10.
「何だ、その大量の奴隷どもは」
「当店自慢の奴隷たちだ。通しが出来ないように壁になってもらうために連れてきた」
トシキ曰く、「敵地に来る以上はどんな如何様をされてもおかしくないだろ?」ということらしい。
馬鹿馬鹿しい話だ。恐らくはそれは口実で、実際は数の暴力に訴えるという名の選択肢を増やしただけだ。取れる手段を増やしにかかるのは駆け引きの常套手段だが、実に露骨だった。
因みに通しとは他人を使って相手のカードを盗み見る行為である。本来はサインを出して意志の疎通を図る行為を指すのだが、この場合トシキは盗み見るタイプの通しのことを言及しているようだ。
「は、笑わせる。カードなんざ見なくても勝てるとも」
「ああそうかい」
実のところアルレッキーノが警戒すべきはミーナ・セリアンスロープただ一人だ。彼女のみが、アルレッキーノを殺す手段を知っているらしい。
とてつもない幸運に守られたアルレッキーノがどう殺されるのか、それはそれで興味のある話だったが、アルレッキーノは全くこれっぽっちも死ぬ気がしなかった。危機感が全く湧いてこないのだ。
「で、トランプ遊びをするのは汚い奴隷どもか? なかなか滑稽じゃあないか」
「何だ? 馬鹿になっているのは目なのか? 頭なのか? 黙って後ろを見ろよ」
そう言いながら親指で後ろを指すトシキの背後に、奴らはいた。
「アルレッキーノ、てめえ――」
大声で吠える森熊は、カジノ全体の空気を震わせるほどの怒気を発しながら、その巨体を現した。
「――仁義の通し方ってもんがあるだろうが!!」
やはりオアシス街最強の獣人と名高い森熊だけはある。彼の凄んだその阿修羅の如き有様に、アルレッキーノの子飼いたちは言葉もない。いや、声を失ったのは事実なのだろうが、それは警戒を募らせつつもいざとなれば刺し違えようという覚悟として口をつぐんだ、と解釈すべきか。
「吠えるなよ。野生を忘れてジジイの飼い犬、いや飼い熊になることを仁義と勘違いしちゃあいけないってものだ。分かるな?」
「知るか! 仁義忘れたら、そいつは人間じゃねえ、外道だ!! てめえ、ルッツの事だけじゃなく拳闘の事でも――」
「は、笑わせる。この世に道などない、大勢の人が歩いた跡を道と呼ぶのであって、それは人のこうあって欲しいと信じる嫉妬のような願望でしかない。分かるな?」
途端「へえ」と幼い声が場に割り込んだ。
小綺麗な男物の服に身を包み、にやにやとからかうような勝ち気な笑みを浮かべるベリェッサ令嬢その人である。
どうやら森熊に次いで、オアシス街の領主の娘、美狂いまでもがこの場に訪れるとは、と周囲に驚きが生じる。
「憧れのことを嫉妬としか解釈できないなんて、了見が狭いんだね。育ちが下品な証拠だよ。どうせ君もそういうのに憧れてるんでしょ? 人の持つ美徳はまさに美しいものさ」
「は、またお子様か。最近白馬の王子様を見つけたって話題になってたぜ。耄碌ジジイの乗り心地はどうだ?」
「さっきから発想が貧乏だね。金、力、セックス。世界は狭いみたいな知った口聞いてるらしいけど、そりゃそうだろうね、君の見識が狭いんだから」
「お返ししよう。美しさで自慰にふけっているような雌ガキにとっては、世界はご褒美だらけに見えるだろう。美しいという価値観は時に歪み、例えばそう、人の排泄物ですら美しいと思う羽目になる――見識が広いのと倒錯しているのは違うってもんだ、分かるな?」
「いい加減に謝ったら? ボクもアントニの件については怒ってるんだけど。謝れないのはやっぱり子供の証拠だよ、ね、アレッキ坊や」
「悪いと思わない行為に何を謝るっていうんだ? 奴の絵は美しい。だから最も美しい物を召し上げた。それだけさ。奴も本望だろう」
「ふざけるな――」とベリェッサが言いかかって、そのタイミングで「のうアルレッキーノや」と呑気な声がかけられた。
この場においても飄々として泰然としているアリオシュ翁の言葉だ。
アリオシュ翁は、かつての頃からずっとアルレッキーノの天敵だ。最もアルレッキーノを邪魔してきたオアシス街の御意見番、そしてオアシス街の歴史を見つめてきた男でもある。
