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二十五重の塔  作者: quiet
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02 雪が降る


「ね、聞いて聞いて。今日朝、卵の黄身二つだったんだけど。ちょっと得した気分」

「…………」

「キス待ちすな――え、なんで? 何の脈絡もなくない?」


 悶々とした夜を過ごして翌日、腹が立つくらいに能天気な顔をして、百羽は先に教室の席に座っていた。


 まるっきり、普通の朝に思えた。

 というかまず、あの後からして普通の夜だった。


 唐突に接吻をかまされて――いや待っていたのはおれの方だと言われればそれはそうだがそれはともかくとして――置き去りにされて、宙ぶらりんで放り出された夜。隣の百羽の部屋のインターフォンを押して「今おれからキス泥棒しなかったか?」と事実を確認すれば何か決定的な戻れなさが生まれるような気がして、そのまま大人しく部屋に戻って、カレーを食って、寝た。おれの心中に吹き荒れる嵐のことを除けば全く平穏な夜だったと言える。


「おーい? もしもーし。聞こえてる?」


 そのまま朝が来て、朝が来たら昨日の残りのカレーを食って、学校に行って、学校に行ったら百羽がいて、いつもの調子でへらへらにまにましている。あまりにもいつもどおりの、普通の朝だった。


「え、これもしかしてキス待ちとかじゃなくて立ったまま寝てる? 気絶? ――あ、あずきくん」

「おはよう。どうしたんだ、こいつ」

「なんかおかしくなっちゃってて」

「いつものことだろ」

「いつものことではあるんだけど」


 そして、クラスメイトふたりに耳元で、ものすごく失礼なことを言われている。

 開眼した。


「百羽」

「あ、起きた」

「このキス泥棒が」

「はあ!?」


 言いたいことは言ったので、それで一旦終わりにしてやることにした。


 あれが夢の中の出来事だったとも思えないが、いきなり「おまえ昨日いきなり二十代前半くらいの姿になっておれの唇を奪ったよな?」と証拠もなしに詰め寄ったところで論戦に勝利できるとは思えない。ここは一方的にレッテルを貼って逃げるのが最善手だ。実際、百羽はあずきから「とうとうしたのか」と訊ねられ、「してない!」「弁護士を呼んでください!」「ていうか『とうとう』って何!?」と狂乱状態に陥っている。いい気味だった。少しはおれの昨日の当惑を味わうといい。


 それにしても、昨日の出来事は一体何だったんだろう?

 おれは窓際の一番後ろの席。冬の、色の薄い晴れ空に雲が流れゆくのを見つめながら、あのSF的な事件について思索を巡らせ――


 SF?


「なあ、あずき。昨日テレビでやってた『みらすく』観たか?」

「なんで玲ちゃんはいきなり我関せずの顔して別の話を始めてるの?」

「アニメのやつか? なんかやってたな、夕方ごろ」

「そしてなんであずきくんもそっちの話に乗っちゃうの?」

「いや……別にその前の話にびっくり要素がないからな。『ふーん』で終わりだ」

「終わらないよ!!」


 と百羽が叫んだ瞬間、がらりと教室の戸が開き、チャイムが鳴った。

 こうなるともう、百羽も暴れ珍獣のままではいられない。大人しく席に着く。おれの前の席だ。教卓に担任が立ち、名前を呼んでいく。国南百羽。はーい……。志杖玲。うす。前の席に座っている百羽の背が丸まっている。何かを小さな紙に書きつけている。芳尋堂あずき。はい。いつ聞いてもそこはかとなく地方の銘菓みたいなフルネームで食欲が湧くなあと思っていると、百羽がそっと机の上に紙を載せてくる。開く。


『殺す』


 そのまま証拠資料として採用できそうな、直球の殺害予告だった。


『殺害する』


 追加資料も来た。


「それでは進路調査票を配ります。提出は来週の月曜日までなので、皆さん忘れないように」


 そんなことをやっている間にもホームルームは進んでいく。進路調査票を百羽がぴらぴら動かして小さな報復を試みてくるが、適当にあわあわしていたら満足したのか机の上に置いてくれた。


 すると今度は、隣の席から手紙がやってくる。


『みらすくが何だって? ←みらすくの漢字がわからん 正式名称も 芳尋堂あずき』


 そのまま証拠資料として採用できそうな堂々たる署名とともに、芳尋堂あずきくんが雑談を始めてくれた。不真面目なのか真面目なのか判断が難しい。トレードマークのスマートな眼鏡も、泣いていいんだか笑っていいんだかわからず戸惑っている。


