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二十五重の塔  作者: quiet
10/24

10 めでたし、めでたし



「お肉ってまだ入れちゃダメ?」

「殴ってでも止める」

「玲。リモコンどこにある?」

「あー? 誰だよ点けたの」

「あ、わたし」

「チャンネル変えてもいいか?」

「いいよー。何となく点けただけだから」


 結局、何の収穫もなく、おれたちは部屋に集合することになった。


 こういうとき、集合場所になるのはおれの部屋が多い。あずきの部屋は人が四人も入れるような空間ではなく、窓架は人を部屋に入れるのが嫌い。自動的におれの部屋か百羽の部屋のどちらかということになり、あずきとしてはおれの部屋の方が入りやすいらしいので、そこで一押しがあって、大体はこっちに決まる。


 一応、もうしばらくは建物の中をうろうろしたりもした。

 が、それ以上は何の手掛かりもない。日が傾いて髪が冷たくなり始めれば、もうこれで一日は終わりにしてしまおうと、コンビニに再訪問。材料を買い込んで、四人で鍋。そういうことになった。


 鍋奉行は窓架だった。鍋というか、すき焼きだった。すき焼きは鍋のうちに入るのか、おれにはよくわからないが、鍋スープを何にするかという段になって「すき焼き」と窓架は頑として己の主張を譲らなかった。幸い、残りの三人の中にすき焼きが嫌いな人間はいない。指図されるがままにおれは白菜を切り、ネギを切り、春菊を切り、しらたきのアク抜きをし、そのあいだ百羽とあずきはただだらだら喋っていた。こいつらは料理を基本的にしない。


 今はそのあたりを詰め終わって、四人掛けのこたつの真ん中、カセットコンロにかけられた鉄鍋を前に、鍋奉行が火の通り加減を見ている。


 おれもようやくこたつに座って、その奉行業務の一員になることにする。


「それにしても」

 溜息みたいに、窓架が言った。


「何なの? この建物」

「おれたちの家」

「私たちはどこに住んでんの? それともこれ、全部夢?」


 もっともな疑問だと思った。

 ここを探索しても、昨日の夜に生まれた疑問は一切解決してくれなかった。代わりに、それはもっと大きなものになっている。


 どうしておれたちの他には、ほとんど人が住んでいる形跡すらないのか。

 四階より上に通じる道がないのは、なぜなのか。


 おれたちは、なんだってこれまでそんなことにも気付いていなかったのか。


「夢なのかもな」


 と、おれは言ってみた。んなわけあるか、と窓架は言うと思ったが、何も言わない。すき焼きのことで頭がいっぱいになっているのか、それともそれ以外の何かがあるのか。真剣な顔で、ぐつぐつと煮える鍋の色を見ている。


 ちなみに、席順はいつもこうだった。

 窓側にテレビがある。それに背を向けるようにおれ。対面に百羽。残った二辺のうち、壁に近い方があずき。だから、おれは何となくぼんやりしていると、いつも百羽と目が合うことになる。


 目を瞑ってみる。


「無茶言わないでよ」

「やめてくださーい。鍋を挟んで粘膜接触を試みるのは」

「試みてないっ」


『き、キキキキ、キスしたのっ?』


 一斉に視線が、テレビの方に向かった。

 アニメが流れていた。女の子が顔を真っ赤にして、男の子の胸倉を掴んでいる。


「こういうの好きなの?」

 窓架が直球で訊いた。


「かなり」

 あずきが直球で答えた。


 うわ、とか何とかかんとか鍋を挟んでやり取りしているのをよそに、おれは思い出そうとしている。見覚えがあったからだ。画面の彩度が高めで、キャラクターが何となく丸っこい。子ども向けで、多分昔に観ていた。ただ、その名前が上手く思い出せない。


 うーん、と唸り出す直前、


「『みらすく』だ」

「あ、それだ」


 百羽が言って、ようやく思い出せた。

 窓架は知らないらしい。あずきはそもそもそのチャンネルで固定した本人だけあって、「俺も子どもの頃にちょっと観た」と言う。


 おれも、すぐには名前が出てこないし、正式名称のことはさっぱり忘れているくらいにはうろ覚えだが、多少の記憶があった。


 主人公は普通の男の子。そんな彼の下に、ある日不思議な女の子がやってくる。「未来は大変なことになってるの」「お願い、力を貸して」そんな言葉とともに、めくるめくアドベンチャーが始まった! ……というようなあらすじが、毎話オープニングの前に挿入されていたような気がする。


