03 人の恋路を邪魔する物は拳で粉砕する
美嶺を病院に送ってあげた三日後、新しい校則が追加された。
『在校生の交際禁止』だ。
臨時の全校集会で発表されたその校則の表向きの制定理由は「先だっての事件の理由は男女の不健全な交際による痴情のもつれであり、今後同じ事件の発生を防ぐため、在校生の交際を禁じる」というものだ。
既に交際している男女は別れなければならず、交際には教師の許可が必要だ。教師が不健全な交際を行わないと信用した生徒だけが交際できる。
許可なく交際を行えば退学処分となる。
なぜ突然こんなバカみたいな校則が決められたのかは考えるまでもない。美嶺の仕業だ。
俺を日和と別れさせるために病床から指示を飛ばし強権を振るったに違いない。
あいつはお母さんのお腹の中から「嫌がらせ」以外持ち出せなかったらしい。喋ったり書いたりできないように顎と両手の骨を丁寧に砕いておくべきだった。
PTAと教員がまるで何かに怯えるように奇妙に沈黙し、新校則の詳細を語ろうとしない中、在校生の反応は三つに分かれた。無関心、賛成、反対だ。
元々付き合うとか告白とかそういった恋愛事情とは無縁だった一部の生徒にとっては、新しい校則が制定されても今までと何も変わらない。大正時代か昭和初期かといった厳しい締め付けにもまるで動じず、我関せずの態度を貫いた。強い。
反対派は普通に反対した。今までは普通に付き合って良かったのに、急にダメだと言われて納得できる訳がない。だが破れば退学だと決められてしまった以上、できる事はあまりにも少ない。職員室や校長室に抗議しに行ったカップル達はすげなく追い返された。
一部生徒の抗議の登校拒否は当然のように出席日数不足と授業態度不良として扱われ、反対派は三日しないうちに心折れて沈黙した。酷い話だ。
新しい校則はあまりにも理不尽で、従わないといけないのが悔しい。でもこういう理不尽にどう立ち向かえばいいのか分からない。俺が得意なのは暴力だけだから。
賛成派がいるのだけは何故なのか分からなかったのだが、数学の教科書を隣の席の神田に借りようとした時にカラクリが分かった。
教科書忘れたから貸してくれ、とお願いした途端、神田は顔を背けて嫌そうに言った。
「貸さない。話しかけんな」
「ええ? な、なんで? 俺は借りた教科書破って燃やして火災報知器鳴らしてその責任を人に押し付けたりしないぞ」
「なんだそれえっぐ……お前気付いてねーのか?」
「何に」
神田は教室を見回した。俺も釣られて見てみると、様子を伺っていた何人かが慌てて目を逸らしわざとらしく雑談を始めた。見られてた? それになんだか――――
「距離取られてる気がする? 俺の周り空白地帯できてるな」
「マジで気付いてなかったのか。鈍すぎるぞ」
「いや、慣れてて」
小学校時代はずっと遠巻きに病原菌扱いされていて、それが普通だった。避けられるのに慣れ過ぎていて分からなかった。
「なんでみんな離れてるんだ?」
「怖いからに決まってんだろ。俺もこえーよ」
「なんで?」
意味が分からない。
邪知暴虐の金髪碧眼財閥令嬢を退治したんだからむしろ人気者になっちゃうかもな、と思っていたんだが。
首を捻る俺に神田は嫌そうに教えてくれた。
「あんな可愛い転校生をいきなりぶん殴って10mぶっ飛ばして病院送りにするクソ危ない奴がなんで怖がられないと思うんだよ。死ななかったの奇跡だぞ」
「ああ、あれは奇跡じゃない。そういう技なんだ。俺ん家の古武術の技は絶対に人を殺さないように出来てるから。咄嗟の事だったけどちゃんと池に落ちるように殴ったし」
どんなに見た目が派手な技でも、決して生き物を殺さない優しい武術なのだ。
殺して倒すのは簡単だ。殺さずに無力化して倒す事は、殺すよりずっと難しい。それこそが活人古武術の真髄だ――――じいちゃんは常々そう言っている。
じいちゃんは古風で頑固だけど、尊敬できる自慢の祖父だ。
「馬鹿か? 殺さないとか古武術とかそういうのじゃねーんだよ。ちょっと高飛車お嬢様みたいなとこあったけど、あの子が何やったっつーんだよ。なんもしてねーだろうが。それをお前、あんな……お前頭おかしいよ。話しかけんな。俺まで頭おかしい奴だと思われるだろ」
「待ってくれ、美嶺はあれぐらいやって当然の――――」
「うるせぇな話しかけんなつってんだろ!」
神田は強引に話を打ち切った。ガタガタと机を動かし、距離を取られてしまう。
なんとも言い難い寂しい気持ちになった。
美嶺が暴れていたのは小学六年生までで、この高校では美嶺の小学生時代の悪行は知られていない。だから俺が転校生をいきなり病院送りにしたヤバい奴だと思われてしまうのだ。
なんだよ。
そんなに冷たくする事ないだろ。俺の方を信じてくれてもいいじゃないか。何か理由があったんだと思ってくれてもいいじゃないか。
それを俺が悪いんだと決めつけて、話も聞いてくれない。
神田とは一年の時も一緒のクラスだった。俺が生半可な理由では人を傷つけないと分かってくれると思ったのに……
改めて教室を見回すと、まるで狂犬に睨まれたようにみんな目を逸らした。
ああ、くそ。
美嶺はとんだ置き土産を残していってくれやがった。
俺が沈んでいると、職員室から呼び出された日和が戻ってきた。俺の顔を見て気づかわしげに言う。
「なに? どうしたの?」
「ちょっとな。大した事じゃないんだ。なんでもない」
「なんでもなくはないでしょ? 悲しいって顔に書いてあるもの」
「いや……そういう日和はどうしたんだ?」
「え? 職員室で先生と話してきただけだよ」
日和も上手く隠してはいたが、表情に影が差していた。
何か辛い事があったに違いない。
美嶺関連か? いや、美嶺を殴り飛ばしたのは俺だ。美嶺に突き飛ばされた日和はむしろ被害者。クラスメイトや先生に煙たがられる理由はないはずだが……
「隠さなくていい。何があったんだ? 先生に何を言われた? 何された? 話してくれないか」
「ん……話したい、けど」
「もしかして交際禁止令を気にしてるのか? こうやって話すぐらい普通だろ」
「えっと……」
「大丈夫だ。俺を信用してくれ。悪いようにはしない」
日和が嫌な思いをしたならなんとかしてやりたい。
俺が言い募ると、日和はおずおずと一通の手紙を俺に見せてくれた。
俺は一通り読み、握りつぶし、席を立った。
あの女ぁ!
