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Villain:Side  作者: 昼の星
22/55

022,山を殺す scene5

 片方の視界を潰したことで魔物の動きは目に見えて変化していた。死角へ回ろうとするとデタラメに暴れ回り、男を寄せ付けまいとしているのが明らかだ。それまでのような暴虐という言葉の似合いそうな攻勢は幾分控えられたものの、その分付け入る隙も目減りしていた。

 狙いをつけない――つけられないというのが正しいか――攻撃はかえって避けづらくもある。狙いが明らかであるのならその場を飛び退けばよいが、明確な狙いがないぶん、動きを正確に見極めて対処せざるを得ない。このままでは、目を負傷させたせいで余計に苦戦を強いられそうな有様である。しかし……


(これでいい)


 目の前の強大な魔物を圧倒する手札は男にはないのだ。少しずつ、削っていくほかにない。

 幸いというべきか、対峙する魔物は人間ほど狡猾ではない。意図的なフェイントが織り交ぜられることはなく、注意深く初動を観察していれば避けられない攻撃はない。

 そうそう人の立ち入らない野外、それも魔物が大暴れしているために足場の状態はよくない。足元にも注意を払う必要がある。体温の上昇に伴う発汗で首元が蒸れて気持ちが悪い。それとは別種の汗が噴き出す瞬間も何度もあった。

 息が上がる。呼吸が苦しい。

 そんな雑念が頭によぎるたび、集中しなければと気を引き締めなおした。

 相変わらず、ぼんやりと紫を纏った黒毛は刃を通さず、ごわごわとした毛を切り散らすことさえ難しい。

 次第に、疲労のために魔物の攻撃から十分な距離が取れなくなってきた。相変わらずとんでもない勢いで叩きつけられる鉄塊にも等しい豪腕。無作為に弾き飛ばされた石の破片が顔面に迫り、かろうじて避ける。が、そのために足元に意識を割き損ね、体勢を崩す。

 しまった、と思考する間に地面を蹴るも、直後に酷い衝撃が体を襲い、視界がぶれる。

 水平に近い角度で殴り飛ばされ、受身もとれず木に激突した。


「ぐ、う……」


 みしみしという音が耳に届いたかと思うと、叩き付けられた木がへし折れてもろとも地面に転がった。

 無様。しかし倒れているわけにはいかない。俯いているわけにはいかない。顔を上げ、迫りつつある魔物の様子を確認する。視界に違和感を覚え、いつのまにか仮面が外れていることに気づく。

 男は最低限の治癒術を施しつつ立ち上がった。これだけの速度で治癒を施せる者は治癒術専門の人間でもそうはいない。魔力総量が少ないために治癒力は大したことはない。しかしその分、起動、制御の訓練に徹底的に時間を割いたのだ。

 そうは言っても、所詮は器用貧乏の水準。パーティを組んで回復役を務めることなどできはしない。それでも、一対一のしのぎを削る命の奪い合いでは、そんな微々たる治癒が最後の最後に勝負を分けることもある。

 ふっと息をついて、男は魔物へと駆け出す。自分が休憩すれば、相手を休ませることにもなる。

 しかし、傷が増えていくのは男ばかり。魔物は感覚器官のひとつを損なうというある種の致命傷を負いはしたが、直接的な生命維持に影響はない。

 遠目にずっと様子をうかがっていた山男にしても、男は始終劣勢であるようにしか見えなかっただろう。うまく凌ぎ、戦闘を継続してはいるが、片目を奪ったこと以外にはさしたる戦果が見当たらない。殺したことがあるなどと大口を叩いたわりには苦戦しているじゃないかと思っているに違いない。

 それでも、男はただ愚直に魔物へと向かっていく。纏わりつき、翻弄する。気を抜けば、急所を刺す針を持っているのだと危険をちらつかせながら。

 ただ一撃。たった一度、完璧に捉えることができたのなら、この不愉快な虫けらを叩き潰せるのに。魔物はそう思っていることだろう。速さも力も、圧倒しているはずの自分がなぜこうも振り回されなければならないのか。そう思っていることだろう。

 魔物も生物には違いない。たとえ人間と言葉を交わすことがなくとも感情はある。

 ほんのわずかな殺気の欠落。もしくは勢いの欠如。当然、疲労もあるだろう。魔物の動作が少しだけ鈍ったのを男は見逃さなかった。

 どうせ振り下ろしたところで、また目の見えない方に羽虫は飛び出すのだ。そしてやっきになってそれを追いかけても捕まえるには至らない。そして逃げ惑うこともなく、懲りずにまた向かってくるのだ。

 魔物の視覚も聴覚も、そして嗅覚も。男の動向を追いかけていた全ての感覚が死角側に男が移動したのを認識していた。それまでよりもわずかに緩慢な動作でそれを追いかけた瞬間、視覚が男の姿を捉える。その位置は正面、たったいま叩き潰そうと振り下ろした腕のすぐ脇を抜け、男はまっすぐに向かってくる。


「オラァアアアアアア!」


 男は爛れていなかった魔物の目を狙い、飛びこんだ勢いと渾身の力をこめて剣を突き立てた。黒毛で覆われていない眼球は当然というべきか、かなり防御力が落ちる。眼球の裏にも骨はあるが、この位置の骨にはそれほど厚みがない。男の腕には、硬いものを突き通し、剣が柔らかいものに到達した手応えが返ってきた。

