第十六話
カイエンが目を覚ました。そのことに俺は心底安心した。
本来なら彼は、目を覚まさない可能性もあった。
カイエンが負った首の刺し傷からは、微量の毒が検出されている。この毒は神経毒の一種で、カイエンは辛うじて致死量に及ばない程度の毒に倒れ伏したことになる。
結果カイエンは、二日ばかり倒れたまま過ごすことになった。
その二日間、倒れたままのカイエンを介抱していた俺はかなり気まずかった。
何故かというと、本当に自業自得なのだが、俺の悪行がヘティにばれたからだった。
「ねえご主人様?」ヘティはからかうような口調で詰る。「もしもこれでカイエンが目を覚まさなかったら、カイエンは、ご主人様が女盗賊と情事に耽っている間に死んでしまってたのよねえ?」
俺はその声色で、我が賢明なる娼婦様がお冠であることを悟った。表情はからかうような自然なもので、目ですらほぼ完璧に怒りを殺しているものの、鑑定スキルの心理グラフは、嫉妬と怒りと失望を表している。
そうだと分かった上で改めてヘティを見ると怖い。これほど完璧に感情を押し殺す術をもっている彼女が、それでもなお目の光に深い激情を押し殺しているということは、彼女は今もなお深く怒っているのだ。
「まさか、情事ではなく尋問だ。俺だって楽しくなかったし命懸けだったさ」
弁明するも冷や汗ものだ。こういうときこそ言葉を間違えてはいけない。冷静に頭を回して、ヘティが何に怒っているのかを分析する。
ヘティが怒っているのは、カイエンが死にそうだったとき、俺が女盗賊と情事に耽っていた、という二つ。否定できないのはカイエンが死にそうだった、という事実。では俺が弁明できる余地は、女盗賊と情事、という点だ。
「俺はそもそも、街に襲いかかったサバクダイオウグモを退治するために材木倉庫に向かったんだ」慎重に言葉を選ぶ。「さらには、恐らく火事場泥棒が材木倉庫に潜んでいると目を光らせた結果、まさにその通りだったわけだ。俺はその火事場泥棒の犯行も未然に防いだ二重の功績を打ち立てたのさ」
「ねえ、ご主人様。その意志は立派だし、ご主人様の功績は否定しないの」
ヘティの塗れた瞳は、ぞっとするほど色っぽく、そしてその奥に潜んでいる微かな怒りに俺は戸惑った。
「でもね、ご主人様が奴隷の一人が死にかけているときに、色事に耽っているのは良くないと思うのよ……」
「心より謝罪申し上げます。誠に申し訳ございません」
すぐに頭を下げた。奴隷相手でも間違ったことをしたらすぐ頭を下げるべきなのだ。悪いことをしたまま謝らないよりも、悪いことをしたことに対して謝る方が遙かに誠実だ。
俺のこの清々しい頭の下げっぷりに、いよいよ周りの方が慌て、三者三様の反応が返ってくる。
「主様! 簡単に頭を下げるようなことはなりません! 奴隷たちに見くびられてはどうなさるのですか!」と諫めるのはミーナ。「それに、信じてます。主様は拷問を行ったのであって、女と色恋に耽ってたのではないと……」
痛ましいまでの俺へのフォローっぷりに、どんどんミーナに対して申し訳なくなってくる。多分ミーナにはこの先、頭が上がる気がしない。
「……ご主人様って酷いのね、これじゃ私が悪者じゃないの……」とヘティは拗ねる。「私、信じてたのよ。冒険者ギルドに私のことを置いていくから、本当に心配で心配で。怪我したらどうしよう、死んじゃったらどうしようって。そしたら、こうなって、酷いわご主人様……」
消え入るような声と、鑑定スキルの心理グラフで今度は悲しみが記録されたことに、俺はぎょっとした。よく見たらヘティの信頼度は三〇%まで一気に下がっていたが、呆れるのではなく悲しむぐらいには信頼してくれていたというのが、ちょっと意外だった。
