訪問者と応対者
「クリス、痛いよ。もうちょっと優しくしてよ……」
「ゴメンね。でも、もう少しだから我慢して。それと今日から朝・昼・晩の3回するからね」
「そ、そんなに……」
体が慣れるまでは多少痛い。
でも早めに慣らすため、延いては格闘術を習得するためには、日に3回した方が効果的。
今日は午後に約束があるから、残念ながら依頼を受けられない。
それもあって、初日だし一通り教える為に、午前中は訓練をする事にした。
ギルド内の訓練場なら、安全という理由もある。
あっ。そろそろ30秒。
「はいおしまい」
「いたたっ。うぅ。ちょっと休憩させて」
「ちょっとだけだよ」
ボクが手を離すと、フィオは肩を抑えてさすりだした。
トンファーやナイフは、剣や槍などの一般的な武器と違って、格闘術の延長線上にある。
剣を相手に素手で戦うには、3倍の技量が必要と言われるけど、ナイフ相手なら技量がそれなりに上回っていれば、素手の人間が勝つ。
付け加えて、ナイフ、トンファーは武器の原則である、順手持ちだけでなく、逆手持ちも多用する。
トンファーは逆手の方が防御に優れているし、ナイフは攻撃力が増す。
あんな短い刃物で、人をまともに切れるだけの重さや速度は出せない。
原則刺さなければ倒せない。それがナイフだ。
そんな対ナイフ戦を想定すれば、突き詰めると相手の前腕(肘から先)を、どのように封じ込めるか?
これに集約される。
「その為に格闘術の基礎を教えるけれど、肩の可動域を広げたいからストレッチをしているんだよ」
「理屈はわかった。でも自分でもしていたつもりだったけれど、こんなに痛いとは誤算だわ」
「素手だと武器よりも、可動域が必要だからね。それじゃあ次は体捌きね」
もちろん素手で倒さなければならない理由はない。
剣でも魔法でも、こちらが有利になるように戦えば良い。
ただ、格闘術を学べば、ナイフ使いの動きがある程度予測できるし、室内戦闘など武器と魔法の使用が難しい場合もある。
冒険者のボクらが、なぜこんな事に時間を取られなければいけないのかと、思わないでもないが割り切るしかない。
――――――――――――――――
訓練を終えて宿に戻り準備をして、軽く昼食を取ってリッグ建設へ出向いた。
受付で名乗り、ファティマさんの名前とアポの時間を伝えると、応接室へ案内された。
ボクらが入室してさほど待たずに扉が開く。
先頭に入って来た男性は、40代半ばといったところだろうか。
後ろからファティマさんが続き、扉を閉めた。
「はじめまして。こちらの不手際だというのに、ご足労いただきまして申し訳ありません」
「お気になさらないで下さい。クリスティーナ・サザーランドです。よろしくお願いします」
「スチュアート・ラックウェルです。ファティマの上司で、総務部4課の課長を務めております。どうぞ、お掛けになってください」
失礼しますと一言伝えて席につく。
たかが駆け出し冒険者二人と、もう少しぞんざいな対応をされるものと考えていたが、スチュワートさんの言葉は丁寧だし、客人としてボクらを扱っている。
ただし油断は禁物。
第一印象はどこにでもいそうな普通の中年男性。
背も高くないし、着ている服もありふれている。
強いて印象的な点をあげれば、目が細くてキツネっぽい顔だなって程度。
だがよく観察すれば顔は笑っているが、細い目のその奥に僅かに見える瞳は、濁っており感情が読めない。
また歩く姿から体幹は良い事がわかるし、僅かに覗く手首を見れば、相当鍛えている事も容易に想像がつく
この部署は本当に何なのだろうか……。
「まずは先日の件ですが、私共の監督不行き届きです。申し訳ありませんでした」
そう言って頭を下げる。
「いえ。頭をあげて下さい。大事には至っていませんし、貴方のせいではありませんから」
年上の人間が頭を下げるというのは、実にやりづらい。
『ただのパフォーマンスだろうし、そう焦るな』
パフォーマンスでもやりづらいさ。
伝えるべきことだけ端的に伝えよう。
「気持ちは伝わりましたから。ボクらは今回の件で、御社に迷惑をかけるつもりはありませんので安心してください。フィオも良いだろう?」
尋ねれば文句一つ言わずに、フィオも頷いてくれる。
「そう言って頂けると助かります」
たっぷり5秒ほど待って、ようやく彼は頭を上げてくれた。
よし。
畳みかけよう。
「ボクも一応は貴族ですから、そちらの事情もなんとなくは理解しております。また、貴族といえども、所詮は端くれです。そのボクがそちらと揉めたくない……その胸中もご理解いただけると思いますが、いかがでしょうか?」
本音です。察してください。
「……半信半疑だったが、どうやら本当のようだね」
はっ?
