第五話 蒼穹の雷人
充の避雷針所属から一週間後。充は入社当日に与えられた社員寮の自室で朝を迎えた。
充は寝起きの身体を起こしてリモコンに手を伸ばす。そして目を擦りながらテレビの電源を入れた。
『本日の東京は一日中晴れです。久々の洗濯日和でしょう。午前から夜まで厳しい暑さが続くので、お出かけの際は熱中症対策を万全に──』
八月初旬の空模様は不安定で、この数日間は雨天続きだった。幸いにも都内で雷人発生はなく、充は訓練や、綾芽に避雷針の施設内を案内してもらうなどして過ごしていた。
カーテンを開くと外には晴れ渡った青空が広がっていた。彼方に浮かぶ入道雲に、それを横切る飛行機雲。麗しい真夏の陽気だ。
ブー、ブー
すると突然、スマートフォンの着信音が鳴った。画面には『霧崎綾芽』と表示されいる。
「もしもし……? どしたの眼帯さ──」
『少年、社長から指令だ。雷人が発生した。私達で討伐に向かうぞ』
「……っ!」
充は慌ててクローゼットを開け放した。そして目の前に吊るされていた味噌汁Tシャツには目もくれず、先日新調したワイシャツとスラックスに手を伸ばす。
「えっと、ワイシャツとズボンと……あとネクタイか!」
寝巻きを乱雑に脱ぎ捨て、大急ぎで袖を通した。そして一瞬、姿見に映る自身の正装姿に目をやる。
「メガネに薦められた店のスーツ、結構しっくりくるな」
充は最後にブレスレットを右手首に装着し、両頬をパシッと叩いて気合いを注入した。
「よっしゃ、行くぞ!」
充はテレビの電源も落とさず自室を飛び出した。
寮の玄関前には黒いワゴン車が駐車しており、その隣で綾芽が待ち構えていた。
「こっちだ少年」
綾芽は運転席、充は助手席に飛び乗った。
「ごめん、待たせた!」
「遅いぞ武海」
充を批判した声の主は綾芽ではなく、後部座席に座っていた斬也だった。その隣には唯我。最後列には紗里凪と紫雨も乗車していた。
「お前らも一緒なのか?」
「今回はこの六人で任務に当たる」
「新人揃って初任務か」
「ああ。飛ばすからしっかり捕まっていろ」
綾芽はアクセルペダルを踏み込み、車は全速力で走り出した。
「……って、眼帯さんシートベルト!」
「あっ、忘れていた。少年、締めてくれ」
「あんたよく免許取れたな!」
「霧崎さんに運転任せて大丈夫かしら?」
「この車速いよ……怖い……」
すると唯我が窓を鏡代わりに前髪を弄りながら口を開いた。
「……それにしても妙だね。こんな良い天気の日に雷人だなんて」
「ああ。今日は日の出前からずっと晴れだったはずだ。なのに雷人が発生するのは不自然だな」
唯我の隣で斬也が答えた。
車窓から臨むのは澄み渡った青空。積乱雲は空の端に鎮座しており、直近に降雨があったとは思い難い天候である。
「落雷どころか雨も降ってないのに雷人……。確かにおかしいわね」
「実は今回のような事案──通称『蒼穹の雷人事件』は以前から報告が上がっているんだ」
「どうして晴れの日に……しかも立て続けに雷人が現れるのでしょうか……」
紗里凪は腕を組みながら紫雨と共に首を傾げる。
「うーん、その雷人は雷人化から数日経って発見されたからかしら?」
「いや。これまでの蒼穹の雷人事件にはとある共通点があってその説は破綻した」
「共通点?」
「そう。その共通点とは、発生場所が全て東京近辺の市街地ということだ」
「あっちもこっちも人だらけなのに……発見が遅れるのは変ですね……」
「──あの日と同じだ」
充の一言で会話が止まる。
「俺が雷人に襲われた日も雨なんて降らなかった。なのに母さんは雷人になって俺の前に現れた……。俺の家は東京都内……。条件が全部揃ってんだ……!」
充は膝の上で強く拳を握りしめる。
「そう。少年の母が雷人化したのも、蒼穹の雷人事件の内の一つだ」
綾芽のハンドルを握る両手には力が入っていた。
