勘違いしないで欲しいのだけれど
世界とボクが溶けていく。
境界が曖昧になって混ざり合う。
幻想的な音が降り注ぐ。
音に従いボクは踊る。
無限の光と音の世界。
うん?
ちくりとこめかみに刺激が走る。
だが猛スピードで飛翔する心地よさ。
意識はそちらに引っ張られる。
疑念は即座に忘却してしまう。
地上にフワリと舞い降りる。
すると世界に波紋が起こる。
それにあわせてボクは次の踊りへ……。
――しかし唐突に終わりが訪れる。
音楽だけでなく、歌も聞こえてきた。
その歌がボクの心を掴んだ。
心が止まり、体が止まる。
今までの陶酔すら余興だったかのような甘美な声。
さらにこの先があるのだろうか? そう期待した。
なのに期待は裏切られた。
暗転。陶酔の世界が消えていく。
世界は見えなくなり、音も感触も全てが消える。
……ここは? ボクは?
全ての感覚が消えて、ボクが曖昧になる。
先ほどの世界から180℃反転。
暗闇と静寂が支配する無の世界。
曖昧な世界でボクは上を向いているのか、下を向いているのかすらわからない。
寒い……感覚が無いのになぜ?
全て消えたから。認識した瞬間、恐怖、狂気が沸き上がる。
何も知覚出来ない、それはボクも消えたという事。
余りの恐怖に、悲鳴を上げていたと思う。
だが悲鳴すらここでは意味をなさない……。
――でも救われた。
再び誰かの声が聞こえたから。
声を頼りに暗闇の中でもがく。
声に意識を傾ける事で、ボクが構成されていく。
意識が混濁、消失、再構築されていく中で、ふと『とても優しい声だな』と場違いな感想を持った。
この声は、まるでボクを叱りつけているかのような優しい声で。
……叱る?
こんなにも優しい。なのに叱咤?
矛盾している。
背反した言葉に再び戸惑いが沸き上が――否。
ボクはそれを知っている。
だって……世界で一番好きな声だから。
世界で一番好きな君だから。
――――――――――――――――
「ボクが――ボクが男の子である為に!」
今回の件は絶対に引けない。
君に止められても。
……例え嫌われてもだ。
ボクの矜持を守る為に。
ボクが男の子である為に。
「……ねぇクリス」
「う、ん」
だからゴメン。
「話は終わり? もう話してもいい? 私の言い分も聞いてくれる?」
……告白に対する答えはない、か。
情けない事にホッとしてる。
でも……ちょっぴりだけ、後ろ髪を引かれる気持ちもどこかにある。
でも差し迫っている事態を考えれば当たり前。
感傷を振り払って会話に思考を向ける。
「うん」
やっぱり君は止めるだろうか?
そんな疑念がわいてくる。
それでもボクは行く。
だけど君にも理解してもらいたい。
「――あのさ、勘違いしないで欲しいのだけれど」
? よく聞こえなかった?
何度か聞いた事のあるフレーズな気がするけれど……。
「えっ?」
だから口から出たのは、間の抜けた返事。
その結果は、
「ふざけんな! このバカ!」
――ぐっ!
何?
でも頬が熱い。これは……。
『告白した結果、思い切りぶん殴られるとは……難儀なこった』
ティ、ティーナ? 今まで黙っていたのに突然何を?
いやそれよりも、
「目は覚めた?」
「フィオ。突然――」
何を? と言いかけたが、その言葉を飲み込んだ。
「あのさ……クリスって時々凄くバカだよね。……殴ってゴメン。でも言葉だけじゃわかって貰えないって思ったから」
彼女の顔を見てしまったから。
ボクが彼女を傷つけてしまったから。
何故? どうして?
……それはわからない。
ただボクが傷つけてしまった事だけは直感的に理解した。
何とも言えない痛みが胸に刺さる。
……だけど。
それでもボクは。
「ボクは……。でも行かないと。君は止めようと」
「黙って。今度は私の番!」
纏まらぬ言葉は遮られる。
遮られるままに、彼女の言葉を頭の中で反芻する。
私の番? 君は何を?
「……あのね、別に止める気なんてないわよ」
……だったら何を?
