09 放課後は探検
「夢でも見たんだろ」
「三人同時に?」
「……まあ、三人同時には見ないか」
次の日の朝。
当然、おれたちはあずきにその話をするところから一日を始めることにした。
ヤカンがしゅんしゅんとストーブの上で音を立てている。その周りに四人で集まっている。
一番怪訝な顔をしているのは、当然あずきだった。
「そうじゃなかったら、お前らがおれを集団で騙しにかかってるかだな」
「何のメリットがあって」
「面白がって」
それは確かに面白いだろうけど、と窓架は言った。まだ手に違和感があるのかもしれない。さっきからずっと右の手をぶらぶらと振ったり、ぐっと握り込んだり、ぱっと広げたりしながら、
「じゃあ、最悪信じなくてもいいんだけど。あずきはこういうの、何か心当たりないの?」
「漫画では見たことあるな。現実ではない」
もっともなことをあずきが言う。
「というか、窓架の手がどうこうの前に、雪の話からしておかしくないか。廊下に雪?」
立ち上がる。教室の扉を開ける。廊下を覗く。
痕跡も、何もない。
「不思議だねえ」
百羽が言ったから、
「不思議だなあ」
おれも同調しておく。あずきが戻ってくる。
「別に、床が濡れてるってわけでもないしな。見間違いじゃないにしろ、何かのトリックとかってわけじゃないのか?」
「トリックって、どんな」
窓架が訊ねれば、そうだな、とあずきは何かを思い出すように、
「推理小説とかだと、こういうのがたまにあるだろ。お前らは一階に下ってたと思ってたけど、実際のところはさらにもう一階分地下まで下っていて、そこには雪が敷かれてた。朝起きて一階に行っても、当然昨日の景色はない」
「へえ。私たちはどうやってそのトリックに引っ掛かったわけ?」
「魔法か何か」
んなわけあるか、と窓架が食って掛かる。それならその推理小説のトリックとやらで私の腕のことも説明してみろ。高速で誰かがSFXなネイルを施したんじゃないか。
「そういえば、〈塔〉に地下ってあるの?」
あずきとネタが被ったな、とそのやり取りを聞いていたら、横で百羽が言った。
「地下? どうだろな。おれは行ったことないけど」
しかし、そう言われるとありそうな気もする。
上に二十五階分もあるのに、下には全く何もないというのも不思議な話だ。すごく単純化して、棒を地面に立てるにしても表面にぴったりくっつけるよりも縦にぶっ刺したり穴を掘って埋めたりした方が、いかにも強度が高くなりそうな気がする。
「探検してみようよ」
と、百羽が言った。
あずきと窓架の不毛な言い合いが終わる。二人ともこっちを見ている。
「こういうの、みんなでやってみたことなくない? 放課後、〈塔〉の中を調べてみようよ」
百羽は、幸せたっぷりみたいな顔でにこにこ笑って言った。
当然おれは、こういう顔で頼まれたら断れない。無言で賛同する。あずきも昨日の話で一人だけ置いてけぼりなのが効いていたのかもしれない。すぐに頷く。
窓架も。
百羽の表情に、毒気とか緊張とか、そういうのを抜かれたらしい。
「……うん」
そうしよっか、と。
ちょっと笑って言った。
∞
「志杖さん、職員室に来てください」
が、おれだけは放課後、すぐに全員そろって探検活動とはいかなかった。
「え、おれすか」
自分で自分を指差すと、担任が頷く。なんだよもう、とホームルーム終わりに立ち上がる。「退学か?」とあずき。「退学?」と百羽。「退学してもお元気で」と窓架。全く以て生意気な奴らばかりだった。退学だの何だのがあったとしてもどうせおれは〈塔〉に住んでるだろうから何も変わらないと高をくくっている。実際、本当に何かしら離れるような場面が来たら、それなりに寂しくなるくせに。
職員室に行くと、まさにそんな話をされた。
「央都の推薦、志杖さんはどうですか」
どうですかと言われても、そもそも何のことなのかわからない。
適当に話を合わせていたら、どうやらどこかのホームルームで説明していたのを、全く覚えていないだけらしかった。
