第二十七話 続・街の神明社は浜松町-咲音の思い出と国道15号線-
大学時代の遅れてきた甘酸っぱい初恋。大人の初恋は、のんびり長時間をかけて行われるお祭りと一緒。そして今ここ浜松町で成就する。そんな二人の再会。国道と神明社、街の風景が二人の思い出の場所。「焼け木杭には火が付き易い」のは、場所のおかげ? 歳まわり? いや、縁のおかげかも……。
浜松町のビル群の間にかつては世界貿易センタービルという高層ビルがあった。当時は東京タワーとセットのお土産が当たり前のように売られていた。その後サンシャインやランドマーク、ハルカスといった大きなビルが日本一を競うように作られた。世間の注目がより高いビルに移ると静かに消えていったビルである。
そんな大規模なビルがあった浜松町の駅前にはほかにも高層ビルがいくつか存在する。そんな高層ビルの地下には飲食街もある。羽田で乗ったモノレールの旅人や山手線の通勤客がほっと一息してくつろげる場所だ。
ここはそんなとある高層ビルの地下にある飲食街。深け行く秋の日と言いたいところだがまだまだ暑さのぶり返しも多い季節だ。
だらだら祭りの千木筥を左手にぶら下げていつものようにブックカフェ「ハリセンボン」の扉を開ける多留場美波。彼女の古い友人、千本咲音の経営するブックカフェだ。ここはネットの紹介や情報発信源のマチカフェとしての一端も担っている。
書店としてのエリアに二名、カフェに三名のスタッフが働く、中規模書店である。
「あら、美波いらっしゃい。お祭りの帰りなの?」
咲音は書籍取次業の段ボールから本を取り出して並べていた。美波の持ち物からすぐにそれが芝神明のだらだら祭りに関係するものと気づく彼女。
「まあね」
美波はカフェ・カウンター席のテーブルに小判型のお重の木箱を置いて、「なめる?」と尋ねる。
「生姜飴ね。いただくわ」とほほ笑む咲音。彼女は手を止めると美波の座ったカウンターの前に向かった。生姜飴と芝大神宮、昔から切っても切れないほどの縁起物だ。
この二人、もとは大学の同級生であり、そのまま母校勤務の同僚でもあった。独立自営業のブックカフェを始める前、咲音は母校の大学図書館に残って司書をしていた。一方の美波は大学の研究室で古代の食事についての研究をしている。
「杏はまだ来てないの?」と美波。
「うん。毎度のこと時間にルーズよね、血筋かしらね」と咲音は美波を見て白々しくも笑う。
「はあ、あたし、あんなにルーズじゃないわよ」と渋い顔でいう。待ち合わせの妹は少々時間にルーズなようだ。
「調子はどうよ?」と不機嫌をフォローしてごまかすように咲音は近況を尋ねた。
「うん。さえない毎日かな。あんたのようにさっさと見切りつけた方が無難ね。万年非常勤でポストが空きそうにないわ。勿論半分はあたしの実力不足だけどね」と髪をかき上げて少し悲し気に笑う美波。結局フォローにはならなかった。
そんな会話の二人と同じ頃、店の前でなにやらもめているざわざわな音、喧噪が始まっている。けたたましく入り混じる声と音。
「いいじゃん。軽く飲みに行こうよ。おごるからさあ」とトサカ頭の男と金髪でクラブ勤め風の男性が女性のトートバッグの取っ手の部分を引っ張っている。彼女の額には汗。緊張と恐怖が見てとれる。
駅へと続く連絡通路は皆足急ぐ人たちで、そんないざこざも目に入らない。
「こらこら、お嬢さんが困っているよ。ダメじゃん、素人相手にスカウトはさあ」という。
助け舟を出したのは通りがかりのミュージシャン。フェンダーのソフトギターケースを背負って、サングラスをひっかけ、エフェクターケースの銀バッグを右手に持っている。
「なんだよ、お前は!」とトサカ頭の男。
「そこの文芸放送の放送局で仕事を終えた三流音楽家だよ。なんなら顔なじみの警備員がそこにいるから間に入ってもらうかい?」と笑ってサングラスを外す。さらさらの髪は美形の映画スターを彷彿させる。そんなさわやか系の男性だ。
「ちっ、行こうぜ」とトサカ。
「あ、待ってよ」と金髪。