生きる羅刹鬼。周囲の緊張が危険域にまで高まる。その名を知っているアルレッキーノの取り巻きだからこそ、今の状況が尋常ならざる事に昂ぶっていた。
「お主に未来はない。お主が悲しんで焦っておる理由は、他ならぬそれの筈じゃ。何がお主をそこまで駆り立てるのじゃ?」
「未来はある。夢の続きを見にきた。命はそのためにある。本当に生きるとは、つまりそう言うことだ」
「では、お主が最も嫌う死を与えねばならぬ。お主は少し、たくさんの物を蔑ろにし過ぎた。ミロワールにも同意してもろうた。良いな?」
「は、今まで何度そのやりとりがあった? もう何度も失敗してるだろう?」
刹那、二人の間に糸の張り詰めたような時間が訪れた。一歩間違えば死。その会話の意味は当人たちのみが知っているのだろうが、当人たちでなくとも何やらただ事でない事だけはよく分かった。
「これこれ、そこの金車金十郎さんや」
そんな中、鈴の音がりんとして、しゃなりしゃなりと優雅に現れたのは、日傘の似合う女、マハディである。隣のプーランが男役として手を組んで登場したのも、ある種どこか様になっていた。
これほどの空気の中にいながらも、いつもと変わらぬ余裕と艶やかしい風情があるのが、まさに浮いた花である。
天空の花は、殺気立った真剣な場にこそ美しい。そんな女だった。
「おや、俺は昔の女は袖にする人間なんだが」
「おんしは連れない人にありんすにえ。わっちは、仁義を通しに来もうした。わっちの昔の『良い人』が、道を外したんなら、手ずから襟を正させにゃなりんせん」
「は、お断りだ。正すも何も、俺は正しい。俺は最も俺にとって正しく生きるし、本物に向かって生きたいってわけだ」
「……。ヘティちゃんのこと、聞きもうしんした。ヘティちゃんもわっちの娘でありんす。そっちについても、落とし前つけていただきやんしょ。ね?」
「――因縁の多いことだ」
肩をすくめるアルレッキーノ。酷薄な笑みを浮かべながらも、ずっとアルレッキーノはその王座に鎮座したままであった。ならず者の王、敗北を知らぬ男、享楽狂い、ラッキー・アルレッキーノ。数々の形容詞が象る彼の有様全てが、その威風堂々の姿を良く表している。
「お前たち、ここに来た以上は分かっているな?」
集まった全員を品定めするような目つきで睨み付けたアルレッキーノは、楽しみでならないという様子で顔をゆがめた。甘美な物を舌で転がしているような、そういう恍惚を浮かべながらワインを飲んでいる。
「――ゲームに参加する以上は運命を賭けろ。勝負の神の制約に基づいてな」
とっ、と乾いた音を立てながらアルレッキーノはグラスを机に置いた。僅かに残った赤みが血のようにてらてらと光っており、アルレッキーノの不気味さを殊更強調している。
吸血鬼を彷彿とさせるその振る舞いは、見る人を躊躇わせるのに十分な迫力があった。さしずめ、運命という名の血を啜る吸血鬼、といったところか。
アルレッキーノが周囲に放つ敵意が、肌を焼きそうなほどに膨らんだ。
しかし。
「はん、いつだって命張るのは当たり前だ」
「乗るよ、負ける気がしないからね」
「結局、お主を逃がさん為には、勝負しかないのじゃな」
「どうとでもなんし」
やってきた面々は、誰一人降りることはなかった。全員がそれぞれの感情を胸に、アルレッキーノに返しながら、各人が望みを口にした。
「代わりに、てめえの財産全てでオアシス街の皆に償ってもらう」
「じゃあ僕は美術品かな」
「欲しいものなど特にないが、強いて言うならば命じゃ」
「……願いを一つ、叶えて貰いんす」
一瞬真顔に戻ったアルレッキーノは、「……は、お前ららしい願いだ」と独りごちて、その後突如として大きく哄笑した。
心底楽しそうな笑みであった。
「――ははははははははははは!! こいつはいい!! まさか全員が乗るとは思っちゃいなかったぜ! ははははははははははは!!」
憂いごと全てに決着を付けられる、という喜びも滲ませつつ。
この上ない舞台が整った、という喜びも滲ませつつ。
