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第9話 下劣な本性


「それはよかったな」


 この間の出来事を話すと、ガーランドは自分の事のように喜んでくれた。


「まだ部屋は散らかってますけど、これからは掃除も洗濯もするって言ってくれました。お金はすぐには無理だけど、ちゃんと返してくれるって」


「大変だったな。でも、よかった」

「ガーランドさんにもご心配おかけしました」

 頭を下げたデイジーに、「気にしないでくれ」とガーランドが首を振る。


 彼にはマックスに夜の誘いをしつこくされている事は話していなかった。

 そんな事を知ったら、余計に心配させてしまう。自分さえしっかりしていれば大丈夫なのだ。これくらいはひとりで解決しないと。


「とにかく、解決おめでとう。これで心配事がなくなったよ」

「……どうかされたんですか?」

 その口調に引っかかるものを覚えると、ガーランドが「実は」と口を開いた。


「王都に戻ることになったんだ。元々この町には期間限定の仕事で来ていただけで、家はあっちにあるんだよ。ここの食事が食べられなくなるのは辛いけど、我慢しないとな」


 苦笑するガーランドに、デイジーは思わず声を漏らした。


「えっ……」

「王都に来ることがあったら、ぜひ寄ってくれ。いつでも歓迎するよ」

「あらあらまあまあ、そうなのかい? 寂しくなるねえ」


 話に交ざってきたおかみさんに、ガーランドは「俺もです」と頷いた。


「この店はあたたかくて、居心地が良くて、俺のお気に入りでしたから。王都に戻っても、通いたくなって困るでしょうね」

「嬉しいこと言ってくれるねえ。でも、そうかい。いなくなるのかい……」


 おかみさんは複雑な顔だ。デイジーと彼の顔を交互に見て、ふうっと息を吐き出した。


「でもまあ、そうだね。そういうもんなのかもしれないね……」

「心残りもなくなりましたし、ちょうどよかった。潮時ですね」


 ガーランドが静かに笑う。デイジーには意味が分からなかったが、胸の中にぽっかり穴が空いたような感じがした。


「……寂しくなりますね」


 おかみさんと同じ言葉だったのに、ものすごく実感がこもってしまった。

 ガーランドがやさしげに目を細める。


「俺もだよ。少し早いけど、一応挨拶しておこうかな。デイジー嬢、どうか元気で」

「ありがとうございます……」


 手を差し出され、デイジーは彼の手を握った。

 初めて触れた彼の手は、思ったよりも大きかった。



    ***



 その日の昼間の事だった。


「ああ、やっちまった。ベレの葉を切らしちまったよ」

 夕食の仕込みをしていたおかみさんが、珍しく舌打ちした。


「ベレの葉って、肉の臭み取り用ですよね? 買って来ましょうか?」

「悪いけど、お願いできるかい。町の三番通りで売ってるから。少し離れた場所だけど、帰りはゆっくりでいいからね」

「分かりました。行ってきます」


 確かあの辺りはマックスの働いている家具工房がある。

 デイジーの職場からはかなり距離があるため、一度も足を伸ばした事はなかったが、もしかすると働いている姿が見られるかもしれない。


 首尾よくベレの葉を買い、三番通りを歩いていると、「やったな、マックス!」という声がした。


 見ると、家具工房に隣接する空き地で、数名の男達がたむろっていた。

 その中のひとりに見覚えがあり、デイジーはあ、と目を見張る。


 そこにいたのはマックスだった。

 大きな木が目隠しになり、デイジーの姿は見えないらしい。声をかけようとして、デイジーはふと動きを止めた。


「王都に行くの、半年後だっけ? いいなぁ、才能のあるやつは」


 そばにいた男がうらやましげにぼやく。彼はマックスの同僚だろう。

 周囲もそれぞれ頷いている。どうやら周知の話らしい。


(王都……?)


 一体何の話だろう。

 初めて聞く内容に、デイジーは耳をそばだてた。


「へへっ、いいだろ。俺の実力だよ」

 マックスが得意げに胸を張る。どうやら彼も承知のようだ。


「決まったのはいつだっけ。半月前?」

「一月前だ。親方から直々に言われた」

「これで出世コース間違いなしだな。本店はこことは比べ物にならない規模だって話だ」

「俺が代わりに行きたいよ。ほんと、ラッキーだったよな」


(どういうことなの……?)


