運命までのキャリアプラン
いずれ自分は死ぬ。
だからこそ、自分は生きたい。
とても単純なはずの問答に、アルレッキーノは常に苦しんできたとも言える。
いずれ自分は他人によって上書きされる。考えや思い出を抱えたまま終わりを迎える権利は、アルレッキーノにはない。
他人の終わりは常に死だ。自分の考えや思い出を抱えたまま、死の直前までを渡り歩むのだろう。
だが、アルレッキーノの終わりはそうではない。ある日ふと自分が自分でなくなり、考えや思い出はどこにも残らない。
自殺する以外に、アルレッキーノには自分の終わりを噛み締める権利すらないのであった。
いずれ死ぬ。果たしてその時自分は、死を知覚することが可能なのだろうか。
それはアルレッキーノの中で生まれたとても小さな疑問だが、日に日に増大していく疑問でもあった。
死とは知覚可能なものなのであろうか。死ぬときの感覚はどういうものなのか。
命の醍醐味は、死を噛み締めることにあるのではないか。
アルレッキーノは、生にしがみつくのと同時に、死にも魅せられていた。
「死に場所が欲しかったのだ」
アルレッキーノは独白した。
己が人生を生きるためには、己で人生を生き終えなくてはならない。
己がもがき苦しみながら本物を模索し続けたのは、本物を知りたかったからに他ならない。
己の命だけは、疑うことのない本物であった。
アルレッキーノが最後の最後に噛み締めたいと強く願っていたものは、己の命それ自身であった。
アルレッキーノは知っている。命は尊いことを。
生きるということは、本質的には素晴らしい営みである。その行為には感情が伴っている。願いが籠もっている。意志によって漲っている。
しかし生きることは難しい。
人は、死に瀕したとき己の人生を振り返るだろう。そしてその時に愕然とするはずなのだ。己が本当に生きた時間の短さに。
生きるということは、意味と感情に溢れた時間のことである。
思い返したときに僅かのものしかないのであれば、それは人生の殆どを生きていないのだ。
アルレッキーノにとって生きることとは、大いなる死への旅である。
運命とは、その旅の道標だ。足跡でもある。その一本に繋がった物語なのかも知れない。
それを歩むことが、ある日突然出来なくなる。
自分はその瞬間消え失せる。
その続きを歩むのは、己の知らない誰か。
思い出を抱えながら死を迎えることすら、許されはしない。
このようなことがあって良いはずもない。
アルレッキーノが煮たぎるような憎悪と怨嗟を抱くのは、そのような所以であった。
何を恨めばよいのか。
己か。己の運命か。己を乗っ取らんとする見知らぬ者か。
その答えは、死に瀕した今になってさえ、アルレッキーノには分かっていなかった。
「例えば、俺がこよなく愛したものがあるとしよう。それを他人が愛でるのは、どこまで許せるだろうか。絵や酒や煙草であれば、何も嫌悪感が湧かないかも知れない。――だが、もっと大事なものであるとすればどうだ」
アルレッキーノの大事なものは、アルレッキーノにも分からない。
死に瀕した今となっては、死ぬまでの旅に一緒に連れていけないものなど、大事と言って良いのか分からないからである。
だが、死ぬまでの旅に一緒に連れていけないはずのものであっても、アルレッキーノの思い出というものは、その連れていけないはずのものを強く想起させてくれる。
思い出は、恐らく人の生み出したものの中でも、実に感服すべきものだ。
死への旅において、これほど秀抜なものなど他に有りようもない。
最後に吸った煙草の味。最後に見た涙。
思い出を噛み締めながら死ぬことが出来るのは、なるほど、実に『生きている』という奴だ。
死ぬ間際にものは連れてはいけないが、思い出だけは連れていける。
やはり己の人生は己が幕引かなくてはならない、とアルレッキーノは強く確信した。
もしも他人が自分を乗っ取ったならば、この思い出は誰が連れて行くのだろうか。
誰にも連れて行かれずに立ち消えていくのだとすれば、この思い出は、余りに大切すぎる。