「理解出来ないかな? 良い回答だと思ったのさ」
いきなり何を言っているんだ?
「いや、失礼した。私も一応はここの騎士団で士爵を賜った身なのだが、貴族同士という事で率直に話をさせて貰っても良いかい?」
……すみませんでした。
ボクは所詮、みなし貴族です。
とは言えこの場では、傲慢に出るのはバカだけど、必要以上に下手に出る必要もない。
「もちろん構いません。率直な話の方が助かります」
「ふむ。では改めて腹を割って話そうか。色々と君の事を知りたいし、君もなんでも聞いてくれ。早速だが質問はないかね?」
「そうですね……」
どうしようティーナ?
『あー、悪いけど様子見で頼む。正直俺も予想が甘かった。兵士上がりだとは思っていたが、まさか騎士団上がりだとはな』
「何から話すべきか思案しているようだね。そちらのお嬢さんは何か質問ないかい?」
こちらをフィオが、ちらりと見たので頷いて答える。
ちょっと考える時間を稼いで欲しい。
「その、只の疑問でもよろしいでしょうか?」
「もちろん」
「それではなぜナイトの称号を持つ方が、民間企業で働いていらっしゃるのでしょうか?」
「……取引相手に貴族が多くてね。そうした中で気位の高い方は平民の社員では話を聞いて貰えない方も中にはいるだろう? その為だよ」
「納得です。失礼しました」
なるほどね……。
うん? いや変だ。
「失礼ですが、それは嘘ですよね」
指摘をすると、彼は只でさえ細い目を更に細め……そしてにやりと笑う。
「なぜそう思ったのか根拠を聞いても?」
「貴族の対応をするための准貴族が務めている。それは仰る通り御社程の規模であれば一般的です。しかし、普通ならそういった役割は商家出身の准貴族ですよね? なぜ、騎士団出身の貴方はもちろん、その部下のファティマさんも戦えるのですか?」
「やはり素晴らしいね。しかしまだ若いな。そんな君に一つだけ交渉のコツを教えてあげよう」
「是非ともお願いします」
この人が信用できるかどうかはまだ判断できないけれど、ここで嘘をつかない。
そんな気がする。
「……君のその素直さは実に美徳だ。普通若いなどと揶揄されれば、不快感を表す若者が多い中、その姿勢は賞賛に値する」
「恐縮です」
「だが同時に欠点でもある。相手の嘘に気づいても、それをすぐに口に出す事は、悪い方向へ転がる事もある。また、その嘘を後の交渉に活かす事も出来る。覚えておくといい」
ほえー、なるほどね。
「ご指導ありがとうございます。勉強になります」
「それは何より。それで私の立場だが、ご存じの通りうちはグリンデゥール子爵の企業だ。そして私たちは子爵の私兵団のようなものだ。グループ企業はいくつもあるが、こんな部署があるのはうちだけさ」
「私兵団……ですか」
なぜ私兵なんて集めているんだ?
