路地裏の誘拐劇
目の前に現れた謎の少女を目にして、少年は一瞬、ここが現実世界なのか疑ってしまった。
それほどに、その少女の容貌は現実離れした美しさを放っていたのである。
まず印象的なのがその瞳だ。水晶のように深いエメラルドグリーンをした瞳はまっすぐ少年の顔に向けられている。次に髪。雪が降る中でも存在感を微塵も失わない、艶のある白銀のミドルヘア。路地裏に吹きこむ冷たい風に揺れているそれは、天女の衣を連想させる。
そして、全身を覆うサンタクロースのコスチューム。しかも通常と異なるのはいわゆる赤サンタではなく、全身真っ白な白サンタであるという点だ。
背景は雪景色。
服装は白サンタのコスチューム。
絹のように滑らかな肌は美しい白を奏でていて、白銀の髪が風に揺らめいている。
白という色が持つあらゆる魅力を纏っている全身の中で唯一、色彩の異なる二つの瞳。
少年にとって少女の存在は、聖書に登場する天使のように感じられた。
少年と少女の間にしばしの空白が訪れる。
突然の出来事に戸惑い、少年が返事に詰まっていると、少女は勝手に喋り始めた。
「あら、もしかして無反応? おかしいわね。ちょっとは驚いてくれると思っていたんだけど」
少女が少年の反応に首を傾げていると、更に後ろから別の声が聞こえてくる。
「雫様、当たり前です。誰だっていきなり現れたコスプレサンタに誘拐しにきたとか宣言されたら反応に困ります」
冷静な指摘をした人物は、雫と呼ばれたサンタ少女の後ろにいるようだった。
「そう? だって今日はホワイトクリスマスよ。もっとこう、盛り上がってくれると思ったんだけどなあ」
「いえ、ホワイトクリスマスは関係ありません」
「ふうん、まあいいわ。それより、地味に寒いし……そろそろ『狩り』の続きをしましょうか」
視線を後ろの少女から少年に戻す少女サンタ。
おそらく今の会話は遊び半分の冗談だったのだろう。サンタの帽子の下から覗く碧眼がやや真剣味を帯び始める。
その反面、顔にはさっき空から降りてきた時、初めて見せた不敵な笑みが戻っている。
少女サンタはおもむろに語りだした。
「さて、用件を簡単に伝えると、まあ最初に言ったけど、あなたを誘拐させてもらうわ。誘拐っていうより拉致って表現の方が適切かな。どちらでもいいけど。とにかく、あなたの身柄、人権、財産等々、あなたが所持する全てをあなたごと頂くつもりだからよろしくね」
さらりととんでもないことを言ってのける少女。
誘拐。拉致。全ての剥奪。
それらの言葉を耳にして、少年は改めて事態の深刻さを理解した。
自らが犯罪の被害者になろうとしているのだと。
しかし、同時に思い出した。自らの置かれている状況を。
今更、自分に何か惜しむものがあるだろうか。
奪われて困るものがあるだろうか。
そう、少年の人生は詰んでいたのだ。
状況は何も変わらない。問題はどういう終末を迎えるかどうかだけだ。
それでは、抗うことなくこの怪しい少女らに連れ去られるのを容認してしまうのか。
その問いかけに対して、少年の心の中に真っ先に浮かんだ答えはNOだった。
己の不遇さを今更否定するつもりはないが、或いは、別に未来に希望があるなどと淡い期待を持つことはしないが、それでも、状況に妥協するのだけは許せなかった。
多分、深い理由はない。
直感的にそう判断したまでだ。
「なにか質問とか意見はある? もっとも、あったところであなたは必ず持って帰るけどね」
少女は問答無用といった態度で、そう言い、少しずつ少年に歩み寄る。
少年は余力を振り絞って身をよじり、横たわっていた体を起こすと壁にもたれ掛かるようにして座った。そして、少女サンタを睨みつける。
「…悪いが、断らせてもらう」
かすんだ声だったが力強く言い返す。
すると少女サンタは若干意外そうな表情をして、問い返す。
「へえ……理由は?」
「ごほっごほっ、それはこちらのセリフだ。どこの誰とも分からない、突然現れたコスプレ変質者なんかに安々と誘拐されてやる理由がどこにある。お前らこそ、なぜ俺を連れて行こうとする?」
咳込みながらも、怯まずに答える。
すると少女サンタは、
「それはね___」
と、何か言いかけると、一瞬で少年との距離を詰め傍まで近づくと、少年の顔を覆っていたフードを払った。咄嗟に抵抗しようと試みた少年だったが、衰弱しきった体では何もすることができなかった。
寒風と微かな月明かりにさらされた少年の薄汚れた顔が少女らの目に入る。
瞬間、少女らの目が大きく見開かれた。
「なるほど、ですね…これほどの上物は久しぶりです」
「でしょ! だから言ったじゃない。彼女はうちのファミリアに必要だって」
「さすがです。雫様」
勝手にフードを脱がされ、降り積もる雪を頬で受け止めるはめになった少年を置いて、少女らは理解不能な会話をし始めた。
「……なんのつもりだ」
目と鼻の先にいる少女サンタに向って問いかける。
少女サンタは少年を見つめると、ぬいぐるみを愛でるような顔をして、言った。
