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第38話「まだ明かせない名前の秘密」

 翌朝、咲が全員を七時に叩き起こした。


 方法は廊下を走りながら全員の部屋のドアをノックするというものだった。音量は一定だった。加減がなかった。白瀬が「お前は目覚まし時計か」と言った。咲が「起きて!!浴衣買いに行くよ!!」と言った。朝霧が扉を開けて無表情で咲を見た。咲が「朝霧さんおはよう!!」と言った。朝霧が「うるさかった」と言った。咲が「ごめん!!でも起きた!!」と言った。朝霧が「そうだな」と言って中に戻った。


 17の部屋は最初からドアが開いていた。咲がノックしようとして止まった。中を見ると17がいなかった。咲が「師匠どこ!?」と廊下で言った。「屋上にいるんじゃないか」と白瀬が部屋から出ながら言った。「屋上?」と咲が言った。「あいつ高いところが好きなんだろう」と白瀬は言った。咲が階段を上がった。屋上への扉を開けると、17が手すりに背をもたせかけて海を見ていた。「師匠!!」と咲は言った。「うるさい」と17は言った。「浴衣買いに行くよ!!」と咲は言った。「さあ」と17は言った。「行くよ!!」と咲は言った。


---


 宿から歩いて十分のところに小さな商店街があって、その中に浴衣を売っている店があった。咲が真っ先に入って全部の浴衣を見始めた。店の人が少し圧倒されていた。


 柊が棚を見ていた。水色のものと紺のものを交互に持って鏡に当てていた。


「どっちがいい?」と柊は17に聞いた。


 17は少し間を置いた。「どちらも似合う」と17は言った。


「どちらもって、選んでないじゃない」と柊は言った。


「どちらも似合うから選べない」と17は言った。


 柊は少し考えて、水色を選んだ。「こっちにする」と柊は言った。「なぜだ」と17は言った。「海の色に近いから」と柊は言った。「そうか」と17は言った。「17はどれにする?」と柊は聞いた。「いらない」と17は言った。「咲ちゃんが買うって言ってたじゃない」と柊は言った。「言っていない」と17は言った。


 そこに咲が来た。


「師匠これ!!」と咲は言って、濃い藍色の浴衣を17に押しつけた。「絶対似合うから!!」と咲は言った。「いらない」と17は言った。「着て!!」と咲は言った。「いらない」と17は言った。「お願い!!!」と咲は言った。


 白瀬が遠くから「諦めた方が早いぞ」と言った。


 17は少し間を置いた。「……わかった」と17は言った。


 咲が「やった!!!」と叫んだ。店中に響いた。店の人が「お客さん」と言った。咲が「すみません!!でもやった!!!」と言った。


---


 午前中は海で過ごした。


 昨日より波が穏やかだった。咲が波打ち際で貝を集めていた。朝霧が砂浜に座って本を読んでいた。白瀬が水に入って浮いていた。桐島と水無瀬が波打ち際で何か話していた。


 柊が砂浜に座っていた。17がその隣に来た。


「眠れた?」と柊は聞いた。


「少しだけ」と17は言った。「明け方に少し眠った。」


「それでも眠れたんだね」と柊は言った。


「ああ」と17は言った。「波の音を聞いていたら、いつの間にか眠っていた。」


 柊は少し嬉しそうな顔をした。「よかった」と柊は言った。


「そうかもしれない」と17は言った。


 二人は砂浜に並んで海を見た。波が来て、引いた。また来た。昨日と同じ波だったが、今日は少し穏やかだった。


「ね、17」と柊は言った。


「何だ」と17は言った。


「名前、いつか教えてくれる?」と柊は言った。突然ではなかった。ずっと聞こうとしていた問いを、やっと言葉にした感じだった。「17って番号じゃない。本当の名前。」


 17は少し間を置いた。


「いつか」と17は言った。


「いつか、か」と柊は言った。


「今は無理だ」と17は言った。「でも、いつか話す。」


「わかった」と柊は言った。「待てる。ちゃんと待てるから。」


 17はしばらく黙っていた。それから海を見たまま「ありがとう」と言った。小さな声だった。


 柊は少し驚いた。17がありがとうと言うのは珍しかった。聞き逃すところだった。


「どういたしまして」と柊は言った。声を普通に保った。でも内側で何かが温かくなっていた。


 波が来た。


---


 夕方から祭りが始まった。


 宿の近くの神社が会場だった。屋台が並んでいて、提灯が灯っていた。人が集まり始めていた。日が暮れるにつれて、提灯の光が濃くなっていった。


 全員が浴衣で集まった。


 咲が真っ赤な浴衣を着ていた。「どう!!」と咲は言った。「似合う」と白瀬は言った。「本当に!?」と咲は言った。「本当に」と白瀬は言った。咲が「やった!!」と言った。


