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第一話 雷に選ばれた少年

 天気はいつも変わりやすい。風が吹き荒れ始めたと思えば、あっという間に黒い雲がたちこめ、やがて豪雨が降り注ぐ。時には雷鳴が空を響かせ、落雷が人々を襲う。

 ──そして雷に打たれた者もまた、人々を襲う。


 七月某日。少年は夕方の西日が降りそそぐ居間でテレビを見ながら、右手に持ったうちわを扇いで暑さを凌いでいた。

 少年の名は武海充たけみみつる。高校一年生だ。

 充はテーブルの上に山のように積み上げられた夏休みの宿題を前にして頭を悩ませていた。


「数学の問題集、英作文のプリント、漢字五百文字練習、社会のレポート、読書感想文、それに尊敬する人について書く作文……どれから手をつけたらいいのかわかんねぇな……」


 充は毎年八月三十一日は徹夜を強いられていた。


「今年こそは絶対に早く片付けてやる!」


 そう決意した反面、課題を目前にペンを取れずにいた。


「尊敬する人ねぇ」


 充は原稿用紙を手に取る。そして戸棚の上に飾られている数枚の写真に目をやった。

 その中の一枚には当時まだ赤子だった充と、充を笑顔で抱きかかえている母親。そして二人を優しい眼差しで見守る父親が写っている。


「父さんはどんな人だったのかな」


 充は母親の未来みことの二人暮らしだ。

 父親は充が物心つく前に行方不明になっている。そして現在に至るまで彼の安否や所在は不明。そのため充に父親の記憶は殆どない。そんな充を養うため未来は女手一つで働きながら家事もこなしている。

 自身の生い立ちを改めて振り返った後、充はペンを手に取った。


「母さんのことを書くとするか」


 充はテレビの音声を聞き流しながら作文を書き始めた。

 ニュース番組が流れ始めた頃。充がふと時計に目を向けると、針が五時を指していた。


「そろそろ帰ってくる時間だな」

『夕方から夜にかけて都内の一部地域で雷を伴う豪雨が予想されます。雷人らいとが発生する恐れもあるため、対象地域で外出中の方は速やかに屋内に避難を──』

「この辺りも降るみたいだな」


 充はスマートフォンを手に取り、未来にメールを送信した。


『この後雨降るみたいだけど、傘持っていった?』

『大丈夫。ちゃんとあるよ』


 未来からの返信はすぐだった。安心した充は最後に一言返信した。


『雷も鳴るみたいだから気をつけて』


 十五分後。窓の外に目をやると、空の端から分厚い雨雲が見えた。しかしまだ未来は帰らない。


「もうそろそろ帰ってく──」


 その時だった。突然、全身を芯まで震わせるような轟音が鳴り響いた。


「雷が落ちたのか? でも雨雲はまだ……」


 音の正体を確認するために充は足早に玄関へと向かった。そしてその変わり果てた光景に思わず固唾を呑んだ。


「なんだよ、これ……」


 足下には拉げた鉄屑。先程まで扉だった物だ。更に規則正しく並べられていた靴や、割れた姿見の破片などがそこらじゅうに散乱していて、足の踏み場もない。


「車が突っ込んできたのか……? それともこんな町中にクマかイノシシでも出たのか?」


 突然の出来事に充は首を傾げた。

 そして、ふと扉があった方向を見た。そして目の当たりにした。

 そこには、焼け焦げた全身に青白い稲妻を帯びた人型の怪物が立っていた。


「雷人……!?」


 人間が雷に打たれ、怪物に変貌した存在。それが雷人だ。雷人化した人間は死ぬまで人を襲い続ける獣と化す。

 日本の教育機関では雷人が及ぼす災害について学校で必修事項として定められている。充も学校で何度も雷人について教えられていた。しかし至近距離で目にする雷人は、写真や映像とは恐怖の重さがまるで違った。


