02 全身全霊、告白お断りパンチ
クラスの皆と先生は、美嶺の言葉を冗談だと思ったようだった。
当然だ。「私が法律だ」なんて言葉を本気で言ってる奴がいたら確実に頭がおかしい。
だから朝のHRが終わってから頭がおかしい女が俺に学校を案内するように命令すると、女王様の命令だぞ、これは聞くしか無いな、法律だからね、などと口々に囃し立てた。
「待ってくれ。俺は……い、い、いいい、嫌、だ……」
勇気を振り絞って言った拒否は誰にも届かないぐらいの小声にしかならなかった。
泣きそうだ。
最悪にも先生が余計な気の利かせ方をして、一限の国語は急遽校内清掃に切り替わった。校内清掃というのは建前で、本当は美嶺が早くクラスに溶け込めるようにクラスみんなでゾロゾロ校内を巡る会だ。
転校生が美嶺でさえなければ名采配だったのに。
まずは校舎の外から見て回る事になり、昇降口に向かう。
美嶺は先導役を任された俺の手を握り、ニマニマと怖気がする邪悪な笑顔を浮かべてついてきた。死神に命を握られ、絶対屈しないと決めた心がすり減っていく。
小学生の頃はいつもこうだった。お気に入りのオモチャで遊ぶ時の美嶺はいつも恐ろしいほどに上機嫌で笑っていた。せっかく忘れかけていたのに思い出してしまった。
「宵介」
「ぅぁ……な、なんです……だ、よ」
耳慣れた声で高圧的に名前を呼ばれ、反射的に敬語が出そうになる。
「私がいない間、言いつけ守ってたでしょうね」
「…………」
転校前に美嶺が俺に命令したのは「友達を作らない」「彼女を作らない」「毎日美嶺の事を考える」という拷問だった。
本当は「毎日美嶺に電話をする」もあったのだが、父親に留学中日本に電話をかける事を禁じられたため無しになった。あの人は基本娘にゲロ甘なのに変なとこで厳しい。
最初の一ヵ月ぐらいは美嶺の幻影に怯えて愚直に守っていたのだが、今は積極的に破り捨てている約束だ。
「あの、財前院さんって宵介の知り合いなんですか?」
昇降口で靴を脱ぎながら、日和が控え目に話に入ってきた。
「もちろん。幼馴染だもの。宵介の事は誰よりも詳しいわ。留学してる間一日も忘れなかったのよ」
「……そうなんですか」
クラスメイト達から黄色い声が上がる。日和は不安そうに繋がれた俺と美嶺の手を見た。
そう。お気に入りの丈夫なオモチャを掴んで離さない美嶺の子供っぽい習性は高校生になっても変わっていない。離すとブチ切れて暴れ出すから迂闊に離せない。
「あなた名前は?」
「あ、衛月日和です。人工衛星の衛に、太陽と月の月。小春日和の日和です。よろし――――」
「宵介を見る目が気に入らないわ。二度と近寄らないで」
言葉尻に被せてねじ伏せるように命令され、日和は絶句した。
一瞬、変な感覚がした。日和の傷ついた顔を見た途端に煮えたぎるような熱い感情がわき上がった。今まで一度も美嶺に感じた事のない何かだ。
しかし自分で自分の感情に戸惑っているうちに消えてしまった。なんだこの気持ちは……?
俺は困惑しながらも努めて平静を装い、昇降口から外に出て中庭の案内を始めた。
意識したら負けだ。普通にすればいい。服従しなくていい。転校生を案内するだけなんだ。大した事じゃない。
「あれが二宮金次郎像だ。二宮金次郎の像だな。すごい。それであれが池だ。池だな。コイがいる。汚い。それであっちが――――」
「宵介」
「ひ」
ダメだ名前を呼ばれるだけで胃がキュッとする。
「な、なんですだよ」
「今から宵介は私の彼氏よ。放課後になったらお父様に紹介しに行くから準備しておきなさい」
「……あ゛?」
脳が理解を拒否した。
お前は急に何を言いだすんだ?
