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二十五重の塔  作者: quiet
19/24

19 むかしむかし



 言い訳をすると、おれは一晩考えるつもりだった。


 つまり、どういう風に切り出そうとか、どう話を運んでいこうとか。全体的な雰囲気とか、これからのこととか、そういうのを入念に想定しながら、爛々と光る目で部屋の天井を見つめて、じっと一晩、考えてみるつもりだった。


 が、先手を取られた。

 真夜中、ドアがノックされる。


 寝てたらどうするつもりだったんだとも思うが、多分、向こうは寝ていたら寝ていたでも構わなかったんだと思う。自分の中で気持ちに整理がついたら、後はただ、それをできるだけ早く伝えるだけ。そういう、単純なところのある奴だから。


 扉を開ける。

 あずきのつむじが見えた。


「悪かった」


 こうやって真正面から謝ることが誰にでもできたなら、多分この世に戦争とか、そういうのはほとんどなくなってたんじゃないか。


 そう感じさせるくらいの、気持ちの良い謝りっぷりだった。


 おれは息を吸う。何かを言おうとして、まとまらなくて、思わず深く吐く。あずきはぴたりと止まったまま動かない。頭を上げてくれりゃあな、とおれは思った。適当に抱き着いて、何かいい感じの雰囲気にして、なあなあで仲直りできそうなのに。


「おれも、」

 考えて、喋る羽目になった。


「悪かったよ。……覚えてなかったけど」


 とんとん、と背中を叩く。それでもあずきは頭を上げない。まあ、とおれも思う。たった一言で許されたとか、そういう気持ちになれるんだったら、こんな風におれたちも思い悩んだり、深夜に向かい合う羽目になったりはしない。おれだって逆の立場だったら、多分まだ、顔を上げられない。


 何かきっかけをくれないかな、って心の奥底では思ってしまうに違いない。

 別の友達の行動から、ヒントを得ることにした。


 腰を屈めて、まるでこれからタックルするみたいな格好になる。でも、押さない。むしろ引く。


「う、」

「だからさっさと脱いどけよ、つったろ」


 服の裾を引っ張って、腹の当たりを捲り上げてやる。


 相変わらず廊下の電気はぶっ壊れたままだった。おれも眠るつもりが眠れないって状態でベッドに横たわってたもんだから、光源なんて窓から差し込む些細な星明かりだけ。


 それでもわかるくらいには、あずきの腹のあたりは変色していた。


 おれの血を浴びて、その毒のせいで。

 服が擦れたくらいで、顔を顰めるくらいに。


 おれはその腹をべしっと叩いた。うぐ、とあずきはうめき声を上げる。いかにも「しゃーねえなあ」という声を作って、いつも通りになるように、


「治してやるから、中入れよ」


 さみーだろ、とおれは扉を大きく開けた。





 元々そういう一族の末裔なんだと、あずきは言った。


 知ってるよ、とおれは答えた。自分で言ってただろ。魔法少女がどうとかって。

 それにあずきは、首を横に振った。それはなりたいものの話で、実際にそうだったものの話じゃない。あのとき――七年経ってから〈塔〉に戻ったときは、まだ何も思い出しちゃいなかったんだ、と。


 政府の実働部隊だった、とあずきは言った。


 政府と一口に言ったって、これもまた一枚岩じゃない。『総理大臣』の中にも派閥があったりするから、たとえばUFOが襲来した夜に全てを思い出したって、どの陣営に就いて戦うことになるのか、自分ですらわからない。


 ただ刀を握って、向けろと言われた相手に向ける。

 それだけだったんだ、と。


「でも、今は違うだろ」


 おれは、こんなこともあろうかとコンビニの――正確に言うなら、コンビニの端末から発注して、〈塔〉の上階で製造されて、エレベーターで届けられた注射器を握りながら、血清を打ち込む準備をしながら、そう答えた。


 少しだけ間が空く。

 あずきが言う。


「……そうだといい、と思ってる」


 腹は綺麗に消毒した。おれはじわじわと、自分の力の使い方を思い出している。窓架が糸を使えるみたいなもので、おれにも多少の特技がある。


 おれの血は、毒にもなれば薬にもなる。

 血清を込める。注射器を指で弾いて、空気を抜く。


 あずきの顔が強張っている。


 おれは努めて明るい言い方で、


「怖えーだろ。悪化しそうで」


 いや、と答えるあずきの歯切れは悪い。何だよ、とおれは言ってみる。安心しろ、とも言ってみる。意識すれば毒性は出さないようにできるし、感染症も心配ない。何なら鍋で煮沸してるところでも見せてやろうか?


