第40話「近づく影」
火曜日の朝、榎本から連絡が来た。
いつもの裏門ではなかった。今回は学園から離れた公園に呼び出された。桐島が昨夜連絡を入れていたのが早かったらしく、榎本の返答も早かった。朝のホームルームが始まる前、17は一人で公園に向かった。
榎本はベンチに座っていた。フードを被っていた。いつも通りだった。でも今日は煙草を持っていた。火はつけていなかった。ただ持っていた。
「呼び出して悪かった」と榎本は言った。
「構わない」と17は言った。ベンチの前に立った。座らなかった。
「桐島から聞いた」と榎本は言った。「記録型の機器が東棟の地下に設置されていて、お前の能力の記録が計測不能という表記ではなかったという話だ。」
「ああ」と17は言った。
「その表記、俺には見当がつく」と榎本は言った。煙草を指の間で回した。「管理局の上層部には独自の分類コードがある。一般の局員には開示されていない内部コードだ。計測不能の能力者に対して、特定の条件が揃ったときにそのコードが割り振られる。」
「特定の条件とは」と17は言った。
「Formula系の反応が検知されたとき、だ」と榎本は言った。
17は少し間を置いた。
「以前、17はFormula:1を使った」と榎本は言った。「その出力を機器が拾った。管理局の上層部はFormula系の反応が出た能力者を、特別な対象として分類する。おそらく十三年前から、そういうコードが存在していた。」
「つまり管理局の上層部は」と17は言った。「Formula系の能力者の存在を、以前から知っていた。」
「そうだ」と榎本は言った。「お前が初めてではない可能性がある。」
公園の木が風に揺れた。朝の光が地面に落ちていた。
「灰島か」と17は言った。
「わからない」と榎本は言った。正直な答えだった。「ただ、十三年前の実験に関わっていた研究者たちが消えた理由の一つが、Formula系の研究に関与していたからかもしれないと、俺は思っている。」
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17はしばらく公園の木を見た。
「もう一つ聞いていいか」と17は言った。
「聞け」と榎本は言った。
「Nullの末端が先日学園に来た。そのときの幹部に会った。伊吹という名前だった。」
榎本の手が止まった。煙草を回すのをやめた。
「伊吹を知っているか」と17は言った。
「知っている」と榎本は言った。少し間を置いてから。「Nullの中でも古い人間だ。十年以上前から組織にいる。元々は管理局の外部協力者だったが、ある時期から管理局と対立するようになった。」
「ある時期、というのは」と17は言った。
「十三年前の前後だ」と榎本は言った。「そのあたりから伊吹の動きが変わった。それ以上は俺も把握できていない。」
「伊吹はFormula系のことを知っているか」と17は言った。
「わからない」と榎本は言った。「ただ、知っていてもおかしくない立場にいる。」
17は頷いた。「わかった。」
「17」と榎本は言った。
「何だ」と17は言った。
「管理局の上層部がお前に特別なコードを割り振ったということは、お前を今まで以上に注視しているということだ。桐野だけじゃなく、上層部が直接動く可能性がある。気をつけろ。」
「わかっている」と17は言った。
「わかっているだけじゃ足りないときがある」と榎本は言った。静かな声だった。「お前は一人で全部抱えようとする。それが一番危ない。」
17はしばらく榎本を見た。「それはお前が言うのか」と17は言った。
「俺が言うからこそだ」と榎本は言った。少し苦い顔をした。「一人で抱えて、一人で消えた人間を、俺は知っている。」
その言葉が誰のことを指しているか、17にはわかった。でも何も言わなかった。
「行け」と榎本は言った。「授業に遅れるだろう。」
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午前中の授業は頭の半分で聞いていた。
残り半分はFormula系のことを考えていた。管理局の上層部がFormula系の反応を分類している。十三年前から存在していたコード。消えた研究者たち。そして灰島。
点と点が少しずつ繋がろうとしていた。でもまだ線にはなっていなかった。
