ◆◇◆


 ――殺さなければ……


 暗闇の中、彩華は一人、膝を抱えて虚な目で呟いた。


 ――殺さなければ、殺さなければ、殺さなければ……


 同じ言葉を何度も繰り返して、それ以上に己が後悔しない為に必死だった。

 業魔の気配が消えても、其の言葉は浮かび続けた。

 何度も何度も繰り返して、陰の気があると、より強く其の言葉を吐き出した。


 もう、後悔はしたくない。

 もう、大切な誰かが死んだと告げられるのも、見るのも嫌だ。


 彩華は言葉を吐き続けるたびに、人の姿を忘れていった。

 少しづつ、少しづつ、真っ暗闇で、彩華の身体は人から龍へと変わっていく。肌は鱗が、手には爪が、目はより鋭く。


 愛しい誰かの姿すら浮かばなくなっても、彩華は呟き続けた。

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