迷子と魔法
「いってきまーす」
高崎環17歳はいつものように元気に家を出た。が、ドアの先にあったのはいつもの見慣れた景色ではなく、変な格好をした大勢の人間が待ち構えている広場だった。
環は何の言葉もなくただただ呆然と立ちつくした。ぼんやりと周りを見まわすと、そこにいる人々は何かおかしかった。一言で言えば、ファンタジー映画のようだった。
居並ぶ人々はいかにもそれらしい格好をしていた。特に環の正面の一団はまさに王族という風情だった。中年の男と自分より少し上の年齢くらいの若い男。
「異界の勇者よ、よくぞ参られた」
中年の男はよく通る声で環に話しかけた。
「私はリチャード王。このノーデルシア王国を治める者だ」
リチャード王と名乗った男はまだしゃべろうとしていたが、環は手を上げてそれを遮る大声を出した。
「ちょっと待ってくれ。ここはどこだ?」
「それは私が説明しよう」
リチャード王と名乗った男の隣にいた、環と同年齢くらいの男が一歩踏み出してそう言った。
「失礼。私はリチャード王の息子、エバンス。ここはあなたのいた世界とは違う、異世界だ」
「異世界?」
「そうだ、勝手なことだと言われるのは承知のうえだが、あなたは我々がこの世界に呼び寄せたのだ」
「わかんない話だな。まあ、とりあえず俺は高崎環だ。まあ、タマキって呼んでくれればいい」環は首をかしげて聞いた。「それで、これから俺をどうしようっていうんだい?」
「我々の城に来ていただく。そこでこの世界について説明をしよう」
「なるほどね」
環はそう言ってあらためて周りを見まわした。確かにここが全く別の世界だというのはよくわかった。一人ではどうしようもなさそうな状況なのは完璧に間違いない。
「まいったね、こいつは。ま、頼むぜ」
いかにも気楽な感じでそう言った環とは対照的に、エバンスは重々しくうなずいて、近くに控えている騎士に手で合図をした。騎士は早足で環に歩み寄ると、地面に膝をついてベルトにつけられ鞘に納まった剣とマントを差し出した。
「どうぞ勇者様」
「これを着ろってこと?」
そう言いながら、環はブレザーの上からマントを着けた。ベルト付の剣はどうしたものかとしばらく迷っていたが、今しているベルトの上から着けることにした。ブレザーにマントと剣、それに鞄という珍妙な格好になったが、環はそれなりに満足したらしかった。
「うん、悪くない」
「では勇者様、こちらに」
いつの間にか隣に来ていた眼鏡をかけた侍女らしき人物に手をとられ、環は歩き出した。迷子の子供みたいなもんかと思いながら、それなりに楽しそうにしていた。
どうやら城に向かっているようだったが、環はそれを気にすることなく、辺りをずっと見まわしていた。
見れば見るほどファンタジーの世界だった。人々、市場、民家。全てがその手の世界のものだった。家を出たら異世界に連れてこられていたという理不尽な状況にも関わらず、不思議と怒りも悲しみも湧いてはこなかった。
環が連れて来られたのは、城の中の大きなホールだった。ホールには祭壇のようなものが中央に設置されていて、その前にはローブをまとった若い女性がいた。女性が環の手を引く侍女にうなずくと、侍女は頭を下げて後ろに下がった。
「勇者様、よくおいでくださいました。ありがとうございます」
ローブの女性は深々と頭を下げた。
「俺は高崎環だ。まあ、来たくて来たってわけじゃないんだけど。とりあえずよろしく」
環の気楽な挨拶にもローブの女性は落ち着いた態度を崩さずにやさしく微笑んだ。
「タマキ様ですね。私はロレンザという者です」
「で、ロレンザさんは何者?」
「私は勇者様に魔法をお教えするように命じられています。」
「魔法? 魔法っていうと火を出したり雷を落としたりできるアレ?」
「そうです」
「そりゃすごい。どうやったら使えるのかな、それ」
ロレンザは相変わらず微笑みながら、どこからか一冊の本を取り出した。それは豪華な装丁が施された、サイズで言えばA5くらいのサイズの分厚い本だった。
「これはスペルブックというものです」
「すぺるぶっく? というか、どこから出したのそれ?」
「所有者になればいつでも呼び出すことができます」そう言ってロレンザはさらに一枚のカードを取り出した。「そしてこれがスペルカードです」
「すぺるかーど?」
「スペルカードと契約できると、このスペルブックにその魔法が登録されて使えるようになります」
「へえ。その契約ってのはどうすればできるの?」
ロレンザはスペルブックを環に差し出した。
「まずはこのスペルブックに手を置いてください」
「こうか」
環がスペルブックの表紙に手を置くと、その場所が光り始めた。どんどん強くなる光に、
ロレンザは息を呑んだ。
「すごい・・・ これだけの魔力があるなんて」
「魔力?」
光が爆発的に広がった。光は数秒の間ホールを満たし、徐々に収まっていった。環とロレンザはさっきの体勢のままだった。
「もう手を離してもいいですよ」
「ああ」
「今の光はタマキ様の魔力の大きさを表しています。これほどの光は記録でも見たことがありません」
「今のが俺の?」
「そうです。これでこのスペルブックはあなたのものです」ロレンザはそう言ってスペルブックを環に渡した。「それではスペルカードの契約をしましょう」
環はロレンザが差し出したスペルカードを受け取った。カードには爆発しているような絵が描かれていた。
「これは?」
「一番基本的な魔法であるバーストのスペルカードです。それはこう持ってください」
ロレンザはスペルカードを絵が描かれているほうを環に向けて、親指と人差し指ではさんで持った。環もそれを真似した。
「いいですか、おそらくタマキ様が今までに経験したことのない感覚だと思いますが、恐れることはありません。まずはカードに意識を集中してください」
言われた通りにすると、カードが自分の体の一部になったような感覚と共に、そこから未知の力が流れてくるような感覚があった。
「魔力の流れを感じますか?」
「ええ、たぶん」
「それでは、”契約バースト”と声に出して言ってください。力を集中して」
環は目を閉じて、カードから自分の体に流れる力を感じた。そして、腹に力を込めて口を開いた。
「契約! バースト!」
カードが光ると同時に、今までの穏やか力の流れとは違う、大きな力が勢いよく環の体に流れ込んできた。
「うぉ!」
思わずあとずさったが、カードはしっかり握っていた。力の流れは止まり、カードは上から光になって消えていった。それと共に力の流入も止まった。
「スペルブックを開いてください」
言われた通りスペルブックを開いてみると、そこにはさっきのカード、バーストが刻み込まれていた。それ以外は空白だった。
「おめでとうございます」ロレンザは微笑んだ。「これでバーストはスペルブックに登録されました。初めてで契約に成功するというのはすごいことですよ」
「このスペルブックっていうのは、ずいぶん空白が多いみたいだけど、魔法っていうのはそれだけ種類があるってことなのかな?」
「そうです。ですが、とりあえず今日はこれだけにしておきましょう。他にも色々なことを知っていただかなければいけませんから」
ロレンザはさっきの侍女を呼び寄せた。侍女は再び環の手を取って、ゆっくりと歩き始めた。環はされるがままになりながら、さっきの感覚を反芻していた。ふと我に返って、侍女に声をかけた。
「ああ、そうだ。君の名前を聞いてなかったけど」
「カレンです。タマキ様のお世話をさせていただくことになっております」
「カレンね。で、なんでさっきから手をひいてくれてんのかな?」
「そのほうが確実ですから」
「そういうもんかな」
「そういうものです」