1 ルリア3歳、公爵家の末っ子は思い出す
☆年末スペシャル企画☆全10話完結。29日、30日連続更新で年末を駆け抜けます!
3歳で前世の記憶を思い出したルリアは、
ふわふわパンツと好奇心を連れて、ちょっと不思議な異世界を歩き始める。
朝、目を開けると、家のどこかがにぎやかだった。
母屋の方から、甘い匂いが漂ってくる。
(なにかな……?)
よく分からないけれど、うれしい匂い。ふらふらと吸い寄せられるように母屋へ向かう。
扉の隙間から覗くと、大きなケーキ。兄も姉も笑っている。
(ケーキ、さわりたい……)
近づきかけたそのとき――
「ダメよ! 触らないで、汚れるでしょう!」
母の鋭い声に肩が跳ね、足がもつれて床にころんと転がった。
痛い。でもそれより――母は、私を見ていなかった。
「連れていってちょうだい」
冷たい声だけが落ちてくる。
侍女に抱きかかえられ、ケーキの甘い匂いは遠ざかった。胸の奥がぽつりと痛む。
その気持ちが“悲しい”という名前だとは、まだ知らない。
外に出ると庭の木の影がひんやりしていた。侍女の手を避けて、とことこ歩き、木の下に座る。
(ここ、すき……)
空を見ているうちに、だんだん頭がぽかぽかして、視界が揺れた。
(へんなの……)
苦しいのかどうかも分からず、目を閉じてしまった。
――その日から、高い熱が続いた。
うなされながら見た夢は、長くて、でもはっきりしていた。
私は日本という国に暮らす30代の女性だった。
歳は曖昧だけど、「もう30過ぎたな」という実感だけはやけに鮮明。
両親の仲は冷めきっていて、年の離れた妹がひとり。家族は妹中心で、私は放っておかれた。
大学を出て、地方のスーパーに就職。
そのまま家を出て、農家の敷地にある小さなアパートに住んだ。
繁忙期には農家の手伝いもしていた。
趣味は読書、アニメ、漫画。
気晴らしは一人カラオケ。
……友達、いなかったんだよね、たぶん。
よく読んでいたのは恋愛ノベル。
ハッピーエンドが好きで、溺愛ものをよく読んでいた。
お話の中くらい、夢を見たかったから。
でも最近は思っていた――溺愛とストーカーって、紙一重だなって。
ふぅ、と息をつく。
長い夢を見ていたような感覚が残ったまま、頭だけがぼんやりと重い。
目を開けると、飛び込んできたのは――フリフリのかぼちゃパンツ。
(えっと……さっき見ていたのは夢?)
声も小さく、手も短い。身体も軽い。
そう、今日は3歳の誕生日。
あれが夢……なの?
状況を掴めず首を傾げていると、部屋にふわりと光が差し込んだ。
幾重にも重なったレースのカーテン、小花の壁紙。
アールデコ調の家具が柔らかく輝いている。
壁の鏡に映ったのは、桃色のくるくる髪をした3歳くらいの女の子。
淡いアメジスト色の瞳が、驚きでぱちぱち瞬いている。
――ルリア? いや、これ、私!?
混乱していると、扉が開いた。
「お嬢様! 良かった! 目が覚めたんですね!」
駆け寄った侍女は涙ぐみながら手を取る。
「今、旦那様と奥様をお呼びしてきます!」
そのまま走り去り、足音が遠ざかる。
部屋には静けさが戻ったが、頭の中はざわざわしたままだ。
――お嬢様? 旦那様? 奥様?
さっきまで30代だったはずなのに。
時代劇みたいな言葉が飛んでくる。
やがて重厚な扉が再び開き、気品ある男女と黒いカバンの紳士が入ってきた。
黒いカバンの紳士はベッド脇に腰を下ろし、優しい声で尋ねる。
「お嬢様、ご気分はいかがですかな?」
頷くと、そっと脈を測られた。
懐中時計を見た医師が顔を上げると、金髪にエメラルドの瞳の女性――母が安堵の息をつく。
「お熱も下がりましたし、もう大丈夫でしょう。峠は越えました」
どうやら私は高熱で寝込んでいたらしい。
「やれやれ、無事なら我々を呼ぶな」
その声は氷のように冷たかった。
灰銀色の髪に、冷えたスレートグレーの瞳をした父が、
重荷を見るように私を見下ろす。
その視線は、まるで私という存在を透かしているみたいだった。
胸の奥が凍り付く。
(この感覚……知ってる。夢じゃない!?)
怖い。でも理由は分からない。
「何かあれば私を呼べ。妻には声をかけるな」
父は冷たく言い捨て、母の後を追って出ていった。
残された侍女たちは、ようやく息をついた。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
振り向くと、侍女が水を差し出してくれる。
「3日も高熱で眠っておられたんですよ」
水を飲むと、冷たさが現実へ引き戻す。
侍女は背中にクッションを当て、そっと微笑んだ。
「ありがとう……スーザン」
自然に名前が呼べたことに驚く。
胸の奥に違和感が渦を巻く。
桃色の髪、異国の言葉、冷たい家族。
思い出した。夢じゃない。
ここは異世界――。
私はルリア3歳、公爵家の末っ子。
――ルリア・フォン・アストリア、公爵家の令嬢。
小さくつぶやいた名は、朝の光に溶けて消えた。
☆年末スペシャル企画☆
是非最後まで見守って下さいね!
今日は5話投稿します。




