第33話:これからも、道具じゃなく
組織の残党は、駆けつけた応援部隊によって、一人残らず拘束された。ナイト・アイの活動拠点も次々と摘発され、事件は、ようやく本当の意味での終わりを迎えた。黒木が語っていた「組織の悲願」の全貌も、少しずつ明らかになりつつあるという。培養槽で保護された人々のケアも、専門チームによって慎重に進められていた。
事後処理に追われる慌ただしい日々を経て、ある夕方、私は柊先輩に呼び出された。ASTRA本部の屋上、夕焼けに染まる街並みが一望できる場所だった。風が、頬を優しく撫でていく。
「瀬尾くん。まず、伝えなければならないことがある」
柊先輩は、いつになく緊張した面持ちで切り出した。
「君の昇格が、正式に決定した。もう、見習いじゃない。今日から、正規エージェントだ」
「――え」
思わず、声が詰まる。長かった見習い期間、積み重ねてきた不安と焦り。それがようやく、報われた瞬間だった。
「ありがとう、ございます……! 本当に、ありがとうございます!」
涙腺が緩むのを堪えられないまま、深く頭を下げる。柊先輩は、優しく微笑んだ。
「それと、もう一つ」
柊先輩は、少し言葉を選ぶように、間を置いた。手にしていた、あの見慣れた手帳を、そっとポケットにしまい込む。今日はもう、あの手帳に頼る必要はない、というように。
「これまで、僕は君を『多角的な天才』だと信じることで、目の前の現象を説明しようとしていた。でも、それは、間違いだった。君は、天才なんかじゃない。ドジで、危なっかしくて、いつも自分に自信が持てない、ただの女の子だ」
厳しい言葉に、一瞬だけ、胸が締め付けられる。だが、柊先輩は、まっすぐにこちらを見つめながら、続けた。
「それでも――いや、だからこそ、僕は、君のことが、大切だ。保護者としてでも、上司としてでもなく、一人の人間として。ずっと、そう思っていたのに、認めるのが怖かった」
夕焼けの光の中で、柊先輩の瞳が、静かに揺れていた。いつも冷静沈着だったその表情に、今は隠しようのない緊張と、確かな熱が滲んでいる。
「瀬尾くん。これからも、僕の隣にいてくれないか」
胸がいっぱいで、言葉が出てこない。ただ、こくりと頷くことしかできなかった。
◆
その様子を、少し離れた物陰から見ていた美咲先輩が、静かに歩み寄ってくる。わざとらしく足音を立てながら、それでいて、ずっと様子を窺っていたことは明らかだった。
「……蒼、あんたにしては、随分と回りくどい告白だったわね」
初めて呼ばれた、その名前。柊先輩が、驚いたように目を見開く。
「美咲……今、なんて」
「聞こえなかった? もう一度言わせないで」
そっぽを向きながらも、その頬はほんのり赤らんでいた。長年、頑なに苗字で呼び続けてきた距離感が、今、初めて崩れた瞬間だった。美咲先輩は、私の方に向き直ると、真正面から見据えてくる。
「瀬尾茜。あなたのこと、仲間としてなら、認めてあげる」
きっぱりとした声だった。だが、続く一言には、隠しきれない対抗心が滲んでいた。
「――でも、勘違いしないでよね。恋のライバルとしては、まだ何も譲ったつもりはないから」
「え……美咲先輩、それって……」
「聞こえなかった? 二回も言わせないで」
つんと澄ました顔で、それでも頬がほんのり赤い。負けを認めたわけではない、まっすぐな宣戦布告だった。
「あなたのこと、妹に重ねて見てた時期もあったけど……それだけじゃ、説明つかないくらい、目が離せないのよね、あなたって」
ぽつりと零された一言に、胸が熱くなる。ぶっきらぼうな言葉の中に、確かな温かさと、それだけでは片付けられない複雑な感情が、同時に滲んでいた。
「美咲先輩……ありがとうございます」
