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第62話 崩壊する神殿、受け継がれる光

「……ククク。さあ、存分に掃除を続けるがいい。俺の役目は終わった」


 無惨に砕かれた仮面を押さえながら、深淵の使徒は水面へ溶け込むように姿を消した。


 直後、コアルーム全体がひどい悪寒のような震動に見舞われた。世界を照らすはずの巨大なクリスタルの心臓――水鏡のコアから、漆黒の死の瘴気が脈動と共に噴出し始めたのだ。


「……っ!? みんな、足元に気をつけて!」


 ノエルの絶叫がドーム内に響く。水鏡の神殿は本来、空間転移の演算を担っている。コアが汚染されたことで空間の座標指定が完全にバグを起こし、ロアたちの足元の床(水面)が突如として真っ暗な奈落へのゲートへと変貌したのだ。


「……チッ! ランダム転移の無限ループか!」


 シオンが演算を展開しようとした瞬間、彼の足元がごぞっと抜け落ちた。かつての絶対管理者といえど、今はただの生身の少年。落下していくシオンが、初めて顔を歪めた。


 ――その時だ。


「おいおい、勝手に落ちてんじゃねえぞ、元・神様!」


 ラグが咆哮と共に跳躍し、シオンの襟首を鷲掴みにした。そのままラグは、愛用の大剣をコアルームのまだバグっていない壁に向かって全力で突き立てる。


 ――ガギャンッ! と激しい火花が散り、大剣が壁に食い込んで二人の落下を間一髪で食い止めた。


「……っ、貴様、機動力という概念を知らんのか。剣は足場にするものではないぞ」


「ハッ、インテリには分かんねえだろうがな! スラムじゃあ、使えるもんは何だって使うのが常識なんだよ!」


 ラグがニヤリと笑う。どんなチートバグでも、落下という物理法則が残っているなら、筋力と気合でねじ伏せてみせる。それが前衛の意地だった。


「ラグ、シオン! 今、道を作るわ!」


 空中に取り残された彼らを救うように、ノエルが杖を振るう。 氷棺の葬送コフィン・フリーズ


 ――しかし、敵を凍らせるためではない。ノエルは、空間を乱れ飛ぶ水の欠片を絶対零度で次々と凍らせ、空中に無数の氷の階段を創り出していったのだ。環境のバグを逆手にとった、魔法使いならではの立体機動戦術である。


「すっごい! これならコアまで走れるよ!」  ロアが、ノエルの作った氷の階段を風のように駆け上がる。


「……シオン! 僕がコアに張り付いた黒い根っこを叩き割る!落ちてきた破片、全部消してくれる?」


「……言われるまでもない。削除デリートの準備はできている」


 シオンの応答を聞き届け、ロアはコアの真正面へと跳躍した。対象の質量、距離、温度。先ほどの使徒が残していたすべての悪性変数を無視し、ただそこにある汚れを落とすためだけに、力いっぱい聖葬槌を振り下ろす。


 ズドブゥンッ……!!


 叩きつけられた瞬間、鈍く、嫌な音が響いた。黄金の修復波は爆発しなかった。それどころか、槌から放たれたはずの光が、泥沼に吸い込まれるように黒い根へとスルスルと吸収されてしまったのだ。


「……えっ?」


 ロアの腕から力が抜け、ハンマーが重く跳ね返される。


「……馬鹿な。運動エネルギー(キネティック)の絶対吸収だと……!?」


 シオンが驚愕に目を見開く。


「……あの使徒め、コアへの物理干渉を完全に無効化するプロテクトを残していったか。……これでは、お前がどれだけ叩いても、その力はすべて瘴気を活性化させる餌にしかならん!」


「そんな……! じゃあ、どうすればいいのさ!」


 ラグが剣にぶら下がったまま怒鳴る。


 コアがドクン、と大きく脈打ち、吸収した修復波のエネルギーを利用して、さらに太い瘴気の触手を四方八方へと伸ばし始めた。  このままでは、神殿ごと世界が死のコードに上書きされてしまう。