 あずきが恐る恐るというように、唇を動かす。


「注射が……」


 おれは笑った。


 ぶすっ。




「昨日の夜、すごい声出してなかった? 南国の鳥が首をねじ切られたときの断末魔みたいな」


 開口一番、朝の話題はそれだった。


 あんなことがあった次の日も、おれたちは普通に教室に来ていた。集まる場所があるってことは、おれは結構良いことだと思う。何も変わらない、いつもの空間。扉の建付けがちょっと悪くて、教壇の周りはどれだけ掃除してもチョークの粉っぽくて、歪んだロッカーはかえって頑丈そうで、窓はちょっとだけ水滴で曇っていて、その水滴を生み出しているストーブは、いつもみたいに赤く燃えている。


「私の部屋まで聞こえてきたんですけど」


 そのストーブの横にうずくまりながら、窓架が言う。じろっとこっちを見つめてくる。

 おれは、一緒に登校してきた首をねじ切られた南国の鳥くんに目を向けた。


 目を逸らされた。


「こいつさあ、おれの横っぱらに風穴開けておいて自分は――」


 途中で口を塞がれた。

 あずきの中で注射が苦手なのは、まあまあ恥ずかしいことらしい。どういう心の働きなのか、おれには全くわからない。注射に相当嫌な思い出があるんだろうか。汚部屋だから虫は大丈夫そうだけど、他にも歯医者とかおばけとかも苦手そうな気がする。


「はあ?」


 窓架は鋭いので、そこまでで話の内容を察した。


 ストーブから一歩も動かずに言う。何それ私だって昨日殴られ損だしそもそも玲のところには行っといて私には挨拶なしかよ。いや、先に行ったけど寝てたのか出なかったから……すみません。すみませんで思い出したけど、きみ前に私のことバイクで轢いてきたよね。いや、それは図書館の本を燃やしてたし玲が危ないと思ったから……すみませんがすみませんしないかもしれません。


 揉め始めた。


 まあ、あの感じならすぐに元通りになるだろう。おれは窓架の心の広さと狭さに感謝するやら、あずきの率直なところが輝いて見えるやら、胸を撫で下ろしながら机に鞄を置く。


 そわ、と腹のあたりを触られる。


「大丈夫?」


 百羽に。

 もちろん大丈夫だった。そして、心配されたのも嬉しかった。


 というわけでおれは、


「…………」

「こら」


 簡略化されて、チョップをされる。

 瞼を開けると、百羽と目が合う。百羽は呆れたように、安心したように、溜息を吐くみたいな微笑みでおれを見る。


 これで全部が元通り、

 には、ならない。





「いや、百羽は入らない方がいいでしょ」

 とは、昨日の最後に窓架が言ったことだった。


 二十四階のその部屋に入ったらわたしも記憶を取り戻せるのかな。そういうことを、百羽が訊ねてきたときの、その答えとして。


 なんで、と百羽が訊くからおれたちは説明した。


 さっき、百羽が『総理大臣』になったって話はしただろ。いちいち驚かなくていいから。で、『総理大臣』っていうのは多分資格がどうとかっていうより、そういう風になった時点でそれっぽい筋には伝わる。〈塔〉が守ってくれてるのかもしれないけど。なんでって言うのは……なあ? うん、感覚的なやつ。


「でも、わたしが何も思い出さなかったら、結局全部はわからないんじゃないの?」


 百羽はそう言ったとき、部屋に眠る婆さんのことを見ていた。


 全てを知っていそうな婆さんは、今でも眠っている。起こして話を聞かせてもらうなんて穏当な方法が取れたら一番だけど、それが叶わない。


 だから、おれはこう言った。


「訊く相手ならいるだろ、もう一人」


 もしも今日が休日だったら、何ヶ所か回る必要があっただろう。


 それはもしかしたら、おれたちがまだ上ったことのない――上ったときに何があるかわらからないのが怖くて近寄らないでいる――二十五階にいるのかもしれないし、あるいはあの日みたいに、百羽の実家の天井裏を勝手に占拠しているのかもしれない。