自称三流ミュージシャンを睨みつけながらも、二人の男は足早に地下街を去っていった。
「よかったね」と笑顔が眩しいその男が頷く。
「あの、ありがとうございました。私、多留場杏っていいます」と言ってペコリと頭を下げた。
「ああ、俺は松浦星鹿。しがないミュージシャンです」と笑ってから照れ隠しにサングラスをかけなおした。
外通路の騒々しさに気づいた美波と咲音が、駅へと続く地下連絡通路に、店の入り口から顔を出す。暖簾をひょいとめくった感じだ。
すると杏は「おねえちゃん!」という。
「どした?」と妹の顔を見て首をかしげる美波。
「ちょっと怖い人にナンパされていたのを、この人が助けてくれたの、お姉ちゃん」と杏は星鹿を紹介した。
すると星鹿は「げっ!」といってから、「同じ名字だとは思ったけど多留場の妹かよ」と笑う。
その声で気づいた美波も、「その声、もしかして嘉登か?」というと、彼は再びサングラスを外して「当たりだ。久しぶり」といってとぼけた顔をした。
「おお、嘉登だ。大学卒業以来だな」と笑う美波。
「なになに?」と顔を出した咲音を見て、「うわ、千本もいるのかよ」と驚く星鹿。彼のその驚き方には、少し意味深な表情が見てとれたが美波たちは気付かなかった。
「ん?」と言ってから咲音は、「ああ、嘉登君だね、久しぶり」と笑う。
「何んだ。同窓会でもやっているのか?」とそろい踏みの二人を見て肩をすくめる。
「嘉登星鹿!」と声をそろえる二人。
「よう! なんで今二回目を言った?」
ぎこちなく手をあげてあいさつする星鹿。
そして「今さ、松浦星鹿って名前でミュージシャンやっているのよ」と笑う。
「あんたギター小僧だったもんね」と美波。
「大学時代以来ね。ここ私のお店だからちょっと入っていったら?」と咲音。
「何、千本は社長かよ、出世したな。まだ卒業して五、六年だぞ」と咲音の変身ぶりに驚く星鹿。
「あんた、ギター弾きなんだ」と快活な美波は笑う。
「うん、まあね」と言って、誘われるまま店内に入る星鹿。カウンター席のテーブルにギターケースを立てかけると席に着く。
「再会を祝しておごってあげるわ。コーヒーでいいかしら?」と咲音。
「ああ、ありがとう」
星鹿の後をついていくように、彼の隣に座った杏はちゃっかり星鹿の横に座る。
「このお嬢ちゃんが多留場の妹さんだとは、ね」といって杏の頭をトントンとなでる。まるで子供扱いだ。
「歳の離れた妹でね、十歳差なのよ」
「へえ、珍しいね」と出されたコーヒーに砂糖、ミルクを抜きで口をつける。
そのしぐさを見てニヤリと笑った美波は「うわあ、かっこいいブラックですかあ?」という。
「茶化すなよ。やりずらいな。いつもお前は俺をからかうんだよなあ。その横で千本は笑っているだけ、俺をかばってもくれない」と渋い表情の星鹿。
「あらそうだったかしら?」
指をくわえるポーズでとぼけ顔の咲音。飄飄としたものだ。
その姉たちとのやり取りを頬杖ついてうっとりした眼で見ていた杏。どうやら星鹿に興味があるようだ。
「あの、私、多留場杏で、帝都音大生で、音楽教室の講師をしています」と自己紹介をした。
「おっ、音楽関係ですか? いいス、ね」と親指を立ててグーサインの星鹿。その笑顔が杏にはたまらない様で胸の奥底が炭酸水のプールに浸ったような爽快感に包まれる。
「えへへ。ピアノ科で頑張っています。目標は幼少期に通っていたピアノ教室の先生が、初めて自分のコンサートを開いたのがこの町の郵貯関係のコンサートホール、って聞いたんで、私もそれを目指しています」とうれし気な杏。
その表情を見ていた咲音は、杏の彼への興味に敏感に気付いた。それもそのはずだ。咲音の大学時代の憧憬男子が星鹿なのだから。こういう時の女の勘というのは過剰に働く。
「だめよ」
突然、咲音は杏に予防線を張る。
「え?」
咲音はなんでこんなことを言ったのか自分でもわからなかった。隣にいた美波でさえこんな咲音を見たことがない。
彼女は星鹿の腕をぐいとつかむと自分の方に手繰り寄せて、
「これ大学時代から私のだから」と自信ありげに腕を絡めた。