 そんな話は一言も聞いていない。


 王都に行くなら、今のアパートは引き払わないといけないだろう。

 仕事も辞めないといけないし、他にも色々準備がある。そんな大事な事を黙っているなんて、いくらなんでも無責任だ。


 それに、とデイジーは思い出した。


 一月前と言えば、マックスがデイジーに謝り、心を入れ替えた後の事だ。

 思えばそのあたりから、ふたたび家事の手を抜くようになっていた。

 デイジーへの誘いがしつこくなったのもそのころだ。


 嫌な符号に、知らずデイジーが黙り込む。

 デイジーが立ち聞きしているとも知らず、彼らはのんきに話していた。


「それで? 金はたまったのか?」

「まあな。ちょっとは出す羽目になったけど、ほとんどは死守してる。って言っても、今まで好きに使ってたからさ。そこまで貯金はないんだよな」


 マックスが舌打ち交じりに言う。手にしているのは串焼きだ。そこそこ値が張るため、デイジーは一度しか食べた事がない。


「ひっでーの。田舎から連れてきた幼なじみの女の子にほとんど払わせてるんだろ? お前、今まで贅沢しまくってたじゃん。毎日肉食ったり、飲み歩いたりしてさ」

「いいだろ、それくらい。俺は働いてるんだ。あっちは貯金しか能がないんだからさ」


 マックスがふふんと鼻を鳴らす。なんだか嫌な言い方だった。


「でも、久々に怒られたんだろ? 家事もすることになったって言ってたじゃん」

 別のひとりが口を挟む。マックスは嫌そうに顔をしかめた。


「あんなの、ちょっと謝って反省してみせたらおしまいだって。実際、もう手を抜き始めてるしな。他にも色々サボってるけど、なんにも気づいてねーもん、あいつ」

「悪いやつだなー。そのままなし崩し的に任せようって?」


 からかうような口調に、マックスは「当然」と胸を張った。


「そのうち全部押しつける。すぐに元通りだ」

「でも、そんなにうまくいくかな?」

 同僚が疑り深げな顔になったが、「平気だって」とマックスが肩をすくめる。


「あいつ馬鹿だし、気づかねーよ。絶対」

「うわ、極悪人」


 そこでどっと彼らが沸く。

 おかしそうに笑いながら、「でもさ」と中のひとりが首をかしげた。


「親方の娘はどうすんの? 一緒に行くんだろ、王都に」

「そうそう、そろそろ婚約だって言ってたじゃん。なら、いい加減にあっちとは別れておかないとヤバいだろ。親方はそういうのにうるさいし、ばれたら大変だぞ」

「心配ないって。大丈夫だ」

 マックスは事もなげに言った。


「あいつはこっちに来たことがないし、親方の娘にも来るなって言ってある。田舎の幼なじみが心配だからってことで、同居も続けてるんだ。絶対にばれねーよ」


(親方の娘って、何のこと……?)


 彼らの話しぶりでは、マックスと親しい関係にあるようだ。

 そして話の流れからすると、あいつ、つまり「別れておかないといけない」相手は、どうやら自分の事らしい。

 信じられない内容に、デイジーはその場に立ちすくんだ。


「別れ話は引っ越しの前日にする。元々、そのために準備してたんだ。問題ないって」

「けど、それで相手が納得するかなぁ?」

 別のひとりが懐疑的な顔になる。


「だって、幼なじみの方はお前と結婚するって思ってるんだろ? いきなり別れる、王都に住むって言われても、納得できないんじゃないか?」


「そうそう。怒って騒ぎ出すかもしれないぞ」

「金も返せって言うかもな。女を怒らせると怖いぞー」

「そうしたらどうするんだよ、マックス?」

「だから、大丈夫なんだって」


 口々に言う彼らをいなし、マックスは自信たっぷりに言った。


「そのための作戦は考えてある。完璧だ」

「作戦って、どんな?」

「つまりさ――……」


 ひそひそとひとりの耳元で囁くと、彼は大きく目を見張り、それから大声で笑い出した。


「うっわ、マジかよ? 思った以上にひどかった!」

「何々、教えろよ」

「いやだって、マジで引くぞ? 俺でもしないわ、そこまでのこと」

「いいから聞かせろって。どんな作戦だよ?」


 彼らに囲まれて、マックスはまんざらでもなさそうな顔で口を開いた。


「つまり――出ていく直前まで、結婚するって思わせればいい」

「……え、割と普通だな?」

「いや結婚詐欺じゃん。悪いよ」

「でもさー……」


 周囲の反応は真っ二つだ。だが、最初に話を聞いたひとりが首を振った。


「そうじゃないって。こいつはさ、そのために幼なじみの子を手に入れるって言ってるんだよ」

「え……と、それって、つまり?」

「その子と深い仲になって、油断させる。で、その時が来たらさっさと逃げる。ちゃっかりその子の初めてをもらった上でな」


「うわ最低」

「ひっでえなー。やっぱ結婚詐欺じゃん」


 やいのやいのと言われたが、マックスが落ち着けとばかりになだめてくる。


「まあまあ。これには別の目的もあるんだって」

「別の目的?」


 どういう事だとばかりに彼らが目をやると、マックスは得意げに鼻をふくらませた。


「つまりさ、俺と結婚すると思わせて、できるだけ金を引き出すんだ。その上で、その金は全部踏み倒す。今は返済しろってうるさいけど、いざ結婚することになれば、口をつぐまざるを得ないだろ? そうなれば、俺の金は丸々取っておける」