「ああ、まだ話の途中だったわね。理由……そうね。それは、あなたが可愛いからよ」
その一言を聞いて、少年の思考が再び停止したのは言うまでもない。
遠慮せずに続ける少女。
「あたしは世界中に隠れている可愛い女の子達を見つけ出して、自分のものにするのが趣味なの。いいえ、ライフワークと言っても過言ではないわね。美少女って、生きた宝石なの。そんな可愛い女の子を集めて、優しく楽しく心地よく調教して、自分色に染め上げていく歓びに勝るものなんてありえない。そろそろ理解できた? つまりは、あなたが欲しいってこと」
そう言い終わると、少女はいきなり少年の首に手を回し、頬ずりをしはじめた。
お互いの頬の冷たさが肌の柔らかな感触と同時に伝わり、やがてそれは温もりへと変わっていく。
「なっ、やめ、ろ、おい!」
少年はすぐに腕を振り払おうとしたが、予想以上に少女の力が強く敵わない。というよりも、少年の力がほぼ皆無と言った方が正確だろう。
少年は抵抗と呼ぶには物足りない、まるで駄々をこねている子供のそれかのような足掻きを続ける。
少年は長らく忘れていた感情が心の奥底から湧き上ってきているのを感じた。摩擦による熱か、それとも気のせいか、頬が、顔が熱かった。
不快な表情をしている少年とは対照的に、少女は満足した様子で少年の体を拘束している。
すると、後ろで見守っていた少女が心配そうな顔をして少女サンタに言った。
「雫様! おやめください! 察するに、その少女はかなり清潔と呼ぶには程遠い状態にあるかと思います。おそらく長らく身体を洗っていないのでしょう。雫様のお身体が汚れてしまいます!」
その少女の指摘はもっともだった。
少年は形容するのも躊躇われるほどに、汚れきっていた。
しかし、少女サンタはその言葉が聞こえなかったのか、少年から離れない。
「黒曜、覚えておきなさい」
「な、なんでしょう」
サンタ少女の声音の変化に、助言した少女はやや強張ってしまう。
「この世に、汚い女の子なんていないの。外見に惑わされてはいけないわ。女の子の本質は可愛さの中にしかないし、そこに汚れは存在しない。例外はないわ。いい? 理解、できたわよね?」
「……は、はい。申し訳ありません」
少女サンタの柔らかくかつ強いその言葉に、黒曜と呼ばれた少女は一歩下がり身を低くした。
「ふふっ、分かってくれればいいの。で、あなたも理解、してくれたわよね?」
少女サンタは少年から頬を離し、至近距離で問いかけた。
正直、少年はかつてないほどに混乱していた。
その理由は腐るほどにあげられるが、今、言うべきは一つだ。
それは、目の前にいる少女の図々しさでもなければ、変態性でもなければ、誘拐されようとしていることでもない。
どうやら少女らは重大な勘違いをしているようだった。
少年でさえ、その事実に気が付くのには少々時間がかかった。
冗談だと、その可能性を否定もした。
ただ、幼い頃からそのような勘違いをされることが皆無だったわけでもない。
あの時、すべての力を失ってからはよりその勘違いを受ける傾向は強まったと言える。
だが、だからといって、あり得るだろうか。
少年は問いかけに答えるのを忘れて、自問自答を繰り返した。
しかし、続けて少女が発した一言により、少年の懸念は間違いなかったと証明されることになった。
「あなたみたいな可愛い女の子、絶対に逃がさないから」
___少年は少女らに「女の子」だと勘違いされていたのだ。
「じゃあ、だいぶ体も冷めちゃったし、早く帰ってお風呂にでも入るわよ。大丈夫。あなたは何もしなくていいわ。動けないみたいだし、あたし達が責任もってしっかりとお持ち帰りさせてもらうから」
少女サンタはそういうと、腰に付けていた黄ばんだ白色の何かを広げた。
それは、サンタクロースがクリスマスプレゼントを入れている白い袋とは似ても似つかない、よく誘拐や拉致などに使われる、人間を運ぶための麻袋だった。
手際よく麻袋を広げると、少女らは少年をそこに収容しようとする。
抵抗する力を持たない少年に選択肢はなかった。ただ、自分が男だと伝えることができたならば、話は変わるだろう。しかしその場合、少年の人生がこの路地裏で終わりを迎えることは明らかだ。勿論、だからと言って、このまま連れて行かれた先で自分が男だとばれた時、殺されない保証はない。
ゆえに、少年が最後の力を振り絞って、自分は男であると伝えようとした理由は、最早ただの男としてのプライドでしかなかった。
「待った…俺はおん、ごほっごほっ、なじゃない、う、ぐぁはっ」
咳がこみ上げ、思うように喋れない少年。
そんな少年にとどめをさすように、サンタの格好をした誘拐犯は呟いた。
「はいはい、続きは温かい家の中でね」
「待っ___」
「はい。美少女、捕獲完了」
そして、少年は麻袋の中に捕えられ、少女らの誘拐が完了した。
麻袋が閉められる直前、少年が見たサンタの誘拐犯の顔は、清々しいほどに綺麗な笑顔だった。