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アレンティーナの体が高熱を出したことで、花の意識も朦朧としていた。
暗いところを彷徨っているようだ。
遠くに泣いている少女が見える。今ならわかる。あれはアレンティーナだ。
「どうしたの?」
花は近づいて声をかけた。
顔を上げたアレンティーナは、鋭い目で花を睨んだ。
「どうして? どうして私からエルバート様を奪おうとするの? エルバート様は私のすべてなのに!」
花は驚いた。
「だって、ほかの女の子に入れあげて、あなたを蔑ろにするような人なのよ。まだ若いのだから、あなただけを大事にしてくれる人を今から探したほうがいいわよ」
「いやよ! エルバート様でなくては嫌! エルバート様は優しい人なの。だから誰のことも無下にできないだけよ。たとえ、エルバート様の気持ちが私になくても、ほかの人を好きになるなんてできない!」
アレンティーナは、ひざに顔をうずめてしくしくと泣き出した。
花は途方に暮れた。
アレンティーナの思いは思春期の淡い思い出くらいのものだと思っていたのだ。
記憶があるからと言って、全ての感情を共有できていたわけではなかった。
あれ? 私、またやっちゃった?
おせっかいが過ぎたのだろうか。花は落ち込んだ。
その時、どこからか声がした。
「ティーナ! ティーナ!」
泣いていたアレンティーナがぱっと顔を上げる。
「エルバート様だわ! エル様、エル様」
「あ!」
花が止める暇もなかった。
アレンティーナが声のするほうに駆けていく。
ふっと意識が上昇した。
「ーー! ティーナ! 気が付いたのか」
そこには、心配そうにこちらを覗き込むエルバートがいた。
「エル様?」
「そうだ。エルだ。ーーよかった」
エルバートはティーナの手を握り締めると、それを自らの額につけ、涙を流した。
ーーあれ?
花は意外だった。
エルバート殿下はこんなにアレンティーナを心配するんだ。
「ティーナ。今回の話で目が覚めたよ。私が愛しているのはティーナだけだよ。これからは行動を慎むから、どうか婚約解消は考え直してくれ」
え? そうなの?
驚く花をよそに、アレンティーナが歓喜に震えているのを感じる。
花は悟った。私、また余計なおせっかいしちゃったんだ。
落ち込む花を押しのけて、アレンティーナの意識が強くなる。
「エル様、嬉しゅうございます。私も婚約解消はしたくございません」
「そうか!」
嬉しそうに、アレンティーナとエルバートが抱き合う。
そっか。二人は本当は両想いだったんだね。
ごめんね。お節介して。花は、自分の意識がアレンティーナから離れていくのを感じた。
また世界が真っ白な光に包まれる直前、驚いた顔のアレンティーナがこちらを見たような気がした。
目を覚ますと、真っ白な天井が見えた。
体中が痛い。
「いたた」
声を出したつもりだったが、声が出なかった。
機械音がして、人が入ってきた。
「間宮さん、わかりますか」
覗き込んでいるのは、看護師のようだ。
「ここは?」
相変わらず、声は出ず吐息だったが、言わんとすることは伝わったようだ。
「病院ですよ。車に轢かれて、ここに運ばれたんです。一週間意識が戻らなかったんですよ。ご家族に連絡しますね」
そっか。私、戻ってきたんだ。
目を落とすと左足に大きなギプスが巻かれ吊られているのが見えた。
家族は、花の意識が戻ったのを泣いて喜んでくれた。
次の日から、さっそくリハビリが始まった。足に負担をかけないようにだが、まったく動かない状態が一週間続いていたため、動けるところから少しずつ始めたほうがいいらしい。幸い、頭部や内臓には損傷はなく、なぜこんなに長い間意識が戻らないのか医師も首をかしげていたらしい。
「はあ、なかなか辛いなーリハビリ」
夜、そう言ってベッドに横になった花は、あっという間に眠りについた。
ーーあれ?ここは?
気が付くと、花は見覚えのある場所にいた。
アレンティーナが通っていた学園の馬車止めだ。
正確に言うと、馬車止め近くの草むらに隠れるように立っていた。
目を落とすと、病院衣のままだ。足もはだしだし、なんと今回は花のまま来てしまったらしい。
え? それは困る! 私、明らかに東洋人だし、そもそもこの世界に東洋人いるのかな?