「いや、そんなうまくいくかな?」


「心配いらない。あいつは世間知らずだからな。今だって俺の言葉を信じて、金はないって思い込んでる。だますのなんて簡単だ」

「だけど、断られたら?」


 もっともな質問に、マックスはちっちっと指を振る。


「よく考えろよ。断られるわけないだろ」

「って……どういうこと?」

「そのために体を手に入れるんだ。後戻りできなくなるようにな」


 マックスがにやりと笑った。


「あー……そういうことか」

 彼らが納得した顔になる。


「俺と深い仲になったら、あいつは俺と結婚するしかなくなる。そうなったらこっちのもんだ。結婚をエサにして、家事は全部やってもらう。もちろん、家賃も払ってもらうし、生活費だって出してもらう。二人の共同貯金って言えば、あいつは信じるはずだ」


 体の関係が生じる前ならともかく、いざそうなってしまえば、デイジーはマックスの言いなりだ。


 王都に引っ越すまでの間、面倒な家事はデイジーに押しつけ、金も全額出してもらい、デイジーから搾れるだけ搾り取る。その間、マックスは遊んでいればいい。

 まさに言いなりになる便利な道具だ。それを利用しない手はないだろう。


「確かにそれなら、結婚しないわけないって思うよな……でも、その後はどうするんだ?」


 マックスの言葉が確かなら、彼は半年後にデイジーと別れて王都へ行くのだ。

 余計な面倒を増やすだけではという問いに、マックスは人の悪い笑みを浮かべた。


「だからさ、よく考えろよ。俺とそういう関係になったとして、結婚前の女だぞ。誰かに言えると思うのか?」

「あ……なるほど」

 彼らがはたと手を打った。


「俺は婚約するとは言ってないし、結婚するとも言ってない。責任を取る必要なんて、これっぽっちもないんだよ」

「でも、告げ口されたらどうする?」

「どんなに言ったって、証拠はないんだ。俺が引っ越しちまえば縁が切れる。それでおしまいだ」


 おしまい、のところで両手を広げる。得意げなその顔は、仕事を押しつける時の表情とよく似ていた。


 結婚前のデイジーの体を好き勝手に弄んで、王都への引っ越しと同時に捨てる。デイジーに彼を追う事はできない。もちろん、貸していた金も戻らない。あとで何を言っても、彼の言う通り、証拠はない。


 婚約前に体を許したなんて話、両親に言い出せるはずもない。

 たとえ言ったとしても、責められるのはデイジーだ。

 彼はデイジーから誘ったと言うだろうし、噂が広まったら、傷つくのはこちらの方だ。マックスは新しい恋人がいるし、妄想だと言われれば反論できない。


 それを見越して言っているなら、最低の――クズだ。


「結婚を条件に、楽をさせてもらう。金も貢いでもらうし、俺のために働いてもらう。もちろん体も楽しませてもらう。さんざん焦らしてるんだから、その分尽くしてもらうつもりだ」


「悪い男だなー。今までだってさんざん楽してたくせにさ」

「反省も口だけだってことだよな。いやー、ひどいわー」

「うるせえな。言ってろよ」


 嫌な笑いを浮かべながら、マックスが「とにかく」と胸を張る。


「半年たっぷり楽しんで、その後はおさらばだ。俺は親方の娘と結婚して、ゆくゆくは王都の本店の主人になる」


「その時は、俺たちも雇ってくれよ」

「逆玉ってやつだよな。うらやましい」

「あー、俺もそんな幼なじみ欲しいなー。家事してくれて、金も貢いでくれて、体まで許してくれるなんて最高じゃん」


 物欲しげにぼやく彼らのうち、中のひとりが首をかしげた。


「いやでも、結婚するってだますだけなら、別に体の関係がなくても良くないか?」

「いやいや、そこはそれ。ほらさ」

 そこでマックスがむふっと笑う。


「エッチなことはしたいじゃん。男なんだし」

「うわ、最低」

「気持ちは分かるけど、ひでーな。やり逃げじゃん」

「うらやましすぎる……。そして幼なじみの子気の毒すぎる」


 ぶうぶうと文句が沸き起こる。やっかみ半分、羨望半分といった感じだ。

 デイジーの事を本気で心配している人間はいない。


 下卑た笑みを口元に宿し、哀れな少女の行く末を想像している。それはマックスも同じだった。

 勝ち誇った笑みを浮かべる顔は、自分の知らない人間に見えた。


「まさに一石二鳥だろ。俺って頭いいよな」

「いや最低だろ、カスじゃん」

「だよなー」


 あはははっと笑う彼らは、マックスを(いさ)める気もないようだ。

 デイジーは両手で口を覆った。

 顔から血の気が引くのが分かる。力が抜けて、うまく立っていられない。


 彼に恋愛感情は持っていなかった。

 だから、他に恋人がいると言われても、失恋したというショックはない。けれど、今聞いた話が事実だとすれば、それとは比べ物にならないほどのショックを受けた。


「まあ、見てろよ。うまくいったら、すぐに報告するからさ」


 マックスの声を聞きながら、デイジーは震える足を踏みしめていた。

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