年に一人、この学校から央都への進学枠が用意されている。それを使ってみないかと持ち掛けられていたらしい。四人のうちでおれが選ばれた理由は単純で、おれが一番成績が良いから。高校の勉強なんて、教科書に載ってることをそのままテストに書き写してればいいようなものだから、大した差じゃないだろうけど。
「いや、いいです」
おれは、すっぱりそれを断った。
というか、それどころじゃなかった。都会に出ていって何を学べるんだか知らないが、少なくともそれは、同級生と冒険の旅に出かけることより重要ってわけじゃない。
担任も案外おれの性格を踏まえて、断られることを見越していたのかもしれない。食い下がることなく、「そうですか」とだけ言われて話は終わり。おれは職員室を出て、教室に戻る。全員カバンは置きっぱなしだ。どこかしら近くにいることだろうと、おれはそのまま廊下を歩いていく。
ふと思い出して、その途中でコンビニに寄った。
何も買わないのもあれだから、ついでにホットケースからココアを手に取る。あちち、と手の中で転がしながらレジへ。
店番の婆さんは、今日も今日とて眠っている。
「すんません」
話しかけてみるが、相変わらずうんともすんとも言わない。そして前期だか後期だかわからないが、高齢者の肩を揺すってまで眠りを妨げるのも忍びない。というか、この婆さんは揺すってすら起きない。
訊きたいことはあったが、何も訊けないまま、セルフレジでの会計を終える。
このコンビニはおれたちが悪ガキではないという前提に基づいて経営が成り立っている気がする。大丈夫なのだろうか。
「お、」
そのココアを飲みながら歩いていたら、あずきに出くわした。
「用事は終わったのか」
「まーな。飛び級で卒業してみないかって言われたわ。優秀すぎるから」
「そうか……。卒業後も元気でな」
「ちゃんと断ってきてやったよ。あずきが寂しがるからって」
実際何だったんだ、という問いにさらっと答えれば、ああ、とあずきは頷いた。そういえば、そんな話もあったな。意外にホームルームの内容をちゃんと覚えていたらしい。
それはともかく、
「今何の時間?」
「エレベーターを探してる」
「なんで?」
「見たことがないから」
言われて、おれは記憶を探った。
確かに、
「……二十五階建てなのに?」
窓架が気付いた、とあずきは教えてくれた。
おれ以外の三人で集まっての探索計画会議は、まず「探索ってどこを?」という議題から始まった。そして、ぼやぼやした話が続いているうちに、窓架が言った。
「そもそも私たち、一階から四階までの間しか普段使ってなくない?」
実際そのとおりで、一階は学校とコンビニ、二階は図書館、三階は一応役所関係の諸々が入っているはずで、四階からが居住区。
全員四階に住んでいる。
だから、五階から上には滅多に上らない。
というか、上ったことがない。
「変だよな?」
黙って考え込んでいたら、その考えをあずきが丸めてくれた。
だけどおれは、そのこと自体は変ではないと思う。アパート暮らしとかマンション暮らしとか、そういう人間だったら自分の住んでいる階以外に立ち入ったことがないっていうのは、多分普通のことだろう。だって、行く理由がない。階段を上っている途中でもない限り、そんな場所に足を踏み入れることもない。
普通、こういうタワーマンションではエレベーターを使うわけだし。
ただ、そのエレベーターが使われているところを見たことがないっていうのは、かなり変だ。
おれたちみたいに、一階から四階程度を移動しているならともかく。
二十五階建ての建物の、上の方から誰が降りてくるところも見たことがないなんて――どころか、その場所を知らないなんて、
「絶対おかしい!」
一階のどこかから、声が響いてきた。
おれはあずきと一緒にそっちに向かう。知っている声だから、当然その声の主がそこにいる。窓架だ。
「あんじゃん、エレベーター」
どうやら、おれたちが喋っている間に百羽と二人でそれを見つけたらしかった。共同エントランスの向こう、ラウンジルームから自動販売機に行く通路を右に折れた先にあった。混雑緩和のためか、何と六基も置いてある。
