第0話:プロローグ
雨の匂いがした。
古い木材と、埃と、それから何か、もっと奇妙な――甘く、冷たい匂い。
幼い私は、暗い廊下にひとり座り込んでいた。足元は冷たく、遠くでミシリと家が軋む音がする。怖くて、声も出せなかった。
――誰か……誰か……
心の中で呼びかけたその時、周りの空気がふわりと変わった。
だんだん、だんだんと、たくさんの気配が、私を取り囲む。怖いはずなのに、なぜだろう、少しも怖くなかった。
(大丈夫)
(もう、独りにはさせない)
(あなたの願い、私たちが預かった)
いくつもの声が、重なり合いながら、優しく囁いた気がした。誰の顔も見えない。でも、その温かさだけは、はっきりと覚えている。
やがて瞼が重くなり、私の意識はそこで途切れた。
――目が覚めたとき、あの夜のことは、まるで見た夢のように輪郭がぼやけていた。誰の声だったのか、そこがどこだったのかも、うまく思い出せない。ただ、それからの私は、前よりも少しだけ、いろんなことをはっきりと覚えていられるようになっていた。
あとがき
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