「それから、例年のことですが卒業生の中から一名、学校推薦で央都への進学枠が用意されています。希望する人は放課後――」


『ああいうことって本当にあると思うか?』

『宗教団体がバックについて児童向けアニメを制作することが? 芳尋堂あずき』

『え、あれ宗教なのかよ』

『らしい 俺もどこで訊いたか忘れたが 芳尋堂あずき』

『それがどうかしたか 芳尋堂あずき』


 本当は、「未来から人が来るってあると思うか?」と訊こうと思っていた。

 が、宗教団体というワードをきっかけに、何だかおれも自分自身が、いきなり現実と空想の区別がつかなくなってヤバい主張を始めた奴に思えてきた。


『何でもない』

『ところでなんで今日も夏服で来てんの?』


 返答はなかった。

 ただ、その手紙を受け取ったあずきが停止する。それからギギギ、と氷で出来た人形みたいな動きでこっちを見る。


「……なんか寒いな、とは思ったんだ」


 そっか、とおれは頷いた。





 放課後、おれはふと思い立って、もう一度百羽の実家に行ってみることにした。

 昨日見かけたあの蛇。あれが、気になっていたからだ。


 一昨日とは打って変わり、そして昨日に引き続き、寒い寒い冬の景色だった。すぐに日が暮れてしまいそうで、日が暮れたら野生動物に襲われそうで、おれは少し早足になってその道を急ぐ。かつては人通りが多かっただろう、それなりに太い道を行ったつもりだ。いつのものかわからない、日に焼けて顔のなくなった選挙ポスターが、通りすがりにおれを見つめていた。


 辿り着いて、相変わらずでかい家。

 鍵を預かってきたわけでもないから、うろちょろと周りを歩くだけだ。野生動物の足跡を見つける。ここに長居するのは危険だ。というわけで、さっさとここでも早足気味で歩く。


 正直なところ、おれはここに来れば何かが起こるんじゃないかと期待していた。

 例の蛇にもう一度遭遇して、またどこか別の場所に連れていかれるとか。昨日のキス泥棒と曲がり角でぶつかるとか。突然家が光り出して変形するとか。そういうことを何となく頭の中に思い浮かべながら、ここまで歩いてきた。


 けれど、


「……何もないか」


 そんなこと、都合よく起こってくれるはずもない。


 収穫なし。

 迫り来る夜に追い立てられるようにして、おれは〈塔〉に戻った。





 結局、このまま何も起こらないで終わりなら、あんなのは夢と変わらないわけだ。

 しかしそれなら、冷蔵庫に残っているこのカレーは一体何なんだろう。


「……課題、先にやるか」


 ばたん、と扉を閉めて、一旦現実逃避に入ることにする。

 冬が来て、期末試験も近い。勉強しておいて損ということはないだろう。次の試験範囲を確認しながら、適当に問題集を解くことにする。


 何となく頭に、あの政治家のポスターが残っていた。

 だから、日本史から始めることにした。


 それしても、とペン先を動かしながら思う。果たしてこんなことを勉強する理由は、ちゃんとおれに残されているんだろうか。


 何せ、こんなに真面目に勉強しておいて、おれは今のこの国の総理大臣が誰なのかも知らない。最新の事情は、日本史の教科書にも世界史の教科書にも、何ならこの〈塔〉の図書館のどこにだって、載ってはいないのだ。


 一番新しい記述は、最後の衆参同日選挙だ。ネット投票が初めて行われたこのとき、ハッキングだか何だかで相当揉めた。当選したのはそういうデジタルハックの得意な集団で、だからその揉め事も情報戦で解決しようとした。インターネットも含めて、あらゆるメディアに壮絶な量のフェイク情報が放流された。


 その先は、誰も知らない。


 少なくともこのへんに住んでいる人間は、この国の首都――央都で今何が起こっているのか、どういう政治体制が取られているのか、誰が何をどうして共同体の行く末を決めているのか、そういうことの根幹を知ることはできなくなった。それらしい情報を耳に挟んだとしても、それが本当のことなのか、嘘のことなのかわからなくなった。


 何せ、もうニュースもやっていない。

 テレビから流れてくるのは、一体どこの団体がボランティアをしているのか、昔々の番組の再放送ばかり。インターネットなんて超古代文明みたいなものだ。携帯電話だって、せいぜい〈塔〉の中なら無線として使えるくらいのもので、遠くの人と話すだなんて夢のまた夢。


 この教科書と問題集だって、どこまで本当のことが書いてあるのかわからない。

 そう思えば、真面目に取り組んでいるのも馬鹿馬鹿しくなってきた。


 ノートを閉じる。クッションに寝転がる。考えてみれば、昨日のあんな出来事が起ころうが起こるまいが、そもそもおれたちの送る生活っていうのは曖昧で、わからないことだらけだ。今更一つ二つ、それが増えたくらいで変わらない。どうせ真実になんか辿り着けない。


 やる気、完全消失。


 問題集をしまい込んでやろうと思って、横着して、寝転がったままカバンを横倒しにする。

 そうしたら、一枚の紙が出てきた。


 進路調査票。


 ぺら、とそれを手に取る。そういや、こんなものも配られた。そのとき確か、担任はこんなことを言っていた。


 例年のことですが卒業生の中から一名、学校推薦で央都への進学枠が用意されて――


 ぽん、と携帯が鳴った。

 寝転がったままテーブルの上に手を伸ばす。二、三回失敗した末に捕獲に成功する。見る。


『外、雪』


 差出人は、隣の部屋の住人だ。

 おれは一度、大きく伸びをする。それから気合を入れて立ち上がる。ベランダに続く窓を開ける。


「さむ」

「あ、来た」


 当たり前の話だが、ベランダだって全部が繋がっているわけじゃない。普通に、間に仕切りくらいはある。


 けれどちょっと身を乗り出してみて、向こうも同じようにしているなら、お互いの顔くらいは確かめられる。


「見てほら、降ってるでしょ」

「おー。ほんとだ」

「リアクションうす」


 思ったより寒かったのが原因だった。もう一枚くらい羽織ってから出てくればよかったかもしれない。片手で手すりを掴みながら、もう片方の手で二の腕あたりを抱きながら、おれは百羽が指差す光景に目を凝らした。


