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9.仁のない行動

 そう、聞きたいからこそ二人の前に姿を現したのだ。ここまであの少女に関わったのだ、今さら知らないふりなどできはしない。


 必要以上に近づくことはもうやめたい。だから少女が乗る馬車の守護も部下に任せた。が、この枢密院事の言うそれが必要以上のことであるのかどうか、今も判断するのは自分自身だ。判断するためには材料がいる。知らなくては何も決めることはできない。


 仁威の覚悟のほどは二人の枢密院事にも伝わった。


「まずは事実を言おう」


 ふたたび良季が口を開いた。


「彼女は今宵の宴に楽士として参加していたのだが、そこで芯国の重臣に目をつけられたらしい。夜伽の相手として望まれたそうだ。だがそれは湖国側の手腕によって解決済と聞いている」


 良季の言葉を仁威は黙って聞いている。その態度を計りつつも良季が続けた。


「もう一つ。これは事実ではなく推測なのだが、この一件はこれで終焉したわけではなさそうだ。だがそれがどのようなことなのか、私にも正直言って分からない。以上だ」


 礼を示すためにやや頭を下げた仁威に、良季が言葉を重ねた。


「新しい情報が入ったら君にも知らせようか?」

「よろしくお願いします」

「その代わりといってはなんだが……君も私たちに教えてくれないか」


 何を、と問う間もなく、良季が一歩前に出た。


「知っていることをすべてだ。たとえば、君は楊珪己とどのような関係にある? どのようにして知り合った?」


 突如の枢密院事の追及に、しかし仁威は静かに首を振った。


「ただの知り合い、それだけです」


 しかしそれも想定内のこと、ここまで静観していた隼平もまた一歩進み出た。


「いいだろう、そういうことにしておいてもいい。だがこれだけは言え。俺たちが宮城にいなかったこの初春に何があったのか、あらいざらいを言うんだ」

「……言えません」


 何もなかった、何も知らないとでも言えばいいのに、答えは『言えません』。


「言えない、というのは誰の命令によるものだ?」


 鋭い追及は止むことがない。その任のために剣を持つことはなくとも、たとえ机上であっても、彼ら枢密院事もまた武芸者であるといえる。


 戦うと決めたからには一歩足りとて引く気はない。

 引いた瞬間、彼らは上司を護れなくなる。


「君に命令できる者は三将軍と枢密院の上位者だけだろう。誰の命令だ?」


 しかし仁威のほうこそ、真の武芸者。


「言えません」


 再度きっぱりと答えた。


 ふっと良季が笑った。


「語るに落ちたな。それだけ明瞭に拒否するということは、我らよりも上位の者からの命令であるということだ」


 悟られた、と気づいたが、仁威は表情を変えることなく無言を貫き通した。そんな仁威をなめるように眺めつつ、良季の推測が語られていった。


「数ある枢密副使の中から李侑生がこの件に当たったのはまず間違いない。李侑生に命じたのは当然、楊枢密使。枢密使が枢密副使に命じ、かつ我ら枢密院事を遠ざけてまで秘密裏に事を成す必要があったということは、皇族の命によるものということ」

「ええっ! 俺らって邪魔者扱いされてたってわけ? うわー、それはちょっと、いや、だいぶ悲しくなるね」


 こういうときでも素が出てしまうのは隼平らしい。


「呉隼平、話に割り込むな。それほどの機密事項だった、それだけのことだ。そしてこの時期にはお前も知っているとおり、後宮でひと騒動があったわけだが、あれは珪己と名乗る新人女官の登場によって王美人が刺激されたことに端を発する。その女官を東宮に召したのは皇帝陛下だ。であればこの件は皇帝陛下直々の望みに従って実行されたと考えるのが自然だ」

「なるほどねえ。王美人を後宮から追い出すために彼女を臨時の女官にしたってわけか。でもなんで珪己ちゃんなの? 楊枢密使の娘御だったからかな?」

「うむ、確かに彼女を用いることで秘密を有する者を限定したかったというのはあるだろう。だがそれだけではないだろうな」


 目の前で繰り広げられる洞察は、あっという間に真実へと近づいていく。

 怖いぐらいに容易に解かれていく。


「で、君は理由を知っているのだろう? なぜ彼女が任じられたかを」


 問いながら、すでに質問者はその答えを有しているようだった。


「……楊珪己が武芸者であるからです」


 ようやくまともに返されたその答えに、無言でうなずいたのは良季、驚いたのは隼平だった。


「ええっ! 珪己ちゃんって武芸者なの?」

「お前は忘れたのか。楊家の隣には武芸の道場があり、そこの主は鄭古亥だ」

「あ、そうだ。そういえば聞いたことがあるぞ。元近衛軍将軍が事変後に楊家の守護を兼ねて道場を開いたと。そこに楊枢密使の娘御がなぜか通っているとも聞いたな。そっか、あれは珪己ちゃんのことか。だけど興味半分に見学している程度かと思ってたよ」

