第39話「旅行明け」
旅行から帰ってきた翌朝だった。電車を乗り継いで夜に宿を出て、学園に着いたのは深夜だった。それでも全員、朝になると制服を着て登校した。咲だけが「眠い!!」と言いながら廊下を歩いていた。白瀬が「自業自得だ」と言った。咲が「でも祭り最高だったから後悔してない!!」と言った。白瀬が「そうか」と言って少し笑った。
朝のホームルームの前、17は屋上にいた。
いつも通りだった。旅行前も旅行中も旅行後も、17は朝になると高いところにいた。習慣というより、そういう人間だった。
追跡の能力で学園全体を確認した。全員がいた。異常はなかった。Nullの気配も管理局の動きも、今朝は静かだった。
静かすぎる朝は、たまに不安になる。でも今朝は違った。ただ静かだった。
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一時間目が始まる前、咲が屋上に来た。
眠そうな顔だったが目は開いていた。17の隣に来て、同じ方向を見た。学園の外の景色だった。遠くに山が見えた。
「師匠、旅行楽しかった?」と咲は言った。
「悪くなかった」と17は言った。
「それ聞くたびに思うんだけど」と咲は言った。「師匠の悪くなかった、って普通の人の最高に楽しかった、と同じだよね。」
17は少し間を置いた。「そうかもしれない。」
「でしょ!!」と咲は言った。眠そうな顔が少し明るくなった。「だから師匠が悪くなかったって言うたびに、あ、すごく楽しんでるんだな、ってあたし思うようにした。」
「勝手な解釈だ」と17は言った。
「でも合ってるでしょ」と咲は言った。
17は答えなかった。否定もしなかった。
「あたしね」と咲は続けた。「旅行中に少し考えてたんだけど。」
「何を」と17は言った。
「あたし、強くなれてるかなって」と咲は言った。少し真剣な声だった。「師匠に修行つけてもらって、海でも能力使って、でもまだ全然足りない気がする。あの拘束された夜、師匠を一人で行かせたのも、あたしが人質に取られたからで。あたしがもっと強かったら、違ったかもしれないって。」
17はしばらく咲を見た。
「お前のせいではないと言った」と17は言った。
「それはわかってる」と咲は言った。「でも悔しいのは別の話じゃん。師匠のせいじゃないって言われても、あたし自身が悔しいのは変わらないから。」
17はまた少し間を置いた。
「それでいい」と17は言った。
「え?」と咲は言った。
「悔しいと思えるなら、強くなれる」と17は言った。「悔しさがない人間は、理由なく強くなることはできない。お前が悔しいと思っているなら、それがそのまま修行の理由になる。」
咲はしばらく17を見た。それから少し笑った。「師匠ってたまにすごくいいこと言うよね。」
「たまにとは何だ」と17は言った。
「いつも! いつも言う!!」と咲は言った。
「うるさい」と17は言った。
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昼休み、朝霧が図書室にいた。
いつものことだった。朝霧は昼休みになると図書室に来た。本を読むこともあったし、ただ静かな場所にいることもあった。今日は窓際の席に座って、外を見ていた。
扉が開いた。
咲が入ってきた。
図書室に来た咲を、司書の先生が少し驚いた顔で見た。咲が「静かにします!!」と言った。司書の先生が「最初から静かにしてください」と言った。咲が「はい!!」と言った。司書の先生が額に手を当てた。
咲が朝霧の隣の席に座った。
「何しに来た」と朝霧は言った。
「朝霧さんに話しかけに来た」と咲は言った。小声だった。図書室だから頑張っていた。
「話すことがあるのか」と朝霧は言った。
「ある!」と咲は言った。それからすぐに「ある」と言い直した。小声で。
朝霧は外を見たまま「何だ」と言った。
「朝霧さんって、いつから能力使えるようになったの?」と咲は言った。
「八歳だ」と朝霧は言った。
「早い! あたしは十歳だったから、朝霧さんの方が早いね。」
「個人差がある」と朝霧は言った。
「朝霧さんって、最初から強かったの?」と咲は言った。
朝霧は少し間を置いた。「強くなかった」と朝霧は言った。