「……ロア。」


 這い上がってきたシオンが、氷の階段の上で静かにロアを見上げた。その白き瞳には、かつてないほどの切迫した、しかし狂気的な演算の光が宿っていた。


「……お前のその玩具ハンマーは、ガレンが残した初期化のツールだ。……だが、世界のシステムは更新されている。初期装備のままでは、最新のマルウェアには勝てん」


「……シオン?」


「……私が今から、この水鏡の神殿の管理者権限を強制クラッキングし、お前のツールに拡張パッチをインストールする。……衝撃に耐えろよ!」


 シオンが両手をコアへと突き出す。かつての玉座を取り戻すかのような圧倒的なハッキング速度。神殿の壁や床に流れていた光流データが、暴走するコアから引き剥がされ、シオンの指先を経由して、ロアの聖葬槌へと流れ込んでいく。


「…………うわぁぁあっ!?」  ロアの手の中で、ただの鈍器であった『アポカリプス・リペア・ブレイカー』が、激しい熱と眩い青光を放ち始めた。柄の装飾が展開し、鏡のように滑らかな青いクリスタルがハンマーのヘッド部分を覆い尽くしていく。


『……水鏡の理、『光の反射と集束』。……敵がお前の力を吸収し、鏡のように跳ね返そうというのなら……さらにその鏡を、無限の出力で照り返せ!』  シオンが血を吐きそうなほどの負荷に耐えながら絶叫する。


「……うん、分かったよ、シオン!」


 ロアは新しく生まれ変わった水鏡モードの聖葬槌を、再び高く振りかぶった。


「爺ちゃんが言ってた! 汚れが落ちないなら……もっとピカピカの洗剤を使えってね!!」


 ロアが、すべての体重と祈りを乗せて、再び黒い根の中心へと槌を振り下ろす。先ほどと同じように、瘴気がエネルギーを吸収しようとした。だが、青いクリスタルで覆われたハンマーは、吸い込まれたエネルギーを寸分違わず反射し、ロア自身の力と掛け合わせて倍加させて打ち返した。


 ――キィィィィィィィーン……ッ!!!!


 ガラスの限界点を突破したような、超高周波の破砕音がコアルームを揺るがした。無限反射の連鎖フィードバック・ループに耐えきれず、瘴気のプロテクトが内側から弾け飛ぶ。そして、黄金と蒼の混じり合った極大の修復波が、コアにへばりついていた黒い根をごっそりと剥がし取った。


「……対象オブジェクトの消去デリート!」


 シオンが間髪入れずにコマンドを入力し、空中に散った死の瘴気を完全に無へと還元する。


 次の瞬間、暴走していたコアから黒いノイズが消え去り、あるべき美しい透明な光が、再び世界へと脈打ち始めた。狂っていた空間転移のバグも収束し、ロアたちは静かに床へと着地した。


「……ふぅ。……お掃除、完了だね!」


 ロアが、微かに青い余韻を残す槌を肩に担ぎ直し、ニカッと無邪気な笑顔を向ける。


「大将! やりやがったな!」


「ロア、シオンも。お疲れ様!」


 ラグとノエルが駆け寄る。シオンは疲労で膝をつきながらも、満足げに鼻を鳴らした。


「……フン。初期ツールをアップデートしてやっただけだ。……感謝するなら、私ではなくガレンの拡張性ベースの高さにしろ」


「えー? 僕はシオンが手伝ってくれたからできたんだと思うけどな!」


 ロアが屈託なく笑う。  最初の四大基幹水鏡の神殿は、こうして彼らの手によって修復された。


 だが、ナハトの無機質な音声が、彼らに立ち止まる時間を許さなかった。


「……解析完了。水鏡のコア、正常化。……しかし、残る三つの基幹サーバーにおいて、同様の死の瘴気による汚染進行を確認」


「……あと三つもあるの?」  ロアが真顔になる。


『……当然だ。奴らが本気で世界を終わらせる気なら、一つで満足するはずがない』  シオンが立ち上がり、まだ見ぬ荒野の果てを睨みつけた。


「……そっか。……だったら、全部お掃除しに行かなくちゃね!」


 ロアの瞳に、少しの絶望もない。ただ、次なる汚れを見据えた、清々しい決意だけが灯っていた。


 理の剥離者たちの、世界の基幹を巡る旅は、まだ始まったばかりである。


(第62話 終わり)

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