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8.今どうしたいのか

 門の手前には手配された馬車が待機していた。顔だけは知っている第一隊の武官が三人、馬と共にそばにいる。そしてそこには呉隼平と高良季の姿もあった。珪己の姿を確認したとたん、良季がはっと顔をあげ、隼平が重い体を揺らし全速力で駆けてきた。


「まさかここまで一人で来たの? 大丈夫だった?」


 明らかに暗い表情の少女に、隼平の胸は心配ではちきれそうだった。この一件がどのような結末となろうとしているのか、まったく分からずにいたのだから当然だ。


 珪己が隼平の顔を認めてその表情をやや緩め、そして泣きそうな顔になった。


「はい、大丈夫です。すみません、隼平さんにもご心配をおかけしていたんですね」

「いいんだよ俺のことは。俺が勝手にやきもきしていただけだからさ。……でもよかった、なんともなかったんだね。李副使はどうしたの? 一緒に来ると思ってたんだけど」


 その質問に珪己の顔が一瞬曇った。が、すぐに笑顔を作る。


「李副使とは先ほどその角の手前でお別れしました」

「李副使に何かあったのか?」


 いつのまにか良季も隼平の隣に来て、共に珪己の顔をうかがっている。


 枢密院事の二人に見下ろされ、しかし珪己は気丈に嘘をついた。


「特に何もありません。まだお仕事があるからと武殿に戻ったのではないでしょうか」


(――そんなわけがない)


 侑生の部下二人は即座にそう思った。


 袁仁威が侑生の元を訪れてから、無謀にも西宮にまで押しかけ、黒太子に直に面会し――侑生はずっと極限状態にあった。二人はそんな上司をおいて西宮を離れたことを後悔しながら命令通りに働き、そしてここで待っていたのだ。


 普段であれば、侑生は部下にこのような心配をかけない。そうされないよう表情を作ることを知っているし配慮にも長けている。確かに最近はそれがうまくいっていなかったが、「いや問題ない」とか「すまなかった」といった言葉、またはそれに準じる態度を示すくらいのことはしてみせていた。


 だが今夜の侑生の言動にはそういった片りんすらも見えなかった。まるでこの世の終わりとでもいうような、一瞬にして何もかもを失ったかのような――そう、絶望にとらわれていた。死の宣告を下されたとしてもここまでひどい表情をしないだろう、そう思えるほど悲惨な男になり果てていた。


 だが、それでもどうにかこの悲惨な運命と戦おうともがいていた。極限状態の中、己ができうることを模索し、行動に起こしていた。そういう点ではこの上司ほど立派な男はいないのではないかと思う。


 隼平が口を開こうとしたのを、良季がその目だけで制した。今動くことは、まだ状況を理解していない少女に解を与えることになる。


 そう、二人こうして見ると、珪己は侑生の異変に気づいていないようであった。


 たしかに、珪己は今夜楽士となり、芯国の重臣に見初められ、しかも皇族に招かれて華殿にまで赴いた。これだけ多くの、しかも特別なことばかりがその身に起こったのだから、どうしても自分について深く思索したくなるだろう。


 しかし、侑生の心を知っている二人の部下は、たとえそうだとしても、侑生をいたわることなく、あまつさえその変化に気づきもしないこの少女にやるせない感情をもった。それは怒りというべきか、悲しみというべきか。――侑生の心をもっとも理解してほしい人物こそ、この少女だというのに。


 だが理解することを押し付けることなどできはしない。二人は珪己を馬車に乗せ、武官らによくよく護衛するように再度依頼し、この少女に別れを告げたのだった。



 *



 隼平と良季は馬車が去っていく様子をしばらく正門の前で眺めていた。がらがらと鳴る車輪の音が、人気のない暗闇の中に吸い込まれ――やがて見えなくなるまで。そして二人は踵を返した。武殿へと戻るために。珪己の言葉が本当であれば、そこでは彼らの上司が待っていることだろう。


 と、その道すがら、二人の前に一人の武官が音もなく現れた。


「おや、第一隊隊長はまだいたのか。明日もまだ重要な任があるのだから早く帰宅するように」


 いち早く正体に気づいた良季がそう告げ、枢密院事の二人がそろって仁威の前を通り過ぎようとした、その時。


「楊珪己に何があったのでしょうか」


 その声に二人の足が同時に止まった。振り向くや、二人は内心驚かされた。そこにいる男、第一隊隊長が今夜の彼らの上司と同じ表情をしていたからだ。――同じように絶望にとらわれていたからだ。


「君は彼女を知っているのか?」


 問われ、ややその目を揺らしたが、仁威は小さくうなずいた。


「はい。知っています」

「……もしかして、彼女がどういう人物なのかも知っているのか」


 これにもわずかなためらいの後うなずいた。


「ということは、彼女が楊枢密使の娘御だということも知っているのだな」

「……はい」

「知っているだけではなく、君は彼女と知り合いなんだな」


 無言で二人を見据える仁威の瞳は、表情は、有言に『是』であると語っている。それもただの知り合いではない。そう語っている。


 良季が腕を組んだ。その仕草を認め、隼平もまた仁威に真正面から向かい合った。枢密院事の二人は、今、この武官、袁仁威にきちんと向き合うべきだと判断したのだ。


『この男は自分たちが知り得ない情報を確実に持っている』


 それは二人の直感であり、また状況からして確かな事実でもあった。


 だが二人は基本的には誠実かつ優しさを有する人間である。また、交渉事を成功させる理論を熟知している。なのでまずは目の前の男の心労を取り除くこと、つまり懐柔することから始めた。


「俺たちが知っているかぎりでは、彼女にはなんの危害も加えられていないし、皇族に夜伽を命じられたわけでもなかった。そこは安心してくれ」


 隼平の言葉は仁威が望んでいたものであり、それを聞くや上半身の緊張を解き、やや肩の力を抜いた。それは二人からすればあからさまな安堵の表現だった。


 だが続く良季の提案に仁威は息をとめた。


「君は知っていたほうがよさそうだから言うが、悪い報告もある。聞くか?」


 その瞬間、仁威の頭に廻ったのは、近衛軍将軍・かく駿来しゅんらいの言葉だった。


『おめえが本当に大切にしたいことを決めるんだな』


 聞けばどうなる。

 聞かなければどうなる。


 どちらを選んだら何を守れる?

 どちらを選んだら何を守れなくなる?


 それぞれを選択した結果を一瞬で導き出そうとし――しかしそれもまた思い起こした駿来の言葉で無意識に中断した。


『おめえは隊長である前に人間なんだぞ――』


(今どうしたいんだ?)


 それだけを己に問い直し、その答えであれば即座にはじき出せた。


「聞かせてください」

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