授業の合間に、17は柊を横目で見た。柊はノートを取っていた。丁寧な字だった。時々先生の話を聞いて、時々17の方を見た。目が合ったとき、柊が少し笑った。17は視線を前に戻した。
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昼休み、白瀬が17に声をかけてきた。
廊下の端だった。人が少ない場所を選んでいた。白瀬らしい動き方だった。
「榎本から話を聞いたか」と白瀬は言った。
「聞いた」と17は言った。
「Formula系の反応が管理局に拾われた」と白瀬は言った。「使ったのはあのときか。」
「ああ」と17は言った。
「桐野さんに動きはあるか」と白瀬は言った。
「今のところない」と17は言った。「ただ、上層部が直接動く可能性がある。桐野を通さずに。」
「それは困るな」と白瀬は言った。少し考えるような顔をした。「桐野さんが間に入っているうちは、ある程度動きが読める。上層部が直接動くと、どこから来るかわからない。」
「ああ」と17は言った。
「朝霧さんにも伝える」と白瀬は言った。「二人で動きを注視する。お前は今まで通りでいい。」
「頼む」と17は言った。
白瀬が少し間を置いた。「旅行中は楽しかったか」と白瀬は言った。唐突だった。
「悪くなかった」と17は言った。
「そうか」と白瀬は言った。「俺も悪くなかった。久しぶりにただの人間みたいな時間だった。」
「ただの人間、か」と17は言った。
「お前には変な言い方か」と白瀬は言った。
「そんなことはない」と17は言った。「俺もそう思っていた。」
白瀬が少し驚いた顔をした。17がそういうことを言うのは珍しかった。
「そうか」と白瀬は言った。それ以上は何も言わなかった。でもその声が少し温かかった。
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午後の授業が終わった放課後、咲が朝霧を捕まえていた。
校庭の隅だった。朝霧が帰ろうとしていたところに咲が走ってきた。
「朝霧さん! 自主練見てほしい!!」と咲は言った。
「今日か」と朝霧は言った。
「今日!!」と咲は言った。「師匠に言われたんだよね、朝霧さんに見てもらえって。」
「聞いている」と朝霧は言った。
「聞いてたの!?」と咲は言った。
「17から話があった」と朝霧は言った。「お前の能力の伸びを見てやれ、と。」
咲は少し嬉しそうな顔をした。「師匠が言ってくれてたんだ。」
「そうだ」と朝霧は言った。「校庭でやるか。」
「うん!!」と咲は言った。
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校庭の隅で、朝霧と咲が向かい合った。
朝霧が腕を組んだ。「まず今の範囲を確認する。根を地面に這わせてみろ。目標はあの木だ。」と朝霧は言って、三十メートル先の木を指した。
咲が地面に手をついた。根が這い始めた。細く、速かった。
二十五メートルで止まった。
「五メートル足りない」と朝霧は言った。
「もう少し出せるかも」と咲は言った。歯を食いしばった。根がさらに伸びた。二十八メートルまで来た。
「無理をするな」と朝霧は言った。「今の限界がそこだ。把握した。」
咲が手を離した。肩で息をしていた。
「旅行前より伸びているか?」と朝霧は言った。
「旅行前は二十三メートルくらいだった」と咲は言った。
「五メートル伸びた」と朝霧は言った。「一週間でそれは速い。」
「そう?」と咲は言った。
「速い」と朝霧は言った。「ただ、範囲だけ伸びても意味がない。速度と精度も上げる必要がある。」
「どうやって?」と咲は言った。
「今日はこれを繰り返す」と朝霧は言った。「範囲を最大まで出して戻す。それを十回。疲れてからが本番だ。疲れた状態でも精度を保つ練習をする。」
「鬼だ!!」と咲は言った。
「お前が強くなりたいと言ったんだろう」と朝霧は言った。
「言った!!でも鬼!!」と咲は言った。
「やるかやらないか」と朝霧は言った。
「やる!!!」と咲は言った。
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朝霧が咲の自主練を見ていた。
咲が一回、二回と根を這わせて戻した。五回目あたりから顔が赤くなってきた。汗が出始めた。それでも止まらなかった。
七回目に根の速度が落ちた。
「落ちた」と朝霧は言った。