「な、何でここに雷人が……」


 ガタガタと震える手足。額から頬へと這う大量の冷や汗。心臓の鼓動が耳の奥でやけにうるさく聞こえる。

 これまで感じたことのない恐怖が充を支配した。

 雷人に遭遇した場合、その場からの避難と警察への通報が鉄則だ。しかし今の充にそんな行動とるを程の余裕などなかった。

 声一つ出せず立ち尽くす充。

 すると雷人が右腕を前に伸ばした。その瞬間、真っ白な閃光が充の視界を埋め尽くす。


「だああああ!」


 雷人の掌から一筋の雷撃が放たれた。充は両腕で顔を覆い隠す。


「……あれ?」


 充の身体は無傷だった。恐る恐る足下を見ると、自身の横すれすれの床が抉られていた。

 雷撃は到達する直前で下方へ逸れ、間一髪充への直撃を免れていた。


「なんか分かんねぇけど助かった……って早く逃げねぇと!」


 充は隙を見て家の中へと駆け込んだ。一秒でも早く、少しでも距離をとるため一心不乱に家の奥へ奥へと走る。


「なんとかやり過ごさねぇと……!」

 

 充は一番最初に目に入った居間の棚の陰に身を潜めた。

 そして雷人も充を追って居間に侵入してきた。

 充は息を殺して背中を丸める。

 

 頼む、どっか行ってくれ……!


 そんな希望も虚しく、雷人はやすやすと充の居場所を探し当てた。


「なんでわかったんだ、この家の間取り知ってんのかよ!?」


 充は居間に置かれていた物をありったけ投げつける。飾られた花瓶や本、リモコンに電話機。目につくもの全てを、力任せにぶつけた

 それでも雷人には通用しない。


「くっそ……あっちいけよ!」

 