運命の出来損ないを歩んだアルレッキーノに、ほんの僅か残っている思い出だ。
『……ジンクスだ』
あの首から下げた小さなジンクスは、アルレッキーノの僅かな思い出である。
ものは死への旅に連れていけない。
だから託そうと考えた。
ただ、それだけのつまらないジンクスだ。
『ああ、本当に花のような子でありんす。この子の名前は――』
つまらないジンクス。
世の中には遅すぎるというものがある。
『母上が火を付けないでいる気持ちを汲み取って欲しい』
つまらないジンクス。
それ見たことか。世の中には遅すぎるというものがあるのだ。
つまらないジンクスの先に、アルレッキーノはいた。死に瀕したまま、思い出を抱えて、今まさに命を噛みしめていた。
幸せな死、であるはずもない。
アルレッキーノはこの通り、最初から最後まで滑稽な道化師であった。
煙草が美味かった。このつまらない男が死ぬには十分な理由である。
「ミーナ・セリアンスロープを救いたければ、俺の魂を以てして道を繋げ。そこを渡って元の世界に帰ることだ」
「……」
「向こうから、芹原 美奈を呼び掛ければよい。そうすれば芹原 美奈はそちらに帰ってくるとも。そして、ミーナ・セリアンスロープは上書きされることなく残る」
アルレッキーノの言葉に、トシキ・ミツジはしばし固まっていた。
固まったまま、全てを理解したようであった。
「最後のカード、お前には分かっていたのだろう?」
「ああ。アルレッキーノ。お前はあの時、ハートのQをあるカードで隠していた」
「俺の運命は、全てそこに賭けた。分かるだろう?」
「ふざけるな、こんな時にまで気障な言い回しを気取るんじゃないぞ。――分かっているさ」
アルレッキーノがナイフで貫いた二枚のトランプ。
そこにはアルレッキーノの全てが賭けられていた。
「あのトランプは52枚全て、欠けることなく存在していた。ジョーカー以外は。そうだろう、アルレッキーノ」
ジョーカーのカードは、任意のカード扱いとなる。
二人のハンドを最強にするようにするならば、ジョーカーはQとA扱いになる。トシキはQQQQA、アルレッキーノはAAAAKだ。
QQQQAに、道化のカードで勝つ。
アルレッキーノが勝負に挑んで賭けたものは、そういうささやかなジンクスであった。
そのためならばアルレッキーノは死ぬことができた。
命を賭することなど、むしろ本望であった。
アルレッキーノの夢の続きは、最後のショーダウンの果てにあった。
他人になぞくれてやるものか。この勝負こそが全て。
運命を人一倍願った自分自身の、命を生きていた瞬間というのは、まさにあの瞬間だったのかもしれない。
あの最後は、アルレッキーノにお似合いであった。
己を持たないと思っていたヘタイラ・ラミアーが、あれほど強固に表向けるのを拒んだ瞬間、アルレッキーノは敗北していたのだ。
果たして、ヘタイラ・ラミアーの意志に負けたのか。それとも、トシキ・ミツジの意志に負けたのか。
どちらにせよ、アルレッキーノはその敗北を己の敗北として受け止めていた。
「マレビトよ。……俺の願いは、ミーナ・セリアンスロープを消し去ることでもなければ、お前を元の世界に戻すことでもない」
「そうだろうな、アルレッキーノ」
「お前に、その世界に戻ってして欲しいことがあるから、このようなことをしたのだ」
「……」
アルレッキーノは、ささやかな願いを呟いて、その命を終えようとしていた。
アルレッキーノに、死後の世界が安らかであろうはずもない。他人の人生を歪めて回り、悪逆を尽くした男に幸せな死はあろうはずがない。
果たして、終わりは地獄か。それとも、魂がミロワールに消費されることによる、虚無の彼方か。
その終わりなど、誰も知る由はない。
アルレッキーノの最後の願い。
生きた証として、この世界ではないどこかに、己の墓を建てること。傍に二輪の天空の花を添えて。
本物を願い続け、運命を願い続けたアルレッキーノは、そうして意識を手放した。