「はあ?」
このセリフは三か所から発せられた。美波、杏、そして当の本人である星鹿だ。
その笑顔で言った表情からおどけて、ふざけた振りとも見えるのだが、くそまじめで有名だった咲音のこの振る舞いと、彼女の口からこんな独占欲に思える言葉が出たことに星鹿は驚く。
機転の利いた星鹿は咲音が杏の恋愛いざこざからエスケープさせようとしてこんな猿芝居をしていると推測する。その話に合わせるように、
「そうだぞ、俺の体は隅々まで、秘部まで千本咲音のものなんだ」と大人のジョークをいれた。
すかさず美波が持っていた旅行パンフレットで頭を軽くパコンと叩く。
「じゃあ咲音は変態か!」と突っ込みを入れながら。
すると平然とした顔で「そうよ、彼の全部は私のものなのよ。だからおこちゃまはおよびじゃないわ」という。杏も美波もこんな意地悪な咲音を見たのは初めてだった。星鹿は本来真面目キャラで通っているはずの咲音が『変態』というワードを否定せずに、独占欲を主張する姿をどう扱っていいのか困ってしまった。ほぼ無言で難しい顔だ。
『ん。これってお芝居じゃないの?』と星鹿は首を傾げたが、声にはしなかった。だが一番驚いていたのは咲音本人であった。沸々と湧いてくる彼への得体の知れないこれほどまでの独占欲を、自分が表に出すことなんてありえないと思っていたのだから。
その理由はひとつだけあった。それは咲音も星鹿も二人ともわかっているのだ。でもあまり触れられたくない過去に咲音が思っているのではないか、と星鹿は思っている。だが今の言動ではそうでもなさそうだ。その辺の大学時代の二人のちょっとした事件を両者ともに思い出していた。
そして咲音の方も脳裏には六年ほど前の出来事がよぎっていた。彼女の中でやけぼっくいの恋が復活してしまったのだ。
あの日ゼミの集まりの後、全員で田町と浜松町の中間に位置する国道十五号線沿いの居酒屋でしこたま呑んだ帰り道だ。
ちょうど東京タワーのライトアップが七色に輝く夜だった。参加者のほとんどが正体をなくすほど吞んだのは初めてだった。きっと居心地の良い仲間だったのだろう。誰かが、「飲み比べだ。優勝者は王様だ。最下位は貧民だ」と言って始まったのが飲み比べ王様ゲーム。まあ、お調子者の大学生の間ではよくある遊びだった。
優勝はゼミ長の男性、ド貧民はさもありなん、の星鹿。
「じゃあ、千本さんのほっぺにド貧民はチューするでどうだ!」という。
咲音は『えっ?』と驚く。
ゼミ長は「千本さん、無理ならいいからね。あくまでもゲームだから、ほかの罰ゲームがあればそっちでもいいよ」と気を遣う。
それに反するように「いやいやわがゼミ一のイケメンの星鹿だぜ、ありでしょう」と笑うほかのメンバー。
「イケー! イケメンから地味女への愛の証!」とはやし立てる外野たち。
咲音も『まあ、いいか。減るものでもないし』とお酒のせいか肝が据わっていたこの日。それに、もともと彼に興味のあった彼女は、ライバルからのアドバンテージのためか、本心をさらけ出した。
「いいわよ、星鹿くん。なんなら唇にでもいらっしゃい!」とジョークを交えての咲音の応戦だった。
「本当にキスしてもいいの? 結構うれしいんだけど、千本凄くタイプだから」と小声で耳元にささやく星鹿。
もともと興味のある男子にそういわれて悪い気もしない咲音。酔った勢いもあってのことか、すぐさま「いいわよ。私もね、割と好みよ」とささやき返す彼女。
すると本当に星鹿はゆっくりと優しく彼女の肩を抱くとその柔らかな唇を重ねていた。瓢箪から駒、優しいそのキスの余韻は唇が離れてからもしばらくは残った。遠くに東京タワーの夜景が見えるのも、なぜか彼女の夢見心地の気分に、より一層の拍車をかけていた。そして外野たちの一斉の「おおっ!」という歓声が十五号線に響いていた。
「咲音、結婚式には呼んでね。おめでとう!」と女性陣ははやし立てる。
一方の星鹿のほうはペシペシと背中を叩かれ、「お前、あの才女をどうする気だ!」と激励のない叱咤の嵐だった。