「え、意外」と咲は言った。
「最初から強い人間はいない」と朝霧は言った。「ただ積み上げた量が違うだけだ。」
咲はその言葉をしばらく考えた。「積み上げた量」と咲は繰り返した。
「そうだ」と朝霧は言った。「お前はまだ積み上げている途中だ。焦る必要はない。」
「でも早く強くなりたい」と咲は言った。
「それは構わない」と朝霧は言った。「焦ることと、急ぐことは違う。焦りは判断を狂わせる。急ぐのは構わないが、焦るな。」
咲はしばらく朝霧を見た。それから「朝霧さんってやっぱりいいこと言う」と言った。
「そうか」と朝霧は言った。
「朝霧さんって、普段無口なのにたまにすごく大事なこと言うよね」と咲は言った。「なんか、言葉を大事にしてる感じがする。」
朝霧は少し間を置いた。「必要なことだけ言えば十分だ」と朝霧は言った。「余計なことを言っても、相手に届かない。」
「あたしは余計なこと言いすぎかな」と咲は言った。
「そうだな」と朝霧は言った。
咲が少し凹んだ顔をした。
「ただ」と朝霧は続けた。「お前の言葉は余計でも、その場の空気を変える。それはそれで価値がある。」
咲が止まった。「それって褒めてる?」と咲は言った。
「そうだ」と朝霧は言った。
「朝霧さんに褒められた!!」と咲は言った。図書室の音量を完全に忘れた声だった。
「静かにしろ」と朝霧は言った。
「ごめん!!でも嬉しくて!!」と咲は言った。
司書の先生が「お二人とも」と言った。
二人が「すみません」と言った。声が重なった。
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放課後、桐島が17を職員室に呼んだ。
水無瀬もいた。三人で小さな会議室に入った。
「旅行中に動きがあった」と桐島は言った。
「Nullか」と17は言った。
「管理局だ」と桐島は言った。「俺たちが学園を離れていた三日間に、管理局の上層部が桐野さんを通じて学園内に何かを設置した形跡がある。」
「何かとは」と17は言った。
「まだわからない」と桐島は言った。「水無瀬が気づいた。」
「東棟の地下に見慣れない機器が置かれていました」と水無瀬は言った。「管理局の備品のマーキングがありました。桐野さんは何も言っていません。」
「能力検知系か」と17は言った。
「可能性が高い」と桐島は言った。「お前の能力を検知しようとしているか、あるいは学園内の能力者全体を把握しようとしているか。どちらかだと思う。」
17はしばらく考えた。「確認できるか」と17は言った。
「機器に近づきすぎると気づかれる可能性がある」と桐島は言った。「ただ、お前の目なら遠距離から構造を読めないか。」
「試してみる」と17は言った。
「今夜でいいか」と桐島は言った。
「ああ」と17は言った。
水無瀬が少し間を置いてから「旅行楽しかったですけど、帰ってきたらすぐこれですね」と言った。桐島が「そういうものだ」と言った。水無瀬が「そうですね」と言った。
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夕方、咲が17を廊下で呼び止めた。
「師匠、今日の放課後、修行できる?」と咲は言った。
「今夜は別の用がある」と17は言った。
「そっか」と咲は言った。少し残念そうだったが、すぐに顔が戻った。「じゃあ明日!」
「明日は考える」と17は言った。
「それって明日も別の用があるってこと?」と咲は言った。
「そうかもしれない」と17は言った。
「師匠って忙しいね」と咲は言った。
「そうかもしれない」と17は言った。
咲はしばらく17を見た。「旅行から帰ったら何かあったの?」と咲は言った。
「何でそう思う」と17は言った。
「なんとなく」と咲は言った。「師匠の顔が少し変わった。旅行中の顔と少し違う。」
17は少し間を置いた。「よく見ている」と17は言った。
「師匠の弟子だから」と咲は言った。胸を張った。
「弟子とは認めていない」と17は言った。
「認めてる!!」と咲は言った。
「認めていない」と17は言った。でも続けた。「何かあっても、今すぐお前に関係することではない。ただ、何かあったときに動けるように、修行は続けておけ。」