「これ、なんで未来は大変なことになってるんだっけ」

「時代的に環境汚染じゃないか?」

「でも、わたしたちが子どもの頃でしょ? ちょっと時期違くない?」

「環境汚染に時期違いも何もないでしょ。実際今、馬鹿みたいに長い夏と冬しかなくなってるんだから」

「あれ、窓架ちゃん夏好きって言わなかったっけ」

「冬よりマシっていうだけで、普通に嫌い。春とか秋がなくなったのが憎い」

「百羽が言ってるのって、環境汚染の影響の話じゃなくて、環境汚染の『有無』の方が問題になってたんじゃねえってことだろ。この時期」

「あ、そうそう。あったよね。『地球温暖化は政府の陰謀!』みたいなやつ」


 よく考えたら、とあずきが言った。


「小学生の男の子に『環境汚染をどうにかして!』って言いにきてもどうしようもないよな」

「誰に言えばよかったんだろうな」

「地球市民。百羽、そろそろ肉いいよ」

「やった」

「でもおれらも『世界がヤバい!』とか言われても夏には冷房点けるよな。死ぬし」

「冬場はともかくな」

「いや冬も死ぬけど。なんで温暖化で冬だけ残ったのか意味不明。秋か春が残れよ」

「でも窓架って秋とか春があってもどうせ花粉症とかにかかって文句言ってそうだよな」


 おれが言うと、うん、と思いのほか素直に窓架は頷いた。おれは少しだけこいつのことが可哀想になり、ちょっとでかめの肉は窓架寄りに配置してやることにした。「区画を守れ」と奉行に戒められ、その試みは失敗に終わった。


「話は戻るんだが、」

 あずきが言う。


「なんで未来は大変なことになってるんだ」

「そこ?」

「なんだ」

「いや、そんなに戻ってないから。〈塔〉の話まで戻ると思うでしょ、今の言い方だと」

「わからないものの話をしても仕方ないだろ」


 あずきは完全に諦めた言い分だった。

 しかしその言い方が妙に毅然としているものだから、「確かに……」と思わされてしまう。だからおれも、


「未来が大変なことになりました! なぜ?」

「うわ大喜利開催し始めた」

「しかも一人だけ安全なところに陣取ったぞ」

「はいっ」

「うわ挙げた」

「勇気すごいな。光って見える」

「はい国南百羽さん」

「物理法則が変わってこれまでの科学が役に立たなくなった!」

「それを小学生の男の子が言われてどうすればいいんだ」

「未来の観測データを持ってきたから、今のうちに新しい物理法則の研究をして切り替わったときの混乱を緩和してほしいな、的な」

「もしかして大喜利じゃなくて当てに来てる?」

「ちょっとありそうだな。科学実験のあり方とかを教える教育番組枠で。主人公が未来では天才科学者として名を馳せてるやつだろ」


 答えは、とおれが振り向けば、他の三人もテレビを見た。


『覚えてる? むかし、一緒にこうやって観覧車に乗ったよね』

『そうだっけ?』

『もう、全然覚えてないんだもん』

『そんなこと言われたって、ずっと昔のことだろ』

『いいよ。わたしがずっと覚えてるから』


 ぴーん、と窓架の右手が垂直に伸びた。


「未来が大変なことになりました! なぜ?」

「少子高齢化」


 あずきのツボに入った。

 最初は机に突っ伏しかけたが、そんなことをしたらコンロで髪が焦げるということに直前で気付いてくれたらしい。むしろ仰け反る。床に両手をついてぷるぷると震えながら、「直接的すぎるだろ」と息も絶え絶えで言う。直接的すぎることを言った当の本人はといえば、「そんなか?」とそのウケっぷりに引いている。


 残念ながら、今やっているのは息抜きの日常回らしかった。未来がどうして大変なことになったのかは、わかりそうにもない。


「あ、」

 それを観ながら、百羽が言った。


「どした?」

「なんかこれ、玲ちゃんと一緒に観てた気がする」


 そうだっけ、とおれは思った。

 が、この場面でそれをそのまま言うと、アニメの台詞をそのまま反復する形になる。そしてよりにもよって、さっきの窓架の大喜利の答えがアレだった。おれはそういう一線を越えない。誇りを持って今日を生きている。だからあえて外して、


「気付いたか。この鍋も実は二十五度目で、おれたちは長いループに入ってるってことに」

「入ってないよ。む……」


 昔、とでも言いかけたんだろうか。百羽も途中で、アニメのキャラとおれたちの立ち位置が被りかけていることに気付いてくれたらしい。おれから目を逸らして、ああでも、とかいかにも強引なハンドルの切り方で、窓架に、


「そういう可能性もある?」

「何が?」

「タイムループ……リープだっけ。そういうのをわたしたちがしてるって可能性」

「どっから出てきたのそれ」

「え、〈塔〉の上の方に行けないから。そういうメ……なんだっけ。グレープガムみたいな雰囲気のやつ」

「メタファー?」

「それ」

「なんで通じた今?」


 不可解そうな顔でおれたちを見ながら、窓架が言う。あずきがようやく復帰してくる。


「〈塔〉の上に登っていけないのが、おれたちがどこにも行けないことを暗喩しているようでもあり、かつそれが時間的もそうだということも示唆しているって考えか」

「そうそれ」

「いや全然納得できないけど。どっから時間が出てきたの?」


 それは、と百羽が言った。

 何だか、本当に根拠がありそうな、滑らかな話し出しだった。しかし、それが止まる。


 おれを見ている。


「ん?」

「……何となく」


 絶対に何となくではない。

 おれは百羽を見返したし、窓架もあずきも、おれたちの間で視線を行き来させていた。


「あ、肉煮えた」


 が、窓架の一言でその時間は終わった。

 すき焼きの前では、何もかもが無力だ。


 わーい、と百羽が満面の笑みになる。はい、と窓架が左手を百羽の方に出す。よそってあげる、のサイン。無言であずきが上目遣いになり、おれの方に皿を寄せてくる。仕方ないから素直にそれを受け取ってやる。大体いつもこうだ。菜箸は二セット。おれと窓架が使う。