「貴方は、その、上手くは言えないけれど……きっと戦いに行く事が重要なのでしょう? 相手よりも、ここで引いたら自分の事が許せない……そう思っているのよね? そういう風に思ってしまう気持ち、わからなくもない。むしろ貴方らしいと思う」
――彼女の言葉に涙が出そうになる。
『なんでわかるの?』
そんな感情が込み上げて。
君は、なんでボクをこんなにも!?
「だから止める気はない。……けれど、私に話さないのは、別の話じゃない」
……どうして君を信じられなかったのだろう?
悔やんでも悔やみきれない。
駄目だ……。
後悔という負の感情にとらわれて、上手く言葉が出てこない。
頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「――それは。君を」
ともかくちゃんと話を……いや違う。
たぶんボクは君の言葉が聞きたいんだ。
別に慰められたいわけじゃない。
君の言葉は、ボクを救ってくれるだけじゃなくて、ボクを広げてくれるから。
「巻き込みたくない?」
彼女からの端的な問い。そこに込められた何かしらの意味。それに対する答えは定まらない。込められた意味すらわからない。
だが、問いを額面通りに受け取れば、その答えは『巻き込みたくはない』だ。
だって、
「好き……だから」
好きだから、君を危険な目に遭わせてはいけないんだと思った。
こう考えてしまう事は、そんなにもおかしいのかな?
「……ねぇクリス。最初に受けた依頼を覚えている?」
唐突に話題が変わる。
変化について行けないまま、思考が定まらないままに、それでも考える。
考えた結果は、先ほどと同じく額面通りの答えを口にして、
「覚えて「覚えていない!」」
再び語気を荒げた彼女に、ボクの薄っぺらい言葉は再び遮られた。
否、彼女の想いにボクのそれは呑まれた。
「貴方は、あの時、私にこう言った」
彼女は凄く怒っている。
「信用じゃなくて、信頼していると」
でもそれ以上に悲しんでいる。
「貴方は私を用いていたの? 違うでしょ!? 貴方は私を信頼してくれるって言った! 頼ってくれるんじゃないの!?」
――多分ボクを想って。
「それは……確かに。……でも今回はボクの個人的な感傷であって」
……しどろもどろだ。
ボクの言葉はしりすぼみ。
そんな上っ面では、とても彼女に敵わない。
「それが何だっていうの? ――いいえ。それは貴方にとって何より重要な事なのでしょう!? そんな時に頼られなくて、何が信頼なの!?」
ボクは何も言えなくなる。
「……ねぇクリス。正直ね、貴方が私の身を案じてくれているのは嬉しい。そう思う気持ちも確かにあるの」
彼女はそこで会話を区切る。
僅かに彼女の逡巡を感じる。
「……けれどね」
やはり止まる。
なぜ逡巡するのか?
単純だ。ボクに気を使っている。
だから、ボクが促す。
「けれど?」
彼女の目を見る。
そして視線で懇願する。
続けて欲しい。そう答える。
「……それってエドワード、だっけ? そいつと何が違うの?」
違う。そう口にしかけた。
あんな奴と一緒にするな! そう叫びたくなった。
――でも、気づいてしまった。
彼とボクの行動は似ていた事に。
少なくともボクに、その違いが形容出来ない。
「彼は……女だからという理由で貴方を傷つけようとしなかった。それで、貴方は私が好きで? そうだから、私を危険から遠ざけようとする。これのどこか違いがある?」
ボクは男の子でフィオは女の子だ。
だが……相手の気持ちを慮っていない。そういう意味で違いがない。
少なくとも、ボクには違いを見いだせなくて。
「私ね。ちゃんと言った事はないけれど、貴方に感謝しているの」
「……? どういうこと?」
己が我を忘れる程に、怒りを覚えた仕打ち。
同じことをしていた。
それも、敵対している相手ではなく、仲間に対して、だ。
恥ずかしい。
羞恥の感情で、即座にこの場から逃げたくなった。
そう感じた時、ボクに彼女は語り続ける。
感謝している、と。
その言葉にボクは縋り付く。
たっぷりと時間をかけて、彼女は口を開く。
「貴方にとっては大した事じゃないと思う。でも借金でどうしようもなく追い詰められていた私は、間違いなく貴方に救われた」
しかし……彼女の言葉は大した慰めにはならなかった。
だってそんなの、
「当たり前。じゃないか……」
否定してしまう。だが彼女は続ける。
「……それを当たり前って言える貴方に感謝している。貴方は力があって、覚悟があって、誰よりも優しい人。……だけど優柔不断な癖に思い込んだら一直線で、思慮が足りないバカで……そんなどこにでもいる男の子」
――どこにでもいる男の子。
――あぁ! もう!