 でも、今日は平日だから。

 他の奴らは気付かなかったみたいだけど、簡単に見つかった。


「母さん」


 職員室。


 放課後一人、おれはその場所に訪れる。呼ばれた方は、こんなときでもいつものように開催された小テストを採点する手を止める。きぃ、と音を立てて椅子を回す。


「あなた以外からそう呼ばれたんだったら」


 眼鏡を外して、おれを見る。


「先生はお母さんじゃありません、って誤魔化せたんだけどね」


 久しぶり、と母さんは言った。

 ずっと、傍にいたくせに。





「あなたたちが想像するよりもずっと昔から、私はこの場所にいました」


 静かに話す人だった。


 なんて、今更改めて思う必要もなかったのかもしれない。今までの授業中だって、おれ以外の奴らは午後になれば眠ってしまうことがしょっちゅうだったんだから。声は、雨上がりの森の落ち葉みたいだった。聞いていると、妙に落ち着く。母子だからだろうか。


「芳尋堂さんの祖先が、中央に仕え始めるよりもずっと古い時代から、私はこの地で暮らしていました。しかし――」


 そこからは、前にあずきが語ってくれたことに似ている。


 段々と、世界の輪郭ははっきりしていった。人は暗闇の中に、何か得体の知れないものを想像することはなくなった。むしろ、手に持った灯りを闇の中に向けて、そこに何があるのかを明らかにしようとするようになった。


 おれたちみたいなのは、段々と居場所を失くしていった。

 そのバックラッシュが来る。


「物事を曖昧にするためのもっとも簡単な方法は、むしろ反対に、人々に多くの真贋を見極めさせる機会を与えるというものでした。人は本当のところ、自分で思っているよりもずっと少ない事柄しか理解することができません。けれど人は、たった一つのことがわかったとき、自分を過信します。己を優れて賢い存在だと思い込み、他の二つも三つも、同じようにわかっているはずだと思い込みます。そして、そのうちどれか一つについて、自分が大きな過ちを犯していると気付いたとき、わかっていたはずの最初の一つのことにも、何の自信もなくなってしまうのです」


 そうして、世界はぐちゃぐちゃになる。


 全てが完璧に、昔のようになったわけじゃなかった。そこに残ったのは、未熟な社会じゃない。崩壊を始めた社会。必要な地盤の上に、わからないことがいくつか乗っかっているようなものじゃない。どこもかしこも虫食いみたいになって、今自分が立っている場所すら、次の瞬間にはどうなっているかわからない、そんな時代。


 そのくせ、兵器だとか集団だとか、物騒なものだけは残っている。


「この土地は、そう長くは保ちませんでした。この〈塔〉があることからわかるとおり、ある政府系列に所属する共同体ではありましたが、元々残された人も少なく、支援もすぐに絶え、人々はより良い場所を目指して散り散りになっていったのです。……私は、彼らが今どうしているのか、何も知りません」


 一方で母は、その緩んだ地盤の中で力を取り戻しつつあった。


 森の奥深くで、一人の子を――おれを生んだ。生来穏やかな性質で、世を賑やかしてやろうという稚気もない。ただ静かに、昔のように、その場所で暮らし続けるつもりでいた。


 そんなとき、国南の家を見つけた。


「驚きました。まだこのあたりから立ち去ってはいない者がいたのかと。一人の齢は七十。もう一人は七つほど。とうとう人間の母子の間にもこれほどの年の差が生まれるようになったのかと思いましたが、何のことはありません。二人は祖母と孫でした」


 初めは、近付きもしなかったそうだ。


 しかし、そのうち気付くようになった。この二人は、ずっとこの場所に住んでいたわけではない。祖母の生家であることは間違いないようだけれど、孫の方はここの生まれではない。どこかから、この地に戻ってきた。連れられてきた。


