赤熊の中の獣
聞いた話でしかないが、赤熊という男は、その年齢にしてとても恐ろしい男だった。
「ちっ………。もう気を失いやがった」
軍人は、平常時は基本的に各地に点在する兵舎で生活し、そこで訓練や演習を積む。たまに暴動や一揆といった、警察では手に負えない件に関しては軍も出動するが、それ以外はとにかく訓練と鍛錬ばかり。いつ戦争が起こってもいいように、最新の兵器や戦車、銃器を扱う練習をしたり、体力や精神力の向上と言って山登りをしたり。それは、赤熊が過ごしていた兵舎でも例外ではなく、当時新入りだった赤熊もまた、そこで軍人としての経験を積んでいたのだった。
しかし赤熊の素行は、決していいものではなかった。胸倉を掴んでいた目の前の同期は、赤熊が数発蹴り、殴りを入れただけで呆気なく意識を手放してしまった。このように腹いせに同期の男に暴力を振っては、出世した父親の名を使って揉み消す。新人でありながら、父親の七光りによって彼に逆らえる者は誰一人としていなかった。それは、例え赤熊の上司であってもだ。次第に赤熊はその兵舎を支配するようになっていく。
「赤熊様は日本の未来を担う、立派な軍人になるお方です!」
「……………」
「そんな未来あるお方に、このような雑用などさせられません!」
赤熊が何かを言わなくても、本来なら彼がするべき掃除や雑用は、勝手に誰かが代わってくれた。赤熊に気に入ってもらえなければ、この兵舎では生きていけない。皆それを分かっていたから。そして赤熊もまた、そう扱われることを当然だと考えていた。自分は凡人とは違う。生まれた環境から全て、僕は選ばれた側なのだ、と。
「ほら女!モタモタするな!赤熊様がお待ちだろうが!」
夜は定期的に、近所の町から無理矢理連れてこられた若い女が赤熊の部屋に押し込まれた。凡人の下っ端兵士が勝手にやり出したことで、赤熊がそうしろと命令した訳ではない。しかし赤熊は、その状況が当然であると考えていた為、部屋の隅っこで震えている女をただ無言で抱き、有り余る金を適当に投げつけて朝方帰した。あの女も幸せだろう。選ばれた人間に抱いてもらった挙句、大金を手にして帰るのだから。自分はなんて優しい男なのだろう。
僕に逆らえるヤツはいない。本来なら僕を指導する側である先輩も、上司も、みんな僕の言いなり。僕に手に入れられなかったものは、今まで1つもないのだ。
「赤熊中尉がお見えです!!!」
しかし、そんな赤熊にも、たった1人だけ、逆らえない人物がいる。
たまに気まぐれに息子の顔を見にやってくる、父親。兵舎全体の空気がどこか引き締まるような感覚。この時だけは、みんな息子の赤熊ではなく、父親の赤熊の方に敬意を払う。それは当然のことなのに、
「………順調か」
「はい」
「しっかり頼むぞ」
(ああ………、うざったい)
赤熊は唯一逆らえない、自分の父親のことが目障りで仕方がなかった。
「世継ぎの儀式?」
「はい。此度もいよいよ始まるらしいです」
そんな赤熊の元に入ってきた、1つの情報。小さな田舎町で暮らす巫女のこと、世継ぎの儀式のこと。それは、日々の生活にイマイチ刺激がないと退屈に感じていた赤熊にとっては、魅力的な響きだった。この頃中佐から大佐へと更に階級を1つ上げていた父親の権力を使って、赤熊は巫女について記された、軍で保管された機密事項の資料を読んだ。
未来を透視できる力を持った、巫女の存在。代々軍の監視下に置き、その力で戦争や国の行く末を視て貰っていること。軍内部から選出した2名~5名までの若い男を巫女へ宛がい、跡継ぎを絶やさぬようにしていること。一通りの儀式を無事に終えた者には、高額な報酬と階級の昇進を与えていること。儀式後、巫女は必ず死亡する為、これらは大体20数年周期で行われていること。