これから始まる最高の勝負の予感を前にした、震えるような歓喜をも滲ませつつ。
「は、降りてくれたら楽だったんだがな。全員相手と来たか。……こいつはいい。全員、少しは今を生きる意志があるらしい」
そして、己の人生における至高の時が来たことに、幸福を感じるように笑っていた。
「まあ、いい。取りあえず今日は良く集まった、諸君」
今夜ほどの面々が揃ったことは今までにないことだ。
暴れ熊と呼ばれたオアシス街の暴力装置「森熊」、美狂いの若い買売人「ベリェッサ」、オアシス街の歴史を眺めてきた男「アリオシュ翁」、記憶を盗む謀り事の女郎蜘蛛「マハディ・プアラニ」、いずれも名高い者ばかりである。
それらの前では、アルレッキーノの独擅場だった博打の世界も、また一風空気が変わるというものであった。
そして、「最近調子に乗っている小僧」「口だけは達者な小僧」「目利きの異様に出来る小僧」「取り入る奴を選んで幅を利かせている小僧」「とにかく目に付く鬱陶しい小僧」「大衆受けの良い小賢しい小僧」「利に聡いネズミのような小僧」「面の皮の厚い小僧」と異様にやっかまれる存在の、「小物の中の小物」、トシキ・ミツジ。
本人が大物気取りなのがまた滑稽で、実に鼻につく不愉快な男だ。
だが、だからこそだろう。彼がその名だたる面々の中央に位置していても、何故か存在負けしていないのは。
ここにいる皆は、ジャイアントキリングを想像していた。巨人であるアルレッキーノに挑まんとする窮鼠のトシキ、という構図を。そしてそれが上手く行かずに失敗する無様な終末まですら予想していた。
しかし、現実はどうだ。
あの不愉快な目をアルレッキーノは知っている。猛禽類の持つ捕食者の目だ。このアルレッキーノをして彼は、『餌』だとしか考えていないらしい。
実に不愉快。
「ついに全員が集まった。そして全員が己の運命を賭けるという。ならば俺はそれに応えようじゃあ――」
「おい、アレッキ坊や、そろそろ始めようぜ」
タイミングを見計らって言葉を被せるあたりが、殊更に鼻につく。
「負ける奴のセリフに興味ないんでな。早く始めろ」
「――は、せっかちな奴だ。だが時間を大事にする姿勢は嫌いじゃあない。まあ、俺の有意義な時間を節約するために、進んで自ら余命を短くするのは酔狂だがな」
「はいはい。で、お前は約束通りヘティの契約書をここに持ってきているか?」
「下品な奴だ。面の皮は厚いようだが、どうやら会話に興じるだけの心の余裕、もしくは頭が足りないらしい――」
「肯定か。じゃあ次、この部屋にその契約書はある。……ようだな。じゃあ持っているのは側近の」
「……少し、黙れ」
「何だ、黙れるじゃないかアレッキ坊や。……側近のそいつが持っているようだ――」
トシキの耳をナイフが掠め、背後の奴隷の腕を掠め、そのまま奥の壁へと突き立った。
「探るんじゃねえ、不躾な奴だ」
「へえ、勝負の神の視点から見て相手に危害を加えたことにならないギリギリの範囲が今のナイフってわけか。どれ、アルレッキーノはナイフを後五本以上持っている」
「……は、お前ほど不愉快な奴は、初めて見たとも」
「持っていないみたいだな。じゃああと三本以上……も持ってないのか。二本か? ……二本だな。じゃあ余り怖くはないな」
「小僧、お前は俺が手ずから潰す。絶対だ。慈悲はない」
「いいから始めろよ」
不敵な笑みを浮かべながら、トシキは「さあ、ゲームを始めよう」と卓に着席してその場に肘を突いた。口上を垂れようとした矢先に出鼻をくじいておいて、自ら進行を促すとは大した挑発だとアルレッキーノは思った。
(……アルレッキーノ)
徐々に差し迫る勝負への予感に、周囲は息を飲んでいる。ヘティもまたその一人であった。
遂に決着が付く。付いてしまう。
全てに終止符が打たれるのだ、という予感に、どう終止符を打たれるのか予想のつかないヘティは、言いようもない震えを感じていた。
果たして、願うように終わるのか。それとも最悪を迎えるのか。ヘティはただただ、自分でも分からない気持ちを抱えながら、周囲以上の緊張にあてられていた。