その中の一基に、百羽と窓架は乗り込んでいる。
百羽は不思議そうに中を見回して、窓架はいかにも難しい顔で、パネルがあるだろうあたりを睨みつけている。
「ありえない」
と、窓架は言った。
「何が」
気になって、おれもあずきと一緒になってエレベーターに乗り込む。「狭い」と苦言を呈される。それどころではない、ありえないものが目に入る。
パネルがない。
一旦外に出てみた。『▲』の呼び出しボタンはあるけれど、『▼』はない。地下には繋がっていないのか、それとも単に地下がないだけなのかはわからないが、とにかく何かしらのボタンはある。
翻って、内側には階数を指定するボタンは一つもない。
二、三歩下がって、全体を見てみた。
「……鉄の箱?」
「だな。これじゃ」
「おかしいでしょ」
窓架は、眉を寄せて言った。
「今まで気付かなかったけど、私たちが住んでるところって何か変じゃない? 作りかけなの?」
「リモコンで動かすとかは?」
意外にも、最後まで何らかの可能性を提示するのは百羽だった。リモコン、と窓架が訊き返すのに頷いて、
「ほら、携帯と同期させてさ。同期させなくても。何だっけ、IoTとか使う感じの……」
「スマートレジデンス?」
「そう。玲ちゃんそれ」
ああ、とあずきが頷いた。
「なるほど。顔認証システムとかそういうのがあって、住んでいる階だけに行けるようになってるのかもしれないな。……不便じゃないか?」
「でも、二十五階もあるからさ。変な人が入ってきても大変だし」
「それにしてもだろう」
「っても、セキュリティの固さと利便性って両立はムズいだろ。おれらが四階住みだから使ってないだけで、ほんとにIoTで操作機能付いてるんじゃねえの」
もちろん、それらしいことをこれだけ言っても疑問は残る。
物理ボタンが一つもないというのは、階数の話だけじゃない。呼び出しボタンとか、そういうのもない。これじゃ地震だの何だのの災害があったとき、中に閉じ込められたら外部との連絡がつかない。携帯を持っているときだけ乗り込めるようになってるとか、そんな機能がついていたとしても、中で充電切れを起こしたときなんかのトラブルに弱すぎるような気がする。
しかしまあ、実際こうして目の前にあるわけだし。
と、思っていると、
「お?」
窓架が歩き出した。
残された三人で、一瞬顔を見合わせる。それからのこのこと、カルガモの親子みたいに窓架の後をついていく。
別に、どこかの穴をくぐって不思議の国へってわけじゃなかった。
窓架が向かったのは、階段だ。有無を言わせぬ足取りで、ずんずんと上っていく。二段飛ばし。足の長いあずきは、その後を難なくついていく。おれは百羽の背中を押すようにして、最後尾を歩く。そのうち、折れ曲がった先に前の二人の背中が見えなくなる。諦めて、後ろの二人はだらだら上る。
四階で再会する。
「ない」
と、満を持して窓架が言った。
「何が?」
と訊ねると、無言で上を指差す。おれは百羽と二人、それを見上げる。
天井。
ある。
「――階段がないんだ」
と、あずきが言うまで、そのことに気付きもしていなかった。
確かに、そのとおりだった。一階から二階。二階から三階。三階から四階。それぞれを結ぶ階段は、全部隣り合っていた。一本の道を歩くように、特に各フロアを移動することもなく、上ってくることができた。
それが、四階で途切れている。
その先に、何もない。
おれは歩き出した。
他の三人も、みんな同じようにしていた。自分の部屋の前に行ってみたり、もっと奥の方の通路で曲がってみたり。でも、やっぱり目当てのものは見当たらない。
四階より先に続く階段が、ない。
非常階段すらなかった。火事が起きたとき、一体どこから逃げればいいというのか。四階までに住んでいるおれたちはまだ平気だけれど、五階以降に住んでいる人間たちは、一体どういう説明をされてここに入居したのか。
階段の前で、再び四人、鉢合わせる。
「誰か、」
窓架が言った。