日和がびっくりして急に立ち上がった俺を見上げる。
「ちょっと職員室行って来る」
「え、昼休み終わっちゃうよ」
「いいんだ。日和はここで待っててくれ」
「でも――――」
「任せてくれ。頼む」
「う、うん」
跪いて視線を合わせ、手を握って頼み込むと、日和は頬を赤くして頷いた。
俺は廊下を全力疾走して教室から五秒で職員室に飛び込んだ。担任の先生の机に手紙を叩きつける。怒りの余り声が震えた。
「どういう事ですか、これは」
「あー、読んだのか?」
俺の剣幕にのけぞった先生はバツが悪そうだった。
読んだのか、じゃねぇんだよ。どういう事かって聞いてるんだ。
「これが生徒への仕打ちですか? この、」
「待て。場所を変えよう」
周りの先生達が何事かと俺達を見ている。先生は俺を連れてこそこそと職員室を出た。
廊下の引き戸から中庭に出て、木と岩で周りから見えない位置に移動する。
なんだよ。聞かれて困るような話なら最初からするな!
「いいか? この話に大津は関係ないんだ。だから衛月にも大津には話すなと言ったんだが」
「関係無い訳ないでしょう。シラを切るのも限度があります」
先生は気まずそうだった。やりたくてやっているのではない事ぐらいは俺でも分かる。だがこれはあり得ない。
俺は手紙を振って見せた。
「なんですかこれ。衛月日和が転校すれば校則を戻していい? 校舎の建て替え費用を全額負担する? はあ? 財前院の言いなりですか? 教育者の矜持はないんですか?」
「財前院とは書いてない――――」
「先生、俺は成績そんな良くないですけど、この手紙の差出人が分からないほど馬鹿じゃないです」
「……分かった。腹を割って話そう。いいか、大津を一人の男と見込んで話すんだぞ。絶対口外するな」
先生は観念して、念押ししてから話してくれた。
美嶺の実家、財前院家は日本一の大金持ちだ。その御令嬢が通っているという事で、関係各所からの圧力が物凄いらしい。
今回の急な校則変更も財前院家からの圧力によるもので、逆らえば廃校になりかねないという。
先生方も理不尽だと思っている。生徒の事も大切だ。抗議しよう、反抗しようという思いもある。しかし口には出せない。
教員に財前院家の支持者が紛れこんでいて、学校側の団結を妨害し、動きを密告しているというのだ。それが誰なのか分からないから迂闊に動けず、動けないからいいようにやられている。
「だからって日和を犠牲にするんですか? 生徒ですよ!? 先生は先生でしょう! それなのに生徒を守ってくれないんですか!?」
「分かってくれ。こんな事言いたかないが、先生にも家族がいるんだ。先生は先生の家族を守らないといけない。家族と生徒の安全、どちらを取るかと言われたら……そういう事だ。軽蔑したか? これが大人になるって事なんだよ、大津」
先生は悲しそうに言った。
悔しいが先生の立場は少し分かる。先生の言葉には確かに一理ある。
しかし一理しかない。
許せねぇよ。それを言うなら俺だって彼女を守るために先生に無理やり何かを強いる事が正当化されるじゃないか?
先生がそのつもりなら俺にも考えがあるぞ。
「どうしても日和を学校から追い出すつもりですか? 日和は何も悪くないのに?」
「なんとかしたいとは思ってるさ。しかしどうにもならないからこうするしかないんだよ。何か奇跡が起きればなんとかなるかも知れないが……先生も動けないだけで、動きたくないわけじゃないんだ」
「奇跡が起きれば? どんな奇跡が起きれば動いてくれるんですか?」
「ああいや、今のは物の喩えで、」
「この岩を素手で真っ二つにできたらそれは奇跡ですよね」
「ん……? ああ、まあ、そうだな?」
俺がすぐ隣にある中庭の岩、2mはある苔むした大岩を手の甲で叩いて聞くと、先生は曖昧に首肯した。
「じゃあ、俺が奇跡的にこの岩を素手で真っ二つできたら、先生は校則を戻して日和を守るために動いてくれますか?」
「ふっ、そんな事ができたらな」
先生は苦笑して頷いた。
よし。
言ったな?
確かに聞いたぞ。
前言撤回は許さないからな。
「では、見ていて下さい」
「ん? 見て? 何を……?」
岩に向き直る。
俺は呼吸を整え。
足を肩幅に開き、構え。
そして拳を引き絞った。
岩くん「や、やめろォオオオオオオオオ!」