「未来が視える女………」
資料を片手にぽつりと漏らした赤熊の胸は、期待と好奇心に満ちていた。高額な報酬も必要ないくらい裕福な家庭で育ち、階級の昇進も既に約束されているような立場である赤熊にとって、何がそんなにも魅力的だったのか。
(この女を僕のモノにして、僕の為だけに力を使わせれば………)
軍だけではない。日本そのものを、思いのままにできるのではないか。赤熊にとっては、最早軍の最上位に就くだけでは満足できない。国そのものを自分のものにし、あの父親ですら逆らえないような存在になる。戦争のことすら予測できる巫女ならば、外国だって手にすることができるかもしれない。夢のような話だ、食いつかない訳がない。
「父上、僕を世継ぎの儀式の相手役に任命して頂けませんか」
「お前………、どこからその情報を………」
使えるものは全て使う。父親に頭を下げることは癪だったが、これも辛抱だ。儀式の相手は基本、立候補制ではなく、上層部が何かの基準において選定した者に、拒否権なく通達される。しかし赤熊にとってはそんなことも関係ない。彼がやりたいと言えば、その通りになるのだ。しかし。
「悪いが、この件に関しては上の命令で既に相手役が決まっている」
「な………、どうしてです、僕1人をそこに追加してくれるだけで………!」
「世継ぎの儀式は、俺よりもっと上の連中が噛んでる一件だ。俺が何か口を挟めるものじゃない。何故こんな儀式をやりたがってるのかは知らんが、もう決まったことだ。諦めろ」
中途半端で使えない男だ、と赤熊は内心毒づく。いつも散々偉そうにしておきながら、肝心な時はもっと上の連中の言いなりになるだけで、なんとみっともないのだろう。赤熊は下げた頭の下でチッと小さく舌打ちをしながら、ならば次はどうするべきかと考えあぐねた。今まで手にできなかったものはない。この程度のことで諦めが付くような男ではないのだ。
赤熊は儀式の相手役に選ばれた人間を調べて特定し、当初儀式の相手役となる筈だった3人を殺害した。何の躊躇いも無く、自分の目的の為、日本の未来の為には必要な犠牲だったのだと、淡々とその行為を3回行った。元々はただの下っ端兵士だ。簡単に事故死として片付けられたそれらは、もしかしたら父親だけは何かに気付いていたのかもしれない。
「お前、裏で何をしている?」
「………何のことですか、父上」
「………一体何を企んでいるんだ」
「そんなことより父上。儀式の相手役に僕を推薦してください」
これで上の連中は、再び儀式の相手を選びなおさなければならない。そこに入り込めれば、あとは巫女をどうにかするだけだ。
だが選ばれたのは、やはり赤熊ではなく、別の4人の男だった。それが、黒馬、白鹿、紫狐、青兎だ。
「別に上の連中に選ばれずとも、巫女を手に入れる方法はいくらでもあったんだ」
灯籠によってぼんやりと薄暗く光る室内で、赤熊はぽつりと呟いた。ああ、駄目だ、笑いが込み上げてきて我慢ができない。小さな民宿の一室で、赤熊はこれから来る筈の1人の女性に想いを馳せた。
人を支配するのに一番いい方法は、恐怖だ。何でもいい、あえて恐怖心を植え付けておいて、救いの手を差し伸べる。そうすると人は勝手に依存し、言う事を聞くようになる。
自分が死ぬと分かった菖蒲の顔は、何とも美しくて甘美で、素敵なのだろう。沸き上がる欲望を抑え込みながら、菖蒲を救えるのは僕しかいないのだと、何度も何度も言い聞かせた。菖蒲は恐怖心と、助けてほしいという願望で冷静さを失い、必死になって目の前の手に縋りつく。ここまで全て、赤熊の思いのままだ。
「………僕は欲しいものを手に入れる為なら、なんだってするよ」
さあ、菖蒲。早く僕の元へおいで。それこそが君にとっても救いであり、幸せになれるのだから。