「五階より上――ううん。そもそも、私たち以外に誰か住んでる人、見たことある?」
しばらく、誰も答えない。
けれど多分、同時に一人の顔が頭に浮かんでいた。
だからおれが、代表して答える。
「コンビニの婆さん」
∞
婆さんがいなくなっていた。
しばらくおれたちは、様子を見ることにした。
店内をうろうろする。そのうち奥の方から出てくるんじゃないかと、期待してみる。
「すみませーん」
一番最初に痺れを切らしたのは、窓架だった。
カウンターの奥の方に向かって声を掛ける。おれは一応、何かあったときの言い訳用にポケットから財布を出しておく。おでんとかホットスナックとか、そういうのを見ながら注文するならどれにするか、と考えている。
婆さんが出てこない。
「……留守か?」
あずきが言った。すみません、と窓架より少し大きな声で呼びかける。
耳を澄ます。
出てこない。
百羽が、カウンターの向こうに突っ込んでいった。
「おい、まずいだろ」
「でも、中で倒れてるかもしれないよ」
流石にそこまでよぼよぼの婆さんではないんじゃないかと思ったが、あのめちゃくちゃに眠りまくっているのももうすぐお迎えが来るからなのだとしたら、ありえない話でもない。
「しゃーねえなあ」
一人で行かせて知らんぷり、というのもいかにも薄情だ。
おれもカウンターを越えれば、あずきと窓架も後に続く。気分は少年強盗団だ。初めて入ったコンビニの裏。扉を開くと、意外に中は深い。
いかにも「通れればいいだろ」という気持ちで建てられたような空間だった。コンクリートは打ちっぱなしで、寒暖差で壁に結露の滴が落ちている。さっきまで廊下をうろうろしているときも寒かったが、こっちはもっと、思わずぶるりと肩を震わせてしまうくらいには冷えている。
どこにいるのか、一発でわかった。
「え?」
「ここだけ水滴多いだろ」
いくつかある扉のうちの一つ。
ノックする。出てこない。何度かノックする。顔を見合せる。
「大丈夫ですかー……」
果敢にも、百羽が行った。
ノックしながら、ノブを回した。そーっと中を覗き込む。おれたちも後ろから、室内を覗き込む。上がり框のある和室だ。いかにも住み心地が良さそうで、石油ストーブの上でヤカンがしゅんしゅんと音を立て、窓から差し込む光は明るく、ふとした拍子に気の遠くなってしまうような白さで、部屋の真ん中にはこたつがある。
婆さんは、そこにとっぷりと足を入れて、目を閉じている。
「あの、」
無謀にも、百羽はもう一段踏み込んだ。
部屋の中に入っていく。恐れというものを知らないのだろうか。流石におれも躊躇した。躊躇したが、ひとりにするのも忍びない。後から続く。靴を脱いだから、すぐには逃げられない。畳で靴下を擦りながら、百羽のすぐ隣に座り込む。
「おばあさん、大丈夫ですか」
ゆさゆさと、百羽は婆さんの肩を掴んで、揺すった。
おれはもうここまで来ると恐怖を感じ始めている。そういえば、前に一度カウンターで寝てる婆さんを「おでん食べたい」と言って揺すったのも百羽だった。そのときも「大胆だなこいつ」と思ったが、居室みたいなところに上がり込んだうえでここまでできる神経がよくわからない。普段はこういう奴でもないと思う。老人の懐の深さに対して、絶大な信頼を置いているんだろうか。
瞼を開けた瞬間に叫ばれても、何の文句も言えない。
瞼が開いた。
「あ、」
婆さんが、朝顔が開花するような速度で、ゆっくりゆっくりと目を開ける。百羽がそれなりの言葉で話しかける。すみません突然入ってきちゃって。訊きたいことがあって――
ぽん、とその頭に手が置かれる。
乾いた手なのだろうと思われた。その手から、薄紙の表面に触れるような音がする。それほど大きくはない、暖かい部屋の中で、婆さんが百羽の頭を何度も、静かに、穏やかに撫でている。
「長生きするんだよ」
掠れた、しかし妙に耳に残る、不思議な響きの声だった。
百羽がなおも何かを言う。婆さんは答えない。
やがて婆さんは寝息を立て始め、もう一度は起きなかった。