 朝霧が薄い緑の浴衣を着ていた。白瀬が「似合いますね」と言った。朝霧が「そうか」と言った。白瀬が「珍しい色を選びましたね」と言った。朝霧が「好きな色だ」と言った。白瀬が「初めて知りました」と言った。朝霧が「聞かれなかったから言わなかった」と言った。


 柊が水色の浴衣を着て来た。咲が「柊さん!!!」と叫んだ。「なに」と柊は言った。「可愛い!!!」と咲は言った。「ありがとう」と柊は言って少し笑った。


 17が最後に来た。


 濃い藍色の浴衣を着ていた。いつもの学校の服装とは全く違った。同じ顔なのに、違う人のように見えた。


 咲が止まった。


「師匠」と咲は言った。


「何だ」と17は言った。


「めちゃくちゃ似合ってる」と咲は言った。珍しく、静かな声だった。


「そうか」と17は言った。


「本当に似合ってる」と咲は繰り返した。「買ってよかった。」


 白瀬が17を見た。「確かに似合ってるな」と白瀬は言った。


「着ているだけだ」と17は言った。


「着ているだけでも似合うのが大事なんだよ」と柊は言った。


 17は答えなかった。でも否定もしなかった。


---


 祭りの中を全員で歩いた。


 咲が屋台を全部見ようとした。白瀬が「全部見てたら終わる」と言った。咲が「でも全部気になる!!」と言った。結局半分くらい見た。咲が「りんご飴買う!!」と言って走った。白瀬が「お前は昨日の散策でも全部の店に入ろうとしてたな」と言った。水無瀬が「習慣なんじゃないですか」と言った。桐島が「元気があっていい」と言った。


 朝霧が金魚すくいの前で止まった。白瀬が気づいた。「やるか」と白瀬は言った。朝霧が「少し」と言った。二人で並んでやった。白瀬が三匹すくって「そこそこだな」と言った。朝霧が七匹すくって無表情で立ち上がった。白瀬が「なんで朝霧さんの方が上手いんですか」と言った。朝霧が「手が安定しているから」と言った。白瀬が「それだけで七匹すくえるのか」と言った。朝霧が「そうだ」と言った。


 桐島と水無瀬が焼きそばを食べながら歩いていた。「こういう祭り、来たことなかったな」と桐島は言った。「え、本当ですか」と水無瀬は言った。「子供の頃は田舎だったから、こういう大きい祭りはなかった」と桐島は言った。「そうなんですね」と水無瀬は言った。「お前は?」と桐島は言った。「毎年来てました」と水無瀬は言った。「そうか」と桐島は言った。「楽しいですよね、祭りって」と水無瀬は言った。「そうだな」と桐島は言った。二人で焼きそばを食べながら歩き続けた。


---


 しばらくして、柊と17が二人になった。


 自然にそうなった。咲が屋台に走って、白瀬と朝霧が別の方向に行って、桐島と水無瀬が屋台に並んで、気づいたら二人だけで歩いていた。


 人混みを歩いた。提灯の光が二人の顔に当たっていた。


「お祭りって来たことある?」と柊は聞いた。


「ない」と17は言った。


「初めてばかりだね、この旅行」と柊は言った。


「そうかもしれない」と17は言った。


「どう? お祭り。」


「うるさい」と17は言った。


「また」と柊は言って笑った。「海もうるさいって言ってたじゃない。」


「どちらもうるさい」と17は言った。「でも悪くはない。」


「それが17の最高評価だもんね」と柊は言った。「悪くない、が。」


「そうかもしれない」と17は言った。


 二人で屋台の列に並んだ。前に親子連れがいた。子供が父親の手を引いていた。父親が笑いながら歩いていた。17がそれを一瞬見た。


「どうかした?」と柊は聞いた。


「いや」と17は言った。


 柊は17の視線を追った。親子連れが見えた。何も言わなかった。ただ隣に立ち続けた。


 屋台で二人分の飲み物を買った。柊が財布を出そうとしたら17がすでに払っていた。「あ、ありがとう」と柊は言った。「ああ」と17は言った。「なんかそういうこと、たまにするよね」と柊は言った。「何が」と17は言った。「気づいたら払ってたり、気づいたら助けてたり」と柊は言った。「波に足をすくわれそうになったとき、昨日」と17は言った。「そう、あのとき」と柊は言った。「無意識だった」と17は言った。「そういうことが、無意識にできるんだね」と柊は言った。