充の母の死を初めて聞いた新人達。四人はクーラーから吹きつける風がやけに強く寒く感じた。
「だったら尚更放っておけねぇ。必ず原因を突き止めてやる……!」
五人は沈黙を噛み締めて頷いた。
車が現場に近づくにつれて、道を出歩く人々が減っていく。やがては人っ子一人の姿も見えなくなった。
「さあ、現場に着いたぞ」
一同は降車して辺りを見渡す。
「ここが通報があった現場だ」
一同が訪れたのは廃業した工場の跡。コンクリート壁の至る所がひび割れており、長年放置されていることが覗える。六人の他に人の姿は無く、辺りは異様な静けさに包まれていた。
綾芽は半開きになっていた大きな金属製の扉に近づき、取っ手に指を掛ける。
「今から目標の雷人と要救助者一名を捜索する。雷人がどこかに身を潜めているかもしれないから油断するなよ」
そして金属が擦れる音と共に扉が開かれた。廃工場の中は昼間にも関わらず薄暗く、外に比べ気温も低かった。
綾芽が先導して一同は足を踏み入れた。錆びたトタン屋根の隙間から差す、僅かな光を頼りに歩みを進める。
「暗いし寒い……気味が悪いよ……」
「大丈夫、紫雨は私が守るわ」
最後尾で身震いする紫雨の肩を紗里凪が優しく叩く。
「こんな湿気まみれの場所にいると髪が乱れてしまうね」
「雷伐師のくせにそんなこと気にするな。どうしても気になるなら一人でさっさと討伐してみろ。お前は天才なんだろ?」
「んんー、わかっていないね神薙くん。協調性も兼ね備えてこそ真の天才と呼べるのさ!」
「あーそうですか」
前髪を弄りながらキザな決めポーズで語る唯我。一方で斬也は相変わらず唯我に目を合わせようとしない。
「んんー、つれないねぇ」
出入口が見えなくなった頃。どこからか微かに物音がした。
「止まれ、警戒しろ」
綾芽が制止した後も、音は段々と大きさを増す。すると充が前方を指さした。
「おい、誰が来るぞ!」
前方から足音を立てて何者かがやってきた。人間か雷人か。穴の空いた天井から射し込む光がその姿を照らし出す。
「はぁっ、はぁっ……やっと誰か来てくれた……!」
暗がりから走って来たのは一人の若い女だった。女は綾芽の前までやってくると、疲弊した様子で膝から崩れた。
「お願いっ、雷伐師さんっ……とっ友達!」
女は息を絶え絶えに綾芽に訴えかける。
「君が通報者か?」
「うんっ、そう……。あっちで……と、友達がっ、雷人にされて……!」
「雷人にされた……?」
女の言葉の違和感に充は首を傾げた。
「ゆっくりでいい、何があったか話してくれ」
「さっき、そこでフードを被った人が──」
その時、前方の暗がりで光が瞬いた。
「危な──」
次の瞬間、肉が焼け焦げる匂いが充の鼻を刺した。一筋の雷撃が女の背中を焼いたのだ。女の全身が激しく痙攣し、声にならない悲鳴が充の耳を刺す。
雷撃が止むと、女は力無くしてその場で倒れた。身体が床に叩きつけられる音は、充の想像を遥かに大きく廃工場内で反響した。
「おいっ、あんた……大丈夫か!?」
充は地面に屈み、女を抱えて呼びかけた。すると充の腕に人肌とは思えない異常は高温が伝わった。
「まただ……。また一人、雷人のせいで人が死んじまった。助けられなかった……」
女は既に息をしていなかった。充の腕から力が抜ける。
あまりの衝撃に言葉を失う紗里凪と紫雨。斬也と唯我も、かける言葉が見当たらず口を紡いでいた。
充は腕の中で微動だにしない女を見下ろして歯を食いしばる。
「少年、早く立つんだ。すぐ近くに討伐対象が居る。悔やんでる暇など無い」
「なんだよそれ……。俺達はこの人の死を悼むことさえ許されねぇのかよ!」
充は声を荒上げて綾芽を睨んだ。しかし綾芽は表情一つ変えず答える。