「わかってる!!でも疲れた!!」と咲は言った。
「疲れた状態での速度を把握しろ」と朝霧は言った。「戦闘は疲れていないときだけ起きない。疲弊した状態で能力を使うことになる。そのときの自分の限界を知っておくことが重要だ。」
咲は歯を食いしばって続けた。八回、九回。
十回目、根が這い終わったとき、咲が膝をついた。
「終わった!!」と咲は言った。
「よくやった」と朝霧は言った。
咲が朝霧を見上げた。「朝霧さんに褒められた!!また褒められた!!」と咲は言った。
「そんなに珍しいか」と朝霧は言った。
「珍しい!!でも嬉しい!!」と咲は言った。膝をついたまま笑っていた。
朝霧はしばらく咲を見た。疲れ果てて膝をついているのに笑っていた。十四歳で、管理局の中で育てられて、それでもこの顔で笑えた。
「来週も同じことをやる」と朝霧は言った。
「また鬼練!?」と咲は言った。
「強くなりたいんだろう」と朝霧は言った。
「なりたい!!」と咲は言った。「朝霧さん、また見てくれる?」
「見る」と朝霧は言った。
「やった!!」と咲は言った。立ち上がろうとして足がふらついた。朝霧が無言で腕を貸した。咲が「ありがとう!!」と言った。朝霧が「うるさい」と言った。
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夕方、17が校庭の端を通ったとき、朝霧と咲が片付けをしているのが見えた。
咲が17に気づいた。「師匠!!自主練した!!朝霧さんに鬼練させられた!!」と咲は言った。
「聞いていない」と17は言った。
「でも師匠が朝霧さんに頼んでくれてたんでしょ!!」と咲は言った。
「朝霧が適切だと言っただけだ」と17は言った。
「同じじゃん!!」と咲は言った。「ちゃんとありがとうって言う。師匠がいてくれてよかった。」
17は少し間を置いた。何も言わなかった。
「照れた?」と咲は言った。
「照れていない」と17は言った。
「照れてる!!朝霧さん、師匠照れてる!!」と咲は言った。
「違う」と17は言った。
「同じ!!」と咲は言った。
朝霧が「うるさい」と言った。咲が「でも師匠が!!」と言った。朝霧が「帰れ」と言った。咲が「はーい!!また明日師匠!!また明日朝霧さん!!」と言って走っていった。
17と朝霧が残った。
「伸びているか」と17は言った。
「速い」と朝霧は言った。「あの子はやる気が本物だ。それが一番の才能かもしれない。」
「そうかもしれない」と17は言った。
二人は並んで咲が走っていった方向を見た。咲はもう見えなかった。夕日が校庭に斜めに差し込んでいた。
「管理局の動きについて」と朝霧は言った。「白瀬から聞いた。注視する。」
「頼む」と17は言った。
「一つだけ聞いていいか」と朝霧は言った。珍しかった。朝霧が何かを聞くのは珍しかった。
「何だ」と17は言った。
「お前は今、どこまで見えている」と朝霧は言った。「管理局の上層部のことも、Nullのことも、灰島のことも。全部の話が繋がり始めているのか、それともまだ断片なのか。」
17はしばらく考えた。「繋がり始めている」と17は言った。「でもまだ線にはなっていない。点が増えてきた段階だ。」
「そうか」と朝霧は言った。「線になったとき、教えてくれ。」
「わかった」と17は言った。
夕日が傾いていた。校庭の影が長くなっていた。
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夜、屋上で17は今日のことを整理した。
Formula系の反応が管理局に拾われた。上層部が直接動く可能性がある。伊吹は十三年前の前後から動きが変わった。灰島も同じ時期に関与している。
十三年前。
その年に何があったかを、17は自分の中から探した。断片はあった。でも完全ではなかった。完全ではないのは、意図的にそうなっているからだということも、17にはわかっていた。
誰かが、17からその記憶を消している。
あるいは、最初から持たせていない。
どちらかはわからなかった。
追跡の能力で学園全体を確認した。全員がいた。咲が今日も朝霧の部屋にいた。柊の部屋の明かりが点いていた。白瀬が寮にいた。桐島と水無瀬も同じく。
全員がいた。
その確認をするのが、いつの間にか習慣になっていた。
17はその習慣の意味を、今夜は少し長く考えた。




