1.真昼の道場
太陽が真上に位置する少し前の時刻、珪己が楊家隣の道場へ行くと、可愛らしい少年たちが一心不乱に木刀をふるっていた。「えい!」「えい!」と、やや高い声が道場内を飛び交っている。このような時分、窓を全開にしてはいても、少年たちの熱気で内部はこもり非常に暑苦しい。それでも誰もが爽やかな汗を流していた。
その中に、浩托がいる。珪己と同い年のもっとも親しい道場仲間だ。浩托は居並ぶ少年たちの前に一人対峙する格好で立ち、気合い十分に木刀をふるっている。
浩托をお手本に、彼よりも年の若い少年たちがその剣技を模倣していく。浩托の気合いが少年たちを支配し、集中力を見事に維持させていた。
珪己が不在の間、浩托は立派に師範の代行を務めていることが伺える。代行というより、もう正真正銘、師範の一人として数えられるだろう。
(浩托ったら、立派になっちゃって……)
同い年の少年に、珪己はなぜか姉のような感慨深い気持ちになった。あれほど無鉄砲に好き勝手な業を編み出しては戦いを挑んできた浩托が、人に剣を教えているのである。感動すら沸き起こるというものだ。人の成長とは早いものだ。
やがて午前の稽古が終了し、一人、また一人と少年たちが去っていった。最後の一人がいなくなり、浩托がこちらに背を向けて残る片づけを始めたところで、珪己はそっと近寄り、そして思いきり大声で「わっ!」と叫んだ。珪己の気配にまったく気づいていなかった浩托は、突然のことに足をもつれさせながら無様に尻もちをついた。
「うわわっ! 誰だ誰だ!」
「ふふっ。さっきまであんなにちゃんと先生をしてたのに、やっぱり変わってないんだね」
「……って、珪己か?」
見上げ、そこに久方ぶりに見る少女の姿をとらえると、浩托は跳ねるように飛び起きた。
「久しぶりだな。もういいのか?」
「え?」
「なんか体調を悪くしてたって師匠から聞いてるぞ。だから前の立会いでも調子がでなかったんだろ? で、今はもういいのか」
ああ、そういうことになっていたのか、と珪己は一人ごち、
(まあそういうことにしておいたほうがいいか)
と結論づけ、「うん、だいぶ調子が戻ってきたんだ」と答えた。なぜ戦えなくなったのか、この同い年の少年に説明することは心理的にも立場的にもひどく難しい。
浩托の顔にぱあっと笑みが広がった。
「そりゃあよかった! まあ、もう少しは俺がちびたちの稽古を見てやるからさ。お前はしっかり体を休めろ。でもって、全快したらまた勝負しようぜ」
「……うん、やろう!」
浩托と話していると、珪己もまたこの少年と同じように楽しみになってきた。
「そういやお前、今は官吏補やってるんだって?」
「それも師匠に聞いたの?」
「ああ」
「でももう終わりにするの。またちょっと旅に出るから」
旅というのはもちろん華殿に入ることを指している。初春の女官時代と同じ設定だ。そうしておくのが無難だろう。どうせ女官になると言っても信じてもらえない。
「ふうん、そうか。静養にでも行くのか」
疑うことを知らない浩托は、話していて楽であり、また珪己の良心を少し痛める。
「そうなの。いいお湯が出る涼しいところがあるんだって」
「どこに行くんだ?」
「うーん、よく分からない。父様が考えてくれてるの」
実際は、父である玄徳は、今朝方になって珪己から事情を聞いたばかりであった。芯国の重臣に見初められて……というところを父に向かって説明するのはひどく恥ずかしいことだった。それでも口ごもりながらもなんとか説明すると、意外なことに玄徳は『夜伽を命じられそうになった』ことについては驚いた様子はなかった。しかし、龍崇の『提案』という名の命により、もう明日の夜には華殿に入らなくてはならなくなったと告げると、その時だけは珍しく眉をひそめた。
「それはさすがに急な話だね。よし、私のほうでも黒太子に訊いておこう」
そう言って玄徳は城へと向かったのである。
「そっか。いつから行くんだ?」
珪己の答えは浩托にとって水のようなものなのかもしれない。乾布のごとく疑うことなく吸収し、なんの抵抗もなく次を欲してくるのだから。
「うーんと、明日」
「……明日だあ? それはまた急だな」
「うん、それで浩托と師匠に挨拶したくてここに来たの。今日は師匠はいないの?」
「今日は、じゃない。今日も、だ。師匠は道場にも来なくなっちまった」
師匠のくせにひどいものぐさ具合だ。しかし二人はそういう師匠にすっかり慣れてしまっていた。
「じゃあまた明日来るね。それでも会えなかったら、浩托、師匠によろしく伝えておいてくれる?」
「ああ分かった」
じゃあ、と帰りかけた珪己を、浩托が後ろから追いかけてきて、その頭にぽんと手を乗せた。
「これから飯でも食いにいこうぜ。旅の餞別におごってやる」