「私も最初は、何の罪も無い人に降りかかる理不尽を受け入れられなかった。だがいつの間にか慣れてしまった。そうしないと耐えられない……。雷伐師とはそういうものなんだ」
綾芽は胸に手を当て、ネクタイをギュッと握り、言葉にならない感情を噛み締める。
充の眼の色は、批判から決意へと変わっていた。充は女を抱えてゆっくりと立ち上がる。
「慣れってのは怖ぇな。こんなに人を狂わせしちまうなんてよ。でも俺は絶対に目ぇ逸らしたりしねぇ。じゃねぇと、死んじまった人の無念が晴れねぇからな。眼帯さんも、本当はそうしたいんだろ」
「……そうかもな」
綾芽はいつも通りの無表情。だがその鉄仮面の奥には、確かに煮え滾る感情があった。
「乙駒、風那。この人を安全な場所まで運んでやってくれ。俺達は雷人を片付ける」
充は遺体を紗里凪に渡した。
「わかったわ、この人は任せて。この人を医療班に渡したら私達も戻って加勢する。行こう紫雨!」
「は、はい……!」
紗里凪と紫雨は共に出入口を目指して駆け出した。
残った四人は来たる雷人に備え、一斉に戦闘態勢へ移行する。
『雷装展開』
綾芽は刀、唯我はレイピアの雷装をそれぞれ同時に展開。斬也はガントレットを右腕に装着。そして充は両拳を強く握った。
「ヴァアアアアアアアアアアア」
「来るぞ、散開しろ」
身体の芯を震わす雄叫び。次の瞬間、暗がりから雷人が飛び出した。
雷人は高く跳躍し爪を立てる。そして先頭に立っていた綾芽に狙いを定めた。
「──来い」
鞘から刀身が鞘露わになる。爪と刃が衝突し、火花を散らす。綾芽は伸し掛かる重さを力任せに振り払い、雷人を床に叩きつけた。
床を転がる雷人。しかしすぐに再起し、充に牙を剥いた。
「そっちに行ったぞ少年!」
「おうよ!」
真正面から迫る雷人が、充の視界を埋め尽くす。だが充は一歩たりとも退かない。両足を踏み込み、重心を落とす。身体中を雷が踊り、やがて拳を充たす。その瞬間、閃光が駆け抜ける。
『雷乗撃!』
振り上げられる拳。その軌跡で雷が爆ぜ、アッパーカットが雷人の下顎を砕いた。
「ヴアァアアアッ」
仰け反る雷人。そこへ隙かさず斬也がガントレットを向ける。軽く眼鏡に触れ、雷人を視界に捉える。
これが本物の雷人……想像以上に悍ましい。でも怯むな。俺はもう雷伐師だ……!
放たれた雷が一直線に雷人へと伸び、その身体に絡みつく。そして縄状の雷が雷人の自由を奪った。
「今だ鳴志!」
「ありがとう神薙くん!」
身の毛がよだつ雄叫びすら、斬也の叫びがか掻き消した。拘束を千切ろうと藻掻く雷人。その懐に唯我が飛び込む。そしてレイピアが雷人の胸に突き立てられる。
「どうか安らかにお眠りください」
「アリ……ガ、トウ……」
剣先が心臓を穿ったその刹那、雷人の身体を這っていた稲妻が消えた。
「今、『ありがとう』って……」
雷人の最期の言葉が、充の胸を締めつけた。
「討伐完了。いい連携だったね、神薙くんっ。まあ、僕が居なければ雷人を鎮圧できてなかったけどね!」
唯我は袖で額の汗を拭いながら斬也に拳を突き出した。斬也とは正反対の、自信に満ち溢れた笑顔だ。
相変わらずうざったいナルシストだな……。
そんな中、斬也は自身の口角がほんの僅かに上がっていることに気づいた。すると拳が自然と唯我にグータッチを返していた。
「ああ、やったな」
「んんー、神薙くんもそんな顔するんだね」
「悪いか?」
「いいや、とても素敵だよっ」
充と綾芽も雷人の亡骸を横目に肩の力を抜いた。雷人を無力化し、無事に一件落着。そう思われた。
次の瞬間、斬也が目を見開いた。
「──鳴志後ろ!」
唯我は目にした。斬也の眼鏡のレンズに映る、背後から迫る何者かの影を。
その手には大振りの鎌。それは確実に命を刈り取らんとする形をしていた。何者かが唯我の喉笛目がけて凶器を振りかざす。
初勝利の余韻に浸るのはまだ早い──。