「礼はいらないって、前も言ったでしょ。それより、この勝負、まだ終わってないから」
そう言って、美咲先輩は、挑むような、それでいて屈託のない笑顔を見せてくれた。
◆
数日後の放課後、私は結衣の家を訪れていた。閉ざされた館での記憶――結衣を助けたあの夜のことを、ぽつぽつと話す。すべてを話せるわけではなかったけれど、大切な部分だけは、ちゃんと伝えたかった。
「……そっか。やっぱり、あんただったんだ」
結衣は、静かに頷くと、手首から星形のキーホルダーを外し、そっと差し出してきた。
「これ、あの夜、あんたがくれたの。『これがあれば、独りじゃないよ』って。子供心に、すごく嬉しかったのを覚えてる」
「私が、それを……?」
「うん。私はずっと覚えてたのに、あんたはすっかり忘れちゃっててさ。何度も、それとなく聞いてみたんだけど、全然思い出さないから」
結衣は、少し拗ねたように笑った。だが、その笑顔の奥には、長年抱えてきた寂しさが、確かに滲んでいた。
「やっと思い出したんだね」
「ごめんね、こんなに長く……」
「いいよ。思い出してくれただけで、十分」
結衣は、キーホルダーを、もう一度私の手に握らせてくれた。
「これ、返す。今度は、あんたが持ってて」
温かい金属の感触に、あの夜の記憶が、優しく胸に染み渡っていく。物心ついた時から、ずっとそばにいてくれた親友。その繋がりの意味を、今、初めて正しく理解できた気がした。
◆
その夜、自室のベッドに横になりながら、私は静かに目を閉じた。
――みんな、聞こえてる?
問いかけると、七つの気配が、それぞれのやり方で応えてくれる気がした。
(――今度こそ、ちゃんと守れたな)
低く、優しい声。権藤さんだ。
(データは十分すぎるほど取れたわ。あなたなら、もう大丈夫でしょう)
淡々とした、それでいて温かい声。辰巳さんだ。
(あの夜、解けなかった謎を、あなたが代わりに解いてくれた。ありがとう)
静かな、感謝の声。鈴香さんだ。
(あなたという作品は、これからも、素晴らしい輝きを放ち続けるでしょう)
うっとりとした、楓さんの声。
(わたくしの演技より、あなた自身の物語の方が、ずっと素敵ですわ)
優雅な、エリカさんの声。
(君は、もう、誰かに救われるだけの存在じゃない。誰かを救える人間だ)
穏やかな、早乙女さんの声。
(また何かあったら、いつでも呼んでくれよな!)
明るい、ジョーさんの声。
七つの声が、静かに重なり合いながら、遠ざかっていく。まるで、長い旅の終わりを告げるように。それぞれの未練を、それぞれのやり方で、少しだけ手放せたのかもしれない。そう思うと、胸の奥が温かくなった。
「ありがとう、みんな。これからも、よろしくね」
小さく呟いて、私は瞼を閉じた。
翌朝、桃香に事件のことは話せなかったけれど、「最近、雰囲気変わったね」と言われた。「なんか、吹っ切れた感じ」と。
「そう、かな」
「うん。前より、ちゃんと自分の意見言うようになったし。それに、前よりずっと、いい顔してる」
桃香は、いつもの調子で笑いながら、それでも、どこか優しい目でこちらを見ていた。曖昧に笑って誤魔化しながらも、確かにそうかもしれない、と思う自分がいた。
道具じゃなく、人間として。誰かに証明するためじゃなく、自分自身のために。
これから先も、ドジな私のままで、大切な人たちの隣を歩いていく。柊先輩の隣で、美咲先輩と肩を並べて、結衣や桃香と笑い合いながら。そして、七人の幽霊さんたちに、時々力を借りながら。
そう心に決めて、私は、いつも通りの騒がしい朝を、迎えることにした。
――憑依体質エージェント、瀬尾茜の事件簿、完。
これにて完結です!
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