「あぁ勘違いしないでくれ。特別に後ろ暗い理由はないよ。ただ、商売をしていれば、警備だったり護衛を雇ったりもするだろう? 普段は冒険者に頼むが、いつも信頼出来る冒険者の手が空いているとは限らない」
「それはそうですね」
「そういう訳で、自前でもある程度の戦力は整えておかなければならない。それに……可能な限りまっとうな商売を心掛けているが、これだけの規模となれば探られたくない腹がない訳では無い」
そこをつけこみたい、大小の魑魅魍魎もね。そう彼は付け加える。
うーん……。
本当の事だろうけど、だからこそ忌避感を覚えてしまう。
「さて。一つ聞かせて欲しいのだが、君たちはなぜ冒険者をしているのだい?」
「……恥ずかしながら、お金の為です」
「なるほど。ならばうちで働かないか? 契約金もある程度だすし、待遇は良くするぞ。うちで働いてくれるなら、子爵も君の件でヤキモキする必要もなくなるし……どうだろう?」
おいおい嘘でしょ?
まさかこんな話になるとは思いもしなかった。
だけど、
「ご評価下さり大変にありがたく思います。ですが……」
「……ふむ。すぐに決心してくれとはもちろん言わないがね。理由を聞いても?」
「金額面で折り合いがつかないと思います。もちろん冒険者はしておりますので、指名依頼をもし頂けるのなら、可能な限り務めさせていただきますので」
ボクに清濁を併せ呑めるとは思えない。
人に静かにして貰う仕事なんて真っ平だ。
変な内容の指名依頼なら、都合が合わないと断れるし。
「ある程度の金額ならば構わないのだがな。職位は課長だが、私は子爵の懐刀の一人でもある。裁量はそれなりに持っているよ」
「……申し訳ありません。私が望む額に対して、それだけの仕事を出来る自信がありませんので、辞退させて下さい」
「私はそう思わないがね。改めて考えておいてくれ」
その後は世間話を少しして、今回の打ち合わせは終了した。
レベッカさんの事も調べていたらしく、ボクにも聞かれたけど正直にあの事件の前日に出会っただけという話を伝えると、少し残念そうだった。
高位貴族というのも、高位貴族の苦労があるものだね。
そういえば、ボクらが仮に聞き訳が良くなかった場合は、多少の金を渡して実家の商会に圧力をかけるだけだと言っていた。
静かにしてもらう方法も、色々とあるという事だ
世の中怖いなぁ。
――――――――――――――――
立ち去る少女二人を窓から見下ろす。
ここから見ると、年相応の少女達にしか見えないというのに不思議なものだ。
先ほどはツメの甘さを指摘したが、年齢を考えれば十二分に思慮深い。
報告を見る限り戦闘力に関しては、この公領全体でも彼女に匹敵する者など10人もいないだろう。
才能も勿論あるのだろうが、それだけの訓練を自らに課してきた人間が、多少なりとも情報戦も心得ている。
実に面白く、是非とも欲しい人材だ。
「ファティマはどう思う?」
「課長の評価通りですね。囲い込まなくてよかったのですか?」
「なーに。ちゃんと囲い込むさ。ただ納得して来てもらった方が、良いと思っただけさ」
断れないようにお願いする方法などいくらでもあるが、自発的に動いてもらった方がより優秀な手ごまになるのだから。
「何か考えが?」
「普通に好待遇で指名依頼をするだけさ。義理が出来れば断りづらくなる。その恐ろしさも時期に気づくだろうさ。あぁ、監視も解いておいてくれよ」
「……普通の事を言っているはずなのに、課長の口からだと、何か悪巧みしているように聞こえますね。ちょっと鏡を見た方がいいと思いますよ」
……何という言い草だ。
まあよいが。
「それから、レベッカ・シューカーの事は相変わらず不明か」
「王都にも問い合わせましたが、あまり進展はありません。はっきりしているのは、防疫や護衛などを、時々請け負うSランク冒険者というだけです。出身などはいくつか情報が出てきましたが、作為的なものを感じます」
「そうか。引き続き情報を集めてくれ」
やはり進展なしか。
どこかの子飼いなのだろうが、ここまで不明だと少し気にかかる。
そういえば、獣を操る能力を持っているらしいが、そんな能力今まで聞いた事がない……。
もしや?
……いや、流石に発想が飛躍しすぎだろう。
それならば、子爵に確認を頼むという手もあるが、こんな私の思いつき一つでそんな事は出来ん。
こいつらに……話すのも、悪手だな。
上司が迷妄していると思われてはたまらん。
結局は、私だけの懸念事項にしておく他にないか。




