絶対に許せません
「菖蒲様」
ゆらゆらと揺らぐ灯篭の明かりが、不気味に赤熊の顔を照らす。赤熊の真意、目的を聞いた今、私の中で彼は正式に、信用してはならない敵だとはっきり認識した。目が覚めぬまま赤熊の言葉に騙されて、その手を取っていたら今頃どうなっていただろう。一歩、また一歩とこちらに近付いてくる赤熊に合わせて、私も一歩一歩、出口の方へと後退りをする。
「僕は、欲しいものの為なら何だってするんだよ、菖蒲様」
「……………」
「ずっとそうしてきたんだ。行きませんって断られたくらいじゃ、簡単に諦めたりしない」
「赤熊様…………」
「無理矢理にでも手に入れる。それが僕のやり方なんだ」
赤熊は徐に自分の懐から何かを取り出した。手のひらに収まる程の大きさで、手拭いに包まれた何か。それが私の足元に投げて渡される。ボトッ、と嫌な重量感の音を立てて畳に広がった手拭いの中には、真っ赤に染まった何か………。一瞬それが何なのかよく分からなかったが、その赤色が血の赤だと察した瞬間、心臓が止まる思いだった。込み上げてくる嫌悪感に慌てて手で口元を抑える。血で濡れたこの塊は、一体何なのか。
「それ、何だか分かる?」
「…………っ!!」
「ほら、昨日の朝、死体で見つかった男がいたでしょう」
「え…………?」
巫女神楽の奉納の時、私がお酌した町の男の人。その男の人が、翌朝惨殺遺体となって町中で発見された事件だ。色んなことが起こりすぎてつい後回しになっていたが、確かこの件の犯人はまだ捕まっていない筈だ。何故その事件のことを、今ここで、赤熊の口から聞かされているのか。バクバクと嫌な予感が冷たい汗となって額を伝う。
「ほら、男の大事な部分がさぁ、抉り取られて見つかった死体だよ、死体。あれ本当面白かったよねー。どう?菖蒲様、あの男のこと不快だなーって思ってたでしょ。少しはスッキリした?」
「な………何を言って………」
「僕は不快だったよ。僕の所有物に、何の許可もなく触れやがって。だから殺してやったんだ」
サラリと自分の犯行を告白した赤熊に、悪びれる様子など無い。さも当然かのように、平然とそこに立っている。それが信じられなくて、同じ人間だとは思えなかった。この人は、本当にヤバい人だ。手段を選ばない、自分のためなら何だってする。その言葉は、確かに嘘ではないようだ。
「貴方………、自分のしたことが分かってるの!?」
「何をそんなに怒ってるの。これは菖蒲様の為にした事でもあるんだよ」
「ふざけないで!!」
「あの男は、菖蒲様に無礼なことをした。これから僕と共に日本の頂点に君臨する君に対して、許されないことをしたんだよ」
「狂ってる………。貴方、人間じゃないわ………!」
「いけないことをしたら、死刑になるでしょ。昔からそうじゃないか。斬首刑とか、絞首刑とかさ。それと同じ。僕が裁いたんだよ」
もうこの人には、何を言っても無駄なのだろう。その捻じ曲がった考えを正すつもりはないし、本気で自分が正しいと思っている。これ以上言葉はいらない。本来は、赤熊の誘いを断ってそのまま外で待機している黒馬様たちと合流する予定だった。しかし、殺人を犯したのなら、彼は警察に突き出すべきだ。このまま帰るわけには行かない。
「自首してください」
「自首?なんの」
「人を殺しているのですよ。殺された人には何の罪も無かった………。町の人たちも怖がってる」
「だから?」
「………分かって頂けないのなら、こちらも強引な手段に出るしかありません」
目の前の赤熊を見据え、精神を集中させる。軍人相手に戦ったことは無いが、騒ぎを聞けばきっと黒馬様たちが駆け付けてくれるだろう。そういう手筈になっている。
「………その前に菖蒲様。貴女も僕に嘘を付いていませんか?」
「え?」
「"ここへは1人で来てください"………。確か僕はそう貴女に言いましたよね」
意味深な言葉に、私の思考、体が固まる。もしかして………。
「約束を破るなんて、悪い子だ」
その瞬間、民宿の外から「動くな!!」という怒声が聞こえてきて、私はそれに弾かれるように窓に駆け寄った。外には、ざっと10人程はいるであろう軍服の男たちに囲まれ、銃口を向けられている黒馬様たちの姿がある。