 どう足掻いても歯が立たず、充の焦燥は加速する。

 気づけば居間の散らかり具合は、日常から到底かけ離れたものと化していた。

 とうとう充は床に転がっていた物を踏んづけ、転倒してしまった。急いで立ち上がろうとしたが、腰が抜けて動けない。

 そうしている間にも雷人は威圧感を放ちながら充に迫る。


「嫌だ……あっちいけ、や、やめてくれ……」


 なす術を失くした充は、もう人語の通じない化け物に命乞いすることしかできなかった。

 すると雷人は充の頭を片手で鷲掴みにした。そして軽々と持ち上げ、身体が宙に浮く。

 充は足をばたつかせたり、身を捻ったり、雷人の右腕を叩いたりして抵抗する。しかしその全てが無意味だった。


「離せ……! 離せよ!」


 充は必死に藻掻く。

 だが次の瞬間、五臓六腑をずたずたにされるような激痛が走った。


「うあああああああああああああ!!」


 雷人は容赦なく電気を流した。充は喉が焼き切れそうな程の叫び声をあげた。

 脳天からつま先に至るまで、全身を地獄の業火で焼かれているかのような灼熱が充を襲う。


「誰か、助け……母、さん……」


 充の声は小さく掠れ、やがて指一本動かなくなった。すると雷人の雷撃は静かに止んだ。

 充は微動だにしない。すると突然、雷人は頭を抱えて唸り始めた。


「ヴァアアア……ヴアァアアアアアア……」


 暫くの間、咽び泣くように雷人は唸り続けた。そして数分が経過した後、雷人は充を丁寧に床に寝かせた。

 静寂に包まれた部屋で、充は倒れたままピクリとも動かなかった。雷人に変貌することもなく、死亡したかと思われた。

 やがて雷人はその場を立ち去ろうとした。

 ──その時だった。


「……待てよ」


 静まりかえった空間に低い声が響いた。それは数分前までは悲痛な悲鳴を上げていた声だ。

 動揺した雷人が背後を振り返る。


「俺はまだ……死んでねぇぞ……」


 雷人の目線の先には二本の脚で立ち上がった充の姿があった。服はボロボロで、煤まみれにだった。足取りがおぼつかず、ふらふらと左右に揺れている。

 だが感覚は極限まで研ぎ澄まされていた。

 電撃を浴びた者に突きつけられる運命は二つに一つ。死か雷人化か。

 しかしその中で、ごく一部のみ雷人化を免れ、雷に適応する例外が存在する。

 そしてこの瞬間、充は確信していた。──自身がほんの一握りの《《例外》》であることを。


「……もうすぐ母さんが帰ってくる。だから母さんを危ない目に遭わせねぇように、お前をここで止める!」


 充の意思に応えるように、全身を雷が駆け巡る。

 初めての感覚だったが、力の使い方が手に取るように理解った。

 充は拳を強く握り締める。バチバチと音を立て、蒼白い稲妻が迸る。全身を伝って電気が右拳になだれ込む。

 ──そして拳に雷は充たされた。


「ぶっ飛べ!」


 その瞬間、目にも留まらぬ速度のパンチが繰り出された。音さえ置き去りにした拳が、稲妻を纏って雷人の腹部に到達する。

 その刹那──雷人は窓ガラスと家の塀を砕いて道路まで吹き飛ばされた。


「ヴァアアアアアアアアアアアアアアア」


 雷人は地面に叩きつけられ深刻なダメージを負った。雷人は粉々に割れたアスファルトの上をふらふらと揺れながら立ち上がる。


「これで終わりだ」


 雷人が気づいた時、充の手は既に左胸に触れていた。そして反応する間もなく、凝縮された雷撃が雷人の左半身を焼き払った。


「ヴァアアアアアアアアアアアアアア……」


 雷人はドサッと音を立てて膝から崩れ落ちた。


「母さん。俺、やったよ。もう大丈夫だ」


 充は空を仰いで呟いた。

 すると突然、雷人が残された右腕で充を抱き寄せた。


「っ!?」


 一瞬、何をされたのか分からず困惑した。しかし、どことなく感じられた懐かしさが、自身が抱擁されていることを理解させた。


「……つ……る」


 雷人は途切れそうな声で何かを口にした。その声を最後に、充の肩から雷人の腕が解かれた。

 雷人はそのまま地面に横たわった。


「今、俺のことを……? そんなわけないか……」


 雷人の肉体から漏れ出ていた電気が治まった。それから雷人が再び動くことはなかった。

 安堵した途端、充は全身の力が抜けていく。そしてそのまま道路の真ん中に大の字で倒れた。

 茜色に染まった空の下、充は一息ついた。


「天気予報、はずれたみたいだな」


 すると、どこからかアスファルトを蹴る音がした。仰向けのまま首を動かすと、何者かが向かって来るのが見えた。


「誰だ……?」


 走ってきたのは、上下黒色のスーツを着た若い女だった。細身で、身長は充より少し高いくらい。髪型はミディアムショート。そして右目には黒い眼帯を着けていた。


「音がしたのはここで間違いないな」


 眼帯の女は充の前で立ち止まった。冷たくなった雷人を目にすると、屈んでじっくりと観察し始めた。

 そして横で倒れていた充に問いかけた。


「少年、これは君がやったのか?」


 眼帯の女は雷人の死体を指をさしながら言った。


「え? あっ、はい」

「随分派手に雷を使ったようだな」


 突然声をかけられ驚いた充は、仰向けのまま、ぎこちなく返事をした。


「私は民間警備会社避雷針の霧崎綾芽きりさきあやめだ。君はどこの所属だ? それにバディはどうした?」

「所属? バディ?」


 聞き慣れない言葉の連続に、戸惑い無言になる。

 しかし綾芽は沈黙を気にせず、ジト目の無表情で充の眼を見つめていた。

 初対面とは思えない近距離の視線に、充は思わず赤面した。

 

「……ん? もしかして君は一般人か?」


 綾芽は首を傾げた。

 充は黙って首を縦に振った。


「そうか。でも、この雷人を無力化したのは君なんだろう?」

「そうっすけど……」

「なるほど。少し待っていてくれ」


 綾芽はスマートフォンを取り出し、電話をかけ始めた。


「もしもし社長、こちら霧崎。たった今、現場で討伐済みの雷人と少年を一人発見した。恐らく覚醒した適合者かと。そう、精密検査のためベットの手配を。ええ、じゃあよろしく」


 綾芽は表情ひとつ変えずに電話を切った。そしてスマートフォンをしまう。

 すると綾芽は充に手を差し伸べた。


「私と一緒に来てくれ」

「へ?」


 充はわけも分からず変な声が出た。


「いや……行くってどこに?」

「それはあとで説明する」

「は……?」


 綾芽の突拍子もない発言は充を混乱させた。


 よく分かんねぇけど、この怪しいヘンテコ眼帯女を追っ払わねぇと……。


 不審者同然の綾芽から逃げるべく、充は身体を起こして思考を巡らせた。

 すると突然、充の視界がぼやけた。それと同時に音が遠ざかる。


「あれ……なんか意識……がっ」


 次の瞬間、世界が横転し真っ暗となった。

 綾芽は焦ることなく、充を両腕で受け止めた。


「どうやら雷を乱暴に使ったようだな」


 そのまま綾芽は充を背負い、宵闇の下を軽快に駆け出した。


「案ずるな少年。これから君が行くのは、その力の使い方を学ぶ場所だ──。」

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