花が焦っていると、馬車止めに一人の人物が現れた。
エルバートだ。
時を同じくして、見覚えのある馬車が到着する。
あれは公爵家の馬車だ。降りてきたのはもちろん、アレンティーナとフィンだ。
アレンティーナを見ると、エルバートはとろけるような笑みを見せた。
「ティーナ。元気になってくれてうれしいよ。これからは毎日お迎えに来るからね」
アレンティーナは恥ずかしそうにしながらも、嬉しそうに笑っている。
ーーあらあら、王子様。花がアレンティーナだったころの記憶だとこんなに甲斐甲斐しくなかったのに、どういう心境の変化かしら?
花が、草むらから興味津々に見つめていると、ふっとアレンティーナと目が合った。
あーー。
そう思った瞬間、目が覚めた。
入院している病院のベッドだった。
その日から、眠りにつくとアレンティーナのところにいる夢を何度も見た。
ある日は、エルバートが、リリア嬢と向き合っていた。
「リリア嬢。申し訳ないが、これ以上友人付き合いを続けることはできない。私はリリア嬢は友人の一人にすぎないと思っているが、周りの声はそうではない。そういう風に見えてしまう付き合いは、たとえ真実でないとしても王太子の立場上避けるものだと思っている」
「エルバート様!そんなーー。私は、エルバート様のこと、ずっとーー」
「すまないが、私が愛する者はアレンティーナただ一人なんだ」
そう言うと、エルバートは足早に立ち去った。
花は、木の陰でガッツポーズをした。
「よく言った!」
次の日、花のギプスが取れた。
どうやら、花の過ごす時間よりも、アレンティーナたちの過ごす時間のほうが早く過ぎるようだ。
花のリハビリが進むにつれて、夢に見るアレンティーナたちの様子も進んでいった。
エルバートとフィンが学院を卒業し、本格的に政務に就くのと同時にエルバートとアレンティーナの結婚準備も進めることになった。
どうやらエルバートとアレンティーナの熱意が伝わって、婚約解消は無しになったようだった。
エルバートは、婚約解消騒動に相当懲りたようで、アレンティーナに甘々な婚約者になった。アレンティーナもエルバートに思うところがある時には直接意見を言うようになったのでおかしな誤解がなくなった。
フィンはそんな二人を見て、
「まあ、雨降って地固まる、かな」
と言って笑っている。
花はそんな様子を夢に見て励まされ、リハビリに励んだ。
明日はいよいよ退院という日の夜、花はまた夢を見た。
見たことない部屋だなと思ったら、どうやら花嫁の控室のようだった。
なぜ分かったかと言うと花嫁姿のアレンティーナが目の前にいたからだ。
これまでは木陰からこっそりと覗くようなシチュエーションが多かったので花は驚いたが、もっと驚いたのは、目の前のアレンティーナが目を見開いて花を凝視していたことだ。
部屋にはどうやらアレンティーナだけのようだ。
二人はしばらく黙って見つめ合っていた。
突然、アレンティーナが涙を流し始めた。
花は焦った。ーー化粧が落ちちゃう!結婚式なのに。
焦る花をよそに、アレンティーナは花に抱き着いた。
花は驚いた。
なんとなく、夢を見ている間の自分はこちらの世界では幻のような存在で、人には見えもしなければ、触れもしないのではないかと思っていたのだ。なんて言ったって、病院のパジャマ姿だし。
花に抱きついたアレンティーナはうっうっと嗚咽を漏らしている。
「また会えた」
「……覚えてるの?」
「当たり前じゃない」
アレンティーナはいっそう強く花を抱きしめた。
花は居た堪れない気持ちになった。
「あの、ごめんね。勝手に婚約をやめようとして。あの後大変だったでしょう」
恐る恐る謝る花にふふっと笑ってアレンティーナは首を横に振った。
「謝らないで。私の方こそ、あの時は怒ってごめんなさい。あのことがあったから、エルと分かり合って今日の日を迎えられたのよ。ずっとお礼が言いたかったの!」
花は目頭が熱くなった。
よかった。余計なお節介じゃなかった。
花は抱きつくアレンティーナの首に顔を埋めて、小さな声でありがとうと言った。
退院の日は快晴だった。
リハビリのおかげで後遺症もなく、花は自分の足でしっかり歩いて退院した。
退院の時、看護師さん達から、よく夜中にトイレに行くのね。見回りに行くとふっといない時があって焦ったわ、と言われた。
花は夜中にトイレに行ったことはない。
だけど笑って
「ええ。トイレが近くて。ご心配おかけしました」
と答えた。
家に帰ってからは、あの夢を見ることはなかった。
だけどきっと幸せに暮らしてるよね。
花は、時々空を見上げて彼らを想った。
何だか思いついて勢いで書いてしまいました。
長めのお話も半分以上はできたので早めに投稿できるよう頑張ります。
お読みいただきありがとうございました。