外国語で喋らないでくれ。
ここは日本だぞ。俺が分かる言葉で話せ。
「よく聞こえなかった。なんだって?」
耳の良さには自信があったのだが。
聞き返すと美嶺は露骨にイラついた。嫌な予感がする。美嶺といる時は常に嫌な予感しかしないが、背筋が冷たくなって鳥肌が立つ。
「は? 私の言葉を聞き逃したの? 調教し直さないといけないようね。いい? 宵介は今から私と付き合うの。彼氏になったのよ」
それは告白ですら無かった。
決定事項を伝えただけだった。
「????」
本当に何を言っているのかさっぱり分からない。
何をどうすればそうなるんだ? 周りのクラスメイト達の興奮と困惑の入り混じったざわめきが遠く感じる。
彼氏?
彼氏ってのは人間だろ。
お前、俺の事をオモチャ扱いしてきたよな。
オモチャは彼氏にできないんだぞ。まさか御存知ない?
元々頭のおかしい奴だったが、留学中にやっと気が狂ったのか。
びっくりするほど可哀そうという気持ちが湧いてこない。しかし仮にも幼馴染だ。精神病棟に入る前の見送りぐらいはしてやろう。最後の情けだ。
「先生、病院に連絡お願いします。俺が付き添いするので」
「は? 急に何? ケガの心配? ふふっ、大丈夫よ。どこもケガなんてしてないわ」
「なんで嬉しそうなんだ?」
控え目に言って気色悪い。救急車来るまで大人しくしてろ。
「まだイエスを聞いてないわね。ずっと好きだったわ。私と付き合いなさい! 返事は!」
「ま、待って下さい。宵介くんは私と付き合ってるんです。だからあの……ごめんなさい」
脳に障害を負ったお嬢様だが、喋るたびに本能的にビクっとしてしまう。それを見かねたのか日和が俺と美嶺の間に割って入り、おずおずと、しかしはっきり言った。
す、すまん日和。俺が言うべきだったが言葉が出なかった。
ニヤニヤしていた美嶺が途端に不機嫌になる。嫌悪を剥き出しにして小柄な日和を見下した。
「はあ? 宵介が? お前と? 宵介、あなた私の命令を……はぁ。特別に一度だけ許すわ。衛月だったかしら? 宵介と別れなさい」
「そんなっ、」
「うるさいわね、宵介に近寄るなと言ったでしょう!」
「きゃっ!」
激昂した美嶺が日和を突き飛ばした。
それを見た瞬間、俺の中の何かが音を立て千切れた。
同時に美嶺に感じた感情の正体もはっきり分かった。
【怒り】だ。
今まで恐怖と嫌悪しか感じた事が無かったから、自分が美嶺に怒っていると分からなかった。
よろめいて転びそうになる日和を優しく抱き寄せ背中に庇う。
そして気が付いた時には体が勝手に動いて美嶺を殴り飛ばしていた。
じいちゃんの【力は誰かを傷つけるためにけっして使ってはいけない】という教えは頭から消えていた。
これは日和を守るための拳だ。恥じゃない。
無防備に俺の拳を受けた美嶺の体は乱回転しながら高々と吹っ飛んだ。
三階ある校舎の屋上あたりまで舞い上がり、一瞬の静止の後、重力に引っ張られ開校以来一度も清掃されていないと噂の中庭のヘドロが溜まった池に落ちた。
クラスメイトが悲鳴を上げる。
先生が慌てて池に飛び込んで救出しようとする。
日和は俺を見上げ手で自分の口を押さえ顔面蒼白だ。
だが俺の心は今までの人生で見たどんな青空よりも晴れやかだった。
なんだ。
俺は大丈夫だったんだ。自分を守れる。彼女も守れる。
もう二度と美嶺に怯える必要なんてない。
「絶対に、ゆ、許さない、から……!」
「うるさい黙れ二度と日和に近づくな」
池から引っ張り上げられ、捨て台詞を吐いた美嶺は白目を剥き泡を吹いて気絶した。
完全勝利だ!
俺は顔を真っ赤にした先生に死ぬほど怒られながら、救急車で病院に搬送されていく美嶺を見送り勝利の余韻に浸った。
……しかし話はそこで終わらない。
美嶺の命令で高校の校則が変わったのは、その三日後の事だった。