 逃げてきたのだ、と。


「初めて彼女たちと話をしたのは、幼子を持つ者のよしみとして、彼女たちを襲い来る化け物を散らしたときのことでした。孫はまだ何も知らず、祖母は非常に理性の強い人でした。数度の交流の後、彼女は私に打ち明けました。我が子の不始末が、我が孫に悪縁をもたらしている。これからも、幾度もこの子は狙われることだろう。どうぞ……伏して彼女は、私に頼みました。この子を守ってはくださいませんか、と」


 それは、決して初めてのことではなかったという。

 長い歴史の中で、母は幾度もそうした体験をしてきた。だから、その頃の名残のように一つだけ、その願いに対価を求めた。


 家を、と。


「生活は平穏であり、あなたとその孫は、すぐに親しむようになりました。しかし、その平穏も長くは続きません。次に問題が生まれたのは、私自身であり、あなたです」


 今度は、世界の崩壊を加速させようとする勢力だけじゃない。

 世界を『元に戻そう』とする者たちも、この場所を狙い始めた。


「ただでさえ、強大な力というのは目印になるものです。そしてまた、世に多く求められるものはいつも権威であり、権威のもっとも象徴的な形のひとつは、土地の支配です。捨て去られた土地を巡る争いが始まりました。本当のところ、その土地そのものには何の興味もなく、中には一度、それを見限り打ち捨てた者さえいたというのに」


 だから。

 母と祖母は、『隠す』ことにした。


「幸いにも、その場所の心当たりはありました。〈塔〉は聳え立つ象徴であり、その中身が失われた廃墟というのは、つまりその中核たる『目印』としての役割をすでに喪失しています。この場所を触媒に、私の魔法と、祖母の持つ『かつての新しき時代』の技術を用いれば、それは十分に可能なことでした」


 隠された〈二十五重の塔〉――おれとその孫娘を隠すための場所。

 この世界から守るための、時を繰り返す箱庭。


「どうして――」

 おれは、訊ねた。


「どうしておれたちは、ここで何度も繰り返すんだ」


 それが、最初の質問。

 その答えを本当は、おれはわかっていた。


「大切に思っているから。永遠に、終わりが来てほしくないと思うくらい」


 何度も記憶を失ったのは、一つにはおれやその孫娘がはっきりとした記憶を持っていることは、それ自体が何かの目印になってしまうかもしれないと考えていたためだと言う。


 それさえなければ、堂々と央都に行くことすら可能になる。誰も覚えていないことは、存在しなかったことと同じだから。そして、〈塔〉の中のある場所にその記憶を預けておくことは、ある意味でおれたちと〈塔〉の、そして〈塔〉に宿る魔法との結びつきを強固にする役割も果たした。たとえ〈塔〉から離れた場所で命を落とすようなことがあっても、魔法がその命を、繰り返す時間の中にもう一度引き寄せられるように。


 それでも、と母は言った。


「終わりのない出来事は、この世にはありません。少しずつ、私も疲弊してきました。祖母もまた、起きてその孫を慈しむ時間よりも、長い夢の中に身を浸す時間の方が、長くなりました。元はぴっちりと閉じていたはずの窓も少しずつ開き始め、雨風を凌ぐための屋根も、雪を通すようになり、そうして」


 母さんは、おれをじっと見つめた。


「あなたは、ここに辿り着いたの」


 そうして物語が終わっても、おれはまだ、訊きたいことが山ほどあった。


 一つ一つに、母さんは丁寧に答えてくれた。空が青い理由や、虹が空にかかる理由を教えてくれるみたいに。いくつかは予想の通りの答えだったし、いくつかは全く想像もしなかったことだったりした。


 日が暮れる。

 明かりが必要になる頃、おれはようやく、最後の問いを口にした。


「これから先、この場所はどうなるんだ」


 そして、返ってきた答えは。

 やっぱりこれも、おれは訊ねる前から知っていたことだったんだと思う。


「どうも」


 きっといつか、おれはこれと同じようなことを訊ねたんだろう。

 隣にいる母を見上げて。今よりも少し緩やかな季節の移り変わりを前に。ごく純粋な、きっとあらゆる生き物が持ったことのある、当然の疑問として。


 こうして季節が続いて、

 その先で、ぼくはどうなるの?


 母は、答えた。



「ただ、ゆっくりと朽ちていくだけ」



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