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2.開陽の街を歩く

 珪己は浩托とともに喧騒飛び交う街へと飛びこんだ。


「あっつ……」


 ちょうど太陽が真上まで来ており、少し歩いただけで頭のてっぺんにじりじりと熱を感じるほどだ。人通りが多く、土煙なのか埃なのか、薄黄色の何かがあたり一面に舞っている。歩いていると、口や目の中がなんだかしゃりしゃりとしてくる。しかしそれもいつものこと、この辺りはそういう場所なのである。


 浩托は稽古着のままだ。道場には着替えの場所などなく、みなが稽古着で通ってくる。それはどこの道場でも同じで、だから浩托の装いは街の中でも違和感なくなじんでいる。


 対する珪己は、上級官吏の娘らしからぬ地味な衣を身にまとっている。ちょっと道場に顔を出すだけのつもりだったので、家の中でよく着る普段着、町娘のような気楽な恰好のままでいたのだ。


 だが、浩托とでかけるのであればこれくらいでちょうどいい。木刀の修理や武具の購入のために、道場内では古参のこの二人はたまに一緒に街に出ることがある。そういうとき、珪己は今と同じような恰好を選ぶ。しかし、さすがに稽古着では街を歩いたことはない。女人が稽古着でいたら目立って仕方がないからだ。珪己は枢密使の娘であり、武芸者でもある。この二つの要素だけでも十分目立つので、せめてそれ以外のところではひっそりとしていたいと願うのだ。


 二人は行きつけともいえる屋台に一直線に向かい、空いた席に座り、いつもの好物の麺を注文した。すると店主の男はあっという間に二人の前に溢れんばかりに満ちた大きな器を置いた。どれだけ短い時間で客に商品を提供できるか、この店主は自らに勝負を挑んでいるようでもある。そういう料理人は屋台ではよく見かける。


 出された器からは白い湯気がもくもくと立ち昇っている。鼻につく力強い香りは、だしの効いた汁と、その上にこれでもかと載せられた薬味によるものだ。それが二人の口内にじわっと唾液を生じさせた。


 浩拓は無言で器を引き寄せるや、ずるずると遠慮なく麺をすすり、熱々の汁をすすっていった。先ほどまで稽古に励んでいた浩托は、よほど腹が減っていたのだろう、汁の熱さにも負けずに勢いよくかきこんでいく。みるみる中身が減り、麺が一本残らず食された。すると浩托は店主に、汁の中に追加の麺を投入するよう要求した。即座に放りこまれたそれをまた、勢いを落とすことなくすすっていく。


 珪己はこの少年の変わらない食べっぷりを横目で楽しみながら、同じように麺をすすっていった。こういう食事は久しぶりだ。官吏補となってからは、朝夕は家で、昼は宮城内で手弁当ですませていた。ここ数日は琵琶の練習もあり、夕飯をとる時間もなかった。帰宅して簡単な夜食をとるだけだった。


 しかし、こうしてにぎやかな街の中で旧知の少年と食べ慣れた麺をすすり、珪己はほっとしている自分に気がついた。


(女官になってからずっと気が張っていたんだな……)


 初めて侑生が楊家を訪れてから、もう三月がたとうとしている。あの頃は冬の気配もまだ残る初春だったが、もう夏も近い。長いようで短いこの期間、本当にいろいろなことがあった。


 と、いつの間にか食べ終えた浩托が珪己に向かって言った。


「そういやさ、お前は今日の大目玉には興味ないの?」

「大目玉って?」

「その様子じゃ知らないようだな。今頃、大通りでやってるぜ。お姫様と芯国人が通行するって街中大騒ぎだぞ。しかもなんと! 警備は近衛軍だぜ!」


 近衛軍、と言うところで声の調子が格段にいい。こういうところは道場仲間だ。お姫様や異国人もいいが、やはり武芸者の象徴ともいえる近衛軍を真近で見るほうが興奮の度合いが強くなるというわけだ。


 といっても、珪己はこの少年が知らぬ間にすでに数多くのことを経験してしまった。初春から始まる濃厚な体験を通して、近衛軍は見慣れたものになり、姫には強い親しみを覚え、異国人には仕事を完遂できるどうかといった興味がわくほどには。


 だが浩托はそんな珪己の心中など知る由もなく、


「お前も食べ終わったら、ちょっと見に行ってみようぜ」


 と誘ってきた。珪己は昨夜の皇族との会話を思い出した。少し逡巡し、けれど好奇心に打ち勝てずにうなずいた。



 二人は虹橋の付近まで行ったが、もうそこは常ではありえないような混雑によって、これ以上は進むことがかなわなくなっていた。人、人、人。どこもかしこも人だらけである。向こうでは武官が一列になって人々の通行を抑制しているが、幼子は親に肩車をしてもらい、商売人は声を張り上げ、騒々しくも華やかに行列を盛り上げている。


 おそらく向こうに見える武官のさらにそのまた先に目的の行列が繰り広げられているのだろう。しかし珪己の前にはこの賑わいに群がった人々の後ろ頭しか見えない。それ以外何も見えない。


「浩托、見える?」


 自分よりも頭半分ほど背の高い浩托に訊いたが、


「うーん、ほとんど見えないなあ。もっと早くから来ないと駄目だったみたいだな」


 と、ため息をつかれた。


「これだけ人が多いと、もう近づくのは無理だな」


 あきらめ顔の浩托に「そうだね」と珪己がうなずいた、その時。

 数人離れたところから覚えのある女性の声が聞こえた。


「ああもう、ちょっとどいてよ! じんが見えないじゃない!」


 それは侑生の姉、李清照だった。相変わらず美しい。いや、いつも以上に着飾り美しい。が、そこは清照、叫ぶような大声で目の前の他人を罵っている。何度も「どいてよ!」と怒鳴っているが、この混雑ぶりでは清照一人でどうにかできるわけもなく。


 珪己は手を挙げて大きく振り、そして周囲に負けないように怒鳴った。


「清照さーん!」


 すると清照は両の眉をぴくりと動かし、それからあたりをきょろきょろと眺め、そして珪己らがいる方に目をやった。


「清照さん! 私です! 珪己です!」


 腹の底から声をあげると、清照は満面の笑みになり、負けじと大きく息を吸い込んだ。


「珪己ちゃーん! 久しぶりー!」

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