そんな事はくだらない
「ちょっと待って下さい。可哀想ってなんですか?」
フィオ?
発言を受けて、祖父は彼女を向く。
ボクに対する怒りが冷めやらぬ態度のまま、彼女を見るな。
「君はクリスの恋人なのか?」
「違います」
「だったらこれは家族の話なのだから……」
「でも、彼は私にとって大切な友達です! それで、可哀想ってどういう事ですか!?」
祖父の失礼な発言に、怒りを露わにしそうになる。
けれど隣に座る彼女が、次の瞬間に大切な友達だと言ってくれた。
……ボクの代わりに怒ってくれた。
ボク以上に怒ってくれる彼女を感じれば、不思議な事にボクの怒りなど急速に冷めていくのを感じる。
「……君はクリスが可哀想だと思わないのか?」
「私は思いません」
「何故だ? その心の病を、碌に周囲の人間が知ろうともせず、知らぬが故に、反対もされず……仮に知っていたとしても、少なくともその道は茨の道であり、おそらくは不幸になる道に、クリスが進むことを手放しで認める事が」
お祖父様の言葉の対象は、完全に彼女に変わった。
怒りが冷めて落ち着きを幾分か取り戻せば、一つの不安が頭をもたげる。
自分の思い通りに話を進める為に、棘を持った言葉が彼女に向かう事が。
止めないと。
「フィオ。ありがとう。……ボクはもういいから」
「クリス……」
だって、仕方がない事なのだから。
全ての人に理解して貰える事じゃないのは承知しているから。
無理に主張する必要性はない。
適度に受け流していれば、それで良い。
それなのに……。
こんなボクの為に怒ってくれた。
そんな君にまで、この馬鹿らしい争い事に巻き込まれて、不快な思いをして欲しくない。
不快な思いをしても、君が得るものなど一つも無いのだから。
「――ふぅ」
彼女は目を瞑り、何かに思いを巡らせる。
少しして、深く、深く、ため息をついた。
そしてボクを再度見据えて……
あ、あれ? これはボクに対して怒っているの?
「あのね。勘違いしないで欲しいのだけれど……」
「は、はい」
勘違い?
「貴方が良くても、私が良くないの!!」
……当事者はボクのはずだ。
けれども、彼女の勢いに飲まれてしまって、それを口にする事が出来なかった。
意外な事に、お祖父様が冷静にフィオの次の言葉を待っている。
そうこう考えを巡らしていると、彼女はお祖父様を向き直し、再び言葉を紡ぐ。
「失礼しました」
「構わんよ。君の考えを聞こう」
「申し訳ありません。それで話を戻しますが、そもそも彼は病気なんかじゃありません」
やっぱり止めなければダメだ。
頭の冷静な部分ではそう考えているのに言葉が出ない。
こんな下らない事で、彼女に不快な思いをさせたくないはずなのに。
制止する行動に移れない。
「しかし…」
「確かに、彼の心と体の状態を表す病名があるのかもしれません。でも、それがなんだっていうのですか? それに何の意味があるのですか? サザーランド卿は先ほど仰いました。実態の持たない言葉は只の言葉遊びだと」
それ以上に彼女の言葉を、彼女がどう考えているか。
知りたいと思う気持ちが勝っている。
気がつけば先ほどまでの怒りなど、完全に霧消していて、
「それを病気だ。……そう決めてしまえば、わかりやすいかもしれません。ですが、その一般的に病気と言われている事は、彼にとっては只の個性です。少なくとも、そのように彼は常に言っています」
「それは、自分でそう思い込みたいだけとも考えられるが?」
「確かにそのようにも受け取れるでしょう。ですが、私はここ半年以上、彼と多くの時間を過ごしてきました」
何もせず、ただ黙って彼女の言葉を聞いている。
……なんて自分勝手なんだ。
「……何を言いたいのだ?」
「彼と過ごした中で、私が見てきた彼は。……はっきり申し上げますと、優柔不断だったり、デリカシーがなかったりします。けれども、ここぞという時は迷わないし、私の事を彼なりに気遣ってくれたりするんです」
フィオの言いたい事はまだ掴めない。
でも……
彼女がボクの為に何かを必死に訴えてくれている事は伝わってくるから。
「それは、矛盾しているように聞こえるな?」
「仰る通りです。まさしく矛盾しているんです。――でも、誰だって、自分の行いに一つも矛盾が無い人なんていないじゃないですか?」
情けない。
何が『仕方がないから気にしない』だ。
親しい人達の真剣な言葉の前で、ボクは流れに身を任せる事しかできない。
何が『覚悟』をしているだ。
結局は理解を、受容を望んでいたんじゃないか。
「認めよう。それで?」
「それをある程度コントロール出来るのが大人だと、私は思います」
『それは別に悪い事じゃないと思うがな』
……。
「要するに何が言いたいのかな?」
「彼は未熟なんです。同い年の私からみても。――そこら辺にいる同年代の男の子同様に! だから私には彼が男の子にしか見えません!」
――ッ!!
「……続けてくれ」
「彼はどこにでもいるただの男の子です。でも、強くてカッコイイ男の子です。どんな障害だって、彼は乗り越えます! そもそも、制度がどうだからとか、その実態がどうだからとか、子供を作れないからどうだからとか……実に下らないと思いませんか?」
「……貴族の端くれとしては、いささか乱暴に聞こえるがな?」
気が付けば……。
呼吸が浅くなり、心臓の鼓動は激しくなっている。
「貴族云々については、平民の私は仔細についてはわかりかねます。しかし、そもそも、彼の行いは百合姫様――つまりは王族が作った制度に基づく行動なのだから、准貴族である事が、そこまで妨げになるとは思えません!」
「……まあ良いだろう。続きを聞こう」
なんだろう?
この感覚は?
この気持ちは?
「彼の相手の周囲が、そんな下らない理由で反対するからって、それがどうしたと言うのですか? 仮に、ある女の子の愛する男の子が、心も、体も、両方が男の子だとしても、周囲が、恋愛を、結婚を反対する理由なんて、欠点なんて、他にいくらでもあります」
「例えば?」
「例えば、経済的に頼れない人かもしれません。例えば、病に犯されて未来が余り望めない人かもしれません」
『フェニチルアミンだな』
なんだよそれ。
「その時に、法律上彼との結婚が可能だとか、子供を作る事が出来るとか、そんな事を伝えて、女の子は周囲を説得すると思いますか?」
「それは…思わんな」
「そうでしょうとも! 私なら……彼がどんな魅力を持っているのか? 私にとってどれだけ必要なのか? 私が彼にどれだけ助けられているのか! そういった話で周囲を説得します! だから……だから……」
――ダメだよ、フィオ。それ以上は言っちゃいけない。
「……だから?」
「――彼は、決して!」
誰かの為に……。
ましてや、それがボクの、ボクみたいな情けない奴の為に。
「絶対に!」
ボクみたいな変な体の男の為に。
「誰がなんと言おうとも!」
君にとってなんの得にもならないのに!
「可哀想なんかじゃありません!!」
その言葉に、振る舞いに、一切の見返りなどないのに。
それでも、心を砕くその行動は、
ボクを期待させてしまうのだから。
次回の更新は10月17日予定です。
遅筆で申し訳ありません。