君はボクがもっとも欲しい言葉をくれる。
なんでこんなにもボクの心を揺さぶるのさ!?
「……ねぇ。フィオ」
「もう! わかってよ! 私の気持ち!」
そう言って彼女はボクに近づいた。
彼女の行動は、いつもいつもボクの予想を超える。
初めてのキスは血の味がした。
「ゴメン……私も間が抜けているわね」
「……うん。痛かったよ」
そう絞り出すだけで精一杯。
勢い余って口を切った。
それでもボクの顔は火を噴いている。
熱い。
真っ赤なんだろうね。
だって彼女にキスをされたのだから。
大好きな君にキスをされたのだから。
「貴方は戦いの果てに散っても満足かもしれない。でも……そうなった時に、貴方を好きな私はどうしたらいいの? どうすると思う?」
「――フィオ。そんな……。君はボクを?」
受け入れてくれるの?
「ストップ! その話は後。ともかくそうなったら、私は一人で彼に挑む。……私と貴方が別々に戦うか、二人で戦うか。どちらを選ぶ?」
――きっと考えなきゃいけない事は、たくさんある。
でも彼女が早口でまくしたてる姿を見たら、全部どうでも良くなって。
敵わないな。
そんな事しか思えなかった。
『所詮男は女に敵わない。ってね』
……君とボクが無知蒙昧なだけさ。
返事の出来ないボクらに彼女は更にまくしたてる。
「貴方が好きだって言う私は、こういう女なの! どうする? 好きだって言葉撤回する!?」
そんな事、
「撤回するわけがない。ますます好きになったよ」
「――じゃあ一緒に行くわよ! 貴方をバカにした奴を一緒にぶん殴りに!」
「フィオ……ありがとう」
「私が好きでやっている事だから、お礼なんて言わなくていいの!」
考えてみれば……ボクは君の優しさに甘えっぱなしだ。
だから、ボクはボクらしく生きよう。
それが、ボクの為であり、君に応えられる最善と信じられるから。
でもね。フィオはボクが絶対に守ってみせる。
今度こそ必ずだ。
『要するにうちにはバカしかいない、と』
……残念ながらその中に、君も含まれているけどね。
『お後がよろしいようで。じゃあ作戦考えようか』
あぁ。3人で考えよう。
――――――――――――――――
「フィ……オ……」
これは……。
しまった!
意識が飛んでいたようだ。
剣を交えていたはずが、いつの間にか霧に包まれ、土壁が目の前にある。
ティーナ!?
『クリス!? 大丈夫なのか?』
あぁ大丈夫。ゴメン迷惑かけた。状況は?
そうティーナに問いた瞬間、風が吹き霧は晴れる。
『……という状況だ。わかったな?』
了解。
状況とすべき事を理解。
ティーナが作ったであろう土壁の上へ飛びのる。
「……おっと」
体が軽い?
「さあ、全てを灰燼に帰さしめよ……」
フィオの詠唱が間もなく終わる。
ふと彼女の声を聴きたくなった。
けれど今は戦いの途中。
ボクが今すべき事はエドワードを探す事。
見つけた!
空中にいる彼と目があう。
睨み合う。だが次の瞬間、彼は笑った。
なぜだろう? ボクもただただ笑いが込み上げた。
順調だから……ではない。
いまさらだ。理由など栓無き事。
「最上級火属性魔法!」
フィオの魔法が発動し、一帯に炎が吹きあがる。
ここは風上で、さらには発動範囲から少し離れている。
それでも熱波が押し寄せ肌が焼かれていくのを感じる。
だが、そんな状況でも絡み合う目線は解けない。
――笑った理由を理解した。
今日ボクがここに来た理由がすでに果たされているからだ。
だけど……それでも折角だ。
最後にもう一度剣を交えよう。
君もそれがお望みだろう? エドワード。