そのまま雪崩れた帰り道、石段下から芝神明を仰ぎ見て、皆で柏手を打ってお参りして解散した。大学四年生の春だった。
「そうだよなあ。俺のファーストキスの相手は千本だったもんな」と笑顔であっけらかんと口走る星鹿。
「はあ?」と薄目で二人を軽く睨みつける美波。
そして「なに? あんたらそんな関係だったの。付き合ってたなんて、咲音に一言も聞かされていなかったわよ。騙されていたのかしら、あたし」と付け加えた。
「違う違う」と顔の前で手を扇ぐしぐさの星鹿。それに頷く咲音。
「じゃあなに?」
「大学四年の初めに、ゼミの親睦会の帰り道に罰ゲームでふとしたことで、ド貧民になった俺は王様から指示されてさあ、そういうことになってしまった。すごく嬉しかったんだけど、あのあと千本をみると恥ずかしくって、目が合うのも恥ずかしくって……」と真っ赤になって笑う。
「あんたら高校以下の恋愛遍歴をこじらせているのね。もう三十歳も近いのに」とあきれ顔の美波。
「うぶだったのね。初めてなのは私も同じよ。私のほうは折角の好意を聞いて、あなたからの告白を待っていたのに、とうとう卒業しちゃって、何もないままよ。キスのさせ損だったわ。返してほしいわよ、私の青春とファーストキス」とシニカルな笑いを見せる咲音。
秘められた学生時代の過去の逸話に美波の脳みそは天高く上昇、杏の方は勝ち目のない二人の絆に惨敗し意気消沈であきらめの境地だ。
そんな多留場姉妹の様子を気に掛けることもなく、当のご両人は見つめあったまま会話もない。
そんな時、たまたま地下通路からの喧騒が一瞬ピタッととまる。静寂の瞬間だ。
「今からでも遅くなければ、キスの分、利息を付けて告白するけど……」と星鹿。
「ふーん。じゃあ、いまここであの時のキス再現してよ。あれ以来わたし、男日照りで困っているのよ。告白してきた人もいたけど、あなたが脳裏を横切って、ちらついて尽くお断りしてきたのよ。責任取ってよ」と強気な咲音。
「わかった。責任取ってお嫁さんにする。ただ来週から大物ミュージシャンのバックで全国ツアーに出るんで、結婚式は来年の春になるけどいいかな?」という。意外にもまじめな星鹿だ。
『言ってみるもんだ』の大逆転で初恋と結婚を同時にゲットした咲音。
あまりにもの急展開で「本当にいいの?」と一転、しおらしくなった咲音。
「そっちこそ、こんな俺でいいかよ。もっと安定した大きな会社に勤めている人じゃなくていいのかよ」と不安げな顔だ。
「そういうお堅い人は大学図書館に勤務していて沢山いたわよ。でもね、プライベートを犠牲にしてまで夢をあきらめた人ばかりだったわ。そんないけすの中のイワシよりもサケやマス、アユのように海や川を自由に泳いでるような生き方の人の方がいいに決まっているわ。私も仕事持ち、男性に頼って生きていくなんてこれっぽっちも考えたことないもの。誰かさんのおかげでね」と軽いウインクの咲音。そしてすかさず「二人でやってけるならなおさら最高よ」と付け足した。
「その節は大変失礼しました。これから詫びを入れさせていただきます」
「ありがとう」と満足げな咲音だ。
「うん、仕事のない日は俺も店を手伝うぜ」と絶好調の二人。もう多留場姉妹の存在など忘れたかのような二人の世界だ。
傍で見ていた美波は、「おいおい、なんだこの懐かしいコバルト文庫シリーズにありがちだった、ちゃんちゃん的な展開のオチは。昔読んだような甘酸っぱいラブ・ストーリーが今現実に目の前で繰り広げられているんだけど……」とあきれ顔である。そして現実にこんなことがあるということに驚いている。あれは乙女チックな小説物語の中だけの出来事だと思っていたからだ。
ふと二人の方を見るとすでに甘い抱擁とキスである。
「ごちそうさまでした!」と見せつけられた感じでブーたれる美波と杏。
そして「あたしも好きな男子誘って芝神明で柏手打ってこよう」と杏は自分に言い聞かせて頷いているのだった。いつか自分と二人の世界を作ってくれる男性を見つけてみようと、その瞳は夢見ていた。
了




