帰ろう
黒馬様と白鹿様の2人に手を引かれながら、私はずっと囚われていた横浜駐屯地の敷地の外へ出た。さっきまで空には星がキラキラと瞬いていたように思ったが、今見上げると、徐々に明るくなってきている。早朝の刺すような冷たい外気に触れている筈なのに、ちっとも寒いと感じないのは、前を歩く2人がぎゅっと手を握ってくれているからだろうか。
「………嘘みたい」
つい漏れてしまったその一言は、黒馬様と白鹿様の耳にもしっかり届いていたようで、ぽかんとしながら2つの顔が私を振り向いた。その視線を浴びて、自分の今の気持ちをつい口にしてしまったことを自覚する。
「何が?」
「あ………、ごめんなさい。その………、2人が今目の前にいることが、夢みたいだなって………」
そう説明すると、2人は元々丸くしていた目を更に丸くして黙り込んだ。私の前を歩く2人。私の手を掴む2人。確かにそこに存在していて、幻なんかじゃないのに、なんだかこれは幸せな夢なのではないかと思ってしまう。だって、この横浜駐屯地にいる間、何度も夢見て恋焦がれた光景だったから。
「夢じゃ、ないんですよね」
私、やっとみんなに会えたんですよね、と再確認するように呟く私に、黒馬様が手を伸ばしてくる。その手はムニっと私の頬を摘まんで、
「夢じゃねえよ」
と、優しい声が否定してくれた。隣で聞いていた白鹿様も、どこか悪戯げな笑みを浮かべて、私を揶揄う。
「寝ぼけてるなら、起こしてあげようか?」
「け、結構です」
白鹿様がそんな笑顔でそんな台詞を言うと、本当に何をされるのか分からないので怖くなる。慌てて否定しながらも、その言葉は私に『これは夢じゃない』と告げている優しさなのだと分かって、心の中にほっと安心が広がっていった。ずっと離れていたけれど、変わらないみんなの優しさ。一緒にいると心が温かくなって、安心して、勇気が湧いてくる。
「助けに来てくれて、ありがとうございます」
「当たり前だろ」
「大好きです」
「当たり前………、え」
それまでは会話しながらも進んでいた黒馬様と白鹿様の足が突然ピタリと止まって、釣られるように私も立ち止った。固まる2人の顔を見つめながら首を捻る私を、2人の疑念を含んだ瞳が貫く。
「それはどっちに言ってんの」
「え………、どっち、とは………」
「僕と黒馬、どっちに言ったの」
「ええ………、どっちもです、けど………。あ、変な意味ではなく、大切な友人としてというか、最早家族というか………!」
そこに嘘はない。私は黒馬様も、白鹿様も大好きだ。離れてみて、改めて実感した。私はみんなに支えられていたということと、みんなのことが大好きなんだということ。そして、傍にいられることがとても恵まれたことだということも。だからこそ、この気持ちは伝えられる時にちゃんと伝えなければならない。離れてしまえば、もう気持ちを伝えることも、言葉を交わすこともできないのだから………。
「どっちもねえ………」
「つまんないの………」
「あ、あの………、全然嬉しそうじゃないのやめられます?」
何故か不機嫌というか、納得いってなさそうな2人と、再び歩き出す。文句を言いながらも、決して解かれることのない手の温もりが、2人からの答えなような気がした。そうして私たちは、ずっと他愛ない話をしながら、夜明けの静かな道を歩いて進んだ。どんどん離れていく横浜駐屯地。そっと振り返ると、今度は逆に、横浜駐屯地で過ごした日々の方が、短い夢だったのではないかと思えてくる。
(藍原曹長………)
そこに残された、彼の名をそっと心の中で呟く。気がかりでないと言えば、嘘になる。けれど、きっと藍原曹長は、仮に私が手を差し伸べて、一緒に行きましょうと言っても、手を取ってはくれないだろう。彼には、彼が決めた道がある。そしてこれが、彼の選んだ道、なのだ。そこに私が入り込む余地はない。
(………お元気で。藍原曹長)
その名を呼ぶと、もれなく黒馬様と白鹿様に怒られてしまうので、決して口には出せないが、私はそっと心の中で、彼への別れを告げたのだった。永遠の、別れを。
「菖蒲様………!」
「菖蒲!」
横浜駐屯地からだいぶ外れたところに、2人はいた。2人とは、黒馬様と白鹿様のことではない。私を救う為、危険な囮役を買ってくれたという、青兎様と紫狐様だ。久々に見た2人は、陽動役として敵を惹きつけ、駐屯地を駆け回ってくれたおかげか、黒馬様たちよりもボロボロに見えた。疲れも滲む表情で安心したように微笑む青兎様と紫狐様。また私の鼻の奥がツンと痛くなる。みんなに再会してから、何だか泣いてばかりだ。
「青兎様!紫狐様!」
私は黒馬様と白鹿様の手を離れて、青兎様・紫狐様に飛び付いた。優しく受け止めてくれた2人は、ぐずぐずと子供のように泣く私の頭を撫でてくれる。良かった、みんな無事で、本当に良かった。
「菖蒲様、ご無事でよかったです」
「それはこちらの台詞です………!お二人とも、無事でよかった………」
「そう簡単に死なねぇよ」
相変わらず、自分のことより私の身を案じてくれる青兎様の優しさと、照れ隠しなのかぶっきらぼうに悪態をつく紫狐様。この感じも懐かしい。みんなの元に帰ってこれたことを実感する。
「黒馬と白鹿も、無事でよかった」
「お前らも、無茶させて悪かったな」
「まあ、相手にしたのは下っ端ばかりだったからな。大したことは無かったぜ」
「よく言うよ、足から血垂らしておいて」
「………うっせ」
余裕だった、という紫狐様を揶揄う青兎様の言葉で、私はハッと思い出す。町で初めて藍原曹長と対峙した時、紫狐様は銃弾を脚に受けて、怪我をしていた筈だ。慌ててその場に膝を付き、紫狐様の脚に手を添える。紫狐様はギョッとしていて、隣の青兎様はその光景を楽しそうに笑って見ている。
「し、紫狐様!怪我の具合は!大丈夫なのですか!」
「だ、大丈夫だって言ってんだろ!青兎が余計なこと言うから………っ!」
「我慢はいけません、紫狐様!血が滲んでいます、すぐに包帯を換えないと………!」
「自分でやるって!」
一気に賑やかになったその光景を、黒馬様は一歩離れたところで見つめる。輪の中には、楽しそうに笑う巫女の姿。
きっとこれからも何度も、彼らを引き裂こうとする問題や出来事が降りかかってくるだろう。根本的な問題はまだ何も解決していないのだ。赤熊だって、戻ってきたらどう動くか分からない。
それでも。
「なに仏みたいな顔してんの、黒馬」
「………なんでもねえよ」
横から口を挟む白鹿を交わして、黒馬は歩き出した。いまだに騒いでいる紫狐、青兎、菖蒲、そして白鹿の視線が、黒馬の背中に集まる。黒馬は振り返って笑った。
「帰るぞ」