 雪が降っていた。

 暗闇に滴が落ちるように、ぽつぽつと。


「積もるかな」

「百羽って雪、好きだよな」

「好きだよ。だって――」

「何かが始まる気がするから?」


 昨日聞いた『冬が好きな理由』と同じことを口にすれば、正解、と百羽は大層機嫌良さそうに言った。いつの間にかクイズ大会に参加させられていたらしいが、こういうときは冬様様、雪様様というべきか、日中のやり取りはすっかり忘れているようで何よりだった。


「ね、積もったら雪合戦しようよ。あずきくんも誘ってさ」

「いいけど、大丈夫か。二対一でボコボコだぞ」

「なんでわたしの方が『一』確定なの。別に玲ちゃんが『一』でも――ていうか一対一対一でいいでしょ、普通に」

「つかあいつ、今日冬服探してるらしいぞ。見つからなかったら明日凍死確定だな」

「あ、やっぱりそうなの? なんかこだわりあって半袖なのかと思った」

「何のこだわりだよ」

「お洒落は我慢的な。ほら、あずきくんってブレスレットみたいなのもしてるし。見せたいのかなって」

〈塔〉のベランダから見える景色は、そんな風に雪が降っていてもいつもと同じだった。


 映画で観るような百万ドルの夜景だとか、そんなものとは程遠い。街灯だってほとんどない。人の手が入らなくなった林は今や森になって、かつての住宅街を呑み込み始めている。もう数年もすれば、百羽の実家まで向かう道だって、完全に閉ざされてしまうだろう。


 とても高い、高いだけの、孤島のような場所。

 宇宙に喩えたって、そんなに遠くはないはずだ。


「玲ちゃん、意地悪しないで貸してあげればいいのに。上着。部屋にずっと置きっぱなしなんでしょ?」

「貸すって言ったんだけど、あいつが『いや絶対に見つかる』って言って聞かなかったんだよ。汚部屋のくせに」

「それほんとなの? 何回聞いても信じられないんだけど。あずきくんてあんなにきっちりしてるのに」

「だからあいつの机の中見てみろって。一発で確信できるから」

「やだよ。人の机の中勝手に見るの。あ、明日あずきくんがまだ冬服見つかってなかったら、雪合戦じゃなくてかまくら作りにしようよ。あったかくなるよ」

「かまくらの保温性に信頼置きすぎだろ」

「中に七輪持ち込んで、お餅とか焼いてさ」


 そのとき、ちょうどよく百羽の腹が鳴った。

 特に恥じらいを見せることもなく、百羽はじっとこっちを見つめてきた。


 ちょっと考える。カレーはまだ二日目。しかも冬。まだまだ全然保つ、はず。


「行くか、コンビニ」

「行く!」


 そうと決めたらお互い部屋の中に引っ込んで、財布を持って、今度はベランダじゃなくて廊下に集合だ。


 雪の日で相当テンションが上がっているらしい。おれが部屋を出た時点ですでに百羽は部屋の鍵を掛け終えていた。ちょっと待て、とおれは財布をポケットに突っ込みながら、鍵を取り出す。


「おでん、もうやってるかな」

「どうだろうな。急に冬になったし、まだ婆さんも準備できてない気がするけど」

「玲ちゃんは何食べるの? あったかいやつでしょ?」


 ちょっと考えて、


「みかんラーメン」

「出た」

「同じのにするか?」


 しないよ、と百羽は間髪入れずに言った。あれほんと意味わかんないなんであんなの好きなの。そこまで言われたら、おれもいつもの長広舌をかまさざるを得ない。食わず嫌いはやめろ百羽だってゆず胡椒ラーメンとか食べてるだろゆずもみかんも同じ柑橘系なんだから合うに決まってるそもそもラーメンっていうのはカレーとか麻婆豆腐と同じで大体どんな食材も吸収できるだけの懐の広さを持ってるんだからむしろちょっとこれって食べたことないかもくらいの珍しい食材が入ってるやつが一番面白くて美味いんだよ。


「あのみかんラーメンってアクセントとかそういうレベルじゃないじゃん。スープの色が完全にオレンジジュースで――」


 百羽の言葉が途切れたのは、別におれが鍵を締め終えたからではないと思う。

 歩き出したからでもない。昨日みたいに、廊下の電気が消えていることに気付いたからというわけでもない。


 もっと大きな、わかりやすい理由がある。



 廊下に、雪が降っていた。



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