「みんな!!!」
「菖蒲!無事か!!」
私が思わず声を上げると、黒馬様たちは一切に2階のこの部屋へと視線を向けた。秘密裏に黒馬様たちを待機させて、赤熊を出し抜くつもりだった筈が、逆にしてやられたのは私たちの方だったみたいだ。
「菖蒲ちゃん、この民宿………。赤熊の手下が虫みたいにうじゃうじゃ待機してるよ!」
取り囲む軍人たちを見渡しながら、白鹿様が叫ぶ。「そんな………」と狼狽える私のすぐ背後からは赤熊の影が現れて、私を背中から優しく抱きしめた。
「お前たちがコソコソ隠れているのはずっと気付いていたよ」
「赤熊、テメェ………!!」
「菖蒲に触んじゃねぇ!!」
まるで黒馬様たちを挑発するように、私の頬や髪、首筋を優しく確かめるように撫でていく赤熊。すぐさまこの男を突き飛ばしてやりたい所だが、私が下手な動きをすれば、黒馬様たちはもれなく蜂の巣だ。どうすればいいのか分からず固まる私を良いことに、赤熊の柔らかな唇がそっと耳に押し当てられる。
「………抵抗しないでね、菖蒲様。下手なことをすれば………、貴女の大事な人たちが痛い思いをする事になりますから」
「……………っ!!!」
そっと、私だけに聞こえるように耳打ちされた言葉は、紛れも無い脅しの言葉だった。黒馬様を人質に取った赤熊は、この展開を読んでいたからこそ、私に誘いを断られても余裕だったのだ。
それにしても、こんな数の部下を従えて、銃器まで用意するなんて。赤熊のあの馬鹿げた夢の話は、冗談ではなく本気なのだということが嫌でも理解できた。
「流石にお前たちも、その人数と銃器相手じゃ何も出来ないだろう?」
「テメェ………!自分が何をしてるのか分かってんのか………、お前個人の目的の為に、こんな人数の部下引き連れて勝手に銃器まで持ち出して………!」
「軍に怒られるよーって?面白いことを言うね黒馬!君は知ってるだろう?僕の父親が誰なのか!」
赤熊に逆らえる者はいない。それは、先輩でも上司でも。兵舎で彼に口出しできる者はいなかった。それは、今回の件も例外ではない。きっと赤熊は揉み消すだろう。自分の父親の権力を使って、この一連の出来事も、無実な町の人を殺した事も。
………許せない。人を殺したことも、私の大切な人に危害を加えようとしている事も。全部、全部、許せない………。
小さく息を吐き、未だ私を抱きしめたままの赤熊を横目で見つめた。彼の姿勢、腕の位置、足の開き具合を確認する。黒馬様たちも、私が何かしようとしている事に気付いたのか、ハッとした表情で慌てて声を掛ける。
「待て、菖蒲!!!」
黒馬様が私を止めるのと、ほぼ同時の出来事だった。肩に回されていた赤熊の腕を掴み、彼の足の間に己の足を滑り込ませる。和尚様直伝の、一本背負い投げ。このまま窓の外に放り投げてやろう。たかだか2階から落ちたぐらいでは死なない筈だ。しかし。
「…………全く、君という人は。抵抗しないでねと言った筈でしょう?」
「な…………」
私の力を上回る力で、彼は投げ飛ばされないように踏ん張っていた。びくとも動かない赤熊の体。曲がりなりにも彼はれっきとした軍人で、日々訓練や演習を積んで来た男だ。素人に護身術程度の武術を習った私とは、訳が違った。
そして赤熊は私の手を払い除け、胸ぐらを掴むと容赦なく左頬を殴り飛ばした。余りの力に私の体は飛ばされ、勢いよく畳に倒れ込む。
「菖蒲様!!!!」
「テメェ、菖蒲に手を出すんじゃねぇ!!!」
青兎様と、紫狐様の声が遠くから聞こえる。口の中に広がる血の味と、衝撃によって軽い脳震盪を起こしているのか、目の前がクラクラと揺らいで上手く立ち上がれない。床に倒れ込んだままの私の髪を掴み、無理矢理顔を上げさせた赤熊は、楽しそうに笑っていた。
「いいでしょう、菖蒲様。どうやら貴女も一度分からせる必要がありそうだ」
「う………ぐ…………」
「素人の護身術が軍人にどこまで通用するのか、僕が特別に稽古を付けてあげますよ」
さあ立って、と冷たく見下ろす赤熊の目は、本気だった。………やるしか、ない。私も何とかはっきりと意識を取り戻すと、ゆっくりその場から立ち上がった。行く末を歯痒そうに見守る黒馬様たちの前で、私はただ赤熊を真っ直ぐ見据えた。




