1 ルリア3歳、公爵家の末っ子は思い出す
3歳で前世の記憶を思い出したルリアは、
ふわふわパンツと好奇心を連れて、ちょっと不思議な異世界を歩き始める。
大きなケーキが見えた。
兄も姉も笑っている。
――でも、母は私を見ていなかった。
触れたかっただけなのに。
「ダメよ、汚れるでしょう」と鋭い声が落ちて、
私はころんと床に転がった。
「お母様、ルリアったら、寝巻のままだわ」
姉の嫌そうな声が聞こえた。
「連れていってちょうだい」
冷たい声だけが落ちてくる。
侍女に抱きかかえられ、ケーキの甘い香りは遠ざかった。胸の奥がぽつりと痛む。
昨日の夜、侍女のスーザンが。嬉しそうに言っていた。「明日はお嬢様のお誕生日ですね」その言葉に何かいいことがあるような気がしていた。
(お誕生日?じゃなかったのかな……)
まだ、お誕生日が何かなんてわからなかったけれど、楽しそうな気がしたのは、違ったんだ。
その気持ちが“悲しい”という名前だとは、まだ知らない。
外に出ると庭の木の影がひんやりしていた。侍女の手を避けて、とことこ歩き、木の下に座る。
(ここ、すき……)
空を見ているうちに、だんだん頭がぽかぽかして、視界が揺れた。
その日から、高い熱が続いた。
夢と現実の境目が溶けていくようだった。
うなされながら見た夢は、長くて、でもはっきりしていた。
私は日本という国に暮らしていた。
歳は曖昧だけど、「もう30過ぎたな」という実感だけはやけに鮮明。
妹中心の家に嫌気がさして、家を出た。
農家の敷地の小さなアパートで、一人暮らし。
……友達は、たぶんいなかった。
読むのは恋愛ノベルばかり。
ハッピーエンドが好きだった。
でも最近思う。
溺愛とストーカーって、紙一重だなって。
ふぅ~っ、と息をつき目を覚ました。
頭がぼんやりとやけに重い。
伸びをして、目を開けると、飛び込んできたのは――フリフリのかぼちゃパンツ。
(えっ……さっき見ていたのは夢?)
声も小さく、手も短い。身体も軽い。
夢……なの?
状況を掴めず首を傾げていると、部屋にふわりと光が差し込んだ。
幾重にも重なったレースのカーテン、小花の壁紙。
アールデコ調の家具が柔らかく輝いている。
壁の鏡に映ったのは、桃色のくるくる髪をした3歳くらいの女の子。
淡いアメジスト色の瞳が、驚きでぱちぱち瞬いている。
――ルリア? いや、これ、私!?
えぇぇ……?
混乱していると、扉が開いた。
「お嬢様! 良かった! 目が覚めたんですね!」
駆け寄った侍女は涙ぐみながら手を取る。
「今、旦那様と奥様をお呼びしてきます!」
そのまま走り去り、足音が遠ざかる。
部屋には静けさが戻ったが、頭の中はざわざわしたままだ。
――お嬢様? 旦那様? 奥様?
さっきまで30代だったはずなのに。
時代劇みたいな言葉が飛んでくる。
やがて重厚な扉が再び開き、気品ある男女と黒いカバンの紳士が入ってきた。
黒いカバンの紳士はベッド脇に腰を下ろし、優しい声で尋ねる。
「お嬢様、ご気分はいかがですかな?」
頷くと、そっと脈を測られた。
懐中時計を見た医師が顔を上げると、金髪にエメラルドの瞳の女性――母が安堵の息をつく。
「お熱も下がりましたし、もう大丈夫でしょう。峠は越えました」
「やれやれ、無事なら我々を呼ぶな」
その声は氷のように冷たかった。
灰銀色の髪に、冷えたスレートグレーの瞳をした父が、私を見下ろす。
その視線には、私という存在がその辺の置物と変わらず写っているようだった。
胸の奥が凍り付く。
(この感覚……知ってる。夢じゃない!?)
「以後、些事であればいちいち私を呼ぶな。妻にも声をかけるな」
父は冷たく言い捨て、母の後を追って出ていった。
残された侍女たちは、ようやく息をついた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
振り向くと、侍女が水を差し出してくれる。
「3日も高熱で眠っておられたんですよ」
喉を通る水の冷たさが私を現実へ引き戻した。
侍女は背中にクッションを当て、そっと微笑んだ。
「ありがとう……スーザン」
自然に名前が呼べたことに驚く。
桃色の髪、異国の言葉、冷たい家族。
思い出した。夢じゃない。
私は――ルリア。
ルリア・フォン・アストリア。
公爵家の末っ子、3歳。
内容は変わっていませんが、読みやすいように調整しました。