「待て」

 が、今日はそれを押しとどめられた。


 窓架が鍋を腕でガードしている。ガードしながらひょいひょいと百羽の分をよそって、


「まだ大喜利をしてない奴がいる」


 ひどすぎる要求をしてくる。


「はい」

 が、おれはすぐに手を挙げた。あずきが衝撃を受けたような顔をしている。


「未来が大変なことになりました。なぜ?」

「本当に大切なものがどれなのかを真剣に考えてこなかったから」


 ふ、と顔を背けて窓架が笑った。

 ふふ、ふ、とじわじわ床に落ちていった。「そんなか?」と思って見ていると、やがて復帰してきた。顔がまだ笑ったままで、


「小学生のくせに向き合わされる課題が内省的すぎるでしょ……。玲は通ってよし」

「光栄です」


 残り一人。

 視線を集められると、あずきは深く息を吐き、胸を張り、


「俺は……大喜利が苦手だ」

「誰も得意な奴なんかいないから」

「誰を恨めばいい?」

「玲」「玲ちゃん」

「玲……」

「未来が大変なことになりました。なぜ?」

「カス……」


 珍しいくらいにあずきはうろたえた。こういうあずきを見るのは、数学の時間に予習してない問題を当てられたり、英語の時間に全然話を聞いてなかったのに音読させられそうになったりしたとき以来だ。結構ある。じゃあ全然珍しくない。


 俯いて、まるで過酷な修行の中で剣の道に迷いが生じた武芸者のような険しい顔でうんうんあずきは唸る。「この『なぜ』は大変になった理由なのか、それとも何がどう大変になったのかを答えればいいのか」とか今更なことを訊いてくる。「面白けりゃ何でもいいぜ」と返すと、苦悶の表情を浮かべる。窓架と百羽はすっかり肉も豆腐も皿に取り終えている。ちゃっちゃっ、と生卵に混ぜ始めている。


「はい」

 あずきの手が上がる。


「芳尋堂あずきくん。未来が大変なことになりました。なぜ?」

「……みんなと疎遠になって、寂しくなった」


 三人の間で審議が開催された。

 審査委員長は窓架だった。頷く。審査委員二人としても、頷くほかない。


「可愛かったで賞、授与」


 おれは菜箸を取って、少し多めに肉を盛ってやる。

 あずきは今日一番の複雑そうな表情で、「もうやらん」と呟いた。





 それからもおれたちは、たびたび〈塔〉の中を探索した。

 高校二年生の間も、高校三年生の間も、放課後探検隊として。


 でも、何の収穫もなかった。

 そのうち、諦めた。


 それでも習慣は残る。放課後の探検を終えた後は、おれの部屋に集合する。鍋をしたり、そうめんを食べたり。そういうことを繰り返すうちに、それは『いつものこと』になっていった。


 探検を終えても、おれたちは続いていった。

 あのときのあずきの答えは、実現されることはなかった。


 むしろ、卒業してからの方がこの『いつものこと』に本腰が入っていった。鍋がスパイスから作るカレーの会になったり。そうめんが流しそうめんになったり。そこからさらに派生して、自家製麺で作るラーメンパーティも、形にこだわる和菓子大会も、コンビニで買えるものでできることは、それこそ何でもやったような気になるくらい。


 後は、ただ時間が流れるだけだった。

 間違いなく楽しい日々だったと思う。幸せな日々だったと思う。


 だから最後の最後、確かにおれは、こう思った。


 めでたし、めでたし。





 蛇と目が合った。

 ばっちり。七段目を踏んだとき。


 まさかいるとは思わなかったから、おれはびっくりした。びっくりしたが、びっくりしすぎたってことはない。だから、そういう風に目を合わせながら百羽の声を落ち着いて聞いている。


「ねー、玲ちゃん。やっぱりあのセーター見つかんないよ。どこしまったか全然覚えてない」

「おー」

「おー、じゃなくてさ。一緒に探してよ。天井裏には冬服なんか置いてないでしょー」

「でも、」


 蛇はいるぜ、と言おうとした。

 そのとき、ばきっ、と足元で音がした。


「うおっ」

「えっ?」


 ばきばきばきっ、と。

 嘘だろ、と言いたくなるような音と感触が下の方から立ち上ってくる。嘘であってほしい。が、嘘じゃない。おれはいきなり無重力――いやむしろその逆だ。重力に囚われた状態になる。足場の上に立つっていうことが、一種重力への抵抗だったってことをその身に思い知らされている。


 宙に浮いている。

 天井へと続く階段が、ぶっ壊れた。


 がしゃん、とド派手な音が耳に届いて、意識が途切れる。



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