咲は少し真剣な顔になった。「わかった」と咲は言った。「じゃあ自主練する。朝霧さんに見てもらう。」
「それでいい」と17は言った。
「師匠に言ってもらえると思わなかった」と咲は言った。「朝霧さんに頼んでいいって。」
「お前の能力を一番理解しているのは朝霧かもしれない」と17は言った。「植物系の知識を持っている。俺よりも適切なことを言える場合がある。」
咲はしばらく17を見た。「師匠ってそういうこと、ちゃんと考えてるんだね」と咲は言った。
「当然だ」と17は言った。
「なんか」と咲は言った。「嬉しい。師匠にそういうふうに考えてもらえてるの。」
17は答えなかった。廊下を歩き始めた。
「また明日!!」と咲は背後から言った。
「ああ」と17は言った。振り返らずに答えた。
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夜、17は東棟の地下に向かった。
一人だった。桐島と水無瀬には上で待機してもらった。地下への入り口は施錠されていたが、17には関係なかった。
地下は薄暗かった。非常灯の光だけがあった。水無瀬が言っていた機器は、奥の壁際に設置されていた。見た目は小さかった。目立たないように置かれていた。
17は入口から動かずに、目の解析能力を使った。
機器の構造が読めた。能力検知型ではなかった。別のものだった。
記録型だった。
学園内で能力を使った記録を蓄積する機器だった。いつ、どこで、どの程度の能力が使われたか、それを全て記録していた。おそらく管理局の上層部が直接回収する形式だった。桐野もこの機器の存在は知っているはずだったが、中身を確認できる立場にはないかもしれなかった。
17は解析を続けた。
記録の中に、いくつか見覚えのある出力値があった。柊の能力の出力値だった。朝霧の値もあった。白瀬の値もあった。咲の値も記録されていた。
そして、17自身の値が記録されていた。計測不能という表記ではなかった。何か別の表記がされていた。17にはその表記の意味がすぐにはわからなかった。
17はその表記をしばらく読んだ。
それから機器から目を離した。
地下を出た。
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地上に戻ると、桐島と水無瀬が待っていた。
「どうだった」と桐島は言った。
「記録型だ」と17は言った。「学園内で使われた能力を全部記録している。いつ、どこで、どの程度の出力かまで。」
「それを管理局の上層部が回収する」と桐島は言った。
「おそらく」と17は言った。
「厄介だな」と水無瀬は言った。
「壊せるか」と桐島は言った。
「壊せる」と17は言った。「ただ、壊したことに気づかれる。今は壊さない方がいい。」
「泳がせるか」と桐島は言った。
「ああ」と17は言った。「ただ、一つ気になることがあった。」
「何だ」と桐島は言った。
「俺の能力の記録が、計測不能という表記ではなかった」と17は言った。「別の表記がされていた。管理局の上層部が、俺の能力について何かを把握しつつあるかもしれない。」
桐島はしばらく黙った。「榎本に確認する」と桐島は言った。
「頼む」と17は言った。
三人が解散した。
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夜、屋上で一人になってから、17はあの表記を頭の中で繰り返した。
計測不能ではなかった。それは管理局が17の能力を何らかの形で分類し始めたということを意味していた。分類できるということは、似たような事例を知っているということだった。
似たような事例。
17はその言葉の意味を考えた。
管理局が知っている、計測不能に近い能力者の事例。それが何を指すか。
灰島の名前が頭に浮かんだ。
追跡の能力で学園全体を確認した。全員がいた。咲の気配が朝霧の部屋にあった。また泊まっていた。柊の部屋の明かりが点いていた。
17はその明かりをしばらく見た。
旅行中、何も考えない時間があった。波の音を聞いていたら、いつの間にか眠っていた。それが今は少し遠かった。
でも完全には消えていなかった。あの三日間は、確かにあった。
夜風が吹いた。