 突き立てた剣はそのままに、男は地に降り立った。

 けたたましい咆哮をあげる魔物を尻目に、男はさきほど脱ぎ捨てたマントを回収する。両目が健在であれば、疲労がなければ、こんなものを男と見間違うこともなかっただろう。

 魔物はまだ倒れることなく、ヨダレをだらだらと零しながら暴れている。鼻をひくつかせたかと思うと、ふらつきながらも男の方に向き直る。


「タフだねぇ……」


 もしかすると、剣の突き刺さった位置があまりよくなかったのかもしれない。いや、魔物にしてみれば、位置は良かった、というべきか。

 男はベルトに装着した道具入れに手を伸ばし、内部から紐の伸びた玉を取り出した。紐の先端を指先でこする。火がつき短くなっていく紐の長さに気を配りながら、近づいてくる魔物の鼻先に向かって放り投げた。

 パン! と軽い炸裂音が響くと同時に煙が広がり、魔物の姿は靄に覆い隠されていく。

 男が背中を半ば靄に飲み込まれながら遠巻きに様子をうかがっていた山男のところに歩いてくると、彼は漂ってきた煙の臭いに顔をしかめていた。


「あんた、顔……」

「どっかいった」


 晒された素顔を見つめてくる山男に、男は気だるげに言い放つ。「あー」などとこれまたダルそうに声をあげながら地面に倒れこむ様は、まるで遭難した挙句ぼろぼろになり、下山を諦めた冴えない旅人のように見える。


「お、おい、あれ放っておいていいのか?」

「あー? あとで止め刺しするよ」


 生き物を殺すときには、きっちり止めを刺す。これは油断しないということ。もっと言えば、殺したあとでも油断は禁物だ。たとえば毒を持った獲物を仕留めたとして、それが完全に絶命していたとしても毒が消えてなくなるわけじゃない。誤って毒針などを自分の身体に刺してしまえば、すでに殺した相手に殺されるという事態にもなりかねない。

 しかし、煙幕の中でもがいているであろう魔物への止めにはまだ早い。眼を貫いた時点で終わっていてもおかしくはないはずだったが、奴はまだ立って歩き回っていた。だから、少しばかり時間をおかねばならない。剣に塗布した毒が回るまでの時間を。

 やがて靄が薄らいできたころ、男はうつぶせに倒れた魔物の傍らに立った。魔物は一見してただの黒い小山のように動きを止めていたが、よくよく観察すると、時折、ぴくりぴくりと蠢いている。その背に足を載せ、鞘から剣を引き抜く。おおよその心臓の位置を推測し、一息に突き刺した。魔力を纏っていない黒い毛皮は、まるで別物のように刃を受け入れた。

 瞬間、魔物は痙攣したようにビクリと震え、それきり永遠に沈黙した。


「俺の勝ちだ」


 これで、この山一帯の縄張りの主はいなくなった。この地にいったい何が眠っているのか、それともそんな目算すらないのか、男にはわからない。しかし間違いなく言えるのは、あの村の山男たちの手によって、この地は切り拓かれていくのだろうということ。

 この地に至るまでの道中はけして楽ではなかった。ゆえに一見してまだまだこの地にまで手を伸ばす意義というのが男には見出せない。欲するには何かがあるのだろうと推測はできても、正体を見透かすことは不可能だ。追求してもいいが、また何かと煩わしいことになるに決まっている。


「ところで商談があるんだが」


 喋りながら、剣の腹を指先で挟みこみ、スライドさせていく。魔術でもって水を使い、刀身に付着した汚れを洗い流した男は、背後の山男を振り返った。

 男の言う商談とはつまり、殺した魔物の売買についてだ。さすがに身の丈をはるかに超える獲物を一人で処分するのは難しい。かといってこのまま放置して文字通り腐らせることもあるまい。ならば売りつけてしまうのが妥当だろう。苦労して仕留めたせっかくの戦利品。森の生物にタダでくれてやる謂れはない。

 解体し、運び出すための人手を頼ることになるので、その分は負けるほかない。そうして男は毛皮の一部と、保存食として干し肉にする分を残し、残りはすべて村の人間、もとい村長へ売り払った。


「なぁ、毒使ったんだよな?」


 とは一部始終を見届けていた山男の言葉だが、男は仕留めた獲物を食べても問題のない毒を使用しているが、魔物は食す目的以外で殺されることも多いため、ハンターにはそうした配慮をしないものも多い。ゆえの確認。

 男が使用した毒物、抽出に用いた植物も答えてやると山男は納得した。

 日が傾きだしたころ、解体され、村に運ばれてきた魔物の姿を見たラビが言った。


「これ、わたしにください!」


 彼女は小さな宝石を掲げながら、魔物の強靭な前足を所望していた。以前手にしていたのとはまた別の宝石だった。


「えっと……」


 物を運んでいた村の男性は、傍らの村長と男との間で視線を彷徨わせた。もともと男が狩って村に売却するというものを、その男の連れである少女が改めて買い取るという、少しややこしい構図になっている。

 結局、村長のはからいによって魔物の手は対価なしでラビのものとなった。その過程で男は「ちゃんと金を取れよ」と口を挟んだが、もともと男が狩ってきたものでもあるし、魔物の手の価値も、そしてラビが持ち出した宝石の価値もすぐには判断できないということで、上記の結論と相成った。

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