 17は少し間を置いた。「そうらしい」と17は言った。自分のことを、少し遠くから見るような言い方だった。


---


 神社の本殿の前に来た。


 提灯が連なっていて、石畳に光が落ちていた。人が少し減っていた。静かな場所だった。祭りの音が少し遠くなった。


 柊が石畳の上で止まった。本殿を見た。


「お参りしようかな」と柊は言った。


「ああ」と17は言った。


 二人で賽銭箱の前に立った。柊が財布から硬貨を取り出して入れた。手を合わせた。目を閉じた。


 17も同じようにした。賽銭を入れた。手を合わせた。


 柊が目を開けた。隣の17を見た。17はまだ手を合わせていた。目を閉じていた。藍色の浴衣に提灯の光が当たっていた。


 何を祈っているのか、柊にはわからなかった。でも17が手を合わせている姿を、柊はしばらく見た。


 17が目を開けた。柊と目が合った。


「何を祈ったの?」と柊は聞いた。


 17は少し間を置いた。「さあ」と言った。


「それはさあじゃなくて教えてほしかったな」と柊は言った。


「お前は?」と17は言った。


 柊は少し考えた。「秘密」と柊は言った。


「それはずるい」と17は言った。


 柊が少し笑った。「17も教えてくれないじゃない。」


「そうだが」と17は言った。


 柊はその言葉が可笑しくて、もう少し笑った。17が「何がおかしいんだ」と言った。「そうだが、って言ったから」と柊は言った。「事実だ」と17は言った。「そうだね」と柊は言って笑い続けた。


 提灯の光の中で、柊が笑っていた。17はその顔を一度見て、それから本殿を見た。


 祭りの音が、遠くで続いていた。


---


 夜が深くなってきた頃、全員が神社の石段に座って花火を見た。


 打ち上げ花火だった。遠くの海の上で上がっていた。音が遅れて聞こえた。


 咲が「きれい!!」と言った。白瀬が「そうだな」と言った。朝霧が空を見たまま何も言わなかった。桐島が「花火か、久しぶりだな」と言った。水無瀬が「見るだけで気持ちがいいですよね」と言った。


 柊が17の隣に座っていた。


「花火、どう?」と柊は言った。


 17は空を見ていた。花火が上がるたびに、その光が17の目に映った。いつもと少し違う目だった。解析しているのではなかった。ただ見ていた。


「綺麗だ」と17は言った。


「また綺麗って言えた」と柊は言った。


「そうか」と17は言った。


「昨日も言えたじゃない、夕日のとき」と柊は言った。


「そうだったか」と17は言った。


「そうだったよ」と柊は言った。「17が綺麗って言うの、なんか好きだよ。」


 17は少し間を置いた。何も言わなかった。でも空を見続けた。


 花火が上がった。大きかった。音が遅れて来た。咲が「おお!!」と言った。


 その光の中で、17の横顔が一瞬だけ全部照らされた。


 柊はその顔を見た。


 普段の17の顔ではなかった。力が抜けていた。知らない場所では眠れない、と言った17が、この三日間で少しずつ何かを置いてきている気がした。それが何かは、柊にはまだわからなかった。


 ただ、この顔が見られてよかったと思った。


 また、そう思った。


---


 帰りの夜道、全員で宿に向かった。


 咲が「最高だった!!」と言った。白瀬が「何回言うんだ」と言った。咲が「何回でも言う!!」と言った。桐島が「また来ればいい」と言った。咲が「来る!!絶対また来る!!」と言った。


 柊が17の隣を歩いていた。


「楽しかった?」と柊は聞いた。


「さあ」と17は言った。


「また」と柊は言って笑った。


「悪くなかった」と17は言った。


「うん」と柊は言った。「それでいいよ。」


 少し間を置いてから、17が言った。「来てよかったかもしれない。」


 柊が少し止まった。


 来てよかったかもしれない。さあでも悪くなかったでもなく、そう言った。


「よかった」と柊は言った。声が少し震えた。「本当によかった。」


「何がそんなに嬉しいんだ」と17は言った。


「17がそう言ってくれたから」と柊は言った。


 17は少し間を置いた。「そうか」と17は言った。


 宿の明かりが見えてきた。提灯の光がまだ遠くに残っていた。夜風が吹いて、柊の浴衣の袖が揺れた。


 全員の足音が夜道に続いていた。

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