「旦那、気にするな」今まで無口を保ってたカイエンの言葉はシンプルだった。「俺のヘマと旦那の仕事は全く関係ねえ。そもそも俺が死にかけたのは俺のミスだ、旦那に責任があるはずがねえ」
カイエンは、全くこれっぽっちも怒っていなかった。
本当によくできた男だ。自分が死にかけている間、自分に命がけの仕事を丸投げした上司がエロいことを楽しんでたら、俺ならほとほと呆れ果てて信頼しなくなるものだが。
もしかして過去にカイエンは、似たような経験でもしたのかもしれない。親友クラッドあたりが、カイエンが死にかけてるときにエロいこと楽しんでたとかそんな感じの経験をだ。
「でもカイエン。あなたが死にかけたのは、この色ボケご主人様があなたに無理難題を要求したからなのよ」
「色ボケ……」
俺は思わず色ボケ……と呟いてしまったが、まあ正しいので言い返せない。
しかしカイエンの返事は実に男らしかった。
「無理難題じゃねえ、旦那が俺なら出来ると信じた仕事を、俺に託したまで。旦那は俺を信じた。俺はそれにこたえた。命懸けなのは承知の上だ」
むしろ胸まで張っているようにすら見える。
俺の中でカイエンは惚れるぐらい良い男になった。
「そもそも、この件に怒っていいのは俺だけだ。俺が死にかけたのなら俺が怒るのが筋ってもんよ。ヘティのその怒りは、俺のために怒ってるなら筋違いだ」
「だけど……」
「だけどもヘチマもあるか蛇女」
蛇男のカイエンが言うのは中々面白かったが、俺は茶化さないことにした。
「お前は他人のふんどし借りて、自分の嫉妬を晴らしてるだけだっての。お前にとっては俺が死にかけた云々じゃなくて、あの晩心配かけた旦那が別の女といちゃこらしてたのが腹立たしかっただけだろが」
すげえ。
はっきり言いきるカイエンに、俺はもう何の言葉もなかった。俺の言いたいことは全てカイエンが言い切ってくれたのだから。
一方でヘティはというと、ますます拗ねたようにむっつり黙った。俯いて小声で「ずるい」とか、ギャップが可愛い女だ。三八歳だけど。
「カイエン、ありがとう。だがその辺で抑えてくれ」
一応後でヘティにアフターケアが必要だな、と俺は思いつつ話を遮った。
とりあえず一旦話を止めておきたい。俺に有利な結論が出たまま。
そしてもちろん、それより重要な話があるから話を止めたのだ。
「カイエン、おめでとう」
「ん? 何がだ?」
本気で分かってない様子のカイエンに、俺は思い出させることにした。
「ほら、アリオシュ翁からの報酬」カイエンの手元に冒険者ギルドの契約書と必要書類を握らせ、俺はさらっと教えた。「お前が魔物使いジャジーラを始末した報酬は、なんと、ギルド専属冒険者という条件での冒険者復帰だ。……おめでとう!」
「……え」
固まったカイエンの周りで、俺は拍手を続けた。
ミーナは俺に合わせて拍手してくれて、一方のヘティは不服そうにぱちぱち手を鳴らした。
カイエンは瞬きをしたまま動かなかった。
「お前、ほら、決着を付けたんだろ? だったら、今から新しく将来設計を立てなきゃ」
「旦那……」
「俺は何もしてないぞ。アリオシュ翁の独り言で、犯罪奴隷だろうが優秀ならギルド専属冒険者が欲しいっていうから売っただけだ」
「……」
「な?」俺はカイエンの背中を叩いて、決めゼリフを言うことにした。「こいつがお前のキャリアプランさ」
俺はそういって笑いかけた。
カイエンはそれでも呆然としていた。
いや、彼は笑い返そうとして、途中で笑えなかったようだ。
何故なら、彼は小刻みにふるえて、涙を流していたのだから。
俺はそんなカイエンの背中を優しく叩くのだった。