「楊珪己は正真正銘、本物の武芸者です……!」


 ここにきて仁威が見せた激情に、良季が興味深そうにその眉を動かした。


「君はよく彼女のことを知っているんだな。そうやって彼女の代わりに本気で怒りをぶつけられるほどに。……で、どのような関係なんだ?」


 問われてまたも無言を貫こうとする仁威を、良季はやれやれと思いつつ、しかし、さすがにもうこのくらいで許してやろうと心に決めた。


 袁仁威が職務に忠実な男であることは良季もよく知っている。そのような男を、第一隊隊長を務めるほどの矜持を有する男を、これほどまでに翻弄したのだ。そして無理やり秘密を暴き出した。あまりやりすぎては、こういう男は自ら職を辞してしまう恐れがある。


 それは優秀な武官を失う危険をおかしてまで知る必要のない情報だった。知りたいと思ったのは、単に己の上司に関することであるからだ。知っておいて損はない情報、といった程度の定義だ。


 先ほど仁威が見せていた絶望の顔――侑生と同質のその表情を見せていたということは、二人は親しい関係なのだろう。侑生のように恋慕する気持ちが関係しているかは定かではないが、親しいのは確かだ。そう良季は判断し、それに満足してこの尋問を終了とする算段に移った。


 良季の問いに無言で対抗する仁威は、もはや『ただの知り合いではない』ことをまったく隠していない。なので深く考察する前に、もう一人の枢密院事である隼平の方は連鎖的に思い出してしまった。珪己にとっての『ただの知り合いではない』男といえば――。


 隼平の肩が大きく跳ねた。


「もしかして、お前が珪己ちゃんを弄んでいる男か!」


 瞬間、明らかに仁威が動揺した。

 その動揺の激しさに良季が驚く中、隼平が即座に動いた。


「お前っ……!」


 隼平が仁威の胸倉をぐっとつかんだ。


「お前なあ! やっていいことと悪いことがあるだろうが!」


 普段の仁威であれば、文官になど体に触れさせもしない。いや、枢密院事相手であるからやられるがままに無抵抗なふりをする、くらいのことはするかもしれない。だが今は真に抵抗できなかった。それはもちろん、隼平の言うことが図星だったからだ。


 仁威は珪己の唇を無理やり奪っている。


 だがあれは正しい行為だった。

 今もあの口づけは間違っていなかったと、そう解釈している。


 ――だが、隼平の言うとおり、あれが良いことだったとは到底思えない。


 仁威の正義は、己の行為が悪であったとすでに断じている。それはずっと考えていたことだった。


 良識のない行動に正義はあるのか?


 仁のない行動にも正義はあると言えるのか――?


 仁威は思わずその目を伏せた。


 仁威の表情は隼平の推測を否定せず、それが隼平の怒りを相乗的に増した。もう一方の手でも胸倉をつかみ、仁威の顔を強引に自身に引き寄せる。拳一つほどの距離で、震える両手と睨み付ける両の目が、隼平の怒りのほどを正確に表していた。


「お前さあ、珪己ちゃんのこと好きでもなんでもないだろ!」


 好きであれば、真向から隼平を睨み返すはずなのだ。

 好きであれば、口づけをする相手にはその気持ちを伝えるべきなのだ。

 だが、仁威の言動はそのどれとも違う。


 隼平がその両手に力を込めた。


「女が望んでいないことをするなんて最低な奴だな。そんなんで隊長やってていいわけ……?」

「隼平、抑えろ。ここは宮城だ。誰の目に入るか分からない」


 良季がその手を隼平の手のひらに沿えると、隼平は今一度仁威を見据え、それから乱暴な仕草でその両手を離した。仁威は突き飛ばされる格好で後退し、よろめいた。その様子を隼平は冷めた目で眺めている。


「お前、無様だな。隊長のくせにかっこ悪いったらないの」

「……呉隼平! 行くぞ!」


 最後は良季の一喝により幕を閉じた。隼平は憎々しげに仁威を見、けれど良季の言葉に従い、その場から立ち去っていった。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  エブリスタさんの方で、やっとここまで拝読。読み始めたら、止まらなくなりました。まだ途中ですが、ここまでの感想を書きたくなって、なろうさんに来ました。  珪己の知らない所で巡らされる複雑な…
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